あのホラー映画の金字塔が鬼才の手で再構築された!
昨年のカンヌ映画祭の初お披露目から賛否両論の嵐で大激論を呼んでいるリメイク版「サスペリア」。
150分越えも納得の、様々な要素が絡み合いホラーの枠組みを超えたド級の問題作。
見ればあなたも虜になる!?
映画『サスペリア』の作品情報
【公開】
2018年 (アメリカ・イタリア合作映画)
【原題】
Suspiria
【監督】
ルカ・グァダニーノ
【キャスト】
ダコタ・ジョンソン、ティルダ・スウィントン、ミア・ゴス、クロエ・グレース・モレッツ、シルヴィー・テステュー、アンゲラ・ヴィンクラー、ジェシカ・ハーパー、イングリット・カーフェン、レネ・ソーテンダイク、ファブリツィア・サッキ、アレック・ウェック
【作品概要】
ダリオ・アルジェントのホラー映画の名作『サスペリア』(1977)を同じイタリア人で『君の名前で僕を呼んで』(2018)が大評判を呼んだルカ・グァダニーノがリメイク。
ダンスカンパニーの背後に魔女組織がいたという物語を政治、宗教、歴史が絡み合った複雑な物語に再構築しました。
主演は「フィフティ・シェイズ~」シリーズのダコタ・ジョンソン。
彼女は本作のために2年間ダンスの特訓を積みました。
そして実力者の魔女と、外部から魔女集団を探るクレンペラーをティルダ・スウィントンが両方演じています。
その他、ミア・ゴス、クロエ・グレース・モレッツが若いダンサーを演じ、イングリット・カーフェンやアンゲラ・ウィンクラーなどヨーロッパの大女優たちがカンパニーを牛耳る魔女を演じます。
映画『サスペリア』のあらすじとネタバレ
第一幕「1977年」
1977年秋の西ドイツ・ベルリン。
ドイツ赤軍によるテロが起き、触発された左翼系の学生たちのデモも勃発している中、パトリシア・ヒンゲルは知り合いの年老いた心理学者ヨーゼフ・クレンペラー博士の家を訪れます。
パトリシアはクレンペラーに自分が所属していた由緒正しい舞踏団マルコス・ダンスカンパニーのことを話し始めます。
そこの寮母たちは魔女で、秘密の部屋で昔からずっと地下で恐ろしい活動をしていること、彼女自身も利用されそうになったことなどを話しますが、クレンペラーは彼女が妄想にとりつかれていると考えていました。
パトリシアは「“マルコス”が私の頭の中にいる」と言い、再び外に出て行ってしまいました。
同じころ、マルコス・ダンスカンパニーのオーディションを受けにアメリカからやってきたスージー・バニオンは、「ベルリンの壁」の近くに位置するカンパニーの宿舎にやってきます。
さらに同じころ、スージーの故郷オハイオ州では彼女の母親が危篤状態で、家族に見守られながらうめき声をあげていました。
屋内に入ると教官のミス・タナーが彼女を迎え入れます。
スージーは早速ダンスを練習する全面鏡張りの部屋に通されましたが、その場にはダンスカンパニーのトップで憧れの存在であるマダム・ブランがいませんでした。
彼女が踊り始めると、教官たちはその才能に驚きます。
またいつの間にか、マダム・ブランもそれを見に来ていました。
少しだけ待たされた後、タナーから合格を告げられたスージー。
マルコス・ダンスカンパニーは、ダンサーも教官も宿舎で一緒に暮らしており、スージーはパトリシアがいた部屋に泊まることになります。
部屋にいたスージーの元にパトリシアと仲が良かったというサラが現れ、彼女はスージーにマダム・ブランのことを話し始めます。
彼女の教え方が素晴らしいこと。ナチス時代もブランはバレエ団を守ったこと。そんな話をしていると外から爆音が響きます。
当時ベルリン市内でもテロが頻発し情勢は不安定になっていました。
第二幕「涙の宮殿」
翌日、教官や寮母たちが集まり、次の魔女の最高指導者を決める投票が行われていました。
女たちはそれぞれ、マダム・ブランと現指導者“ヘレナ・マルコス”のどちらかに投票。
結果、マルコスが現在の地位を維持します。
しかしメンバーの1人、グリフィスは投票を拒否。
ブランも投票を棄権しました。
ラジオから赤軍とパレスチナゲリラがルフトハンザ航空の便をハイジャックし、収監されている赤軍幹部を釈放するよう主張しているニュースが流れます。
魔女たちは食卓を囲みパトリシアが去った今、次のマルコスの“入れ物”を誰にするか協議していました。
