映画『ハッピー・バースデー 家族のいる時間』は、2021年1月8日(金)より、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次ロードショー!
フランスの大女優カトリーヌ・ドヌーヴを主演に、家族のあり方を描いた映画『ハッピー・バースデー 家族のいる時間』。
共演には長女クレールに『モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由』のエマニュエル・ベルコ、次男ロマンには『冬時間のパリ』のヴァンサン・マケーニュを迎え、『よりよき人生』のセドリック・カーンが脚本・監督を務めるほか、彼自身も長男ヴァンサン役で出演しています。
映画『ハッピー・バースデー 家族のいる時間』の日本での劇場公開を記念して、セドリック・カーン監督にインタビューを敢行。
本作で、セドリックが初めて監督と俳優の両立に臨んだ思いや決意の理由、また本作のテーマ「家族」に込めた思いなど、貴重な話を伺いました。
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制作の経緯と配役について
共演を果たしたセドリック・カーン(左)とカトリーヌ・ドヌーヴ(右)
──本作『ハッピー・バースデー 家族のいる時間』の制作に至った経緯について教えてください。
セドリック・カーン(以下、セドリック):以前から、家族を題材にした作品を作りたいという想いがありました。家族の中心に「心を病んだ人」がいるという物語を描くことは、私自身の個人的な体験談でもあり、観客に伝えたかったのです。
脚本の執筆段階から母親のアンドレアに、カトリーヌ・ドヌーヴを思い描いていました。なので彼女が出演の依頼を受けてくれたことは、とても素晴らしく幸運なことでした。
──他のキャストに関しても脚本段階で当て書きをされていたのでしょうか。また、長女クレール役のエマニュエル・ベルコと、次男ロマン役のヴァンサン・マケーニュも、セドリック監督と同じように、自身で映画監督をされていますが、演出上の狙いはありましたか。
セドリック:カトリーヌ・ドヌーヴ以外のキャストに関しては、入念なキャスティングを繰り返し行い、それぞれの役柄の背景や文脈を高められるような俳優たちを選んで配役を決めていきました。
また、自分を含めた3人が映画監督であるというのは意図したものではなく単なる偶然ですが、彼らが監督という目線を持っていることでそれぞれの役者が突出することなく、作品全体の中で良いバランスを保てたという効果がありました。
監督と俳優の両立の難しさ
撮影現場でのセドリック監督(メイキング画像から)
──初めて自身が演出する作品にキャストとして出演されていました。作品内で監督と俳優を両立することはいかがでしたか。
セドリック:本作『ハッピー・バースデー 家族のいる時間』では、チームで作品を作り上げていくという体験、特にキャスト同士でのコミュニケーションの密度が異なっていました。監督として物事を判断するという立場だけでなく、撮影現場で他のキャスト陣の個性やバイタリティを活かし、感情的な面も含めて共有しながら作品化していきました。
──なぜこれまで自身の作品にキャストで参加されなかったのでしょう。
セドリック:これまでは監督という立場に立ちながら、同時に俳優もやるということに難しさを感じていました。もちろん不安もありました。監督としての役割が不十分になり、全体への統制が損なわれることを懸念していました。また俳優としても、自分に自信がないと出来ないと判断していたのです。
しかし今回のヴァンサンという役柄は、本作の家族のまとめ役としての役割を持っています。少し上から目線で他の兄弟たちを見ていることもあり、監督という立場とも重なっていたことで出来たのだと思います。
狂気の中の家族
──作品の舞台である古い屋敷に大家族が住むという設定は意図的なものだったのでしょうか。
セドリック:そうですね。あの屋敷が意味しているのは、“過去に寄生しながら生きている”ことです。彼らが前の世代が手に入れた財産で生き続けていることを暗に示しています。
私が演じた長男以外は、遺産で生きています。例えば次男のロマンは売れないアーティストだったり、登場する家族のほとんどが具体的な生産活動をしているわけではないという状態です。家族に寄生しているというよりも、彼らは家系に寄生している、それをあの屋敷で示していると言えるでしょう。
──心を病んだ長女クレールを家族の中心に置いています。監督自身が作品制作の動機として、「心を病んだ人物」をめぐる家族の存在についておっしゃっていましたが、その点について詳しくお聞かせください。
