映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』は2019年8月24日(土)より全国順次ロードショー
“平和”の犠牲者を強いられてきた戦後の沖縄において、米軍の圧制と弾圧、戦後という日本の時代に立ち向かい、まさしく“不屈”の意志によって闘い続けた一人の男がいた。
そんな“カメジロー”こと瀬長亀次郎(1907〜2001)の生涯と沖縄と日本のほんとうの戦後史に迫ったのが、佐古忠彦監督のドキュメンタリー映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』です。
2017年に公開され大きな反響を呼んだ前作『その名は、カメジロー』の続編的作品であり、“人間・亀次郎”の姿、そして本土復帰へと向かう沖縄戦後史により焦点を当てて制作された今作。
2019年8月24日(土)からの劇場公開を記念して、佐古忠彦監督にインタビューを行いました。
今作を制作した理由や瀬長亀次郎という人物に迫ろうとしたきっかけ、監督のドキュメンタリー制作の始まりについてなど、貴重なお話を伺いました。
CONTENTS
闘う男カメジローと「人間・亀次郎」
──今回劇場にて公開される『カメジロー不屈の生涯』では、前作でも描かれた“闘う男・カメジロー”の姿とともに、家族の視点から見た“人間・亀次郎”の姿により焦点を当てています。今作をそのような形で制作することにした理由は何でしょうか。
佐古忠彦監督(以下、佐古):前作『その名は、カメジロー』の公開時には多くの方が劇場に訪れてくださったんですが、その際、「“闘う男・カメジロー”はどうしてこれほどまでに“不屈”になったのかを知りたい」「彼の夫としての顔、父としての顔を知りたい」「“かっこいいカメジロー”はよく分かったから、“かっこ悪いカメジロー”を見てみたい」といった意見を多くいただきました。つまり、“人間・亀次郎”のことをもっと見たいという声を多くいただいたんです。そして、それは映画を制作した私自身も感じていて、前作とはまた違う角度から彼を見つめることはできないだろうかと長らく考えていました。
そもそも、同じ人物について二度も映画を制作すること自体に驚かれる方も多いんですが、亀次郎さんは非常にエピソードに溢れている人物なんです。
例えば、彼が生涯に書き遺した230冊を超える日記を読んでみると、色々なエピソードどころか、何でも書き記されている。米軍による圧制と弾圧などへの“怒り”が書かれている一方で、娘さんを連れて映画を観に行った時の話、娘の誕生日会が開かれた時の話、奥さんと喧嘩した時の話、娘にテレビをねだられて困っている時の話、夫婦で祖国を見に行く話などなど、“人間・亀次郎”のいくつもの顔が日記から見えてくるんです。
『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』(2017)予告編
前作では現代の風景も挿入しながら「なぜ今の問題が起きているのか」という問いの答えとして、亀次郎の生きた時代、あるいは現代まで続いてきた沖縄と日本の戦後史の中に問題の原点が存在することを描き、そして、沖縄と日本の戦後史を見つめるための中心的存在として、“闘う男・カメジロー”に迫りました。
ただ前作では、沖縄返還などをはじめ、映画の後半部における戦後史上の出来事の紹介が少なからず駆け足になってしまったため、その空白部分をより詳細に埋めてゆきたいという思いがあった。
そして何よりも、“闘う男・カメジロー”が愛する家族に囲まれて“人間・亀次郎”として亡くなっていく姿、奥さんを筆頭に彼の“不屈”がいかに家族に支えられていたのかを描きたかった。だからこそ今作では、前作とは異なる視点である“人間・亀次郎”の姿から戦後史に再び迫ろうと試みたんです。
ほんとうの戦後史を象徴する存在
──佐古監督は『カメジロー不屈の生涯』、前作『その名は、カメジロー』、そして前作の原型にあたる2016年に放送されたTBSのドキュメンタリー番組を通して亀次郎さんの生涯を取材し続けています。そもそも、監督が亀次郎さんに関心を抱いたきっかけとは何でしょうか。
佐古:2016年のドキュメンタリー番組を制作する以前から、“瀬長亀次郎”という人物の存在については知っていました。
私はテレビでニュースを伝える立場でもありましたが、辺野古や高江で基地をめぐり抗議する人々の映像が出ると、例えば「また沖縄が反対している」といった理解なき批判の声が本土の側から上がり続けるなど、なぜ、沖縄と本土の「溝」が深まり続けるのか、を考えた時、「戦後の沖縄で何が起こったのか?」という認識が全く共有されていないと思うに至りました。