ブランとタナ―は「誰が生贄になっても“儀式”が成功するようにしなければならない」と話しています。
その頃、クレンペラーは国境を越えて東ドイツに入り、戦時中に生き別れになった妻、アンケとの思い出の別荘を訪れていました。
何も変わらないと独り言を言うクレンペラー。
家に帰ってくるとパトリシアが書いた手帳が机の上に置かれていました。
スージーが入団して初の稽古。
マダム・ブランはオルガというダンサーにいなくなったパトリシアのパートを踊るように言われますが、稽古が進む中、オルガは急に反撥して取り乱します。
オルガはブランを罵り、彼女が全てを操っている、パトリシアがいなくなったのも彼女のせいだと罵倒。
ブランはパトリシアが活動家たちと近密になっていたので去ったことは仕方ないと諭しますが、オルガは納得せず、ブランやタナ―を魔女と罵り、カンパニーを辞めると稽古場を出て行ってしまいました。
ブランは途方にくれますが、スージーがブランの舞台を研究したので主役をやらせてくれと立候補します。
ブランは仕方なくみんなの前で彼女を躍らせることになります。
踊りに入る前、ブランはスージーの手と足を触り、そこから白い光が彼女の体に入っていきました。
荷物をまとめたオルガは建物から出ようとしていましたが、途中で謎の声に名を呼ばれ、その方向に歩いていきます。
迷い込んだ先は誰もいない鏡の部屋。突如、ドアが閉まり閉じ込められた彼女は泣き叫びます。
スージーは見事な踊りを披露。
彼女が勢いよくダンスを踊るとそれに合わせてオルガの体も勝手に動き、彼女は手足が折れ、壁に叩きつけられ、体が捻じれボロ雑巾のようになっていきます。
スージーが踊り終わるころ、オルガは全身がありえない方向に曲がり瀕死で転がっていました。
ブランはスージーの踊りを絶賛。
スージーは休憩を貰い、部屋にいる間、自分が昔からなぜかベルリンに興味があって衝動を抑えきれなかったことを思い出しました。
その頃、クレンペラーはパトリシアが残した手帳を読み始めます。
そこには古来から伝わる3人の魔女の名前や何らかの儀式に参加させられ動けなくなったというパトリシアの体験談が書かれていました。
そしてドイツ赤軍のことに関しても記述が。
クレンペラーは警察に少女が行方不明になったと通報を入れます。
しばらくして鏡の部屋で瀕死状態になったオルガを魔女たちが囲み、湾曲した金属のフックで彼女の手足を刺して持ち上げ、鏡の間にある秘密の扉の奥へと運んでいってしまいました。
その後、スージーはブランの部屋に招待されます。
天才的実力を見せつけた彼女にブランは興味津々でたくさん質問をし、スージーは厳格なメノナイト教会のクリスチャンの家庭に育ったこと、ブランの舞台のファンだったことなどを語ります。
ブランは自作のオリジナル舞踏「民族」の主役を踊ってほしいといいます。
スージーは快諾し、部屋を出た後その喜びをサラにも伝えます。
サラはスージーに明日とある場所についてきてほしいと言いました。
その晩、スージーは奇妙な夢を見ます。
ダンスカンパニーの一室に座っているマダム・ブラン、壁に飛び散る血、故郷オハイオの様子とうなされている母、そして母に虐待されていた記憶などでした。
第三幕「借り物」
翌日、通報を受けた刑事がダンスカンパニーにやってきてパトリシアや”マルコス”のことを聞きますが、魔女たちはしらを切っています。
そんな中、サラとスージーは事務室に忍び込み、いなくなったパトリシアやオルガの家庭の連絡先を調べようとしますが、何の書類も残されていません。
スージーは事務室のさらに奥の部屋から笑い声がするのを聞き、ドアを開けて見てみると先ほどの刑事が無表情で立ち尽くし下半身を裸に剥かれて寮母たちに弄ばれていました。
それを見てもスージーは特に顔色も変えず元居た部屋に戻りました。
その後の練習でスージーが踊っていると鏡の部屋にある隠し扉の向こうに干からびた何者かの手が伸びてきます。
稽古後、ブランとタナ―は話し合いをしていました。
“マルコス”がスージーを気に入り見に来ていたというタナーに、ブランは「せっかく逸材が来たのにもう彼女を犠牲にするのか」と言います。
しかし最高指導者の“マルコス”の意向にはブランも逆らえません。
