黒人奴隷の脱出物語を描いた反戦スリラー『アンテベラム』
『アンテベラム』は、『ゲット・アウト』(2017)、『アス』(2019)の製作者ショーン・マッキトリックが、製作者として戻ってきたホラー映画。
短編映画作業を主だったジェラルド・ブッシュ、クリストファー・レンツが初めて作る長編映画『アンテベラム』は、南北戦争前のアメリカで奴隷として酷使される黒人奴隷たちの人種差別の話をテーマにしたスリラー反戦映画です。
主演は、映画『ドリーム』(2016)の女優兼歌手ジャネール・モネイ。さらに、「ハンガー・ゲーム」(2012-)シリーズのジェナ・マローンやジャック・ヒューストン、エリック・ラングなどが悪役として出演しています。
人種差別、奴隷制度の恐怖と暴力、映画の後半には激しいバトルが繰り広げられ、新たな真実と反転が浮き彫りになり、興味深く描かれています。
※本記事は『ANTEBELLUM (原題)』海外公開時の鑑賞ネタバレレビューになります。『アンテベラム』をまだご覧になっていない方、ストーリーのラストを知りたくない方はご注意ください。
映画『アンテベラム』の作品情報
【製作】
2020年(アメリカ映画)
【原題】
ANTEBELLUM
【監督】
ジェラルド・ブッシュ、クリストファー・レンツ
【キャスト】
ジャネール・モネイ、トンガイ・キリサ、ジャック・ヒューストン、エリック・ラング、ジェナ・マローン、カーシー・クレモンズ、ガボレイ・シディベ、マルク・リチャードソン、ロバート・アラマヨ、リリー・カウルズ、ロンドン・ボイス
【作品概要】
『アンテベラム』は、過去と現在を行き来しながら、奴隷農場で虐待されていた黒人女性が脱出のためにする死闘と復讐を描いた反戦ミステリースリラー映画。
ジェラルド・ブッシュ、クリストファー・レンツらが監督を務め、『ドリーム』(2016)の女優兼歌手ジャネール・モネイ主演、「ハンガー・ゲーム」(2012-)シリーズのジェナ・マローンやジャック・ヒューストン、エリック・ラングなどが悪役として出演しています。
映画『アンテベラム』のあらすじとネタバレ
米国ルイジアナ州では、大きな綿花の農場があります。そこは南部連合軍駐屯地の農場であり、黒人の奴隷は厳しく扱われています。
ある日、イーライという名の黒人男性とその妻が、逃亡未遂によって13州の南部連合軍第9歩兵隊ジャスパー司令官やその部下たちに、捕らわれました。
イーライは妻だけを逃亡させようとしますが、妻は残酷にも殺されてしまいました。そして、ジャスパー司令官は、彼女を焼却炉で火葬し、殺害の証拠を無くそうとしました。
ある日、気を失ったイーデンが、馬に乗せられて農場にやって来ました。
その日の夜、ブレイク将軍は脱出する途中に捕まったイーデンを審問し、名前を尋ねますが、イーデンが頑なに口を開かないので鞭で暴行を加えます。
彼女が悲鳴を上げても、ブレイク将軍は気にせず、彼女をテーブルの上に伏せさせて背中に火を点けた烙印を押しました。途方もない苦痛に叫び上げるイーデン。
そんな拷問を受けてもイーデンは諦めず、イーライと次の脱出計画を立てます。再び失敗すれば、今度こそは死を免れないというのに……。
物々しい警戒の農場に、また黒人たちを乗せた馬車が農場に到着しました。
新しく来た奴隷のグループを一列に並ばせ、幼い娘と一緒に来たジャスパー司令官の妻エリザベスが、彼らの健康状態を確認します。
そんな中、ある黒人女性を指差して、自分の娘に名前を付けるよう勧めるエリザベス。娘は彼女の名前をジュリアと名付け、名付けられた本人は呆れている様子です。
この農場では許しを得ない限り、言葉を交わすことが出来ません。奴隷同士も、絶対にお互いに話を交わしてはならず、言いたいことがあるなら白人の許可を得てしなければなりません。
そのように厳しい状況の下、イーデンは自分の部屋で、ドアのロックに何かを塗り、おかしな足取りでドアとベッドを行き来していました。
そんなイーデンの部屋に、突然訪ねて来たジュリア。ノースカロライナ州から来たという彼女は、自分が置かれている現在の状況を理解せず、イーデンに今すぐ脱出を計画するように頼みます。
しかし、反対するイーデンに、自分が妊娠中であることを明かしたジュリア。驚いたイーデンですが、ジュリアに「妊娠が明らかになれば、さらに危険になるかもしれない」と忠告します。
今自分がどれだけ危険なのか分かっていないジュリアを叱責したイーデンに、逆ギレするジュリア。そんなジュリアをイーデンは追い返しました。
その日の夜、兵士たちは皆集まって、黒人奴隷たちが準備した食事を食べていました。
ブレイク将軍は、‟黒人を奴隷にすることが、自分たちの権利”だと主張する演説をします。白人が望めば、黒人奴隷はその要求が何であれ受け入れなければならないと強調しました。
その中で、ダニエル上等兵は今晩の相手にジュリアを指しました。ダニエル上等兵は彼女の部屋に寝床を用意するよう指示します。
部屋で待っていたジュリアは、彼の親切につけこもうとして、助けてくれと頼んでしまいます。