戦後、主権を回復した日本は、ある意味で米軍による沖縄の軍事占領と引き換えに、経済を復興させ、“平和な国家”を築いていった。しかし、本土の側はそこになかなか思いが至っていなのではないかと。
その問題と向き合うためには、沖縄と日本の戦後史を一度きっちりと見つめなおす。そしてそれを試みるのであれば、沖縄の戦後史の象徴といえる亀次郎さんを通して見つめてみようと思いました。
──佐古監督が亀次郎さんの生涯について取材を開始されたのはいつ頃のことでしょうか。
佐古:2015年です。戦後70年の年、沖縄戦の特別番組を作った後、今度こそ戦後史を、と取り組みました。
日記から組み立てられた映画
「不屈館」館長にして瀬長亀次郎の次女・内村千尋さん
──今作の制作において、亀次郎さんの生涯や沖縄と日本の戦後史についてはどのように取材および調査を進められたのでしょうか。
佐古:沖縄には亀次郎さんの次女・内村千尋さんが館長を務めている「不屈館」という施設があるんですが、そこには亀次郎さんに関する資料を中心に、沖縄の戦後史に関する資料が数多く所蔵されているんです。そこで、亀次郎さんが書き遺した日記を千尋さんに揃えていただき、あらためてひたすらに読み耽るという日々でした。
また当時の米軍に関する機密資料については公文書館で、そして当時の新聞記事については図書館で収集しましたが、今作のいわば背骨となっているのが亀次郎さんの日記・米軍の機密資料・当時の新聞記事という三点セットです。
ただ調査については、“人間・亀次郎”に焦点を当てるためにも、あくまで亀次郎さんの日記を集中して読むことから始まっています。
彼の日記の中から、重要な記述をどんどん抜き出してゆく。そうして抜き出した記述を基に映画の構成あるいは物語を組み立ててゆき、米軍の機密資料や新聞記事などはそれを補強する材料の一つとして調べ続けました。
見つめるべき“その後”のために
──佐古監督はTBSのニュースキャスターとして活躍する中で、筑紫哲也さんがメインキャスターを務めていた報道番組『筑紫哲也 NEWS23』を通じてディレクターのお仕事も本格的に開始されました。
佐古:私はキャスターという仕事では、“原稿を読むだけではない存在になりたい”という思いを抱いていて、現場に出る役割でもありました。
ただ、次から次と様々なニュースが押し寄せてくることもあり、どうしても現場の出来事に、飛び乗り飛び降りになってしまう。
でも、その背景などを含め一つの出来事の“その後”を深く取材してゆくと、最初の取材時とは異なる視点からその出来事を見定め、新たな一面を発見することができます。もちろん一次情報があったうえでのことですが、だからこそ、真に伝えるべきことの多くはニュースとして報道された“その後”にあると感じているんです。
そのような実感は、その後の番組制作・映画制作につながっているところがありますし、当時の『NEWS23』はそれを体現した番組だったと言えます。
そこで、ディレクターとしての仕事も経験できるようになり、その後のドキュメンタリー制作につながっていきました。
ドキュメンタリー制作の原点
──ちなみになのですが、佐古監督が初めてディレクターとして制作されたドキュメンタリーあるいは映像はどのような内容だったのでしょうか。
佐古:いまふっと思い出すのは、スポーツにかかわるものでした。
もともとスポーツアナウンサーとして入社した私でしたが、報道に移っていた1995年、当時報道局が持っていたゴールデンの時間帯の番組で、阪神淡路大震災の被災地で、オリックスという市民球団の優勝の軌跡をドキュメンタリーとして紡いだ物語は、私にとって一つの出発点だったような気がします。
──“過酷な逆境の中で闘う人々”を迫っているという点は、亀次郎さんの生涯に迫った一連のドキュメンタリー作品と共通していますね。
佐古:確かにそうかもしれないですね。“過酷な逆境の中で闘う人々”の中にこそ、人間の素の部分が見出せるのかもしれません。
見つめるべき“その先”のために
──最後に、佐古監督にとって、亀次郎さんはどのような魅力を持つ人物だったのかを改めて教えていただけないでしょうか。
佐古:亀次郎さんという人の魅力を全て説明するのは非常に難しいんですが、ただ彼はいつも、どんな苦難が襲いかかってきてもじっくりと落ち着いて“その先”を見る人なんです。そして、“その先”に備えてきちんと行動し、様々なことを実現してゆくわけです。
例えば刑務所に投獄された際にも、彼は出所後のことを考えて獄中で必死に勉強したんです。外部から送ってもらった数多くの本、そしてそこから学んだことを日記とは別に書き遺していった“学習ノート”が証明しています。