一方、スージーも「何かが自分の中に入ってきた感覚がする」とサラに語り、“マルコス”の存在を感知していました。
その夜、ブランや寮母たちは近所の居酒屋に行き、“儀式”について話します。
彼女らは警察に通報したクレンペラーを“儀式”の証人にすると決めました。
ブランは逸材のスージーに夢を見せていると語ります。
その言葉通り、スージーはまた自身の虐待の記憶や魔女たちの夢を見ていました。
昼間に来た刑事が縛られている様や、壁にばらまかれる鮮血、むき出しになった何者かの心臓。
そしてスージーの部屋に緑色の不思議な光が現れます。
彼女は大声で「自分が何者かわかる!」と叫びだし、それを聞いたサラや他のダンサーが部屋に入ってきました。
夢の話をしてもサラたちは自分たちもダンスカンパニーに来たばかりのころは奇妙な夢を見たと語り、大したことではないと笑います。
スージーは思いつめた表情をしていました。
第四幕「取り込み」
翌日、クレンペラーは捜査状況を聞くために警察署を訪れます。
ラジオではハイジャック犯たちが機長を見せしめに射殺したというニュースが流れていました。
署内の掲示板にはドイツ赤軍の一員としてパトリシアの指名手配写真が貼られており、クレンペラーはショックを受けます。
クレンペラーは刑事たちにダンスカンパニーで何か不審な点はなかったか尋ねますが、彼らは何もないと言います。
刑事はクレンペラーに魔女を信じるかと質問し、「信じないが、集団が悪事を行おうとしたときに“魔術”を利用するのは確かだ」と答えるクレンペラー。
その頃、マダム・ブランはスージーに高いジャンプを身につけさせようとしていました。
ブランは先輩ダンサーのキャロラインに目の前でジャンプの手本をやらせます。
しかしスージーはなかなか身につけられません。
稽古終わり、ブランはキャロラインと視線を合わせます。
その後、部屋から出ようとしたキャロラインは突然倒れ痙攣を起こしますが、ブランが介抱するとその場で回復しました。
しばらくしてサラが外出しようとすると、クレンペラーがパトリシアのことを聞きたいと彼女を呼び止めます。
喫茶店に行くとラジオではハイジャック犯が要求をのまないと乗客を焼き殺すと脅迫していると報道されていました。
パトリシアの手帳を見たサラは“魔女”という単語に驚きますが、クレンペラーは「魔女って言うのは例えさ。彼女は陰謀論を魔女と結び付けているんだ」と話します。
クレンペラーはダンスカンパニーに不審な点がないかサラに質問をします。
彼はダンスカンパニーは現在世間を騒がせているドイツ赤軍に似ていると語りますが、サラは「私たちはダンス以外の話はしない!」と怒りを露わにします。
帰ろうとする彼女にクレンペラーは、カンパニー内に秘密の部屋があるかもしれないと言いました。
鏡の間でスージーとブランはジャンプのレッスンを続けています。
スージーは何度も飛ぶうちにどんどん成長していきました。
その頃、他の魔女たちは食卓を囲みながら、逃げ出したパトリシアのことを話していました。
パトリシアが逃げた今、早くスージーを入れ物にしなければ、体がどんどん弱っているマルコスは持たないかもしれないとも。
そんな中、ずっと黙って思いつめた顔をしていたグリフィスが立ち上がり、ナイフを取って自分の頸動脈を掻き切り自死しました。
ほかの魔女たちはパニックになり、サラは自分の部屋の壁の向こうからその声や物音を聞き、部屋を出ます。
音をたどって鏡の部屋に来たサラは、秘密の部屋の話を思い出し、部屋中を探ってついに鏡の向こうに隠し扉を見つけました。
開けるとそこにはブランと謎の老婆が並んだ肖像画や、女体がモチーフの奇妙なオブジェがたくさん並んでいました。
サラは湾曲した金のフックを見つけ、それを手に取ります。
鏡の間の方からもグリフィスが突然死んでパニックになっている魔女たちの声が聞こえてきて、サラは隠れました。
翌日、サラから話を聞き、フックを見たクレンペラーは驚いていました。
サラは魔女たちの持っているオブジェの数を見て、彼女らは金持ちだと話します。
クレンペラーはパトリシアの手帳に書いてあった、キリスト教誕生以前から存在する三人の古い魔女の話をします。
「暗闇」の魔女“テネブラルム”、「涙」の魔女“ラクリマルム”、「嘆き」の魔女“サスペリオルム”。
