50年代に登場した、時代を先取りした戦慄のサスペンス
1950年代。第2次世界大戦が終わり、自由な空気を取り戻したハリウッドは様々な映画を生み出していました。しかしまだ1934年から実施された、ヘイズ・コードと呼ばれる自主規制に従い、暴力・猥褻描写だけでなく倫理的に問題がある題材も控えられていました。
しかし徐々に刺激的な内容の映画も作られ、そして1956年にある映画が登場します。
映画タイトルは『悪い種子』。無邪気な存在であるはずの幼い少女は、悪魔のような性格の持ち主という物語は大きな衝撃を与えました。
この映画の誕生はハリウッドに大きな影響を与えます。後のサスペンス・スリラー・ホラー映画にとって、本作は「偉大な種子」になりました。映画史に名を残す、伝説の「怖い映画」を紹介します。
映画『悪い種子』の作品情報
【製作】
1956年(アメリカ映画)
【英題】
The Bad Seed
【監督】
マービン・ルロイ
【キャスト】
ナンシー・ケリー、パティ・マコーマック、ヘンリー・ジョーンズ、アイリーン・ヘッカート、イヴリン・ヴァーデン、ウィリアム・ホッパー
【作品概要】
1954年にウィリアム・マーチが発表した小説が原作。このベストセラー作品は翌年全米図書賞小説部門にノミネート、マックスウェル・アンダーソンに戯曲化され、ブロードウェイミュージカルとして上演されます。
この戯曲を元にジョン・リー・メーヒンが書いた脚本を、『心の旅路』(1942)や『若草物語』(1949)を監督したマービン・ルロイが映画化しました。
主演のナンシー・ケリー、その娘で邪悪な少女を演じたパティ・マコーマックら、ブロードウェイ版の舞台に立った多くの俳優が出演しています。
本作でゴールデングローブ賞・アカデミー賞の助演女優賞にノミネートされたパティ・マコーマックは、その後も俳優業を続け、映画『ザ・マスター』(2012)やドラマ『ハート・オブ・ディクシー ドクターハートの診療日記』(2011~)など多数の作品に出演しています。
映画『悪い種子』のあらすじとネタバレ
クリスティーン(ナンシー・ケリー)とケネス(ウィリアム・ホッパー)のペンマーク夫妻は、8歳の一人娘ローダ(パティ・マコーマック)を愛していました。
その日は大佐であるケネスが兵役に出る日でした。愛する妻と娘に手紙を書くと約束し、大家のモニカ(イヴリン・ヴァーデン)に妻子を見守って欲しいと頼み出発したケネス。
愛くるしいローダはモニカに溺愛されていました。彼女にプレゼントをもらったローダの態度を母はたしなめますが、モニカは無邪気な子供の言葉と気にも留めません。
そこにアパートの使用人リロイ(ヘンリー・ジョーンズ)が現れます。彼は真面目な男ですが知的な障害がありました。掃除でベルも鳴らさず部屋に入ってきたリロイを注意するモニカ。
それでも彼女は正直なリロイを信じ、彼に仕事を与え続けるとクリスティーンに打ち明けます。
母とモニカの前で、底に鉄をはった靴を履きタップダンスを披露するローダ。しかし彼女はリロイに対しては、冷たい態度をとりました。
それに気付かぬモニカは、ローダは様々なものを与えられて幸せだと告げます。しかし表情を変え訴えるローダ。
自分にこそ相応しい、習字の一等賞のメダルが手に入らなかった。メダルは学友のクロード・デイグルの物になったと。納得せず、不満の声を上げる娘をなだめるクリスティーン。
癇癪を起して外に出たローダの足に、リロイが撒いた水がかかりました。彼女は悲鳴を上げ、大家のモニカはリロイにしっかり働いてくれと注意します。
クリスティーンは許しますが、執拗にリロイを責め続けるローダ。その後母娘はモニカに見送られ、学校のピクニックに向かいました。
知恵は足りないが人を見る目のあるリロイは、頭の良いローダは何かが人と違うと悟っていました。
2人が付いたピクニックの場所では、教師が生徒に池に近づくなと注意していました。大人に礼儀正しく振る舞う娘を預け、引き返すクリスティーン。
彼女はモニカの食事会に参加しました。招かれたタスカー氏たちが専門に扱う、精神医学や異常殺人が話題になります。クリスティーンは、自分は殺人や暴力は苦手だと打ち明けます。
