90年代初頭のパリを舞台に、HIV/エイズに対する偏見と差別と闘った若者たちを描く『BPM ビート・パー・ミニット』をご紹介します。
『パリ20区、僕たちのクラス』(2008)等、ローラン・カンテ監督作品の脚本を担当し、自身も『奇跡の朝』(2004)、『イースタン・ボーイ』(2013)で監督を務めたロバン・カンピヨの待望の新作です。
第70回カンヌ国際映画祭でグランプリと国際映画批評家連盟賞をダブル受賞したのを始め、世界各国で大絶賛!見逃したら後悔する熱い作品となっています!
1.映画『BPM ビート・パー・ミニット』の作品情報
【公開】
2018年(フランス映画)
【原題】
120 battements par minute
【監督】
ロバン・カンピヨ
【キャスト】
ナウエル・ペレーズ・ビスカヤート、アーノード・バロワ、アデル・エネル、アントワン・ライナルツ
【作品概要】
エイズ患者やHIV感染者に対する差別や不当な扱いに抗議し、政府や製薬会社などへの変革を求めた実在の団体「ACT UP-Paris」のメンバーとして命を懸けて闘う若者の姿を描き、第70回カンヌ映画祭でグランプリと国際映画批評家連盟賞をダブル受賞した。
2.映画『BPM ビート・パー・ミニット』のあらすじとネタバレ
90年代初頭のパリ。青年、ナタンは、「ACT UP-Paris」の集会に初参加し、数名の新メンバーと共に説明を受けていました。
HIV/エイズが発生してからほぼ10年、その脅威は徐々に大きくなり、若者たちの間に被害が広がっていました。
にもかかわらず、政府も製薬会社も対策に本腰をいれようとはしません。
「ACT UP-Paris」は、HIV感染者に対する偏見や差別、無関心に警報を鳴らし、政府や製薬会社への抗議運動を続けていましたが、より過激な活動を主張するメンバーが増えていました。
そこには様々な人が参加していました。HIV陽性のメンバーも多く、彼らにとっては時間との闘いでもあるのです。生ぬるい政府や製薬会社の態度に彼らはしびれをきらし、苛立っていました。
その日のミーティングではオーガナイザーのソフィが製薬会社の講演会に突入した活動を最悪だったと報告していました。
メンバーの一人が、合図があったと勘違いし、予定よりもかなり早く会社の責任者に血玉を投げつけてしまったのです。さらに別のメンバーがその責任者に手錠をかけるというハプニングも。これは明らかにやり過ぎだと彼女は主張します。
しかし、ショーンや彼の仲間は効果があったと主張。過激なことをしなければ、連中はまた「ACT UP」が騒いでいるくらいにしか思わないんだというのが彼らの言い分です。
毎週一回、こうして、活発な意見交換が行われていました。ナタンはHIVに陰性ながらも、積極的に活動に参加していきます。
ある日、彼らは、メルトン製薬に忍び込み、オフィスに作り物の血を撒き散らし、新薬の治験結果を早く公表するように訴えました。
会社の通報で警官が突入。彼らは懸命に逃げますが、捕えられてしまいます。数時間後に解放。仲間たちと電車に乗り込んだショーンは車窓から見える町並みを見て「なんて美しいんだ」と呟くのでした。
またある時は、高校の授業中の教室に乱入。HIVから身を守るため、コンドームの使用が有効であると訴え、コンドームを生徒たちに配り始めました。
ある女子高生は「私は同性愛者ではないから」と受け取りを拒否。すると、彼女の前でショーンはいきなりナタンにキスをしました。
女子高生は呆れたようにその場を去りましたが、ナタンは動揺していました。これをきっかけに二人は恋に落ちます。
ショーンはナタンに16歳でHIVに感染したことを告白します。相手は数学の教師。初めての体験で感染したといいます。
「当時は知識がなかった。誰も教えてくれなかった」というショーンに「政府のせいだよ」とナタンは応えました。二人は情熱的に肌をあわせるのでした。
今週もミーティングの日がやってきました。過激な行動を主張するショーンたちは、メンバーのまとめ役であるチボーやソフィたちと激しい口論になります。
しかし、聾唖者のメンバーが手を挙げ、諭しました。「なぜみんな、言い争う? ロビー行動しながら行動も起こせばいい。FAXも送りつけよう」。
メルトン製薬の関係者をこの場に呼ぶことも決まりました。ミーティングの休憩中、ショーンとナタンはキスを交わします。
ナタンと同時期に「ACT UP」のメンバーとなったジェレミーは、ミーティング中に倒れ、この日も鼻血を出し入院しました。彼もHIV陽性で、急激に体調が悪化していました。
ベッドの中で彼は呟きました。「とても怖い。まだ苦しんでいないから。苦しみはこれからだ・・・。」
まもなくジェレミーは亡くなり、メンバーたちは彼の遺影を持って鎮痛の思いで街に出ました。
