『ダム』は有楽町朝日ホールにて開催の東京フィルメックス2022で上映
ナイル川の大規模ダムのほとりの村で、川で生まれた泥と水でレンガを作る職人の男。やがて彼が作り続ける不思議な泥の建造物が独自の生命を獲得していく映画『ダム』。
魅惑的な寓話を抽象的に描くレバノン出身のビジュアル・アーティスト、アリ・チェリの長編デビュー作です。
このたびの東京フィルメックス2022でのジャパンプレミアを記念してアリ・チェリ監督にインタビューを敢行。
革命下のスーダンで映画撮影に苦労した背景。また、作家として創作活動に向き合う姿勢。そして映画をはじめとする“芸術”が持つ社会的な役割りについて、貴重なお話を伺いました。
2019年スーダン革命前後での映画撮影
──この度の東京フィルメックス2022での上映を経て、『ダム』を観た観客から直接感想を聞く機会はありましたか。
アリ・チェリ(以下、アリ):不思議なことにどこの国の観客も、皆同じリアクションです。スーダンの地元に根ざしたことを描いているので、海外の観客は事情に詳しくないと思いますが、革命といった大きな出来事は届きやすいので、世界各地の色んなことに関連付けて考えてくださっています。
また、私の作品はどちらかというと感覚的な体験をするものなのでそういった意味でも皆さん個人の感覚に寄せて普遍的に話してくださってます。
──2019年のスーダンの独裁政権打倒という背景は作中でも描かれていましたが、映画撮影時の状況について教えていただけますか。
アリ:とても大変な状況でした。撮影もいつ軍に止められるか分からず、常に目が光っていました。ダムを題材にした映画を撮影しているとは絶対に言えなかったんです。
ダム自体がミリタリーゾーンということで、軍の許可なしには入れなかったですし、いまだにダムに反対してデモをしてる人もいるほど、スーダン国内では繊細な問題です。
制作は秘密裏に行い、隠れながら行った撮影も何度も中止の危機に見舞われました。交渉を重ね、複雑な状況でも何とか完成させられました。
この時期だったからこそ、まさに変革の時期を捉えた本作は作り手である我々にとってもとても興味深い体験でした。
──政治的な内容に対する規制があったのでしょうか。それともスーダンでは映画撮影自体に対する検閲が厳しいのでしょうか。
アリ:独裁政権下では、映画自体が禁止されていたので、映画館は全て閉館していました。本作の前に唯一あったのが35年ぶりとなるスーダンのフィクション映画の撮影だということで、いわゆる映画業界がスーダンにはないんです。海外の撮影隊が来ることも滅多にない。
だから私達も地元の伝統のパン作りのドキュメンタリー撮影を装い、政治的なことは一切匂わせず行いました。ただ、この革命の前後で撮影して、後はもう軍事政権が倒れたので民主化に半分なりかけていたので、徐々に撮影は楽になっていきました。
現実を感覚的に表現すること
──スーダン社会を切り取る場所としてナイル川を選んだのは何故でしょう。
アリ:『ダム』で描かれたナイル川には二重の意味があります。水というのは生きるために不可欠で、そこからいろいろな生きるための糧を得ている、例えばレンガは水がないとできないですよね。だけれども、このダムができたがゆえに非常に流れが急になってもう今となっては川は入るのが危険な場所となっています。汚染もされています。この巨大ダムは、自然と人の生活を壊し、生態系を変えてしまっています。
だから、またこの川にまつわる精神性というのを人々は取り戻そうとしているのです。本作のダムは人々を抑圧してきた政権のメタファーでもあります。
──主人公のマヘルは厳しい社会の中で働きながら傷つき、肉体が消耗していくのに対し、彼の作る泥の壁は生き物のように生命力を身につけていきます。マヘルが生きる気力をなくすのと引き換えに泥の壁に何を託している、もしくは何を授けているのでしょうか。
アリ:マヘルは最初からもう傷を負っていて段々それが彼自身が作っていたこの偶像になっていくような部分もあります。自分で作り上げながら、自分自身がその形になっていく。解釈は様々ですが、彼の中にも内なる怪物がいるわけですよね。この怪物を何とか自分の中から出すそのために自分で作っていると、だから自分自身が投影されている。
