漫画家の魚喃キリコの代表作で、1998年から1999年にかけて『CUTiE Comic』にて掲載された漫画『南瓜とマヨネーズ』。
キネマ旬報ベスト10にもランキングされた『ローリング』の奇才・冨永昌敬監督、臼田あさ美主演で実写映画化は、2017年11月11日より劇場公開中。
今回は2017年を代表する恋愛映画『南瓜とマヨネーズ』をご紹介します!
1.映画『南瓜とマヨネーズ』の作品情報
【公開】
2017年(日本映画)
【監督】
冨永昌敬
【キャスト】
臼田あさ美、太賀、浅香航大、若葉竜也、大友律、清水くるみ、岡田サリオ、光石研、オダギリジョー
【作品概要】
漫画『南瓜とマヨネーズ』は、魚喃キリコの代表作の1本であり、恋愛漫画の金字塔として知られています。
魚喃キリコ作品としては『blue』(2001年/安藤尋監督)『ストロベリーショートケイクス』(2006年/矢崎仁司監督)に続く3本目の映画化。
この他にも『ハルチン』や『Water.』といった作品を発表していますが、いずれの作品も、作者自身の経験によって生み出されてきました。
本作『南瓜とマヨネーズ』ですが、この作品も例外なく、作者の体験から紡ぎ出された痛ましい恋愛模様を描いた作品です。
2.映画『南瓜とマヨネーズ』のあらすじとネタバレ
主人公のツチダは、恋人であるセイイチの「ミュージシャンになりたい」という夢を支えるべく、キャバクラでお金を稼ぐことを決意し、面接を受けます。
それまで夜の仕事の経験がないツチダは、初めてつくお客さんに対して嫌悪感を隠すことが出来ません。
同僚の可奈子からはこの仕事の厳しさを諭されたツチダ。
そんな彼女の前に、客として店を訪れた安原が現れ、愛人の契約を交わさないかと迫られます。
お金に困っていた彼女は彼の誘いに乗り、ホテルへとついて行ってしまうのでした。
ツチダがそのようにしてお金を生み出していることを露ほども知らないセイイチは、家でギターを弾いたり、日曜大工に励む日々を送っています。
「いつかライブをやる」という言葉は何度も更新されていき、次第にはアパートにある大量の機材を売り払おうとするまでになってしまうのでした。
かつて自分が所属していたバンドがレコード会社と契約し、ボーカルにグラビアアイドルを迎え入れてデビューを果たそうとしている傍ら、セイイチは複雑な思いを抱えながら日々を暮らしているのです。
ある日、安原から渡されたお金をセイイチは発見してしまい、ツチダが愛人の契約を交わしていたことを知ります。
その出来事をきっかけに働きに出ることを決意したセイイチ。
ツチダの方もかつて働いていたライブハウスに戻りますが、そこで嘗ての恋人であったハギオに再会してしまいます。
3.映画『南瓜とマヨネーズ』の感想と評価
この映画を乱暴にも一言で纏めてしまうのなら、“服の脱ぎ着の映画”と言うことができると思います。
ツチダは、わずか93分という上映時間のなかで、一体何回脱ぎ着を繰り返したのでしょうか?
例えば、初めてキャバクラのコスチュームに袖を通したとき。
客にホテルへと連れていかれ、彼が差し出す衣装に着替えたとき。
着たものを脱がされるとき。
そしてまた、セイイチの元へ戻るために、普段着を身に付けるとき。
時には服の上から煙草の煙を纏いながらも、ツチダは何度も何度も脱ぎ着を繰り返します。
それはまるで服を着ることが、自分に何かしらの役割を与えることとイコールであるかのようでした。
そして彼女が服を脱ぐたびに、彼女を支えているエネルギーさえも同時に剥ぎ取ってしまっているかのように思えてしまうのです。
セイイチと一緒に幸せに生きていくことを願う彼女。
キャバクラという本名以外の「源氏名」で働かなければいけない彼女。
愛人のためにスクール水着や制服を身に纏う彼女。
元彼のハギオとこっそりと関係を復活させてしまう彼女。
……その四人の「彼女」は同じ「ツチダ」という一人の人間である筈なのに、「服の脱ぎ着」という行為を介して、彼女は別の人間を生きているかのようでした。
前述したように、彼女が行なう「服の脱ぎ着」は、彼女自身を消耗させる行為です。
素敵な服を身に纏い、ヒロインが幸せの道を歩んでいく物語は沢山ありますが、彼女は服を身に纏う度に不幸になっていくとしか考えられません。
この映画を観ている間、彼女に対して思うことはたったの一つ。
「幸せそうな顔をして彼女が服を着ているシーンがあればいいな」ということです。
それこそが救いなのだ……そんな気持ちで、スクリーンを見つめていました。
セイイチがアパートを出て行った後、彼が残したパーカーをツチダが着るシーンがあります。
そのときの彼女は、前述した四人の「彼女」の誰にも当てはまることのない、新たな自分を獲得しているかのようでした。
セイイチのパーカーを着てハギオに別れを告げたことからも、彼女はそれまでの自分と決別したかに思えます。
服を纏うことによって消耗していた以前までのシーンとはうって異なり、その行為は彼女に力を与えていたのです。
幸せそうな顔をしていたわけでは決してありませんが、これからの幸せを仄かに予感させる場面として「服の脱ぎ着」が示されたことは、この物語に於いて確実に「救い」として機能していたように感じました。
また、映画の終盤で、印象的な回想シーンが、不意に挿入されます。
それは、セイイチがまだバンドのメンバーの一員であり、まだ二人が同棲していないと思われる時期を切り取った場面です。
セイイチがライブハウスの舞台上でマイクテストをしようとして、スタッフのツチダにやんわり注意をされるという、とてもささやかなそのシーン。
ツチダが着ているTシャツには「仁義なき戦い」という文字がプリントされています。その絵柄を、セイイチに嬉しそうに見せる彼女……。
紛れもなく、「幸せそうな顔をして彼女が服を着ているシーン」です。
かつては彼女にも、こんな顔をして服を着ていたことがあったのか、と思わずにはいられませんでした。
過去と現在、そして未来に於いても、何度も何度も繰り返されることになるであろう、「服の脱ぎ着」という行為。
そんなささやかな、日常的な行為に焦点を当てることによって、映画は立体的になってゆくのかもしれません。
まとめ
決して派手ではないけれど、1つ1つのシーンに誰もが首を縦に振ってしまう日常が込められている本作は、恐らく、作者の実体験を基にしたという原作の力と、監督の人間観察力が見事にマッチしたからではないでしょうか。
今回は「服の脱ぎ着」のみに焦点を絞ってお伝えさせて戴きましたが、観るたびに新たな発見のある一本である気がしてなりません。
2017年を代表する日本映画として、更にはこれからも末永く映画ファンに愛される恋愛映画がまた一本誕生したと感じました。
さて、冨永昌敬監督は次回作である『素敵なダイナマイトスキャンダル』の公開が2018年3月17日に決まっています。
次は一体どんな作品を届けてくれるのでしょうか?
今から期待が高まりますね。