金子雅和監督の映画『アルビノの木』の海外での勢いが止まらない!
これまで各国の映画祭で、トータル10冠の映画賞を達成したことが話題となり、4月21日(土)から、東京は池袋シネマ・ロサ、岡山ではシネマ・クレールでの凱旋上映が開催されます。
しかし、この凱旋上映の矢先、金子監督のもとに、スペインの第2回バルセロナ・クラフト・フィルムフェスト(2018年4月6日~8日)の映画祭で、観客が選ぶ最高作品賞を受賞した知らせが舞い込み、計11個目となる映画賞の快挙。
今回は映画『アルビノの木』の制作した裏側や、演出の意図について金子監督にインタビューをしましたので、「『アルビノの木』映画ロケ地とキャスト名の演出とは」をご一読ください。
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ロケ地として長野県須坂市が協力した経緯は?
金子監督:「高山村の先へ登って行ったところに、長野県と群馬県の県境になる峠があって、その下にかつて2,000人が住んでいた鉱山跡があります。このロケ地が本当に撮りたい場所でした。でも、周りにも何にもないし、泊まれるところもありません。
そこで撮影する時の拠点を探していた時に、知人の須坂市出身の監督から須坂市主催の映画祭に短編映画を出品して欲しいと依頼がありました。良い機会だと思い、須坂商工会議所の方に会いに行きました。
その須坂市では無いんですが(※注 群馬県嬬恋村・小串鉱山跡)、是非協力しますよと言ってくださった。シナリオ上、須坂市内で撮れそうなシーンがあれば、それも使って下さい、と。外の人に町を知ってもらうため、足を運んでもらうために、ロケ誘致をしたい、という時期だったんですね。
『アルビノの木』予告編
金子監督:「結果、映画の中に出てくる病院だったり、役場だったり、駅もまるまる使っていいよ、と言ってくれましたわせて頂くことになりました。農家やオープニングの山林や、山小屋など、主に建物のあるようなところは須坂商工会議所の方がここがいいんじゃないかと、コーディネートしてくださって、具体的になっていきました。内容に対してのリクエストは全くなく、とにかく、須坂を映像として残してくれればそれで良い、とおっしゃって全面的にご協力いただきました。本当にありがたかったです。
今、地域振興のために作られる、いわゆる「ご当地映画」が増えてます。しかし、作り手のほうに確たる何か撮りたいと思うものがないと面白い作品にはならないと思うんです。
『アルビノの木』には確たる思いや撮りたいものがありました。それに向かっていろいろ動いていれば、人との出会いがあってそこから開けていくんだなとすごく感じました」
『アルビノの木』完成に至った経緯は?
短編映画『水の足跡』(2013年/30分)
金子監督:「2008年から2013年の間、『アルビノの木』の構想と準備をしながら同時に短編映画を6本撮りました。それらの作品が映画祭で上映されたり、気に入ってくれる人が出てきて、人脈が広がりました。俳優の長谷川初範さんは映画祭(ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2013)で『水の足跡』を観て、ぜひ次回作に出たいと言ってくださった。人との繋がりや、後押しを頂くことによって、形になってきました」
『アルビノの木』の舞台となる依木山全図
金子監督:「2008年からストーリーを作りはじめたのですが、フワっとしたファンタジーになってしまい、映画として地に足がつかない感じでした。
2012年に短編『逢瀬』のロケハンで山に行ってたとき、ぐうぜん害獣駆除をしている方たちを見ました。当時、害獣駆除の存在は漠然と知っていたけれども、東京生まれ育ちの自分が実際に見たのはその時が初めて。それから興味を持って調べて、日本各地で獣と人間の関係が深刻な問題になっているのを具体的に知りました。
これまで考えていた「猟師と白鹿」と言う話では、現代日本を舞台とした映画としては浮世離れしすぎて形にならなかったのが、今まさに社会問題になっいて、自分たちの生活の身近で実際に起きている害獣問題をスタート点にすれば、物語が地に足がついてくると感じました。害獣駆除猟師という主人公像が見え、一気に話が固まっていきました」
▼「猟師と白鹿」について、以下の金子雅和インタビュー①(前編)をお読みください。
『すみれ人形』と『アルビノの木』の違いは?
