聖なる夜に一家の主を殺したのは誰・・・?女たちの愛憎がうずまく!
映画『8人の女たち』は、1950年代フランス、片田舎の女系家族の屋敷が舞台です。雪が降りしきるクリスマスに、この家の主が何者かに殺害されます。
クリスマス休暇を過ごすために帰省した長女をはじめ、謎の電話で屋敷を訪れた主の妹・・・など、屋敷には“8人の女”しかおらず、彼女たち全員が容疑者です。
誰がいつ? そして、動機は? 大雪で閉ざされた屋敷内で、犯人捜しが始まります。その中で主を巡る女たちの“嘘”や“秘密”が次々に暴かれ、ついに犯人が!?
フランスを代表する女優、『シェルブールの雨傘』(1964)のカトリーヌ・ドヌーヴ、『フランスの女』(1995)のエマニュエル・ベアール、『エル ELLE』(2016)のイザベル・ユペール、『ペダル・ドゥース』(1996)のファニー・アルダンらが、1950年代ディオールの“ニュールック”スタイルの衣装を身にまとい、推理サスペンスをミュージカル風に仕立てたところが見どころです。
映画『8人の女たち』の作品情報
【公開】
2002年(フランス映画)
【原題】
8 Femmes
【監督】
フランソワ・オゾン
【原作】
ロベール・トーマ
【脚本】
フランソワ・オゾン、マリナ・ド・ヴァン
【キャスト】
カトリーヌ・ドヌーヴ、イザベル・ユペール、エマニュエル・ベアール、ファニー・アルダン、ヴィルジニー・ルドワイヤン、ダニエル・ダリュー、リュディヴィーヌ・サニエ、フィルミーヌ・リシャール
【作品概要】
『8人の女たち』は、フランスの劇作家ロベール・トマ作の戯曲で、1961年8月28日にパリのエドワード7世劇場で初演されました。また、日本でも2004年と2011年に舞台化されています。
監督を務めたフランソワ・オゾンは、シャーロット・ランプリングを主演にした『まぼろし』(2001)で、国際的に注目を集め、『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』(2020)では、第69回ベルリン国際映画祭で、銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞しています。
『8人の女たち』の女優8名『シェルブールの雨傘』(1964)のカトリーヌ・ドヌーヴ、『フランスの女』(1995)のエマニュエル・ベアール、『エル ELLE』(2016)のイザベル・ユペール、『ペダル・ドゥース』(1996)のファニー・アルダンらは、2002年のベルリン国際映画祭で銀熊賞(最優秀芸術貢献賞)、ヨーロッパ映画賞で女優賞が受賞されました。
映画『8人の女たち』のあらすじとネタバレ
長女のシュゾンはクリスマスを家族と祝うため、ロンドンからフランス郊外の屋敷に帰省し、久しぶりの我が家にホッとします。
しかし、母ギャビーは辺鄙な田舎暮らしには、自動車と電話が欠かせないと愚痴をいいます。
屋敷の居間では車椅子でうたたねをする祖母マミー、新しく雇われたメイドのルイーズと、シュゾンの乳母兼女中のシャネルが奥から出迎えます。
主のマルセルは深夜まで仕事が押していたと、ギャビーは起こさずそのまま寝かしておくようルイーズに言います。そして、2階からギャビーの妹オーギュスティーヌが降りてきました。
オーギュスティーヌはシュゾンに意地悪なことを言うので、ギャビーは嫌味を言って応戦しますが、シュゾンは気にしてないとなだめます。
マミーはギャビーのおかげで屋敷で暮らしているのだから、ケンカはしないようオーギュスティーヌに言いますが、彼女はマルセルのおかげよと反発します。
主のマルセルは気さくで楽しい人とマミーはいいますが、仕事の方は思わしくないようだと言います。彼女はマルセルに自分が保有する株を売るべきか相談し、“売るのを待て”とアドバイスされたと話しました。
朝食を食べるシュゾンのところに、もうじき17歳になる妹のカトリーヌがきます。彼女はシュゾンに少し“太った?”と聞きます。シュゾンは「胸が大きくなったのよ」と返します。
オーギュスティーヌが着替えて再び居間にくると、カトリーヌに「部屋の明かりで眠れなかった」と叱り、カトリーヌは“探偵小説やスパイ物”を読んでいたと言います。
