映画『無頼』は2020年12月12日(土)より新宿K’s cinema、池袋シネマ・ロサ、横浜ジャック&ベティほかにて全国順次公開!
『パッチギ!』などで知られる鬼才・井筒和幸監督の『黄金を抱いて翔べ』以来8年ぶりの長編監督作にして、敗戦直後から平成の到来に至るまでの激動の昭和史を社会からはじき出されたヤクザ者たちの視点から描いた映画『無頼』。
主人公・井藤正治を演じたのは「EXILE」パフォーマーとして活躍後、俳優としても高い評価を得ている松本利夫。その妻・佳奈を柳ゆり菜が演じた他、中村達也、ラサール石井、小木茂光、升毅、木下ほうかなどの俳優陣が脇を固めています。
2020年12月12日(土)からの劇場公開を記念し、本作を手がけた井筒監督にインタビュー。制作経緯はもちろん、様々なアウトサイダーたちを描き続けてきた井筒監督の集大成とも言える本作に込められた想いなど、貴重なお話を伺いました。
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何を作ったらいいのか分からない時代で
──はじめに、今回の『無頼』で「“無頼の徒”たちの眼からみつめた昭和史」といテーマを撮ろうと思われたきっかけを改めてお聞かせ願えませんか?
井筒和幸監督(以下、井筒):『岸和田少年愚連隊』(1996)あたりからかな。あの頃から「大人」の不良もの、いわばヤクザものに一度は挑戦したいと思ってたんです。
1989年に「昭和」が終わり、1990年から時代は「平成」になった。すると何やら途端に、みんなのエネルギーがなくなったというか、1年か2年でそれまでの全てが瓦解していった。がむしゃらに、欲望のままに生きる社会と人間の熱が掻き消えてしまった。そうして崩れた社会が残ったものの、それも悪い形で「生き残っていた荒野」へと変わっていったわけです。
映画業界にいた僕らも「これから何を作ったらいいのか分からない」と生きあぐねる時代に入り、「何を作りたいのだろうか」と考えた結果が『岸和田』だった。ただ一方で「またガキの不良ものかよ」なんてことも思ってしまった。そして、「いい加減、大人の不良ものを撮りたい」「昭和が終わったのだからこそ、その時代を生きたヤクザ者たちが知る昭和の裏面史を描きたい」「昭和を語る上で欠かせない事件や出来事と照らし合わせていったら、途轍もない大河ドラマが生まれるんじゃないか」と思い至った。それが何よりもの動機ですし、色々な仕事をしながらもずっと考え続けてきたことでもあります。
かつて「無頼の徒」だった者が語る言葉
──本作の制作経緯を語るにあたっては、井筒監督の昭和という時代への想いの他にも、監督がこれまでに出会われてきた多くの人々、その中でもかつて「無頼の徒」の一人であった画家・山本集さんの存在は欠かせないとお聞きしました。
井筒:山本さんは張本勲さんの浪商(浪華商業高等学校の略称。現:大阪体育大学浪商中学校・高等学校)野球部時代の同期の親友だったんですが、ある高校の野球部の監督を務めた際に揉めてしまい、「甲子園出場」という目標を挫折した挙句の果てにヤクザに身を投じた。そして自分の組を持つほどには出世したんですが、やはり野球部時代の同期で実業家の谷本勲さんに諭され、稼業から足を洗った。「いつまでもやれ任侠だ、やれ仁義だ盃だと窮屈な生き方を続けるよりも、もっと自由に生きたらどうだ」「ドスや拳銃の代わりに絵筆でも手にとって、堅気になったらどうだ」と肩を叩かれたそうです。
その後、画家として山本さんがマスコミに出始めた頃に知り合って、奈良のアトリエへ行くたびに彼は「ワシらヤクザの時は、ほとんど“喜劇”みたいに生き抜いてきたんだ」「高倉健の『昭和残俠伝』(1965)みたいな、カッコいいもんじゃなかった。無ザマなことばっかやってた」「それでも、子分たちと一緒に男を張って、指も落として生きてきたんだよ」「だからさ、いつかそんな“滑稽”なオモロいヤクザを映画で撮ってくれ」と話してたんです。
もちろん、いきなりそんなことを言われても困るわけです。“喜劇”を生きた名もなきヤクザの企画に簡単に乗ってくれる製作会社はそうそういない。ただそれでも、そういう映画を撮りたいなとはずっと思っていた。それで結局、『岸和田』以降も『ゲロッパ!』(2003)や『パッチギ!』(2005)で山本さんの「語録」やエピソードを小出しに使ってきてたんだけど、ようやく『無頼』で、僕の思っていたヤクザの叙事詩ができたんです。
「昭和を生き抜いたヤクザ者たち」そのものを描く
──また本作の企画段階では、作中の舞台が「戦後の沖縄」に設定された候補案も存在していたともお聞きしました。
井筒:沖縄のギャングたち、沖縄の言葉でいえばアシバー(「遊び人」の意。暴力団関係者を指すことも)たちの視点を通じて「こぼれ落ちた戦後史」としての沖縄をしっかり見つめてみたかったんです。それまでに撮ってきた映画で、色んな差別と格差の社会をそのままの形で描いてきたつもりだったけれど、その上で昭和史と絡めて撮れないかと考えた。
そこで『黄金を抱いて翔べ』(2012)を撮り終えた後、戦後の沖縄アシバーたちの裏社会を何度も調べに行って。そこで得たものも『無頼』の脚本に入れ込みましたけど。実はあの『仁義なき戦い』(1973)の脚本を書いた笠原和夫さんも、沖縄の抗争史を基に『沖縄進撃作戦』(1975)という脚本を書いているんです。残念ながら、諸事情で映画化されなかったんですがね。
もちろん『黄金』でも戦後の日本社会だからこそ生まれた真に寄る辺なき者たち、社会や国家から離反した孤独者たちの生を描いたけれど、それだけでは「昭和史」とは言えなかった。僕が山本さんをはじめヤクザに詳しいジャーナリストたちから聞いた言葉たちや抗争の裏事情を基に、練り込んでいくことで、沖縄ではなく本土の極道社会、昭和と資本主義を生き抜いたヤクザ者たちに拘って描こうとしたわけです。
映画という「寄る辺」を生きて
──井筒監督は『無頼』において、「理想の時代」「夢の時代」「虚構の時代」に分けた上で昭和という時代を描こうとされました。そもそも「理想の時代」における「理想」とはどのようなものなのかを、より詳しくお聞かせ願えませんか?
