“あなたの見えない眼差しを私は見ている”
歪んだ社会の構造を少女の死をきっかけに暴く……
今回ご紹介する映画『あしたの少女』は、イ・チャンドンがプロデューサーを務め、チョン・ジュリ監督のデビュー作となった『私の少女』(2015)から、7年ぶりの長編映画です。
2017年に韓国で起こった実在の事件を元に、ごく普通の女子高生が過酷な労働環境に置かれ、心身共に憔悴し自死へと追い込まれていく姿をリアルに描いた社会派ドラマです。
本作は第75回カンヌ国際映画祭の批評家週間の閉幕作品として上映、第23回東京フィルメックスでは審査員特別賞を受賞しました。
映画『あしたの少女』の作品情報
【日本公開】
2023年(韓国映画)
【原題】
Next Sohee
【監督・脚本】
チョン・ジュリ
【キャスト】
ペ・ドゥナ、キム・シウン、チョン・フェリン、カン・ヒョンオ、パク・ウヨン、チョン・スハ、シム・ヒソプ、チェ・ヒジン
【作品概要】
ユジン刑事役として是枝裕和監督作 『ベイビー・ブローカー』での刑事役も記憶に新しいペ・ドゥナが演じます。『私の少女』の主演からの再タッグとなりますが、彼女はチョン・ジュリの作品であれば、どんな役でも受けると熱望していたと語ります。
過酷な労働環境で精神的に追い詰められ、自死を選んでしまった女子高校生のソヒ役には、韓国人気ドラマ「ミリオネア邸宅殺人事件」で注目株となった、キム・シウンが大抜擢され、明るく快活だったソヒの変化を繊細に演じきりました。
映画『あしたの少女』のあらすじとネタバレ
ダンススタジオで一心不乱に踊る1人の少女、彼女の他には誰もおらず、スマホで自分の踊る姿を撮影していました。
キム・ソヒは職業高等学校に通う女子高生です。ある日、担任に呼び出されたソヒは大手企業の子会社に、職業実習が決まったと報告されます。
しかし、“愛玩動物学科”いわゆるペットに関する専門学科を専攻していたソヒにとって、何ら関連性のない企業でした。
ソヒは子会社ではなくただの下請け、孫請けではないかと担任に聞きますが、苦労して獲得してきた初めての就職先で、ソヒのがんばり次第で後輩への道筋ができると言われます。
放課後、ソヒは自主退学してしまった親友のジュニと食堂で夕飯を食べます。ジュニは動画配信者として生活をしていました。
ソヒとご飯を食べるシーンを撮っていると、別の男性客から“投げ銭で暮らす勝ち組”と揶揄され、ソヒは反論します。勝気なソヒは男性であっても親友をかばって立ち向かう正義感の強い少女でした。
ソヒには一つ年上のテジュンという彼氏がいます。ソヒはテジュンの働く作業所へ行き、真新しい白のスーツに身を包んだOL姿を見せました。
テジュンもまたダンスが得意でソヒと息の合ったダンスを踊り、ソヒの門出を祝いました。
ソヒが“現場実習生”として働くことになったのは、大手通信会社のコールセンターです。各方面にあるコールセンターの中の1つです。
壁にはチームごとオペレーターごとのノルマ達成率が貼り出され、多くの若い女性がインカムをして、パソコンモニターに向ってかかってきた電話の対応をしています。
チームリーダーのジュノは物腰の柔らかい優しい上司です。ソヒに絶大な期待を寄せていました。
初日はチームのエースである先輩の顧客対応を見学します。先輩は慣れた口調で対応をしますが、その内容は契約を解約したい顧客をあらゆる口実で引き止めようとするものでした。
ジュノは顧客の対応時間や様子をモニタリングしながら、オペレーターの対応を早急にクローズさせたり、窮地になると変わって対応する役回りです。
ソヒは翌日から実践になりますが、初めての顧客は手渡されたマニュアルでも対処できないかなり高圧的な態度で、ソヒは完全に畏縮してしまいます。
そして、成績トップの先輩も顧客に怒鳴られたことをきっかけに、応対を途中で投げ出し、コールセンターへ来なくなってしまいました。
更にチームの成績は下がり、ジュノに大きなプレッシャーがのしかかります。ソヒは期待のルーキーであったにも関わらず、ノルマをなかなか達成できずに残業の日々が続きました。
それでも負けず嫌いのソヒはノルマを達成します。しかし、その功績に対する対価は賃金に反映されず、ジュノに抗議するも“実習生”という理由で、本採用後に支払うと言われます。
ソヒのモチベーションは下がり、成績が下降するとジュノはソヒに対して苛立ち、きつくあたるようになっていきます。そして、とうとうある日トラブルを起こしてしまいます。
友だちの誕生日会に行く予定だったソヒは、高圧的な暴言で怒鳴り散らす顧客対応に手こずって反論。暴言を吐いて電話を切ってしまいます。