セドリック:今回、狂気の人物を軸にした家族の群像劇を描いたのは、自身の経験からこのテーマを捉え直してみたいと考えたからです。人は「狂気」そのものに対してどのように接し、それを扱うのか。そのことを表現してみたかったのです。つまり家族の中にクレールのような人物がいて、彼女が財産権で他の家族よりも優位に立っている場合には、他の家族は彼女を排他することはできません。家族の一員として否が応でも受け入れ向き合わねばならない。
家族はクレールの狂気に触れるわけですから、犠牲者と言えますが、孤独を味わわされるクレールもまた家族の被害者です。私から言わせれば、あの家族全員が狂気です。誰もがその狂気を上手く扱えていないという実像を描きたかったのです。
例えば、私が演じたヴァンサンという役も、家族以外の外の社会では常識的な人物です。それでもあの家族というグループに入ると浮いた存在であり、部外者となります。つまり、私はあの三兄弟すべてが狂人だと思っています(笑)。
劇中の“映画と演劇”に込める思い
──本作の作中には「映画」や「演劇」が、ー例えば、次男が制作した映像や、孫たちの西部劇ごっこ、アンドレアに贈る寸劇ーなど入れ子構造として描かれています。それらの演出についてお聞かせください。
セドリック:今回登場する家族、そのすべての登場人物が何がしかのアーティストです。ですから、それぞれの視点や立場から物語を語るような仕立てにする手段として用いたのが一つ。もうひとつは、私の信念として、人を狂気から救えるのは、フィクションあり、芸術的な行為だという考えに基づきます。私は「演技は人を救うもの」だと信じています。
例えば劇中の後半パートで次男ロマンが撮影したビデオ(映画)が登場します。あれは彼が姉クレールを撮影していたものですが、狂気が持つ楽しさであり、子供らしいクリエティブな様子を描きました。
しかし長男のヴァンサンはそのような楽しさやファンタジー的な部分に欠けています。ヴァンサンが、ロマンのカメラを壊すことからも明らかです。長男の役割は、嘘を拒否し真実を求める姿です。彼以外の人たちは何がしか演じることで嘘をついている、それがあの家族たちの姿なのです。
父親不在の物語
セドリック監督を捉えたオフショット(メイキング画像から)
──これまでのセドリック監督の過去作『ロベルト・スッコ』(2001)、『チャーリーとパパの飛行機』(2005)、『よりよき人生』(2012)のように、一貫して父親の不在が描かれています。それについてはいかがでしょうか。
セドリック:そうですね。私にとって父親の不在は重要なテーマです。まあ、『ロベルト・スッコ』で言えば、父親だけでなく母親もいない、両親の不在になりますが。本作『ハッピー・バースデー』でも、母アンドレアの最初の夫の不在という形で描きました。あの家族は男性よりも女性の存在の方が強いということを反映しているのかもしれません。
しかしそれは劇中の家族だけではなく、今日の一般的な家族において父性的な権威は失われているように感じています。男性の立場が難しいというのは多くの家族に言えることではないでしょうか。
──不在というモチーフを描きながらもコメディタッチな作品に仕上げたのはなぜでしょう。
セドリック:深刻なテーマを作品だからと言って、深刻に描きたくなかったのです。私たちが実際に生きている人生では、生きていること自体が悲喜劇ですから。
私の家族も本作で描いたような体験を経ていますが、四六時中、深刻な訳ではありません。笑ってしまうような可笑しい出来事もたくさんあります。そのようなものが狂気から生まれてくることも描きたかったのです。
影響を受けた“シネアスト(映画人)”
セドリック監督とキャスト陣(メイキング画像から)
──劇中で弟ロマンがカメラをセッテングして家族を撮影する際に、小津安二郎監督の名前を引き合いに出し、講釈を述べる場面がありました。小津映画でも親子の視座や世界観をテーマに描いていますが、それについていかがでしょうか。
セドリック:この映画は小津安二郎監督の作品を特に意識したものではありません。他にも家族を主題にするシネアスト(映画人)は沢山いますよね。あの場面ではユーモアを引き出すために小津安二郎を引用しました。弟ロマンという男は気取ったスノッブな男として表現したかったのです(笑)。
私の映画には「子供」という存在がとても重要です。子供は、常に正常、健康的なものであり、将来に対する希望そのものです。ですから、家族にとっての希望の象徴を意味しています。
──では、セドリック監督に影響を与えたシネアストとは、劇中でもオマージュが見られたようなヌーベル・ヴァーグのような作家なのでしょうか。