井筒:戦後間もなくの人々は、あくまでも「夢」ではなく「理想」を掲げて生きていた。「貧乏でもいいから人間らしく幸せに」という漠然とした理想をです。ただ1964年の東京オリンピックの後は確実に、当初の理想が変容していく。「貧乏なのはもう嫌だ」という欲望とともに、今度は「それぞれの夢」を追う時代に突入するんです。社会云々ではなく「貧乏ではない」状態、つまり「中流」を目指す時代です。そして、理想を捨てたくない集団として全共闘の学生たちが生まれた。結局、彼らが掲げた共産主義も1970年以降に瓦解してしまうんですが。
そこに現れたのが、『仁義なき戦い』でしょう。生きあぐねた者たちが、あれだけスクリーンの中で暴れてくれている。同じく理想を失い生きあぐねていた当時の俺たちが観て共感するのは当たり前。もう拍手喝采ですよ(笑)。そして生き方を探すため、自分自身の虚構を求めることにした。そうして俺が辿り着いたのは、映画界だった。寄る辺のない状態の中で映画を観ていた俺にとって、映画自体が寄る辺になったわけです。
ただ寄る辺といっても、当時の映画界に「大木」なんてなかった。映画会社も「新入社員募集」もほとんどしていない、あっても「大卒級英語ができないとダメ」の時代でしたから。それでも繁栄の70年代の流れの中で、流れてくる何かに掴まらなきゃ溺れ死んでしまう。そこでたまたま掴んだのが、僕にはピンク映画だった。そして来る気配のない大木に縋るよりも、自分たちで流木を集めて、徒党という大きな筏を作った方がいいと考えたんです。
今回の『無頼』は、自身の昭和史といっていいです。やっぱり言いたかったこと、撮りたかったことを全部やってやろうと。作中で田舎の組長やチンピラたちが「仁義なき戦い」シリーズや『ゴッドファーザー』(1972)の馬の首の話をしたり、「仁義なき」の松方弘樹のセリフを口ずさむ描写は、当時の俺らそのものです。大好きな『北陸代理戦争』(1979)のワンシーンもパロディで作ったしね。
社会に押し付けられるもの/人々が映画館へ行く意味
──作中、平成という時代を迎えヤクザへの風当たりが強まる一方の世論に対し放たれた「もっと世の中を勉強しろ」というセリフは、平成だけでなく令和という現在の時代にはびこる不寛容と無理解の姿勢への批判にも感じられました。
井筒:そう思います。ただの不良少年からヤクザ者になったのにも、色んな理由、つまり、出自や境遇があるわけだから。それらは、管理社会から追い払われ押し付けられてきた境遇です。その事実を社会が法律を通じて頭ごなしに否定する今の状況には、どうしても違和感を覚えてしまう。そもそも件の暴力団対策法(1994年施行)自体が、人権をないがしろにした法律でしょ。だからこそ、場面に登場する「“ヤクザは生きるな”ってことだろう」というセリフは、ヤクザ者はもちろん、生まれた時からの境遇を引きずり続ける以外に生きる場所の選択が出来なかった人間の痛切な言葉です。
また暴対法の影響でヤクザ映画の地上波テレビ放映なども出来なくなり、ついには実録モノの東映をはじめ、映画会社がヤクザ映画を作らないと宣言してしまった。終いには「ヤクザを主軸にしない悪徳警官が主役」なら企画が通るなんて言い出した時には「じゃあ『県警対組織暴力』(1975)をまたやれってことかよ」と呆れたね。
実際その言葉通りに「お利口」な形でヤクザ映画を撮る奴もいるし、それを否定する気もないですけれど、でも、そうやって権力に迎合して作るのが「芸能」や「芸術」なのだろうかとは感じてしまう。ただ普通に社会の有様を描くだけなのだから、もっと堂々と撮っていいはずです。
ヤクザ行為の是非は問いたくない。その行為を歪めずに反映することが芸能や芸術であり、映画のはずです。是非は映画を観終えた後、みんなが考えたらいいことです。
そもそも、世の中を動かし続けている様々な是非から逃れたいがために人々は映画館に行くわけです。世の中の窮屈さや、自由がない世の中から逃れたくて、映画館といった異空間へ情動的にもぐり込んだりする。表通りを歩いていたって、自分のことなど誰も分かってくれない。勤め先の人間や家族ですらも全然分かってくれない。だからこそ映画館にでも行きたい気分になる。『ジョーカー』(2019)を観に行った大勢の若い子たちもそうなんじゃないでしょうか。