3.映画『BPM ビート・パー・ミニット』の感想
(本稿は映画の結末に触れていますのでご注意ください)
映画の冒頭に流れるのは、人々の息遣いです。
「ACT UP」のメンバーたちが舞台裏に身を潜め、行動を起こす時を待っている。緊張高まる中の息遣い。人が生きているという証です。
そしてそれは同時に人々の鼓動でもあります。“ビート・パー・ミニット”はハウスミュージックを指す言葉だそうですが、「ビート」と言う言葉には当然心臓の鼓動という意味も込められているはずです。
ちなみに、この映画において、(タイトルになるだけあって)ハウスミュージックは大きな役割を担っていますが、ミア・ハンセン・ラヴの2014年の作品『EDEN エデン』が描いたクラブミュージッックシーン”前夜“の作品として見ることも出来るでしょう。
「ACT UP」のメンバーたちは生きるために、愛する人のために、HIV/エイズ問題に真剣にとり組もうとしない国、患者たちの事情を考慮しない製薬会社に対し、激しい抗議活動を行っています。
毎週一回開催されるミーティングでの活発な議論は、まるでドキュメンタリーを観ているかのよう。
監督・脚本のロバン・カンピヨ自身、「ACT UP」のメンバーだったとのことで、その切実でいて、かつ活き活きとした彼らの言動や行動を見事に描き出しています。
ミーティングシーンにはカメラ三台を使ったといいます。
組織には様々な人々が所属していて、理性的な行動を推進する穏健派と、人目をひき、早急に国や会社や社会への意識を変えようと過激な行動を試みる一派が時に大きくぶつかることも。
過激な行動をとらなければ何も変わらないと考えるショーンは、自身がHIV陽性であることから、時間との闘いを強いられています。
そんなショーンをナウエル・ペレーズ・ビスカヤートが実に魅力的に演じています。
これが仮に学園映画であったなら、ショーンはクラスの中で最も目立つ、中心的存在のいかしたやつとしてスクリーンに現れたことでしょう。溌剌とした表情、きびきびとした体のこなしが映画に躍動感を与えきらめきます。
ショーンに突然キスをされて、動揺するナタンはまるで初めて恋をした少年のよう。彼らは恋をし、体を重ね、愛を交わします。
映画は性愛を決して誤魔化したり、美化したりせず、リアルに描いてみせます。人間の欲望と愛の様を、ありのままに赤裸々に表現しようと試みています。
映画の前半、企業への過激な抗議行動によって警官に捕えられ、解放された時に飛び込んだ電車で、ショーンが車窓から観たパリの風景の美しさに気付くシーンがあります。
実際、画面に映る街は眩しく輝いており、しかもそれが動く風景であることがさらに魅力を高めています。
それに今更のように気がついてショーンが見入るこのシーン、さりげないシーンですが、せつなくも美しい忘れがたいシーンとなっています。
ショーンが魅力的で活動的あればあるほど、後半、病によってその動きが封印されてしまう様が、観るものの胸につらく、重く、のしかかってきます。
終盤、ショーンの死亡の知らせを聞き、続々とメンバーたちが集まってくる場面に彼らの深い絆を感じました。
人間だから何もかもが一致するなんてことはない。同じ目的を持っていても、摩擦は生まれてしまう。しかし、誰もが主張することを許され、互いにぶつかり合える自由こそ民主主義なのだ、と、この映画に教えられたような気がします。
民主主義の根底が揺らいでいる今こそ、観られるべき映画ではないでしょうか。
4.まとめ
HIV/エイズ患者への偏見や差別、HIV/エイズが自身とは無関係であるという思考からくる無関心などが蔓延していた時代、全身全霊を懸けて、政府や企業、そして世の中自体を変えようと戦った若者の姿が描かれています。
政府や世論を動かすのは簡単なことではありません。しかし、果敢に挑んだ彼らの勇気が観るものの心を撃ちます。
ショーンの母親が、彼が亡くなったあと、声明文を考えるチボーに「勇気について書いてほしいわ」と言うシーンがありますが、「勇気」はこの映画の重要な主題の一つとなっています。
ハウスミュージックやクラブシーンも頻繁に登場し、活動を終えた1日の終わりに、一心不乱に踊るメンバーたちの姿が映し出されます。
本作は音楽映画だ!といいたくなるほど、音楽の使い方が洗練されています。それは当時の雰囲気を鮮やかに再現すると共に、人間の魂と肉体のエネルギーを画面にみなぎらせる役割を果たしているのです。
ところが、映画が終わると、何も音楽がかからず、無音のままエンドロールが流れ始めます。これには少々驚かされました。
これもまた無音という音楽なのかもしれません。病に倒れ、志半ばでなくなっていた人々への鎮魂という名の…。
映画をご覧になった皆様はどのように感じられたでしょうか?