それは同時に彼が生きるスーダンという国で起きている革命とも繋がります。彼の体の中の革命、変革というのは同時に進行しているのです。ただし、暴力から平和が生まれ、最後彼はある意味救われたように川を泳いでいきますよね。このあと彼が溺れるのか生きるのかわかりませんが、空があり、太陽がある別の世界に進んでいくということは間違いないですね。
作家として“現実の問題”と向き合う
──監督にとって、映画に限らず全ての創作活動がその原点というのは内戦下のベイルートで育った経験にあるのでしょうか。
アリ:私自身、暴力の地理地域性というかそうですね個人的に自分が育ててきた中で経験してきた暴力、それをそういったトラウマを伴うものをストーリーにして伝えるということも一つあると思うんですね。初期の作品では、ずっとその疑問を投げかけてきてベイルートレバノンのことを描いたというものがありました。
ただ今はテーマ的には一見そこから離れているようでもやはり一番核となる問いは個人的なものですね。ただ、それはかなり普遍性があるので私達みんな何らかのトラウマを抱えるようなことを経験してきて、それはどう語っているかでどう影響を与えるか。その土地であったり、人間だったり、大きな変化がそこに何かをもたらすわけですよね。
17年間内戦があった中で育ってきたので、ある意味それが平常であると、戦争はいつもあるものだと思っていました。気付かなかったのです。常に横にあった暴力たちがいかに異常な存在であるかを。
それから過去をふり返り、「自分は生き延びたし、まあ別によかったんじゃないか」と片付けることもできるけれども、やっぱりそれはどこかで甘んじて受け入れてる部分があったのでしょう。トラウマとなるようなことを常に爆撃であったりとかそれを普通と思ってしまったことが普通ではないということに大きくなってから気づきました。
──政治的なメッセージを作品に込めることの意義についてお聞きします。メタファーとして内包して伝えることと、作品外で具体的な言葉で表明することの違いについてはどうお考えでしょうか。
アリ:その二つは私の中でははっきり分かれていますね。言葉で伝えることはアートではしないです。アートはイメージに基づきます。映画は、言葉にできない非常に強いパワーを言葉を使わずに伝えることができます。対してアクティビズム(積極的行動主義)は何が正しくて何が間違ってるかっていう答えありきの行動になるんです。
私個人がアクティビストだったとしても、創作活動とアクティブイズムはイコールで結べないものと思っています。アートは答えよりも問いかけが多く、多元的で複雑なものを見せることができるのです。それがアートとして創作する者としての戦いであり、抗議では正しさや間違いを答えに基づき表明する。表現におけるこの二つは全くの別物になります。
──初期の作品と近年の作品ではアプローチが変わってきたと伺いしましたが、クリエイターとして成長したと感じる部分であったり、昔に比べて作品に対する取り組み方で変わったことなどありますか。
アリ:映画言語と現代アートは違いますし、映画製作に関して、私はまだ学んでいる最中、発展途中だと思うんです。
けれどもビデオインスタレーションも続けていますし、映画も次の作品も実はもう控えています。ですから自分のやってきたことのルーツというものに、さらに映画を作ることによって、段々と層が厚く積み重なっていっていくと思っています。
インタビュー/タキザワレオ
アリ・チェリプロフィール
ベイルート生まれでパリ在住のビデオアーティスト、映画作家。フィルム、ビデオ、彫刻やインスタレーションを組み合わせた作品は、歴史的なナラティブの構築を検証している。
ロンドンのナショナル・ギャラリーでアーティスト・イン・レジデンス(2021/22)、第59回ベネチアの美術ビエンナーレ(2022)で銀獅子賞を受賞。
三部作をなす前二作の短編作品『Disquiet』や『The Digger』はさまざまな映画祭で上映される。『ダム』は革命下のスーダンで撮影された彼の劇映画第一作である。
映画『ダム』の作品情報
【日本公開】
2022年(フランス、スーダン、レバノン、ドイツ、セルビア、カタール合作映画)
【監督・脚本】
アリ・チェリ
【キャスト】
マヘル・エル・ハイル
映画『ダム』のあらすじ
ナイル川の大規模ダムのほとりの村で、川で生まれた泥と水でレンガを作る職人の男。やがて彼が作り続ける不思議な泥の建造物が独自の生命を獲得していく。