そこにギャビーが「夜中に5回もトイレに行く人もいるわ」と、オーギュスティーヌを指摘すると、“眠れず”水を飲みに行ったと言い返します。
メイドのルイーズが遅い朝食を、マルセルの部屋へ持っていくと、部屋から悲鳴がします。ルイーズはヨロヨロと出てきて、「旦那様がナイフで刺されて死んでる」と告げます。
カトリーヌがマルセルの部屋に入ると、泣き叫びながら出てきます。ところが彼女は警察が来るまで現場を保存すると、ドアの鍵をかけてしまいました。
しばらくしてカトリーヌは鍵をギャビーに渡し、シュゾンとオーギュスティーヌの3人で、部屋へ入っていきます。マルセルはベッドにうつぶせた状態で、背中をナイフで刺されていました。
しかし、犯人がまだ部屋に隠れているかもと、用心したシュゾンは再び施錠し、警察に電話をかけますがいくらかけても通じません。何者かに電話線を切られていました。
そして、ルイーズは「犬は吠えませんでした」と伝え、外から何者かが侵入した可能性もないと言います。
シュゾンが最後に電話を使ったのは誰か確認すると、シャネルが7時半に肉屋に注文の電話をしたが、大雪で配達できないと言われたと報告します。つまり、その後に何者かが電話線を切ったのです。
マルセルは株式ブローカーでした。彼はいつも大金を持ち歩いているので、ギャビーはビジネスが破綻しているとは思っていませんでした。オーギュスティーヌが、共同経営者のファルヌーは援助しなかったのか訊ねます。
ファルヌーは屋敷にほとんど来ず、付き合いはないといいますが、ルイーズは犬は彼に懐いてじゃれていたと伝えると、シュゾンがファルヌーは犯人じゃないと言い、ギャビーは「“当然よ”」と言います。
カトリーヌがマルセルの妹に連絡しないのか聞くと、ギャビーは彼女はパリで、ふしだらな生活をしていたと、嫌悪し拒絶します。
ギャビーはシュゾンに「マルセルと私は深い絆で結ばれていた」と言いますが、オーギュスティーヌが、「でも、寝室は別」と、口を挟みます。
シャネルは「犯人は家にはいない。ただし遠くへは逃げられないから近くにいる。男ではなく“女”」と推理し、ギャビーはオーギュスティーヌを疑います。
ギャビーに侮辱され興奮したオーギュスティーヌは、心臓病の薬を全部飲んで死ぬと叫び、自室へ行ってしまいます。すると心配したマミーは車椅子から降りて、自力で歩き彼女のあとを追いました。
ギャビーはマミーとオーギュスティーヌは、恩知らずだと言います。マミーは株券を枕の下に隠し、助ける気もないドケチだとののしります。マルセルはそんな2人を嫌い、“若さを愛していた”と話します。
シュゾンはルイーズにいつから働いているのか、トゲのある態度で聞きます。ギャビーが10月からと教えると、なぜ犬が吠えなかったと言えるのか聞き、24時にマルセルへハーブティーを届けたからと言います。
その時、シャネルは帰宅し屋敷にいなかったことも証言しました。庭の納屋で寝泊まりをしているシャネルは、帰るとマルセルの妹ピエレットと、カード遊びをしていたと密告します。
マミーはシュゾンに夫が残した株を渡そうとしたら、“僕の破産は救えない”と、受け取らず、保管していたが2日前に、ポルトの酒と共に盗まれたと話します。そして、株の隠し場所を知っていた誰かの陰謀だと言います。
ところがシュゾンはギャビーの話しを思い出し、「枕の下ね? 有名よ」と言うと、マミーは「泥棒家族! 人殺し!」と騒ぎ出します。
車の配線が切られて、車が動かないとギャビーは引き返してきます。ルイーズが誰の仕業?と口走るとギャビーはルイーズに「おまえの夜間外出のことを話さないと」と言い、ルイーズは「奥様が夜間外出していたことも」と言います。
ルイーズは「偽証罪ね・・・…遺産の件は? 得する人は?」と、たたみかけます。そこへあろうことかカトリーヌが「推理小説の場合、犯人は相続人だわ」とギャビーに言い、ギャビーの逆鱗にふれてしまいました。
シュゾンが歩いて警察まで行くと、窓の外に誰かがいるのを発見します。家の女たちが恐る恐る様子を見ていると、屋敷の扉を開け入って来たのは、マルセルの妹ピエレットでした。
映画『8人の女たち』の感想と評価
欲と愛憎をまとった女たち
ほとんど後ろ姿でしか登場しなかったマルセルが、最期にカトリーヌに見せた顔はどんな表情だったでしょう?
