2017年に開催された第30回東京国際映画祭コンペティション部門に出品され、最優秀男優賞と最優秀芸術貢献賞のダブル受賞。
経済発展で社会が激変した中国の1990年代を舞台に、連続殺人の捜査にのめり込む主人公ユィ役をテレビドラマ『項羽と劉邦』のドアン・イーホンが務めました。
また謎めいた物語の鍵を握るヒロインのイェンズ役を『修羅の剣士』のジャン・イーイェンが演じています。
殺人事件の捜査に取り憑かれた男がたどる運命を描いた中国映画『迫り来る嵐』をご紹介いたします。
映画『迫り来る嵐』の作品情報
【公開】
2019年(中国映画)
【原題】
暴雪将至 The Looming Storm
【監督】
ドン・ユエ
【キャスト】
ドアン・イーホン、ジャン・イーイェン、トゥ・ユアン、チェン・ウェイ、チェン・チュウイー
【作品概要】
経済発展により急激な変化を遂げた1990年代後半の中国を舞台に、連続殺人事件の捜査に取り憑かれた男の運命を描く。
ドン・ユエ監督のデビュー作で、2017年、ワールドプレミアで上映された東京国際映画祭で、最優秀男優賞(ドアン・イーホン)と芸術貢献章を受賞した。
参考映像:第30回東京国際映画祭『迫り来る嵐』記者会見
映画『迫り来る嵐』のあらすじとネタバレ
1997年。
ユィ・グオウェイは、中国の小さな町の古い国営製鋼所で保安部の警備員として働いています。
近辺では、同じ犯人によるものと思われる若い女性の殺人事件が続いており、ユイは、刑事気取りで事件に首を突っ込みます。
リー刑事からは「ユイ探偵」と半ば皮肉混じりに呼ばれますが、本人はまんざらでもありません。
犯行時刻に非番だった工場の行員を大量に警察署に連れてくるなど、懇意にしているジャン警部もいささか呆れ気味です。
犠牲者は全て若い女性で、頸動脈を刃物で切られて失血死していました。
なぜ、女性はこんな場所に来たんだろう?とユイが疑問を呈すると、別の場所から犯人に連れてこられたのだろうとジャン警部は応え、ユイは早速、保安部の部下リウを連れて、実地調査を行いました。
振り続ける雨のせいで、証拠は全て流され、犯人がどのような手段で被害者を運んだのかを判別することができません。
その時、土手からユイたちを覗き込むようにして自転車を押している男の姿が見えました。ユイたちが、気付くと、男は逃げ出しました。
ユイは男に追いつきます。「なぜ逃げた?」
男はただの噂好きで、好奇心にかられて現場を見に来ただけのようでした。容疑者と思われては困るとあわてて逃げたと言います。
ユイはその男から被害者が工場広場というところに頻繁に顔を出していたことを知ります。
工場広場では大勢の男女が音楽に合わせてダンスをしていました。ユイがその光景を眺めていると、一人の女が近づいてきました。
彼女は怪しげな男が、佇んでいたのを目撃していました。
工場ではその年の模範工員を表彰する授賞式が行われていました。ユイもその一人に選ばれ、壇上で行ったスピーチには大きな拍手が送られました。
仲間たちは祝いの席で、ユイは一目観ただけで怪しいものが誰かわかるのだ、と褒め称えます。公安への昇職をすすめられ、其の気はないと応えたものの、いい気分になるユイでした。
再び犠牲者が出て、ユイは独自の調査を始めます。工場の掲示板に、捏造した証拠写真を貼ると、それをじっと見ている雨合羽の男がいるのに気が付きました。
ユイが男に近づくと、男はあわてて逃げ出し、製鋼所へと駆け出していきました。
追跡中に、リウが感電し、水たまりの中に落下しますが、ユイは犯人を追うのを優先し、格闘の末、結局捕り逃してしまいます。
残されたのは犯人が履いていた靴の片方だけでした。
リウを車に乗せると、彼は泣きながら工場内の窃盗に自分もかかわっていたことを告白し、やがて動かなくなりました。
あわてて病院に担ぎ込みますが、意識が戻ることはありませんでした。もう少し早く処置をしていれば助かったかもしれないという医師の言葉がユイの胸に突き刺さりました。
恋人のイェンズの職場を訪ねると、彼女の昔の写真が目に止まりました。被害者の女性たちにどこか雰囲気が似ています。
彼が写真を欲しがると、彼女はいいわ、あげるわと応えました。