誰かにとっての「寄る辺」を作り続ける
──『無頼』の主人公・正治が命懸けで激動の時代を生き抜いていった果てに「与える者」になろうと決意する姿には、映画という寄る辺を生きながらも、人々にとっての寄る辺となる映画を撮ろうとし続ける井筒監督ご自身の姿が重なりました。
井筒:50代の終わり頃に街で飲んでいた時、偶然居合わせた若い子に「監督、『ヒーローショー』(2010)って映画観ましたよ」「嫌なことがあってむしゃくしゃしたら、いつも家であの映画を観るんですよ」と言われたことがあるんです。そんな言葉を受け取った時には「ああ、俺も誰かの寄る辺を作っているのかな」と思えた。そういった気分も、今回の主人公に重ねたところはあります。
自分や仲間たちのためにがむしゃらに生き、映画を撮り続けてきた。その中で、過ぎていく時代とともに忘れられて、置き去りにされた人々もたくさん見てきた。だから、彼らのために何かをしてあげたいという気持ちを抱くようになって。これからの自分や社会がどう未来を作っていくのかを主人公に託してみたです。
主人公の少年時代のように、昔は、駅前で一本10円のアイスキャンディを売り歩かなきゃ生きていけない人、家族さえ捨てなくては生きていけない人がいっぱいいたんです。死なずに済んで生きてこられたギリギリの人たちがいる。でも、とても『無頼』だけでは描き切れなかった。だからこそ、また映画を撮りたいと思っています。
インタビュー/河合のび
井筒和幸監督プロフィール
1952年生まれ、奈良県出身。高校在学中から映画制作を始め、1975年に高校時代の仲間と作ったピンク映画『行く行くマイトガイ 性春の悶々』で監督デビューを果たす。1981年に『ガキ帝国』で日本映画監督協会新人奨励賞を、1996年には『岸和田少年愚連隊』で第39回ブルーリボン最優秀作品賞を受賞。2004年には日本人の少年と在日朝鮮人の少女の恋を描いた『パッチギ!』が大ヒットを記録し、日本アカデミー賞の優秀監督賞・優秀脚本賞をはじめ多数の賞を獲得した。
その他の監督作には1985年の『二代目はクリスチャン』、2003年の『ゲロッパ!』、2012年の『黄金を抱いて翔べ」など。またTVやラジオでのコメンテーターとして、映画評論や政治論評の執筆など多岐にわたって活動している。
映画『無頼』の作品情報
【公開】
2020年(日本映画)
【監督・脚本】
井筒和幸
【共同脚本】
佐野宜志、都築直飛
【プロデューサー】
増田悟司、小木曽仁、湊谷恭史
【主題歌】
泉谷しげる「春夏秋冬〜無頼バージョン」
【キャスト】
松本利夫、柳ゆり菜、中村達也、ラサール石井、小木茂光、升毅、木下ほうか 他
【作品概要】
『パッチギ!』などで知られる鬼才・井筒監督の『黄金を抱いて翔べ』以来8年ぶりの長編監督作にして、敗戦直後から平成の到来に至るまでの激動の昭和史を社会からはじき出されたヤクザ者たちの視点から描いた群像劇。
主人公・井藤正治を演じたのは「EXILE」パフォーマーとして活躍後、俳優としても高い評価を得ている松本利夫。その妻・佳奈を『純平、考え直せ』(2018)の柳ゆり菜が演じた他、中村達也、ラサール石井、小木茂光、升毅、木下ほうかなどの俳優陣が脇を固めた。
映画『無頼』のあらすじ
太平洋戦争に敗れ貧困と無秩序の中にいた日本人は、焼け跡から立ち上がり(理想の時代)、高度経済成長の下で所得倍増を追い(夢の時代)、バブル崩壊まで欲望のままに生き(虚構の時代)、そして昭和が去ると共に、その勢いを止めた。
その片隅に、何にも頼ることなく一人で飢えや汚辱と闘い、世間のまなざしに抗い続けた“無頼の徒”がいた。やがて男は一家を構え、はみだし者たちを束ねて命懸けの裏社会を生き抜いていく……。
過ぎ去った無頼の日々が今、蘇える。正義を語るな、無頼を生きろ!