その男は英雄か…それとも狂人か…
人々の心を縛り続ける、あまりに痛々しい不朽の狂気。
1976年に公開された映画『タクシードライバー』。
「ベトナム戦争帰りの元海兵隊員」と自称するタクシードライバーの男の、孤独と独善と狂気を鮮烈に描き出した本作は、公開から40年以上経った今も観る者の心を縛りつけます。
名匠マーティン・スコセッシ監督は本作でカンヌ映画祭・パルムドールを受賞。彼を世界的映画監督に出世させました。
本記事では映画『タクシー・ドライバー』をネタバレあらすじ有りでご紹介します。
映画『タクシー・ドライバー』の作品情報
【公開】
1976年(アメリカ)
【原題】
Taxi Driver
【監督】
マーティン・スコセッシ
【キャスト】
ロバート・デ・ニーロ、シビル・シェパード、ジョディ・フォスター、ハーヴェイ・カイテル、ピーター・ボイル、アルバート・ブルックス、レナード・ハリス
【作品概要】
マーティン・スコセッシ監督の出世作となった『ミーン・ストリート』(1973)に続いてロバート・デ・ニーロとハーヴェイ・カイテルを再び起用し、ニューヨークを舞台に一人のタクシードライバーに焦点を当てた先鋭的な人間ドラマ。
第29回カンヌ国際映画祭(1976)では見事パルム・ドールを受賞している。
第49回アカデミー賞(1977)では作品賞と主演男優賞(ロバート・デ・ニーロ)、助演女優賞(ジョディ・フォスター)、作曲賞(バーナード・ハーマン)にノミネート。第34回ゴールデングローブ賞(1977)ではドラマ部門最優秀主演男優賞(ロバート・デ・ニーロ)、最優秀脚本賞(ポール・シュレイダー)にノミネートした作品。
映画『タクシー・ドライバー』のあらすじとネタバレ
ニューヨーク。ベトナム帰還兵であるトラヴィスは不眠症に悩まされていました。そのために彼が選んだ職業はタクシー・ドライバー。
トラヴィスは皆が行きたがらないような高級地区だろうと黒人街だろうと、どんなところへも行きます。仲間たちはそんな彼を“守銭奴”といって揶揄するのでした。
そんなある日、次期大統領候補チャールズ・パランタイン上院議員の選挙事務所で見掛けた女性に一目惚れしてしまったトラヴィス。
その美しい女性の名は、ベッツィ。パランタインの選挙運動員です。
数日後、選挙事務所を訪れたトラヴィスは、ボランティアの選挙運動員として参加したい旨を申し出ます。
選挙事務所に居合わせた運動員のトムはトラヴィスに警戒心を示しますが、肝心のベッツィの方は案外彼に興味を持ったようで、カフェで話をすることに。
トラヴィスの独特の考え方に好奇心を抱いたベッツィは、今度一緒に映画を観に行こうという誘いに応じることにしました。
彼女と別れ、トラヴィスがいつものように街を流していると、偶然パランタインを乗車させることに。いかにもあなたの支持者ですと言わんばかりのトラヴィス。当選した暁には、こんなゴミ溜めのような街は一掃して欲しいと頼みます。
その後、トラヴィスがイースト・ヴィレッジを走らせていると、少女の娼婦がタクシーの中に逃げ込んできます。彼女はアイリス、12歳。どうやらポン引きのスポーツに追われているようです。
しかし、すぐにスポーツに捕まり、連れ去られていく姿をトラヴィスはただ黙って見つめるだけでした。
数日後、ベッツィとのデートの日の夜。トラヴィスが彼女を連れて行ったのはポルノ映画館でした。当然ベッツィは憤慨し、その場を立ち去ります。
謝罪の言葉も聞き入れず、完全に無視していたベッツィに対して逆上したトラヴィスは、選挙事務所に押し入り、彼女に罵詈雑言を浴びせるも、前々からトラヴィスに悪感情を抱いていたトムによって追い出されてしました。
それからしばらく後、この街から逃げ出したいと先輩のドライバーに漏らしていたトラヴィスは、娼婦として働かされているアイリスの姿を再び見掛けたこともあり、自らの手で町のゴミを掃除しようと考え始めるのでした。
映画『タクシー・ドライバー』の感想と評価
言わずと知れたマーティン・スコセッシとロバート・デ・ニーロ代表作である『タクシー・ドライバー』。ただ、この作品の本当の怖ろしさを理解している人はあまり多くはないかもしれません。
それは、トラヴィスの標的が“誰でも良かった”ということがまず一点。大統領候補の暗殺を計画していたトラヴィスでしたが、彼にとっては殺しの対象が大統領だろうと何だろうとどうでも良かった。トラヴィスが大統領候補の暗殺に失敗した後、すぐにポン引きの下へと向かったことでもそれがよく表れています。
つまり、トラヴィスにとっては大統領候補だろうがポン引きだろうが何も変わりはないのです。そしてその理由は単にベッツィの気を引きたかったということのみ(最終的にはその思いさえ消える)で、他には特にこれといった理由もありません。
彼は別にアイリスを救い出したかったなんて決して思ってはいないんです。にもかかわらずトラヴィスがアイリスを救い出した後に、彼が改革運動のヒーローとして持ち上げられてしまいます。
虐殺であることには変わりないのに、その目的が手段を正当化し、劇中のその他大勢の人間のほとんど(ベッツィも含め)がヒーローとして彼を讃え、同時に観客の大半は彼の行動理由を理解できずにいる。観客は、トラヴィスの行動の一部始終を俯瞰した状態で見ていたにも関わらず、「これは一体何だったんだ?」とポカンと口を開けているのです。
ここで一つ考えて欲しいことがあります。なぜ監督のマーティン・スコセッシと脚本のポール・シュレイダーはトラヴィスは一介のタクシー・ドライバーという設定にしたのでしょうか? そして、なぜ『タクシー・ドライバー』というタイトルにしたのでしょうか?