ダンスカンパニーを牛耳るマルコスはその最古の魔女のうち誰かの権威を得ているのかもしれないと言うクレンペラー。
彼はまだ魔女を信じていませんでしたが、ダンスカンパニーを危険視し「人が人に妄想を抱かせて支配することは可能だ。宗教やナチス第三帝国のように」と語りました。
サラはパトリシアはまだあの隠し部屋にいるのかもしれないと語ります。
本番が近づく中、スージーが髪を切ってもらっていると、脳内に危篤状態の母が牧師に語り掛けているイメージが流れてきます。
「末娘スージーを生んだのは私の罪です。私は娘で世界を汚した」、スージーはハッとします。
翌日、舞踏「民族」は本番を迎え、クレンペラーも鑑賞に来ていました。
ラジオではハイジャック犯たちが射殺され、赤軍幹部は獄中で自殺したと報道されています。
ダンサーたちは裸の上に赤い紐を巻いた衣装になり、主役のスージーはさらに目元と口を白く塗られました。
サラは衣装に着替えた後、こっそり楽屋を離れて再び隠し部屋の奥へ向かっていました。
映画『サスペリア』の感想と評価
参考映像:『サスペリア』(1977)
オリジナル『サスペリア』は1977年制作のイタリアのホラー映画です。
「バレエ寄宿学校の背後に恐ろしい魔女集団と“嘆きの魔女・サスペリア”ことヘレナ・マルコスがいた!」というプロットの基に、ダリオ・アルジェント監督の極彩色の美意識、美少女が次々と殺されていく悪趣味さが合わさり、40年以上もカルト的人気を誇ってきました。
イタリアのプログレ・ロックバンド「ゴブリン」の強烈なサウンドも、『サスペリア』の強烈な演出をさらに盛り上げます。
2018年にリメイク版として公開したグァダニーノ監督は、オリジナル作品に影響を受けた世代ですが、ただの模倣にはしませんでした。
画面設計をモノトーンの暗い色調で作り、音楽もトム・ヨークの抑制の効いたスコアを使い、計算された理知的なホラー作品に仕上げました。
またグァダニーノ監督は、オリジナルでは「魔女がいた!」というのがわかるところで終わっていたプロットを掘り下げ、「カルト的魔女集団がいた場合それはどんな組織で何を目的としているのか」という点を追求しました。
そのために彼が目をつけたのは激動の時代だった「1977年のベルリン」という舞台設定です。
時代背景と密接に絡んだ映画
オリジナル『サスペリア』が公開された年でもある1977年、西ドイツでは1977年の9月から10月にかけて「ドイツの秋」というテロ事件が勃発していました。
極左民兵組織であるドイツ赤軍「バーダー・マインホフ」は元ナチス将校の経営者連盟会長を誘拐、また赤軍と手を組んでいたパレスチナ人民解放戦線が獄中の赤軍幹部の解放を求めルフトハンザ航空の旅客機をハイジャックしました。
劇中でも描かれる通り、このテロ事件は赤軍側が敗北し、彼らの勢力はどんどん弱まっていったのです。
アルジェント版を撮影していた当時も撮影クルーが空港での爆破テロに巻き込まれかけたのですが、アルジェントはそれを特段映画に影響させることはありませんでした。
一方、今回のリメイクではセリフでも描写でも明らかにマルコス・ダンスカンパニーをドイツ赤軍と重ね合わせて描いています。
魔女と極左テロ組織。
一見無関係に思えますが、どちらも強大な権力から抑圧され反発してきた歴史があります。
クレンペラー博士のセリフにもある通り、魔女はキリスト教誕生以前には土着の神を信仰し、漢方薬の調合やお祓い、出産の手伝いなどをして人々を助けていた賢人的存在でした。
しかし唯一神しか認めないキリスト教の勢力が増すにつれヨーロッパでは彼女らは異端視され、隠れて活動をするようになっていった歴史があります。
有名な中世魔女狩りはその弾圧が極に達したものです。
ドイツ赤軍もマルクス主義に基づいて反米、反帝国主義、反資本主義を掲げ、当時まだ中枢にいた元ナチスの人間の排除を目指すなど、彼らの考えるより良い世界を求めてそのために犯罪も辞さない活動をしていました。
しかし、この1977年当時、すでに赤軍内部では分裂が起き、幹部は捕まり、それを開放するためにテロを起こすなど当初掲げた理想とは遠い状態になっていました。
マルコス・ダンスカンパニーも魔女の力を高めるために舞踏という儀式を使い、有能な少女たちを取り込んでいましたが、それによってやろうとしていることは単にトップであるマルコスを延命させることだけ。
