スウェーデンの監督ベルイマンの初期の到達点
1958年公開の映画『魔術師』は、魔術のトリックを見破ろうとする役人と魔術の旅芸人の攻防を描いた喜劇作品。
演出は『野いちご』や『仮面/ペルソナ』など、多くの名作を残したイングマール・ベルイマン監督。
ベルイマン作品の常連俳優マックス・フォン・シドーとイングリッド・チューリンがフォーグラーとその妻を演じています。
第20回ベネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞した本作は、魔術師一座とトリックを見破ろうとする役人たちの一夜のいたちごっこ。ベルイマンが問う、芸術家とショー・ビジネスの正体とは…。
映画『魔術師』の作品情報
【公開】
1958年(スウェーデン映画)
【原題】
Ansiktet
【監督・脚本】
イングマール・ベルイマン
【キャスト】
イングリッド・チューリン、マックス・フォン・シドー、ナイマ・ウィフストランド、グンナール・ビョルンストランド、ベント・エーケロート、ビビ・アンデショーン、エルランド・ヨセフソン
【作品概要】
映画『野いちご』(1957)や『仮面/ペルソナ』(1966)のイングマール・ベルイマン監督作品。神や魔術、そしてオカルトを信じる人の弱さと、死の恐怖を描いた物語。数多くのベルイマン監督作品を支えたイングリッド・チューリンが主演し、『ペレ』(1987)のマックス・フォン・シドーが共演しています。
第20回ベネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞、日本では1975年に劇場初公開。2018年の「ベルイマン生誕100年映画祭」(18年7月、YEBISU GARDEN CINEMAほか)でリバイバル上映。
映画『魔術師』のあらすじとネタバレ
フォーグラー博士が率いる魔術師一行は、都会のストックホルムを目指していました。
馬車には、フォーグラーと、その妻で助手のマンダ、祖母、そしてシムソンが乗っていました。
一行は、パンを食べながら、オカルトの話をしています。
森に入ると、幽霊のような呻き声が聞こえます。首を裂かれた動物か、はたまた彷徨う怨念か、一行は様子を見ます。
そこには、酒に溺れた俳優のスペーゲルがいました。
スペーゲルは熱心に神を信仰していましたが、神からは見放され、死を待つのみでした。
フォーグラー達は、スペーゲルも乗せ、都に向かいます。
ストックホルムに到着すると、早速検問され、領事のエガーマンの館に招かれます。
館にはエガーマンの他、医師のベルゲルスと警察署長のスターベックがいました。
エガーマン達は魔術の真偽を尋ねますが、フォーグラーは口が聞けず、答えられません。
広告に載っていた怪しげな磁力治療や薬について、エガーマン達はフォーグラーを怪しんでいました。
エガーマンとベルゲルス達は、科学に淘汰された魔術が、本当に存在するのかを賭けていました。
だからこそ、魔術師の代表として、フォーグラー達は招かれました。
映画『魔術師』の感想と評価
魔術と科学の二項対立を、喜劇的な物語で彩った映画『魔術師』。
巨匠ベルイマンのカメラワークは圧巻で、特に序盤の木漏れ日の差す森は、白黒映画ならではといった神々しさに満ちていました。
また、死にゆく老人スぺ―ゲルや医師ベルゲルスの鬼気迫る怯えが印象的に描かれていました。
科学をもって魔術やオカルトの類を否定していた医師ですら、死の恐怖には抗えなかったのです。
ここで、酒におぼれ死んだスぺ―ゲルと、医師ベルゲルスの対比があります。
スぺ―ゲルは熱心な信仰者でしたから、死の恐怖よりも神の不在を憂いていました。
逆にベルゲルスは、宗教や魔術といったものを、科学で打ち消そうとしましたが、死の恐怖を振り払えませんでした。
オカルトを信じたスぺ―ゲルは、人間の弱さを補っていたのです。
夫への不満をぶちまけた妻は、普段から夫に不満を抱き爆発させる場を求めていました。そして、鎖を解けなかった下男は、はたから何もかも恐ろしく感じていました。
彼らもまた、オカルトによって、弱さを補ってもらっているのです。
しかしこれは、オカルトの勝利ではありません。科学によって否定されると、情けなく力を無くすこともまたオカルトの特性です。
魔術師であるフォーグラーが、金を恵んでくれと情けなく請うたように、人間はオカルトを手にして高尚な存在になることはできません。また、科学を制しても死の恐怖は晴れません。
科学がどれほど進歩しようと神を信じる人がいなくならないように、人間は科学のみを信じて生きれるほど強くないのです。
まとめ
科学vsオカルトをテーマにした映画『魔術師』で、二項対立が浮き彫りにしたものは、その勝敗を超えた人間の弱さでした。
愛を求める人が普通の液体を媚薬と思える、といったシニカルな演出が効いており、ベルイマン作品には珍しく、くすっと笑えます。
口がきけない魔術師を演じたマックス・フォン・シドーの髭とカツラをつけた姿や、祖母の怪しさは確かに、魔術の存在を信じてしまいそうな不気味な雰囲気を放っています。
しかし変装を解いた姿は、視覚的に弱さを表すには十分すぎるほど、脆くて滑稽なものでした。
この演技の振り幅は、さすがベルイマン作品を支えたマックス・フォン・シドーといえます。
コメディ的喜劇映画ではあるものの、神の不在や死の恐怖といった、ベルイマン作品に共通するテーマが垣間見える、見応えのある作品です。