インド東北部の山深い村々で古来より語り継がれてきた“知られざる歌”を巡るドキュメンタリー映画『あまねき旋律(しらべ)』。
山形国際ドキュメンタリー映画祭・アジア千波万波部門で日本映画監督協会賞と奨励賞のダブル受賞し、世界各国の映画祭で人々を静かに深く魅了した本作。
作品公開に先駆け、共同監督であるアヌシュカ・ミーナークシ監督とイーシュワル・シュリクマール監督が来日しました。
今回は来日の際に行った、両監督へのインタビューをお届けします。
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演劇から生まれた映画
(写真左:アヌシュカ・ミーナークシ 写真右:イーシュワル・シュリクマール)
ーこの映画が生まれた経緯は?
アヌシュカ・ミーナークシ(以下、アヌシュカ):私たち2人はチェンナイで同じ劇団に所属して演劇をやっているのですが、(この映画を撮影する前から)私たちは付き合っていたんです。
当時、同棲したいと思って家を探していたのですが、結婚していなかったのでなかなか貸してもらえなくて、それじゃあ一緒に住むのではなく、一緒に旅をしようということになりました。
その旅の最中でインド全国にいる、自分たちと同じような演劇や、パフォーマンス、舞台表現をしている人たちを調査することによって自分たちの演劇を見直してみようという運びになりました。それがこの映画づくりの発端になっています。
ーチェンナイでの演劇はどの様なものがあり、おふたりはどのような演劇を創作しているのですか。
イーシュワル・シュリクマール(以下、イーシュワル):様々なタイプがあります。
大都会ですので、都市型の演劇が多く、ほとんどが英語劇で言葉重視の会話劇がメインです。
もう一方ではタミル語の演劇というものもあります。タミル語演劇はどちらかと言えば、演者の肉体の動きやダンス、そういった身体的表現を取り入れた演劇です。
私たちが所属する劇団は「コレクティブ」というスタイルをとっていて、誰かが上にいる訳ではなく民主的に運営されているという意味ですが、20~25人くらいの劇団員がいて、特徴としては多言語主義を貫こうとしています。
つまり、いろんな母語を持っている人たちがこの集団にいるので、それぞれのセリフはそれぞれの人たちの母語で喋るというようなコンセプトの演劇です。
この前上演した舞台は7言語の言葉が飛び交う舞台になっていて、勿論観客の中には全ての言語がわかる人などいないので、どちらかと言えば演劇としてはアクションや視覚性、エネルギーの流れみたいなもので観せていきます。
見ること、聴くことを中心とした映画づくり
ーそういった経験が本作のビジュアル的にも多弁だったことに影響を及ぼしているのですね。
イーシュワル:確かに劇団では視覚的なものを重視していますし、言葉を軽視している訳ではないですが自分たちの特徴として打ち出して来たというのはあります。
コレクティブという集合的に暮らすことは自分たちの生き方にも関わりがあることなので、上下関係なく横並びの関係でものごとを運んでいくことは重要で、それは映画づくりにも恐らく反映されたのでしょう。
それから、私たちが旅をしている間に、ある場所に行くと、それまで撮影して来たものを30秒、2分、5分といった短い短編映画に纏め、それを上映して新しい場所に自己紹介するという活動をしていました。
その時に、インドは非常に多言語国家ですので、先々でいちいち字幕をつけていたりするという訳にもいかないので、そういったことも踏まえて新しい映像の言語というものを探さなければいけないと気付かされました。
それは視覚的で、言葉に頼らないような映像の語り方であり、私たち作り手は、あらゆる言語のもつ意味ではない部分を、見ること、聴くことを中心とした映画づくりにごく自然に身を任せるようになっていったんです。
アヌシュカ:前提として、新しい映像言語を作り、世の中にこれを打ち出すんだという大仰な思いで作った訳ではありません(笑)。
むしろ自分たちで映像実験をしながら、ひとつのプロジェクトとして、言葉を使わなくても語っていけるのかというくらいのささやかな気持ちでやっていました。
