リューベン・オストルンド監督の第70回カンヌ映画祭パルムドール賞受賞作『ザ・スクエア 思いやりの聖域』が4月28日より、ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマ、立川シネマシティ他にて公開されています。
美術館を舞台に〈毒とユーモア〉で人間の本質に迫る、傑作社会派エンターテインメントです!
映画『ザ・スクエア 思いやりの聖域』の作品情報
【公開】
2018年(スウェーデン・ドイツ・フランス・デンマーク合作映画)
【原題】
The Square
【監督】
リューベン・オストルンド
【キャスト】
クレス・バング、エリザベス・モス、ドミニク・ウェスト、テリー・ノタリー
【作品概要】
スウェーデンのリューベン・オストルンド監督が、第70回カンヌ国際映画祭(2017)で最高賞のパルムドールを受賞した話題作。
現代美術のキュレーターとして成功を収めた男性が思わぬトラブルに見舞われる様子を痛烈な笑いを込めて描き、他者への欺瞞、階層間の断絶、人間の本質といった現代社会の問題を浮き彫りにする。
映画『ザ・スクエア 思いやりの聖域』のあらすじとネタバレ
昨晩、飲みすぎてソファーで眠ってしまったクリスティアンは、部下に起こされ、インタビューを受ける支度をさせられていました。
洗練されたファッションに身を包み、電気自動車を乗り回し、贅沢な暮らしを送る彼は、ストックホルムの有名現代美術館のチーフ・キュレーターです。
ある朝、足早に勤務先に向かう人々に交じってクリスティアンも急ぎ足で歩いていると、若い女性が悲鳴を上げながら走ってくるのが見えました。
女性は必死の形相をしており、一人の男性を捕まえて、「追われているの」と助けを求めます。遠くで男の叫ぶような声が聞こえ、こちらに近づいてくるのがわかりました。
男性はすぐ傍を歩いていたクリスティアンを呼びとめ、なんとかしてくれ、と請いますが、二人ともどうしていいかわからず、おろおろするばかり。
そこへついに男が猛スピードで走ってきました。クリスティアンと男性が、彼を食い止めようとすると、「男はただ走っているだけだ!」と叫び、そのまま行ってしまいます。
残されたクリスティアンと男性は顔を見合わせて、今の体験はなんだったのか、と苦笑するばかりでしたが、ふとポケットに手をやると財布とスマホが失くなっていることに気がつきました。
GPS機能を使うと、犯人の住んでいる地域が判明しました。貧しい地域のあるアパートのどこかにあるようです。
部下の男は半ば面白がってアパートの全室の郵便受けに脅迫状を入れてはどうかと提案します。「俺がやりますよ」という彼の言葉に乗せられて、脅迫状の文面を考える二人。
「お前のことも住処も知っている。盗んだものを返さないとぶっ潰す。クリスティアン宛でコンビニに届けろ」と書かれた脅迫状を50枚も用意して件のアパートの前まで車でのりつけた二人でしたが、直前になって部下の男が怖気づき、結局クリスティアンが実行するはめになってしまいます。
「なんで俺がこんなことをしなくちゃならないんだ」とぼやくクリスティアン。
そんな中、美術館が次に手がける展示「ザ・スクエア」の準備が進んでいました。
その日は広報について、話し合われ、広告会社の二人組は、「メディアが取り上げるには賛否が必要」と主張します。
「ザ・スクエア」のコンセプトは、「その中ではすべての人が平等の権利を持ち、公平に扱われる」というもので、現代社会に蔓延るエゴイズムや貧富の格差に一石を投じようというものでした。
それに関しても彼らは「そんなことはあたりまえです」と述べ、「観客に何を掻き立てるか。インパクト作りが必要です」と言います。
数日後、盗まれた物はそのまますべて手元に戻ってきました。ところがさらに数日後、別の荷物が届いたとコンビニから連絡が入ります。
そんなはずはない、開けてみてくれないか?と頼むと、手紙が入っていると店員は答えました。
読んでみてくれと頼むと、店員は読み上げました。「よくも泥棒扱いしたな。家族に謝れ。さもなければカオスに陥れる」
クリスティアンは困惑し、不安になりました。
広告会社の男たちは、SNSを分析したところ、弱者の話はシェアされやすいというデータが出ていると言い、弱者の中でも特に物乞いに焦点を当ててみたいと提案します。
金髪の物乞いの少女が震えながら現れる。彼女がスクエアにはいったらどうなるか? スクエアのコンセプトとは正反対のことが起きる。彼女は四角形の中で傷つく・・・。
それは、かなり危なかしい内容で、美術館スタッフは躊躇しますが、そこにクリスティアンが入ってきました。
コンビニに届いた手紙のことで頭がいっぱいのクリスティアンは、彼らの企画書を斜め読みすると、「いいね、続けて」と言い、またあわただしく出ていってしまいました。
部下にコンビニの荷物をとりにやらせると、一人の子供が待ち構えていました。
「よくも泥棒扱いしたな、家族に疑われてゲームもなにもかも禁止された!僕と家族に謝れ!」と彼は怒りを激しくぶつけてきました。
展示物に問題が起きたと女性スタッフに呼び止められたクリスティアンでしたが、保険会社に報告するという女性を制止し、補修するよう命じます。