彼女は子供の頃、両親は本当の親ではないと感じていたと告白します。タスカーやモニカは、それは子供にありがちな空想だと指摘しました。
話題の中に、研究者に特異な例として注目を集める、冷酷な女連続殺人犯ベッシー・デンカーの名が登場しました。彼女は幼い頃に殺人に手を染めたと指摘するタスカー。クリスティーンはなぜかその名に興味を引かれます。
クリスティーンとモニカがテーブルを片付けていると、ラジオのニュースが学校のピクニックに参加中の生徒の1名が、事故で溺死したと伝えます。思わず食器を落すクリスティーン。
動揺する彼女を落ち着かせるモニカ。ラジオは亡くなったのは、クロード・デイグルという少年だと告げました。
ピクニックは中止となり、子供たちは家に帰されました。身近に死亡事故が起き、ショックを受けたローダどう接するかクリスティーンは悩みます。
しかし帰ってきたローダはピクニックの中止を残念がり、少年の遺体を見ても平然とした様子です。娘の態度にクリスティーンは違和感を覚えます。気遣う母の言葉を気にも留めないローダ。
そして母を抱きしめキスするローダ。まるで娘が動揺する母をなだめているようです。ローラースケートを履き、とがめるリロイの言葉を無視しローダは遊びに行きました。
その夜、クリスティーンはベットのローダに本を読み聞かせます。眠りについた娘の穏やかな顔を見て安心するクリスティーン。
翌日、母娘のアパートを教師のファーン夫人が訪ねてきました。今回の事故に生徒も保護者も皆ショックを受け、1人息子を失ったデイグル夫人は深く悲しんでいる、と語るファーン夫人。
そしてファーン夫人から、亡くなったクロード少年が獲得した習字の一等賞のメダルが紛失した。それが少年の死の原因を突き止める理由になるかもしれない、とデイグル夫人は考えているとクリスティーンは知らされます。
ファーン夫人に礼儀正しく挨拶して庭に出るローダ。夫人はクリスティーンに、クロード少年と最後に一緒にいたのはローダだ、その日ローダはクロードとメダルを巡り争っていた、と告げました。
ローダの行動には疑わしい点が幾つもありました。直接の証拠や目撃者はありませんが、事故後に事情を聞かれたローダは明らかに嘘をついたと説明するファーン夫人。
クリスティーンは戸惑いますが、ファーン夫人や関係者はローダを疑っていました。娘をかばおうとする彼女に、ファーン夫人は来期ローダが登校しても、学校は歓迎しないと言い切ります。
そこに息子を失ったデイグル夫妻がやってきます。悲しみに沈むデイグル夫人(アイリーン・ヘッカート)は酒に酔っていました。
彼女はファーン夫人に学校は事情を知っているのに、事件をうやむやに処理していると非難します。そしてクリスティーンにローダの話を聞かせろと懇願します。
息子の腕には痣が、額には何か独特の形の傷跡があった、死ぬ前に出血したに違いないと泣き叫ぶデイグル夫人。
酔ったデイグル夫人は夫の助けを借りて帰り、ファーン夫人もアパートを去ります。クリスティーンが庭の娘に声をかけると、ローダは平然と本を読んでいました。
その時夫のケネス大佐から電話が入ります。彼は事故が娘に影響を与えていないか心配していました。夫の支えが欲しいクリスティーンですが、彼女に会えるのは4週間程先だと伝えるケネス。
大家のモニカが帰ってきました。彼女はローダにあげたペンダントの石を入れ替えるので、預からせて欲しいと言いました。ペンダントを取ろうとローダの引き出しを開けたクリスティーンは、ある物を目にして表情を変えます。
モニカが去ると彼女は目にしたものを確認します。それは習字の一等賞のメダルでした。
メダルを突き付けられても動じないローダ。事故の際の行動を追求されても娘は母を言いくるめようとします。何事も無いように振る舞い、50セントを渡しメダルをもらったと説明するローダ。
なぜそれを先生に言わなかったと追及されると、ローダは母に抱き付きファーン夫人は嫌いで、彼女に疑われたくなかったと訴えます。
メダルは息子の死を悲しむデイグル夫人に渡すべきだと話しても、ローダは全く心を動かしません。クリスティーンは娘の態度を恐ろしく感じていました。
かつて母娘がウィチタで住んでいたアパートの2階には、老婦人が住みローダを可愛がっていました。老婦人は魚の模型が入ったスノードームを持っており、ローダはそれを欲しがります。