赤軍のテロも魔女の儀式も手段だったはずのものが目的化してしまっているように見えます。
そんな腐った組織の生贄としてやってきたように見えた主人公スージー。
実は彼女こそが最強の魔女“マザー・サスペリオーム”でダンスカンパニーに鉄槌を下すと言うのが、オリジナルからの最大の改変ポイントです。
プロットをあげると次のような流れになります。
⑴マルコスに次ぐ魔女の実力者、マダム・ブランはアメリカからやってきたスージーの才能にほれ込む。
⑵ブランは自分の力や、その他有能な生徒から奪った力(キャロラインのジャンプ力)を彼女に与える。
⑶マルコスもスージーを気に入り彼女を延命用の”入れ物”に選ぶが、元々マルコスの権威に懐疑的だったブランはそれにひそかに反発。グリフィスも抗議の意味で自死。
⑷スージーは毎夜見る不思議な夢で、だんだんと“マザー・サスペリオーム”である自分の存在を自覚していく。
*敬虔なキリスト教徒である彼女の母が「娘を生んだのは罪だ」と言うのもここにかかっています。
⑸「民族」の本番でスージーの魔女の力が完全に目覚め、ブランともテレパシーが使えるほどになる。
⑹スージーを巻き込みたくなかったブランは”儀式”に彼女を呼ばなかったが、覚醒したスージーは自ら現れ、マザー・サスペリオームとして“死”を司る怪物を呼び出しマルコスたちを粛清。被害にあっていた少女たちも開放する。
終盤、スージーは少女たちに安らかな死を与えクレンペラーのトラウマを消し去るなど、劇中で唯一魔女の力をプラスのことに使います。
魔女が理想を取り戻した瞬間です。
赤軍は「ドイツの秋」以降も細々と活動を続け、ベルリンの壁崩壊以降は自然消滅してしまいましたが、ダンスカンパニーはスージーの力で新たに蘇ることでしょう。
当時の実在の組織と魔女集団を重ね合わせていますが、フィクションゆえにあるべきだったその先まで描いています。
またナチス時代を生き抜いたユダヤ人心理学者クレンペラーはダンスカンパニーを第三帝国とも共通していると見ています。
クレンペラーはリメイク版だけに登場するキャラクターで、実在したユダヤ系学者でナチスに関する研究をライフワークとしたヴィクター・クレンペラーがモデルです。
「集団が悪事を行う時は魔術を利用する」という彼のセリフは、黒魔術や占星術を研究し、ヒトラーを救世主とするキリスト教宗派まで作ろうとしていたナチスのことを指しています。
それは三大魔女の1人サスペリオームの権威を利用して他の魔女や、ダンサーたちを支配していたマルコスやその派閥の魔女たちにも重なり、スージーによってその化けの皮がはがされ彼女たちの時代が終わるのも示唆的です。
また、ブランが作ったオリジナル舞台「民族」や彼女の作品に対する発言を聞いていると、かつてダンスカンパニーがナチスの迫害を受けていたことも伺え、彼女たちも現代版の魔女狩りに会いそうになったことが伝わってきます。
このように今回の『サスペリア』は政治的・歴史的背景が密接に絡んでいます。
またクレンペラーが専門としている「心理学」も本作を読み解くうえで重要な要素になっています。
ユングの書が物語る心理学的要素
冒頭、パトリシアと会話するクレンペラーの机に置いてある書物が一瞬映ります。
分析心理学の創始者ユングの著書「転移の心理学」です。
心理学用語で「転移」とは精神病患者が過去の重要な他者(家族・友人・恋人)へ向けられていた感情を別の他者に向ける現象のことを指しますが、この「転移」がリメイク版『サスペリア』の劇中でも多々起きているのです。
厳格なクリスチャン家庭に育ったスージーは母からの虐待を受けていたことが示唆され、ダンスカンパニーに入ると母の代わりのような存在としてマダム・ブランをどんどん敬愛していきます。
その他のダンサーのパトリシアやサラも身寄りがないことが言及されており、彼女らもブランやその他寮母たち=魔女たちを母代わりに愛していたのだろうと考えられます。
マルコス・ダンスカンパニーは「転移」を利用して何百年も持続されてきたのかもしれません。
魔女がダンサーたちに見せていた夢も「転移」を引き起こす装置として機能しています。