それはありふれたものだから。あまりにもありふれていて誰も気付かないような存在で、なおかつどこにでもいて、車さえ運転できれば誰にでもなれる仕事だから。
マーティン・スコセッシはこう言っているのです。ほら、トラヴィスはそこにいる、と。
これがこの映画の本質であり、本当に怖ろしい点です。無理解な観客たち自身が名指しされているにも関わららず、トラヴィスを単なるソシオパス(社会病質者)だと決めつけ、自分とは関わりのない世界だと思っているということが。
自分たちの身近(もしくは自分自身)にトラヴィスが存在しているとも知らずに。いや、知らないという表現は正しくないですね。知ろうとしないだけなのかもしれません。だからこそ、怖ろしい。マーティン・スコセッシがぐらつかせたモラルの先にあるものを見ようともしていないということが。
こういった作品は、ともすれば俳優次第でガラッと評価が転じてしまいそうな危うさがありますが、ロバート・デ・ニーロの存在が『タクシー・ドライバー』をさらに一つ上のステージに押し上げているということは言うまでもありません。
鏡に映った自分に「You talkin’ to me?」と語り掛けるシーンはあまりにも有名ですが、実は全て彼のアドリブだったのだとか(2005年にアメリカ映画協会が選出した「アメリカ映画の名セリフベスト100」で10位にランクインした)。
それも偏にトラヴィスという役柄を完璧に理解し、デ・ニーロアプローチによって完全にトラヴィスに成りっきっていたからこそ為せる業です。
他にもアイリス役のジョディ・フォスターは当時13歳だったにも関わらず、妖艶な色気を振りまき、この作品から一気に名を馳せることになる(その後の『地獄の黙示録』の時のトラブルで一時期干されていましたが…)ポン引きのスポーツ役のハーヴェイ・カイテルは抜群の存在感を見せています。まさに監督・脚本・キャストの3拍子が揃った完璧で稀有な作品が『タクシー・ドライバー』なのです。
まとめ
この作品とジョディ・フォスターというと、もう一つある事件が浮かび上がってきます。それは、1981年3月30日、レーガン大統領暗殺未遂事件。
『タクシー・ドライバー』に出演していたジョディ・フォスターに恋し、ストーキングしていた男ジョン・ヒンクリーが引き起こしたあまりにも有名な事件です。
この作品に影響を受けて、自分が大統領を暗殺すればきっと振り向いてくれるという思い込みから犯行に至った訳ですが、もし彼が殺そうとしたのが例えばギャングの親玉だったら彼はヒーローになっていたのか?などと考えると少し空恐ろしい気がしますね。
『タクシー・ドライバー』が元々1972年のジョージ・ウォレス大統領候補狙撃事件から着想を得ているだけに尚更といった感じです。
さて、最後になりますがマーティン・スコセッシとロバート・デ・ニーロをこの後『ニューヨーク、ニューヨーク』(1978)、『レイジング・ブル』(1980)をはじめ様々な作品でタッグを組み、名コンビとして名を馳せることになります。
ちなみに脚本のポール・シュレイダーは、高倉健が出演している『ザ・ヤクザ』(1974)で脚本を担当していたり、実兄のレナード・シュレイダーは長谷川和彦監督、沢田研二主演の『太陽を盗んだ男』(1979)の原案・脚本(長谷川監督と共同で)を担当していたりと日本には意外にゆかりの深い人物。
監督や俳優だけでなく、脚本家という観点から映画を探してみるのもまた一興かもしれませんね。