また、当時の米軍の布令によって那覇市長から追放され、投獄された経験を理由に被選挙権すら剥奪された際にも、“その先”を見つめ後継候補を当選させることに尽力しました。そして“その先”を追い続けた結果、最後には国政参加選挙において戦後沖縄初の衆議院議員となり、「沖縄返還協定はおかしい」と当時の総理大臣・佐藤栄作と国会で対峙したんです。
常に“その先”を見つめ、それに合わせて行動を続ける。それが瀬長亀次郎という人間が“不屈”たり得た理由であり、“亀次郎”が“カメジロー”たる所以なのだと私は感じています。
こんなインタビューがあります。「カメさんファンが大勢いますが?」と聞かれ、亀次郎はこう答えました。「ファンというより友達だな」まさに沖縄の人々との距離感の近さを表すエピソードです。
また、占領下の沖縄は、沖縄県ではありませんが、沖縄の人々のことを「沖縄県民」と呼んでいました。そこには、自身や人々が生きるその場所が紛れもなく、日本の“沖縄県”だという、祖国復帰への思いが根底にある。
そして、日記や言動には、亀次郎の沖縄や人間に対する愛情があふれています。
もちろん政治家としての厳しさも備えていたのも確かですが、その厳しさと人々に対する優しさが、“カメジロー”と呼ばれた不屈の男の強靭な基盤になっているんです。
佐古忠彦監督のプロフィール
1964年、神奈川県出身。青山学院大学文学部教育学科卒業。
1988年にTBSへアナウンサー24期生として入社。野球をはじめスポーツ中継のリポーターとして主に活躍してゆきます。
1996年から筑紫哲也がメインキャスターを務めていた報道番組『筑紫哲也 NEWS23』にサブキャスターとなり、その一方で番組ディレクターとしても活動を本格的に開始します。
2006年に番組を降板した後は報道局取材センター政治部へと異動。政治部記者として野党・防衛省・デスクを担当しました。
2010〜2011年に『Nスタ』、2014年〜2017年に『報道LIVEあさチャン!サタデー』『Nスタニューズアイ』でメインキャスターを務める中、2013年からはドキュメンタリー番組『報道の魂』(現『JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス』)のプロデューサーを担当。
その番組内で制作され2016年に放送された『報道の魂SP「米軍が最も恐れた男 ~あなたはカメジローを知っていますか」』が大きな反響を呼び、2017年にはその特集番組を基に再制作したドキュメンタリー映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』が劇場公開されました。
インタビュー/河合のび
撮影/出町光識
映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』の作品情報
【公開】
2019年8月24日(日本映画)
【撮影】
福田安美
【音声】
町田英史
【編集】
後藤亮太
【プロデューサー】
藤井和史、刀根鉄太
【音楽】
坂本龍一、兼松衆、中村巴奈重、中野香梨、櫻井美希
【語り】
山根基世、役所広司
【作品概要】
敗戦後、アメリカの軍事占領下に置かれた沖縄で米軍の圧制と弾圧に真っ向から闘い続けた政治家・瀬長亀次郎の生涯と沖縄・日本の戦後史に迫ったドキュメンタリー映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』(2017)の続編的作品。
平成30年度文化庁映画賞・文化記録映画優秀賞、2018アメリカ国際フィルム・ビデオ祭銅賞、2017年度日本映画批評家大賞/ドキュメンタリー賞、2017年度日本映画復興賞、2017年度日本映画ペンクラブ賞/文化部門第1位など数々の賞を受賞した前作に対し、今作では“人間・亀次郎”の生涯と沖縄返還に至るまでの戦後史へとより焦点を当ててゆきます。
音楽およびテーマ音楽を担当したのは、前作に引き続いての登板である音楽家・坂本龍一。また亀次郎が自身の日記に書き遺した言葉を名優・役所広司が語り手として代弁します。
映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』のあらすじ
“カメジロー”こと瀬長亀次郎が生前書き遺した、230冊を超える日記。今作ではそれらを丹念に読み解いてゆき、妻や娘たちと過ごす家族の日常、そして政治家・夫・父親など彼の様々な顔を浮かび上がらせます。
「なぜ亀次郎は“不屈の男”たり得たのか?」。前作によって生まれたその疑問に対する答えをより深く描写してゆきます。
その一方で、1971年12月4日の衆議院沖縄・北方問題特別委員会にて当時の総理大臣・佐藤栄作と繰り広げた激論の記録映像をはじめ、現代まで続く沖縄と日本の問題やその原点を浮き彫りにします。