すると、ダニエル上等兵の態度が急変し、自分に許可を受けずに声をかけたという理由でジュリアに暴力を振るいました。腹を蹴られたジュリアは、流産してしまいます。
映画『アンテベラム』の感想と評価
個人的には、映像の前半部と後半部のヴェロニカ脱出の時に登場したメインテーマ曲が、一番記憶に残っています。
繰り返しながら変奏される低いチェロの音と共に、映像に合わせて響く壮大なティンパニーは、見る人の心臓をドキドキさせました。
『アンテベラム』とは
『アンテベラム』とは、アメリカ南北戦争直前の時代を意味する用語です。
映画のタイトルに相応しく、南北戦争の時期、黒人奴隷たちを抑圧する南部連合軍駐屯地所有の農場から脱出しようとして捕まった黒人奴隷を処刑したことで、映画は始まります。
白人の命令がない限り会話が許されないほど人間以下の扱いを受けている黒人たちに、さらに、白人たちの性奴隷としての扱いが加えられています。
悲惨な扱いに脱出を試みる者はあとを絶たず、主人公ヴェロニカも、脱出を試みますが失敗してしまいます。
ですが、彼女は腰に烙印を押されながらも、虎視眈々とそこから脱出する機会のみ伺っていました。
このように、黒人たちの暗鬱な現実だけが映し出されていましたが、ヴェロニカがベッドに横になって目を覚ますと、突然、背景が現代に戻って来ます。
何故南北戦争の時期に、現代を背景にした話が出るのでしょうか。
いくつかの疑問点が浮上した瞬間、再び映画は南北戦争の過去に戻り、衝撃的な真実が明らかになるのです。
映画の中の人種差別
米国の警察官が黒人を殺し人種差別デモに広がったという出来事があり、こんな敏感な時期に人種差別を描いた映画でもあります。
人種差別について声を出しデモも出来る黒人と違って、米国社会で人種差別を受けるアジア人の待遇について、あまりにもかけ離れている差異に苦い感情が生じました。
映画で、過去と現在を行き来するような時間構成を通じて、綺麗に仕上げる姿も良かったのですが、映画を全て見た上で、何故敢えて白人たちがこのように黒人を過酷に差別しようとしたのかと、疑問が浮かんで来ました。
単純に黒人は善良で、白人はみな悪いという二分法的思考観を捨て、白人の中で善役も置き、黒人の中でも悪役の役を置いて、もっと映画を立体的に作ればどうだったのでしょうか。
苦々しく残念な一面もありましたが、それでも、『ゲット・アウト』(2017)の演出陣が演出したためか、この映画のアイデアは本当に素晴らしくて、映画を没入感のある作りにしたのは拍手したいところです。
『アンテベラム』に秘められた謎
『アンテベラム』のポスターに出て来る蝶々の模様が、映画の始終、象徴的に登場しました。
黒人女性、そして唇を塞いでいる赤い蝶は、何を意味するのでしょうか。蝶々が血を流していますが、何故流しているのでしょうか。
そして、『アンテベラム』の原題”Antebellum”で、アルファベットのEは、何故反対方向に変えているのでしょうか。
“If it chooses you nothing can save you.”
“それがあなたを選んだら、何もあなたを手に入れることは出来ない”という台詞は、何を意味するのでしょうか。
それらの謎が、最後まで明らかにされていないところが、真のミステリーになっています。映画の斬新なテーマとしても、観客の興味を上手く引き出しています。
また、この映画を見たら、四字熟語が浮かびます。
“胡蝶の夢”
“胡蝶の夢”とは、中国の戦国時代の宋の蒙生まれの思想家の荘子(荘周)による、現実と夢の区別がつかない状況であり、夢の中の自分が現実か現実の方が夢なのかといった説話から来ています。
夢と現実(胡蝶と荘子)の区別が絶対的ではないとされると共に、とらわれのない無為自然の境地が暗示されています。
夢の中で胡蝶(蝶のこと)として、ひらひらと飛んでいた所目が覚めたが、果たして自分は蝶になった夢を見ていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話であり、まさにこの映画の全てを物語っています。
まとめ
『アンテベラム』は、ホラーに分類されていますが、それよりはスリラーに近いと思われます。恐怖とスリラーの器に盛られた社会性の濃いメッセージという構成がとても見事でした。
映画は、実際に南北戦争当時の状況も見せてくれます。
南部連合軍駐屯地の農場で綿花を獲る黒人奴隷の姿と、お互いに疎通出来ないようにして、白人が承諾した時だけ話させるなど、彼らを蹂躙して虐待する白人の対比した姿を通じて、この映画が何を話そうとするのか、テーマ意識を上手く表現していました。
私たちは差別と偏見の時代を生きていると言えますが、差別と偏見について、今のこの時代もどれほど過酷な差別が存在しているかを、如実に見せてくれる映画でした。
“過去は決して死なない”
人種差別主義者が黒人を拉致して奴隷にする彼らだけの世界が、現実的に今も存在するのです。
本作は、このような世界を見せてくれるメッセージを含んだ作品でもあるのです。