また、パトリシアがダンスカンパニーを抜けた後に、ドイツ赤軍に関わっていますがこれも自分の拠り所となる組織を変え、結局同じような状況に陥ってしまう一種の「転移」と言えます。
愛情などのプラスの感情を向けることは「陽性転移」と呼ばれますが、かつて何かに対して抱いていた敵意や悪意が別のものに向かう場合もありそれは「陰性転移」と呼ばれます。
また、本来治療を行う側の人間が、患者に対して自分にとっての重要な他者に持っていた感情を投影してしまうことを「逆転移」といいます。
クレンペラーがかつて自分を苦しめたナチスと魔女集団を重ねて危険視するのは「陰性転移」、また彼が行方をくらませたパトリシアを案じて捜索に必死になるのはかつて生き別れになった妻アンケを彼女に投影させているからであり、「逆転移」が起きています。
また生贄としてやってきたスージーの才能に惚れ込んでしまい、自分ができなかったことや、かつて憧れたマルコスの存在を重ね合わせてしまうブランも「逆転移」を起こしてしまっていると言えるでしょう。
このようにたくさんの「転移」がおきますが、「転移」を克服するには原因となった他者やその記憶と向き合うしかありません。
スージーは実の母から離れ、ダンサーとしてブランを母と見ており、最後はマルコスの入れ物にされそうになります。
しかしマルコスから実の母を殺せと言われた彼女は脳内で母と向き合い、それを拒否し、自分が”マザー”となって全てを逆転させるのです。
序盤、スージーの実家が映り、壁には「母はあらゆるものになれる存在だが何者も母の代わりにはなれない」と言葉が書かれています。
これは“マザー”としてダンスカンパニーを支配しているマルコスのことを指していると見れば、非常に強権的でナチスのような存在に思えますが、最後にスージーが選ぶ選択を指していると考えれば感動的です。
彼女は”マザー”としてサラたち被害者を死で解放し、ブランとクレンペラーも今まで彼らが囚われていた檻から解き放ちます。
ブランとクレンペラーそしてマルコスをティルダ・スウィントンが全て演じているのも重要な点です。
ファシズムの中心にいる魔女、それに疑問を感じる魔女、かつてナチスのファシズムで人生を狂わされ、ダンスカンパニーで別の形のファシズムを見させられる老人。
3人とも“マザー・サスペリオルム”によって肉体的、精神的に解放されます。
特にクレンペラーは妻を救えなかったトラウマを抱えて生きてきましたが「罪の意識は必要ない」と言われ記憶を消されます。
クレンペラーのようなトラウマを抱えた人間が当時のベルリンにはたくさんいたことを考えると、時代をさかのぼって様々な心理セラピーをしているような映画にも見えてきます。
最初はホラーとして始まりますが、ラストは戦争の記憶を巡る切ない愛の物語に帰結する稀有な映画です。
ダリオ・アルジェント監督の1977年のオリジナル版『サスペリア』を換骨奪胎した、別の作品と言えるでしょう。
まとめ
ここで述べた解釈もあくまで一例であり、無限に読み解いていくことができる作品で、各章立てのタイトルが何を指しているのかも様々な論争を呼びそうです。
特にエピローグの「梨」が何を指しているのか気になりますし、また物語背景だけでなく、画面上の映像美やトム・ヨークの素晴らしい音楽、圧巻のダンスも見どころです。
オルガが鏡の間でたどる顛末やラストの血の饗宴などフレッシュな残酷要素も満載で飽きません。
またアンケ役でオリジナルのヒロインであるジェシカ・ハーパーが出てきてくれるなど旧作ファンへの目配せもちゃんとあります。
またあらすじでは書きませんでしたが、エンドロール後にスージーが画面に向かってあることをするシーンがあります。
彼女は手で何かを触っているのですが、何なのかは画面に映りません。
彼女は何を触って何をしたのか、ここも議論になるでしょう。
私は最強の魔女となったスージーが分断の象徴であるベルリンの壁を消したか、もしくはクレンペラーのように我々観客の記憶を消そうとしている動作かと思いますが、答えは無限でしょう。
ただグァダニーノ監督がこのエンドロール後のシーンが非常に重要だと語っているのは事実です。
150分もあっという間、頭がくらくらしてくるような問題作。
見た後には、人と議論を交わしたくなることは間違いないので、この映画は「決して一人では見ないでください」。