ソヒがジュノに謝罪をすると、彼は「抑えきれなかったんだよね」と理解する言葉を返し、約束があることを察して、帰宅するよう促します。
ですが、その翌日、会社の上層部がセンターに現れ、脅迫めいたクレームが来たとジュノを追いつめます。不穏な空気が漂い、ソヒはいたたまれなくなっていきました。
そして、翌朝出勤したソヒに衝撃が走ります。雪かきをしていた作業員が、駐車場の車の中で練炭自殺をしたジュノを発見し、側にいたソヒも目撃してしまったのです。
映画『あしたの少女』の感想と評価
『あしたの少女』は行政や学校、親までも就業先の労働環境のチェックをせず、子供が労働力として搾取され続け、冷遇されている実態を描きました。
ソヒは責任感と正義感が強いあまり、夢や希望を親に話せないという家庭の事情から、学校から紹介された就業先へ否応なく通います。
就業先のやり方に疑問や疑念が生じても、学校や家族への気遣いで、我慢していたソヒが精神を刷り減らし、自死へ追い込まれていきました。
本作は2017年に実際に韓国で起きた事件がモチーフとなっており、2023年3月に公開されると瞬く間に、世論の関心が高まり、司法を動かすほどの反響となりました。
この事件は小さなニュースとして取り上げられたのみでしたが、その小さな記事を見つけたジャーナリストが、チョン・ジュリ監督に映画化しないかと提案し実現します。
このジャーナリストはユジン刑事のように、自分の無力さに打ちひしがれ、多くの人に知ってもらえるツールとして、映画化することに着目したのだと推測できます。
日本でも商業高校や工業高校、総合技術高校、高等専門学校などの職業系の高校があり、そこで専門分野が学べます。学校側は生徒がどんな職業に就きたいのか、何度も話し合って結論を出します。
日本の学校でも就業率を意識しないわけではないと思いますが、よほどのことがなければ生徒が学んだことを優先し、生徒の努力に対し教師は尽力して就職へ導きます。
2010年の韓国では“就職促進支援”が設けられ、就職率が若干高くなった一方、卒業生が希望する職種に就けるケースは極めて少ないという実態でした。
当時から低賃金などの待遇であり、2〜3年で会社を辞めて大学進学するケースも多く、改善しようとする働きがあったものの、2017年にはホン・スヨンさんという女子高生が自死する事件がおきます。
作中でソヒの上司が自死してしまうシーンがありますが、実際にはスヨンさんの亡くなる2〜3年前に先輩の従業員が自死した事件があり、スヨンさんの死に直接影響したわけではありません。
しかし、その従業員の方の死も大きく報道されることはなく、スヨンさんの死をこうして取り上げたことにより、明るみに出た事実です。
なぜ韓国では2023年に「勤労基準法」が改正されるまで、職業系高校の就業先のチェックや実習生のケアは、おざなりになり続けていたのでしょうか。
大卒ですら失業率の高い韓国では、大企業と中小企業の賃金格差があり、それでも下請け孫請け企業への受注や予算は削られ、利益を出すためコストダウンに無謀な労働環境へと転じていったからです。
思い起こせば韓国における有名人の自死や、企業だけではなく政治家による不正や汚職などの隠ぺい体質は、昨今まで多くニュースでよく目にしました。
そして、年端もいかないスヨンさんが、大人の事情でプレッシャーをかけられパラハラを受けていたのが、まだ数年前の出来事というのが驚きです。
また、今も韓国の若者は進学先や就職先で、自分の価値が決められてしまうというプレッシャーの中で、周囲の期待に応えようと必死に暮らしています。
『あしたの少女』の英題は「Next Sohee(次のソヒ)」です。次の労働搾取による犠牲者が出ないように、という願いが込められています。
まとめ
『あしたの少女』では高学歴こそが勝ち組的なイメージの韓国社会にも、一定数の高卒社会人がいることがわかり、企業・教育・行政の未熟なシステムの犠牲になった、女子高生の事件を描きました。
この映画の最大のポイントは「次のソヒ」を出さない運動へと世論が動いたことです。韓国は労働組合の運動も活発なイメージがありますが、組合運動ももはや上辺だけのパフォーマンスに成り下がったのでしょうか?
『あしたの少女』が上映されたことによって、“実習生は労働者とみなされていなかった”現実の様々な業種で、若者の命が犠牲になっている事実が浮き彫りとなり、目を向けさせるきっかけとなりました。
“あなたの見えない眼差しを私は見ている”、ポスターに書かれたこのサブタイトルは、見えていない現実を究明しようとする、ユジンの眼差しをソヒが見ているという意味なのでしょう。