当初は2館の上映から、口コミで話題が広がり、上映規模が180館以上に拡大した映画『カメラを止めるな!』。
社会現象を巻き起こした本作の監督、上田慎一郎さんは、最近テレビなどのメディアに出演し注目されています。
過去にはホームレスになった事もある、上田慎一郎監督の波乱万丈の人生をご紹介します。
CONTENTS
映画『カメラを止めるな!』の作品情報
【公開】
2018年(日本映画)
【脚本・監督】
上田慎一郎
【キャスト】
濱津隆之、真魚、しゅはまはるみ、長屋和彰、細田学、市原洋、山崎俊太郎、大澤真一郎、竹原芳子、吉田美紀、合田純奈、岩地紗希奈、秋山ゆずき、山口友和、藤村拓矢、高橋恭子、イワゴウサトシ
【作品概要】
「37分ワンシーンワンカットのゾンビサバイバル映画」を撮影した人達の物語を、計算された脚本と二重構成で描く異色作。
口コミで面白さが広がり「2018年最大の話題作」との呼び声も高い作品。
上田慎一郎監督のプロフィール
1984年生まれの滋賀県出身。
中学時代から映画制作を始め、2009年に映画製作団体PANPOKOPINA(パンポコピーナ)を発足させます。
これまでに13本の映画を製作し、国内外の映画祭で20のグランプリを含む46冠を獲得しています。
監督作に『ナポリタン』『テイク8』『恋する小説家』『Last WeddingDress』『彼女の告白ランキングなどがあり、「100年後に観てもおもしろい映画」をスローガンに、エンターテイメント作品を制作しています。
父親の教え「やりたいことはすべて叶う」
上田監督の父親、上田貞行さんは矢沢永吉への憧れから、常にオールバックで、幼稚園のお迎えに車高の低いフェアレディZで来たり、「1999年に地球が滅亡する」というノストラダムスの大予言を信じて、約1000万円の財産を「燃えないから」という理由で全て金塊に変えたりと、かなり破天荒な人のようです。
上田貞行さんは、「自分のやりたいことはすべて叶う」と常々口にしており、東京に行って、映画監督になりたいという上田監督の夢を後押ししていました。
東京上京後、なかなか成功できなかった上田監督へ、貞行さんは自身のブログで「無職だろうが、住所不定だろうが、金が無かろうが、肩書きが無かろうが、夢が叶おうが、挫折しようが、どちらでもおまえ達はお父さんとお母さんの自慢の息子だ」と綴り、上田監督の夢を応援し続けていたというエピソードがあります。
琵琶湖横断に挑戦して大事件に発展
上田監督は、2001年の夏に、友人らと手作りのいかだで、琵琶湖を横断する計画を立てます。
結果的に遭難して、琵琶湖全域にパトカーが出動、NHKでも行方不明と報じられるなど、大事件となりました。
この時、上田監督のブログには「なにか、でっかいことしてみたい。高校2年生のまともな男なら、誰でも思ってることじゃないか」と綴られており、高校生の頃から野心と挑戦心が強かった事が分かります。
演出を務めた演劇が近畿2位に輝いた
上田監督は、どのようにして映画の世界に入ったのでしょうか?
幼少期はヒーローのおもちゃを使って、オリジナルの話を作る事が好きだった上田監督の処女作は、中学生の頃に脚本を書いた演劇『三人と一体』という作品。
国語の授業で演劇をやる事になり、最初は『桃太郎』などの既存の作品でしたが、上田監督が望んで『三人と一体』の脚本を作り上演しました。
その後、友人の父親が映画好きで、映画のビデオを見ている内に映画好きになり、上田監督の父親、貞行さんにビデオカメラを買ってもらった事で、自主映画の制作を始めました。
高校時代の上田監督は、文化祭の時に自身が脚本と監督を担当してクラスで『LONGEST』という短編映画を制作し上映、上田監督は「あれが本格的に作った初めての映画」と語っています。
その後、毎年文化祭で映画を制作し上映、3年連続で最優秀出しもの賞に輝きました。
また、映画製作がキッカケで高校2年生の時に演劇部に入り、作、演出、主演で舞台を上演し、演劇の大会で近畿2位、特別公演で京都造形大学での上演もされました。
この頃から既に、作品制作の才能は評価されていました。
上田監督は「みんなで一緒に作るという感覚」で映画制作を行っており『カメラを止めるな!』も、その感覚は変わっていない事を語っています。
多額の借金を抱えてホームレス生活に
高校時代に演劇部で注目された上田監督は、大学からオファーを受けましたが、ハリウッドを目指していた為、全て断り大阪で英語の専門学校に通います。
しかし、その学校に馴染めず退学し、20歳の時にヒッチハイクで上京します。
上京後の5年間を上田監督自身「失敗続き」だったと語っているように、マルチ商法に騙されて数百万の借金を抱えたり、代々木公園でホームレスをしていた時代もありました。