金子監督作品『すみれ人形』(2007年/63分)
金子監督:「「『すみれ人形』は出てくる登場人物たちが浮世離れしすぎている。すみれの喪失を境に僕らの感性とはまるで違う世界にいってしまっている。あれはあれでそのときの情熱によって作ったのだけど、あまりにも自分たちの世界と違い過ぎて、見た人の中で広がる部分や想像したりする部分で限界があるなぁと。
一方、『アルビノの木』では、自分たちの何かをそこに置き換えられて見ることの出来る寓話的な物語にしよう、と思って作りました。ですが実は『すみれ人形』も、この後に撮った『水の足跡』も、1人の女性と2人の男性という物語の構造自体は同じですね」
『アルビノの木』のキャラクター造形とは?
金子監督:「『水の足跡』とは違い、『アルビノの木』の方では、ヒロインのナギの存在は、もしかしたら、人間じゃないのではないかなぁと思わせて、実は一人の生身の人間という設定です。
一方で、この映画を見た作家の乙一さんが、滝の前で主人公ユクと羊市が格闘する場面で2人が「完全に鏡のようだ」と評していました。実はユクにとって羊市は彼の心を写している。本当はユクしかいなくて、自然に入っていく中で、葛藤する良心の部分が1つの人格として現れ、対話しているんじゃないかと。
シナリオ第二稿の段階では「遠野物語」に出てくる隠れ里みたいに、土地や自然が実際にはないものを人間に見せる、という話だった。あの村や村人は、自然が人間の心に映し出す幻、という設定。だから乙一さんの見方はこの物語の原型を見抜いていて鋭いなあ、と思いました。
金子監督:「ユクはユクで仕事としてやらなければいけない、羊市は羊市で完璧な人間ではなくて、衰退していくと分かっている村に留まり、そこから変わって行こうとはせず一緒に衰退していく。全く別の陰と陽の存在で、それぞれが心の中で葛藤を抱えている、反転している…。その間にいるのがナギですね」
ユク、ナギ、羊市の名前の意味は?
金子監督:「ユクはアイヌ語で「鹿」を意味しているんです。物語を通じていちばん描きたかったのが、人間の想像や力を超越して存在する自然の姿。
人間と鹿のどっちの方が優劣があるわけではなく、自然の前では等しく存在しているだけという意味をこめて、あえて鹿を殺す男の名前をユクと言う名前にしたんです。」
金子監督:「ナギについては、「凪ぎ」という意味と、紀伊半島の神木のひとつに「ナギ」という木があるんです。
羊市の「よう」は、漢字だと「羊」なんですが、キリスト教では、羊いうのは、「贖罪」「生贄になるもの」を意味しますよね。羊市は物語のなかで傷を負う男、現代社会の中で“生贄になる”人物という意味を込めて付けた名前です」
まとめ
金子監督がロケハンに愛用の地図
映画『アルビノの木』をスクリーンで観た観客は、映し出された圧倒的な自然の美しさに息を呑むはずです。
金子雅和監督は『アルビノの木』を撮影するにあたり、一万キロ以上の距離をロケーションハンティングしたそうです。
フレームに切り残した自然の姿は、その説得力となる時間と労力を注いだ結果なのでしょう。
また、実際に自然の中で本番撮影をおこなう前に、決めたロケ地を何度も再訪するそうです。
自然という対象に人間が踏み入って撮るとき、自分たちが異物にならず、その場に馴染むよう気を使っていると語っていました。
*インタビュー:久保田奈保子、写真:倉田爽、構成:シネマルコヴィッチ