老婦人は自分は死んだ時にあげる、と言いました。ある日、老婦人は階段から転落し死亡します。そして彼女の娘に、生前の約束でスノードームが欲しいとねだるローダ。
譲られたスノードームを目にして、クリスティーンは恐ろしい可能性に気付きます。改めてクロード少年が死んだ時、何があったのか娘に尋ねます。
それでもローダは真実を話しません。業を煮やしたクリスティーンはファーン夫人に電話し、娘がついた嘘を追求しようとしました。
しかし夫人につながりません。抱きつきメダルは私のものだ、と訴えるローダに根負けし追及を諦めたクリスティーン。彼女は現実から目を閉ざしたのかもしれません。
幾日か経った日、父ケネス大佐が送ったプレゼントのティーセットをモニカと開け、大喜びするローダがいました。その日は彼女の祖父、クリスティーンの父が訪ねてくる日でした。
ティーセットで遊ぶローダの姿を見たアパートの使用人リロイは、無邪気で可愛らしい表情で人を騙す少女だが、自分は騙されないぞと言います。
彼の話は馬鹿げている、と冷たく言い放つローダに、お前が何をやったか知っていると告げるリロイ。
多くの意地悪な女の子を見たが、お前は特別悪賢く意地悪だと言い、ピクニックの日に起きたことを告げるリロイ。ひるまずその内容はデタラメだと言い返すローダ。
男の子を殴った血の付いた棒を洗っても、警察が特別な薬をかければ着いた血が現れる、それでお前はおしまいだと、リロイは勝ち誇って告げました。
クリスティーンがローダを呼びます。リロイに娘と何を話していたか尋ねますが、彼は真実を告げません。娘の相手をすべきでは無い、同じような事があれば大家に報告すると告げるクリスティーン。
家に入ったローダは、母に警察は血の痕跡を発見する薬を持っているか聞きました。驚きそれはリロイとの会話に関係あることか、と聞いた母をローダはごまかします。
その時、タスカー氏が訪ねてきました。タスカーに挨拶するローダ。あのピクニックの日、クリスティーンと話したタスカーは、彼女の父リチャード・ブラボーは犯罪研究の権威だと指摘します。
精神医学の研究者タスカーに、クリスティーンは子供が殺人を犯すか尋ねます。数学者や音楽の天才が幼くして才能を示すように、犯罪者にもそんな素質を持った者がいると告げるタスカー氏。
そこにクリスティ-ンの父、リチャード・ブラボーが現れます。リチャードと言葉を交わしたタスカーは、彼の娘クリスティーンに、子供が殺人を犯すか聞かれ返答に困った、と話します。
犯罪は環境に影響され犯すものと言うリチャードに、犯罪学者や行動科学者は犯罪者の中に、全く罪悪感を感じない者がいると報告していると告げるタスカー氏。
この話題にリチャードは気を悪くしたようです。さらに質問したクリスティーンに、世の中には遺伝的要因で犯罪者の素質を持つ、「悪い種」と呼ぶべき者がいるとタスカーは説明します。
幼少期に殺人を犯した女連続殺人犯、ベッシー・デンカーは「悪い種」の例だとタスカーは言葉を続けました。
その名を聞いたクリスティーンの父、リチャードは顔色を変えました…。
映画『悪い種子』の感想と評価
これが映画史上最悪最恐の少女だ、と紹介されて納得する人もいれば、奇妙な作品だと感じる人もいるでしょう。この半世紀以上前のモノクロ映画の怖さと違和感を解説する前に、少し時代背景を説明しましょう。
第2次世界大戦が終わり、朝鮮戦争が休戦した1950年代後半。アメリカは平和と繁栄に沸き、多くの人々が中流層として豊かに暮らす黄金時代を迎えていました。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)のタイムトラベル先は1955年、と思えばいかに人気の時代かお判り頂けます。
当時ハリウッドは戦前の黄金期の映画を、大スターを使いより豪華に、鮮やかなカラー映像で描いてみたかような作品が続々誕生させます。それは放送が始まったテレビへの対抗策でもありました。
スケールの大きな作品を映画館の大画面で見せれば、テレビなど恐れるに足りない。当時のハリウッド映画が、ミュージカルなど華やかな映画の全盛期になったのも当然です。