上田監督は、中学生の頃から日記をつける習慣があり、インターネット普及後は毎日ブログを書いていました。
悪いことが起きても日記のネタにする事で、笑いに変えていましたが、25歳の夜に突然「俺はなにをするために東京に来たんだ?」と自問自答し号泣、映画と向き合う事を決意します。
映画製作団体「PANPOKOPINA」発足
映画と向き合う事を決めた上田監督は、ネットで見つけた自主映画団体に入り、映画制作を学びますが、3カ月で独立を決意し、自身の映画製作団体「PANPOKOPINA」を設立。
2011年に初の長編映画『お米とおっぱい』を制作、三谷幸喜さんの『12人の優しい日本人』のオマージュで、6人のおじさんが「明日、世界が無くなるとしたら、お米とおっぱいどちらを残すか?」を話合う内容でしたが、上田監督曰く「映画祭で泣かず飛ばずだった」そうです。
その後、年間2~3本ペースで短中編の映画を制作、数多くの映画祭で多くの賞を獲得します。
映画『カメラを止めるな!』誕生
『カメラを止めるな!』は、劇団PEACEが2013年に上演した舞台『GHOST IN THE BOX !』という作品にインスパイアされた作品です。
上田監督は、当初は劇団PEACEの脚本家や出演者と一緒に映画化しようとしましたが頓挫してしまします。
2016年に企画コンペの話があり、1度頓挫した企画の登場人物や展開を変えて応募しますが落選、その後ENBUゼミナールの「シネマプロジェクト」から監督としてオファーを受け、12人の俳優とのワークショップに手応えを感じ、全員当て書きで『カメラを止めるな!』の企画を進めていきます。
最初は止められた1カット37分のシーン
『カメラを止めるな!』は、1カット37分でゾンビ映画を描くというシーンがありますが、当初、スタッフから止められて猛反対を受けました。
「1カット風」にする事もできましたが、上田監督は「そんな嘘をついてはいけない」と全員を説得、1日に2~3回の撮影を行い合計6回撮影、上田監督の熱の籠もったシーンとなりました。
上田監督の次回作は?
『カメラを止めるな!』は、上映規模が180館以上に拡大し外国の映画祭でも好評を得ています。
注目されている上田監督の次回作ですが、動いている企画はいくつかあるようです。
どのような作品を制作するのか?楽しみですね。
上田監督が好きなゾンビ・ホラー映画
ここでは、上田監督が「好きだ」と語っているゾンビ・ホラー映画を紹介します。
まずは、1974年の作品『悪魔のいけにえ』。
殺人鬼レザーフェイスが登場するホラー映画で、傑作の呼び声も高く、続編やリメイクなども多数制作されていますね。
上田監督は、『カメラを止めるな!』でヒロインを演じた秋山ゆずきさんに、『悪魔のいけにえ』のDVDを観せて参考にしてもらったそうです。
参考映像:トビー・フーパー監督『悪魔のいけにえ』(1974)
続いて、1981年の作品『死霊のはらわた』。
後に『スパイダーマン』シリーズで人気監督となるサム・ライミの長編デビュー作で、やりすぎのスプラッター表現がギャグの領域に入っており、公開から30年以上経過した現在も、根強いファンが存在します。
『死霊のはらわた』は、途中で予算が尽きたという話があるほど低予算で撮影された映画で、上田監督は「低予算で、2度と撮れないホラー作品」と語っており、『カメラを止めるな!』と通じるものを感じているようです。
参考映像:サム・ライミ監督『死霊のはらわた』(1981)
最後に1968年の作品『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』。
ゾンビ映画の巨匠、ジョージ・A・ロメロ監督が低予算で制作し、1968年に公開され大ヒット。
「ゾンビ映画の金字塔」として有名な作品です。
上田監督は、「一番好きかもしれない」と語っています。
参考映像:ジョージ・A・ロメロ監督『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968)
まとめ
上京後、どんなに辛い目に遭遇しても、笑いのネタにして常に前を向いてきた上田慎一郎監督。
ヒッチハイクで上京し、自ら映画製作団体を設立するポテンシャルの高さも相まって、上田監督の映画への熱い想いが、今回の『カメラを止めるな!』現象を生んだのかもしれません。
転んでも常に前を向いて、立ち上がる姿勢が大事だと学びますね。
トビー・フーパーや、サム・ライミなど、低予算のホラー(コメディ?)映画を大ヒットさせた監督は、その後にヒットメーカーとなっている場合が多いので、次回作も含めて上田監督の今後が楽しみですね。