音楽や出会った人々に直感的に反応していたらこんな風になったというような、頭で作った映画では決してありません。
この村での撮影も、これまでつくってきたような短い短編を作り続けていくのかなと思っていたのですが、滞在が段々と伸びて行くにつれて撮影される素材もだんだん増えていき、長編の可能性が出てきたという、本当に流れの中でこの作品が出来ていったんです。
「歌」というコミュニケーションツールについて
ーこの村での「歌」は非常に優れたコミュニケーションツールだと感じました。
アヌシュカ:伝達するツールとして、この歌が活きているとは私たちも実感しています。
歌詞が形成される上で、ある規定のルールがあるんです。
あるパターンがあって、その中から言葉を選んで歌っていくのですが、そこに即興が許されている。
即興にはその歌い手のリーダーのスキルみたいなものが問われます。
人によってはとても娯楽的なムードを醸し出したりしますが、結果的にやろうとしていることは、集団をより良く働かせてくれるような歌を作れたらいい訳なので、メロディが上手いかとか声色が美しいかということではなくて、きっとそれこそコミュニケーションではないかと。
イーシュワル:私は労働歌は演劇にルーツがあるのではないかと思っています。
労働歌を働きながら歌っている人たちを見ていると、まるで演劇のリハーサルをしている我々のようだなと感じます。
いわゆるコール&レスポンスという掛け合いがあったり、空間の使い方が工夫されていたりする。
それはまるで演劇のようではないかと。
ただしそれは観客の為の演劇ではなくて、労働のために。何かを労働して何かの実りを生産する為のものであるということで、根っこでは繋がっているのではと。
ですから俳優がセリフ一つ言うにも、その感情をどのように喋るか、身体をどのように動かすかによって、真実が響くか響かないかが決まるように、労働者にとってもその労働がより効率よく効果的に達成できるかどうかがこの労働歌の非常にシンプルなコミュニケーションの所以ではないでしょうか。
直感的に撮った映像
ー冒頭の棚田に反射する人影、祭のシーンでの影、そういった「影」の在り方が非常に印象的で興味深かったのですが。
アヌシュカ:はっきり言えば面白いと思ったから撮っただけであって、意図をもって「影」を撮ったということはありません。
私たちは脚本もなくわりと直感で撮影をしているので、影のようなちょっと洒落た映像もあればごく普通の素材も沢山あります。
編集する時点において、その構成の中で、例えばその水面に反射する影が、まるでその水のさざめきがちょっと歌のポリフォニーに何か関連づけられるなと編集に加えたりとか、あるいはここの映像が少しこの歌のソウルフルな感じにマッチするなとか、非常に直感的にそうやって組み合わせていったら、このような構成になっていった訳です。
つまり編集の時点で素材の使い方の接点を作って組み上げていったので、撮影の時点でいろいろ考えを先行させて撮った訳ではありません。
ー気になったのは冒頭に映し出されたキリスト教の大きな教会、中盤に出てくるインド軍の介入、そして最後に観る煌々と眩しく輝くスマートフォンの明かり。この3つの存在にはどこか違和感を覚えました。
アヌシュカ:軍だけは他の2つとは違うと思います。
まずキリスト教はもう150年前にこの村に入ってきています。
確かにその150年前は当時は沢山の人が改宗したりして、ある種の社会の変革が起こったわけですが、現代においては決して違和感があるような存在ではないと思います。
ある種の自分たちなりのアイデンティティをそこからつくりあげることが出来たので、彼ら自身のものであるのではないかと思っています。
スマートフォンもほとんどの村の人が持っていて、それは選んでそれを自分たちの主流にしようとしているものなのでキリスト教と似ているかもしれません。
軍だけはそうではなくて、自分で選んだことではなくて、押し付けられてしまった暴力で、軍は確かに違和感がありますね。
映画が記憶に繋がる
ー世界各国の反応はいかがですか?