しかし第2次大戦という”地獄”を経験した世界各国では、新たな映画が続々登場していました。戦災の大きかった国や、従来の体制や価値観が崩壊した敗戦国では、人間をより深くえぐる映画や、従来のスタイルを捨てた革新的映画が続々誕生します。
一方ハリウッドは、勝利国側ゆえに古い価値観に縛られていました。さらに「赤狩り」の影響で映画人の姿勢は委縮し、業界は保守的になります。この華やかさと陰りが交差する当時のハリウッドを、コーエン兄弟は映画『ヘイル、シーザー!』(2016)で描きました。
この現状に満足しない映画製作者もいました。特にB級映画と呼ばれる低予算映画では、刺激的な内容の作品も登場し始めます。そして大手スタジオも新時代の映画を模索し始めます。
そんな時代に小説「悪い種子」が出版され、直後にブロードウェイで上演されました。少女が殺人を犯す内容は初演前にタイム誌に紹介され、そして宣伝にあおられた観客が内容に怒り暴動を引き起こしそうになった…という話も残っています。
「悪い種子」はブロードウェイで1年に満たない期間で、334回上演される大ヒットを遂げ批評家からも絶賛されます。
この物議を巻き起こした物語を映画化しよう、とワーナー・ブラザース映画は動き始めます。監督として声をかけた人物に、アルフレッド・ヒッチコックがいました。
恐るべきハリウッドの隠れた巨人
当時『知りすぎていた男』(1956)など自身の代表作や、テレビ番組『ヒッチコック劇場』(1955~)の監修で多忙なヒッチコックはオファーを断ります。自作にブロンド美女を登場させるのが大好きなヒッチコックは、殺人少女に興味が無かったのかもしれません。
そこで本作のプロデューサーでもあるマーヴィン・ルロイが監督に選ばれます。彼は幼くしてヴォードヴィル芸人となり、ハリウッドで俳優を続けながらスタッフ・脚本家として活躍、映画監督デビューした人物です。
ジャンル映画の名手であった彼は、ギャング映画『犯罪王リコ』(1931)の成功でヒットメーカーの仲間入りをします。刑務所の腐敗を描く脱獄囚の映画『仮面の米国』(1932)は、社会に大きな衝撃を与えました。
映画を規制するヘイズ・コードが導入されると、このような作品は撮れなくなります。しかし彼は『哀愁』(1940)や『心の旅路』といった名作恋愛映画などを監督、プロデューサーとしても活躍します。
プロデューサーとしての代表作は『オズの魔法使』(1939)。魔法の国を旅する少女・ドロシーの生みの親が、殺人サイコパス少女・ローダの映画を監督する…少し皮肉な気もします。
しかし彼がヘイズコード誕生以前に監督した映画を見ると、『悪い種子』にはマーヴィン・ルロイこそ適任と納得できます。
同時期の巨匠と呼ばれる監督より作家性に欠ける、と評され知名度も低いマーヴィン・ルロイ。しかし数多くのジャンル映画をヒットさせ、多くのスターを発掘した実績からハリウッドの偉人の1人とされています。
安心して下さい、これは映画ですから
それでも大手スタジオが、冷血な殺人少女の映画を作るにはためらいもありました。前年には後にカルト映画・傑作名画となるサイコパス殺人鬼映画『狩人の夜』(1955)が公開されましたが、興行的には大失敗でした。
そこで炎上防止のクレーム対策、何よりもヘイズ・コード対策…「犯罪者が逃げ切る物語は許されない」との注文に従った、小説・ブロードウェイ版と異なるラストを用意します。それを秘密に撮影を進め、映画の最後には観客に「ラストを話すな」、と念押しします。
これは観客の興味をそそる効果もありました。『悪い種子』はモノクロ映画にも関わらず興行的にも成功します。では問題のラストを詳しく解説しましょう。
小説・ブロードウェイ版は母は自殺に成功します。その銃声に気付いた住人により、睡眠薬を飲んだローダは発見され命を取り留める。この後恐るべき少女はいったい何を…というバッドエンドです。
しかし映画版では悩める母は命を取り留め、邪悪な少女は天罰!なのか落雷で命を落とします。取って付けたような勧善懲悪ですが、その意図で作られました。
そして舞台よろしく出演者のカーテンコールで「これは作り物です」と強調。しかも劇中で与えられなかった、サイコパス少女にはママからキツいお仕置き。皆様、安心しましたか?