そこに現れたのはアンという女性です。彼女は以前、クリスティアンにインタビューした女性記者で、その後、二人は肉体的関係を持っていました。
どの女とも簡単に寝るのか、私の名前は憶えているのかなどと女はわざとほかの人に聞こえるように質問を続け、クリスティアンを戸惑わせますが、最後にクリスティアンは「権力はセクシーだと思わないのか?」と本音を吐きます。
そんな時、娘二人が彼の家にやってきました。彼はバツイチで、妻が娘の面倒を見ているのですが、今週末は自分が彼女たちを預かる番だったことをすっかり忘れていたのです。
家に入るや否や二人は激しい喧嘩を始め、クリスティアンは大声で叱りつけねばなりませんでした。
翌日、娘たちとショッピングモールで買い物をしていると携帯が鳴りました。YouTubeからの連絡でした。
なんでも美術館がアップした動画にアクセスが殺到し、30万回の視聴を超えた、ついては広告を出さないか?という内容でした。
まったく心当たりがないクリスティアンはいぶかりますが、どうやら今度の「ザ・スクエア」がらみだということを理解します。ふと気づくと娘が二人ともいません。
たくさんの荷物を抱えたまま、少し手を貸してくださいと周りの人に声をかけますが、誰も彼に耳を傾けようとしません。困った彼は物乞いに声をかけ、「娘をさがしてくるから、その間、ここに座って荷物をみておいてくれ」と頼むのでした。
件の動画は世間から激しいバッシングを浴び、理事会が開かれる騒ぎとなりました。
映画『ザ・スクエア 思いやりの聖域』の感想と評価
全編を貫くのは、主人公とその周辺の世の中をなめたような、ふてぶてしい態度です。
彼らは善意もあって、社会的にも成功している、「善良な市民」といってもいいでしょう。
けれども、どこか浮かれているのか、思慮が足りないのか、緊張感がないのか、何かが欠けているように見えます。
遊び半分で行動し、怖くなったら平気で無責任に前言撤回し、仕事中にくすくす笑ったり、そうした不真面目さが、結局、自身を窮地に追い込んでしまう…。
あまりにも「リスク」について思慮が浅いのでは?と少々呆れた思いで、観ておりました。
しかし、じゃぁ、あなたならどうしますか? 完ぺきにこなせますか?と問われれば、きっぱり自分なら大丈夫と言えるでしょうか?
そんな少々「意地悪」な作者の問いは映画の中に確実に存在しているように思えます。
なにしろ、だんだんここで起こっていることは誰にでも起こることではないだろうか、と不安な気分になってくるからです。
劇中、何かが行われているときに、突然何かの音が鳴ったり、人が奇声を上げたりする場面がしばしば登場します。
世の中、気が散ることばかりなわけです。冷静な判断力を失うことだってあります。
落ち着いて処理すれば、問題なくこなせるものが、ふとした気のゆるみだったり、魔がさしたりすることで、誤った判断をしてしまい、物事がとんでもないことに転がって行ってしまう。
いわゆる「人生の落とし穴」はそうしたことでいとも簡単に私たちの前に登場してしまうのです。
リューベン・オストルンド監督は前作『フレンチアルプスで起こったこと』に継いで、ユーモアを交えながら、観るものを不安な気分に陥れていきます。
また、本作は、現代美術館が舞台になっていますが、現代美術に対する、ちょっと皮肉なユーモアが随所に感じられ、現代美術批評としても面白い作品になっています。
まとめ
『フレンチアルプスで起こったこと』は、窓の外で雪崩が起こったことに気が付いた男性が妻子をほったらかして逃げたことから、夫婦間がぎくしゃくしていく物語でした。
果たして自分なら咄嗟の判断でどういう行動をとっただろう? 決して他人事ではない事態に身につまされる想いを抱いたものですが、さらに別の要因が夫婦を襲います。
ここで問題になってくるのが「謝罪」です。
自分だけ逃げるなんてもってのほかだが、それでもきちんと心から謝れば許そうと考える妻に対して、夫は謝罪するどころか、そのこと自体なかったことにしようとするのです。
『ザ・スクエア』のクリスティアンも、幼い少年に「謝罪しろ」と何度も責められても、きちんと謝罪しようとしません。それでも気が咎めて、スマホで謝罪の動画を撮りますが、本人に伝わるものではありません。
(それは次第に社会批判になっていき、本音が見えてきます。こういうブラックな笑いが全編にちりばめられています)。
そして本当に謝ろうとするときにはもう遅いのです。
プライドや欺瞞や傲慢、損得勘定といったものが「謝罪」を拒むのです。相手を見下している結果ですし、差別主義的な思想も関係がないとはいえないでしょう(クリスティアンは「住む世界が違う」と表現していますが)。
二作に共通する点として最後にもう一つ、子供たちの存在を上げることができます。『フレンチアルプス』では、激しい吹雪のスキー場で、ひどく長い間両親を待つ兄妹の姿がありましたが、『ザ・スクエア』のクリスティアンにも二人の娘がいます。
不穏な空気の中で、押し黙っている二人の不安そうな顔。子供は大人の醸し出す空気をすぐさま感じ取るものです。
この姉妹の存在に物語は救われる部分があるのですが、大人たちよ、しっかりしなくては、というため息のようなものが聞こえてくるような気がしました。