アヌシュカ:世界中で上映されていますが、実は上映になかなか立ち会うことができなくてあんまり行ってないんです(笑)。
世界では3つか4つしか立ち会えていないので答えづらいのですが、インド国内の上映会にはなるべく出席しているようにしています。
そしてこの映画をきっかけに面白い議論が高まっているという実感はあります。
例えばナガランドのことを知らない人にとってはいろんな質の疑問が沸き起こる映画で、皆さん興味を持ってくれるようになりました。
あるいは自分が農業出身の人だと、自分たちの過去の思い出で共感を口にしてくれるような反応がすごく多かったので、そういう意味でインドの上映とともにたくさんの人たちと議論ができました。
イーシュワル:メキシコでは反応が強くて、観客が繋がってくれたという印象があります。
アジアや主に農業国でのお客さんの反応は強いです。
特にアジアの観客は感動してくれてるという実感を持ちますが、それは映画そのものというよりも、もしかしたらその人たちの記憶の中にある何かに触れたのではないかと、うまく自分の記憶と繋げて観てくれたのではないかと思っています。
多くの人が肉体的に、個人的な感情の中でこの映画と触れ合ってくれていることが、私たちにとってとても嬉しいことです。
ー最後にこれからこの映画を観る方たちにメッセージをお願いします。
イーシュワル:是非観ていただきたいです。
そしてどういうふうな思いをもったかということを教えてください。
私たちが教えるのではなく、教えられたいと思っています。
映画『あまねき旋律 (しらべ)』の作品情報
【公開】
2018年(インド映画)
【原題】
kho ki pa lü(英題:Up Down & Sideways)
【監督】
アヌシュカ・ミーナークシ&イーシュワル・シュリクマール
【キャスト】
インド東北部・ナガランド州にある村人たち
【作品概要】
インド山深い村々で古来より語り継がれてきた“歌”を巡る音楽ドキュメンタリー作品。
山形国際ドキュメンタリー映画祭2017の「アジア千波万波部門」で上映され、奨励賞と日本映画監督協会賞をダブル受賞。
映画『あまねき旋律 (しらべ)』のあらすじ
インド東北部・ナガランド州に広がる棚田に響き渡る歌は、山深い村で古来より語り継がれてきたものです。
日本人が1960年代半頃から失ってしまった、かつての共同体の風景を思い起こさせる、“歌”を巡る音楽ドキュメンタリー映画です。
あたり一面の棚田では、いつも歌が響いています。
村人たちは信じられないほど急な斜面に作られた棚田の準備や苗木植え、その後に実った穀物収穫と運搬といった作業をグループごとに行っています。
そして、その労働の間はいつも皆で歌を歌っています。
移ろいゆく季節の豊かさ、友愛の歌、そのほか、生活のすべてを歌とともに生きています。
農作業をしている最中に1人が声を発すると、それに呼応して、ほかの1人も歌いはじめるコミニュケーション。
それは女性も男性も一緒になって、歌の調べの掛け合いで歌われる「リ」と呼ばれています。
その歌は、山々の四方八方に広がっていきます…。
まとめ
「歌」と「映像」が雄弁に語る映画『あまねき旋律』は、多言語国家のインドにおいて、言葉を超えた語りが必要だと感じたからこそ生まれた作品でした。
そこには、両監督の今まで演劇活動で培った経験が充分に活かされ、感性に身を任せて撮り続けた結果、理屈ではない、観るものの心に響く作品として昇華されました。
そして村人たちひとりひとり、それぞれが映画の主役としている様子は、監督おふたりの「コレクティブ」という集団的な営みを重要視する姿勢が導き出したものでした。
ナガランドというインドの片隅にある小さな村に住む村人たち。
その生活の中にある農業という厳しい労働と歌の癒しは、もはやマイノリティな存在でありながら、多くの人たちの奥底にある心象風景に立ち還らせ、共鳴させます。
ドキュメンタリー映画『あまねき旋律(しらべ)』は、10月6日(土)よりポレポレ東中野にてロードショー!以降全国順次公開。
ぜひ映画館でご覧ください!
インタビュー/大窪晶
写真/出町光識