ユイは小香港という街の美容院を借りて、イェンズに商売を始めさせました。彼女の夢は香港にいって、美容院をすることだと聞いたからでしたが、彼には別の目的がありました。
これまでの被害者は皆、この街に住んでいたことをジャン警部から聞いたユイは、彼女を囮にして、犯人を探そうと目論んだのです。
捜査線に一人の男が浮かんできました。刃物店を営んでいる母親と暮らしている工場勤務の男です。男は頻繁にイェンズの店を訪ね始めました。
ユイはイェンズの店がよく見える飲み屋で時間を潰しながら、見張るのが習慣となりました。
工場では大規模なリストラが行われ、ユイもその中に含まれていました。ユイはより一層、犯人探しにのめり込んでいきます。
映画『迫りくる嵐』の感想と評価
冬枯れの景色は灰色に染まり、まるでモノクロ映画を観ているようです。工場の作業の合間に時折見える炎と、工員の黄色いヘルメットで、カラー映画であることを思い出すほどです。
画面がモノクロに見えるもう一つの理由は、ほぼ全編に渡って、激しい雨が降り注いでいるためです。
常に画面が水に溢れているといえば、「ベトナム映画祭2018」で公開された『漂うがごとく』(2009/ファン・ダン・ジー監督)などのベトナム映画が思い出されますが、『迫り来る嵐』の雨は“豪雨”という表現では足りないほどの強烈なもので、まるで怒り狂っているかのような容赦のなさです。
警察も工員も、怪しい男も皆、同じ色の雨合羽を着ています。一目見ただけでは区別がつかず、まるで人格を持たない記号のようです。
1997年は、香港がイギリスから中国に返還された年であり、経済発展に向けて中国が激変した時代です。
その発展の中でも確実にこぼれ落ちるものはあるはずで、この映画の舞台となる地方都市など、その最たるものでしょう。
簡単に切り捨てられる人々は、抗議の声をあげることすらできず、ただただ雨に降られて立ち尽くすしかありません。
ジャ・ジャンクーの社会派映画に通じるところもある一方、本作はミステリー仕立てで進行します。
連続猟奇殺人事件を調査するのが、警察ではなく、工場の保安課に勤務する素人探偵という設定がユニークです。
事件や、雰囲気は、ポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』(2003)に似通ったところがありますが、主人公のユイは、探偵気取りで調査に勤しみ、どこか浮かれた調子なのがこの作品オリジナルの面白さです。
ユイには犯人探しの欲望のために、恋人すら危険な目に合わせることを厭わない倒錯した嗜好がみられます。まさに「取り憑かれている」と言う言葉が相応しいでしょう。
いわばミステリファンが、小説や映画の不可思議な謎にときめくように、彼もまた、心の奥でときめいていたのではなかったでしょうか⁈
映画はそのことを問い詰める罪と罰の物語と解釈することも可能でしょう。
2008年のパートでは、1997年にユイが模範工員として表彰されたという事実が否定される不可解なエピソードが現れます。
ユイの思い込みだったのか、ただの夢想だったのか、はたまた相手の老人の記憶違い、勘違いだったのか判然としませんが、何か狐につままれたような不思議な感覚を味わうこととなります。
ユイが恋人に目を醒ませというと、「醒まさないのはあなたの方」と言い返されます。其のやり取りも示唆的で、そんなところもまた、この映画に無性に惹きつけられる要素となっています。
まとめ
本作はドン・ユエ監督の初の長編作品です。この重厚でスリリングな作品が処女作とは驚かされます。
追跡シーンの迫力といい、ノワール映画の作り手としても一流である上に、中国の時代の変動をフィルムに刻もうとする大きな視点もあり、今後が大変期待できる若手監督です。
主人公のユイを演じたドアン・イーホンは、実績のある俳優ですが、脚本を読んで作品を選ぶことで知られています。
無名の監督の処女作に出演を決めたのも、脚本のユニークさが目にとまったからだそうです。撮影に入ってからは、ユエ監督の熱い思いに共感し、複雑な人物である主人公をアグレッシブに演じました。
本作は、2017年東京国際映画祭コンペティション部門で上映され、最優秀男優賞と芸術貢献賞をW受賞。2018年のアジア・フィルム・アワードでは、新人監督賞を受賞しています。