また本作には直接殺害や自殺未遂、死体を見せるシーンは登場しません。これを含め「残酷描写の無い古い映画」と感じる方もいるでしょう。
当時ビリー・ワイルダー監督は本作を、ブロードウェイ版に忠実に映画化しようとします。しかしラストが問題視されPCA(映画製作をリリース前に内容を審査・承認する業界団体機関)の承認が得られません。本作のラストは時代に適合させた結果でした。
一方で魔少女ローダのサイコパス演技、媚びて大人を操る計算高さと利益にならぬ者への冷酷さ。この演技の完成度の高さは、今見てもゾっとさせられます。
これは映画化にあたり知名度のあるスターを起用せず、多くの出演者にブロードウェイ版と同じ人物を起用した、マーヴィン・ルロイの英断のおかげです。
たしかに演劇的に見える部分もありますが、舞台で培われた演技の完成度は高く、ローダ役のパティ・マコーマックの演技は、子役サイコパス演技の究極形であり、現在の目で見ても納得させられます。
さて。本作の監督を断ったヒッチコックは、後に自分のスタイルの映画に限界を感じたのか、新たなモノクロ映画を作ります。それはサイコパスより怖い異常者の犯罪を描く映画でした。
その作品では殺人シーンもしっかり描き、死体…それも恐ろしい姿の死体を見せる映画でした。宣伝では「ストーリーは人に話すな」「途中入場禁止」と大いに観客を煽ります。
様々な点で『悪い種子』から学び、その上を目指す映画として彼が監督したのは『サイコ』(1960)でした。
まとめ
邪悪な少女・ローダの存在感が怖すぎる映画『悪い種子』を楽しんで頂けたでしょうか。
人間には先天的に、冷酷な人格を持つ可能性がある…当時の見解を劇中で詳しく解説している点からも、本作は元祖サイコパス映画と呼べます。
もっとも研究が進んだ現在から見ると、当時まだ世界的に影響力が強い(そして各国で問題を引き起こした)優生学の影響が強い、短絡的な理解にも感じられる点にはご注意下さい。
なお、補足すると本作でローダが自分の物にしようとする習字の一等賞のメダル、これは原作小説では「下手だった字が一番上達した生徒に与えるメダル」とされています。つまり最初から字の上手いローダは、対象外の賞でした。
それでも頑なに自分こそメダルに相応しい、と固執するローダ…。彼女の物への執着の異常性は、原作ではより明確に描いていると紹介しておきましょう。
サイコパス描写の正確性はさておき、キリスト教文化圏では「生まれつき邪悪な(魂を持つ)人間がいる」という設定は大いに好まれました。本作公開以降殺人を犯す、邪悪な魂を持つ子供が登場する映画が続々誕生します。
『オーメン』(1976)に登場するダミアンは将に悪魔の子。『白い家の少女』(1977)のジョディ・フォスター、『危険な遊び』(1993)のマコーレー・カルキン…殺人を犯す子供役は、子役スターの通過点にもなりました。
そんな「邪悪な子供」映画の設定を、逆手に取ったヤバい映画こそ『エスター』(2009)。全ては『悪い種子』から始まったのです。
それでも、突然落雷で魔少女が死ぬラストは納得できない?でもこれは最低映画界の巨匠、エド・ウッドの怪作映画『怪物の花嫁』(1956)と一緒ですよ。
同じ年に公開された、最高の恐怖映画と最低モンスター映画は同じオチだった、と紹介させて頂きます。