カトリーヌは自分が一番にマルセルを愛していると証明した“つもり”でした。
家族の本性を暴いたことは逆に、マルセルを救いようのない絶望を与え、生きる気力を失わせました。結局、カトリーヌの考え方が、“子供”から脱してなかったからです。
そのカトリーヌは姉の妊娠を知っていたから、“太った?”と聞いたり、自分のベッドに“私が犯人”という探偵小説が置かれていたのは、真相の布石でした。
これでうすうす小説をヒントに使い、密室殺人に仕立てた偽装事件なのではと、気づき始めた人も多いでしょう。また、嘘や秘密もたくさんあり、複雑な相関図や登場人物の性癖まで、話が複雑に絡み合っていきます。
ギャビーがマルセルは“若さを愛していた”と、言ったことは自分の代わりにわざと、ルイーズを差し向け、愛人ファルヌーとの逃避行を企てたとも考えられます。
シュゾンはマルセルから、本当の父親ではないと聞いていたのでしょう。シュゾンは1年ぶりに帰省したと言いますが、マルセルと密会し身ごもります。そして、シュゾンのルイーズに対する悪態は、彼女がマルセルの愛人だと知っての嫉妬からです。
最後にマミーが「人間の強さも弱さも真心も・・・幸せを掴もうとして、押し潰してしまう。人生は不条理、苦しい別れ、幸せな愛はない」と、カトリーヌに歌った詩と哀愁漂う歌声は、8人の女たちの哀れさそのものでしょう。
カトリーヌが愛する人を守りたいと正義を気取って人の秘密を暴いたことは、自らを含め誰も幸せにできない結果となりました。
この歌が語るように、人生には確かなものは何一つなく、罪の十字架を背負いながら生きるようなもの・・・カトリーヌもその十字架を背負い大人へとなるのですね。
衣装に隠れたメッセージを読み解く
本作は“不倫”、“貧欲”、“姦淫”、“同性愛”、“差別”といった、1950年ころにはタブー視されていたことを「偽装密室殺人」の中で暴いていきます。
唐突に出てくる歌と踊りは「古臭い価値観」をシニカルに訴えているようにも見れます。ただし、フランス人は結婚にはこだわらない事実婚が多いと聞くので、それは近年の慣習なのかと、ギャビーのような考え方は意外に感じました。
また、女優たちが着た、1950年代のクリスチャン・ディオールの“ニュールック”風の洗練された衣装が、屋敷の主の悲劇をふと忘れさせました。
クリスチャン・ディオールは、女性らしさを強調するスタイルを求められ、1947年“ニュールック”を発表します。これは「平和のシンボル」とも言われています。女性が自由にファッションを楽しめる時代が来たということです。
冴えない容姿と色気のないオーギュスティーヌが、突然変身して登場するシーンは、精神的に自分を抑制していた、あらゆる出来事から解放された象徴でした。
これを皮肉と捉えた場合、戦前戦中に抑制されていた女性の権利や自由が、戦後に解放され変貌していったように、人が1人死んでいることも忘れ、何をおいても自分の身を守ろうとする浅ましい、女性の性根を表現していたようにも思えました。
まとめ
映画『8人の女たち』はフランスを代表する大女優を8人も起用し、1960年代のフランス映画や、アガサミステリーシリーズの映画を彷彿させました。
また、1960年代を代表するフランスの女優、故ロミー・シュナイダーをルイーズの前女主人として写真で登場させるなど、名女優への尊敬の念も感じます。
女性心理を表現することに長けていると定評のある、フランソワ・オゾン監督は『8人の女たち』で、夫婦や親子、姉妹が憎しみあったり、ないものねだりの嫉妬など、殺人よりもおぞましい人間模様を表しました。
美しさの裏にある、女性特有の“業”をえぐり出しつつも、ファッショナブルでミュージカル風のコミカルな演出は、お茶目で愛すべき女性として表し、許容するからではないでしょうか。