セドリック:もちろん、劇中のいくつかのプロットで描いているように、知識としてのジャン=リュック・ゴダール監督は知っています。ですが私の影響の中心はヌーベル・ヴァーグではありません。私が若い頃に影響を受けたシネアストは、モーリス・ピアラ監督(1925〜2003)です。それとクロード・ソーテ監督(1924〜2000)も好きです。彼らはヌーベル・ヴァーグとは距離を置いた存在です。このシネアストたちは、本作『ハッピー・バースデー 家族のいる時間』のように友人や家族などのテーマを扱う作家たちです。
それからジャン・ルノワール監督(1894〜1979)も、俳優に自由を与える監督としてとても尊敬しています。ルノワール監督の作品では、登場人物がとても繊細に描かれており、観察もされています。
──先ほどモーリス・ピアラ監督の名前が出ましたが、本作『ハッピー・バースデー 家族のいる時間』のプロデューサーは、『エヴォリューション』(2015)や『田園の守り人たち』(2017)で知られるシルビー・ピアラの名前も出ていましたね。
セドリック:良い質問ですね。はい、シルビーとの映画の仕事は上手くいっています。若い頃にモーリス・ピアラ監督の映画の撮影現場で働いた経験があり、その時から彼女のことは知っているので家族的な付き合いがあります。この映画はシルビーがいたことで完成できたと思っていますし、撮影中も守られている感じがしていました。
実は彼女から、本作で俳優として参加することを提案されました。今回の作品で2つの大きな役割を成し遂げるという強烈な体験は、製作サイドにいたシルビーの存在が大きかったと感謝しています。
インタビュー/出町光識
セドリック・カーンのプロフィール
1966年6月17日生まれ。フランス出身の映画監督・脚本家・俳優。パリ高等映画学院で学び、1992年に映画監督デビュー。長編初監督作である『鉄道バー』をヴェネチア国際映画祭に出品、2作目の『幸せ過ぎて』でジャン・ヴィゴ賞およびカンヌ国際映画祭ジュネス賞を受賞。
また『ロベルト・スッコ』が第54回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に、『The Prayer』は第69回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に正式出品されている。
フィルモグラフィ(監督作品)
1992『鉄道バー』
1994『幸せ過ぎて』
1998『倦怠』
2001『ロベルト・スッコ』
2004『赤信号』
2005『チャーリーとパパの飛行機』
2009『リグレット』
2012『よりよき人生』
2014『ワイルド・ライフ』
2018『The Prayer』
フィルモグラフィ(出演作品)
2012『ALYAH(原題)』(エリー・ワジェマン)
2013『パリ、恋の診察室』(アクセル・ロペール)
2015『アナーキスト 愛と革命の時代』 (エリー・ワジェマン)
2016『L’ÉCONOMIE DU COUPLE(原題)』(ヨアヒム・ラフォス)『おとなの恋の測り方』 (ローラン・ティラール)
2018『COLD WAR あの歌、2つの心』(パヴェウ・パヴリコフスキ)
映画『ハッピー・バースデー 家族のいる時間』の作品情報
【日本公開】
2021年(フランス映画)
【原題】
Fete de famill / Happy Birthday
【監督・脚本】
セドリック・カーン
【出演】
カトリーヌ・ドヌーヴ、エマニュエル・ベルコ、ヴァンサン・マケーニュ、セドリック・カーン
【作品概要】
俳優として、そして『倦怠』(1998)『ロベルト・スッコ』(2001)などの監督としても活躍するセドリック・カーンが描いた、鋭い視点を持つ家族のあり方を描いたヒューマンドラマ。
主演は『シェルブールの雨傘』(1964)で世界的スターとなって以来、今も精力的に活躍し続けるカトリーヌ・ドヌーヴ。『スクールズ・アウト』(2018)に出演のエマニュエル・ベルコ、『冬時間のパリ』(2018)に出演のヴァンサン・マケーニュも、共に映画監督としても活躍する俳優で、監督業も行う3人の俳優が、敬愛するフランスの大女優との共演を果たした作品です。
映画『ハッピー・バースデー 家族のいる時間』のあらすじ
70歳になったアンドレアは、夫のジャン、孫のエマとフランス南西部の邸宅で優雅に暮らしています。
そこへ、母の誕生日を祝うため、しっかり者の長男ヴァンサンと妻マリー、二人の息子、そして映画監督志望の次男ロマンが恋人ロジータを連れてやってきます。
家族が揃い、楽しい宴が始まったそのとき、3年前に姿を消した長女のクレールが帰ってきました。母アンドレアは娘をあたたかく迎え入れますが、他の家族は突然のことに戸惑いを隠せません。
案の定、情緒不安定なクレールは家族が抱える秘密や問題をさらけ出し、大きな火種をつくり出していきます。やがてそれぞれの思いがすれ違い、混乱の一夜となりますが…。