岩井俊二監督映画の中でも、岩井イズムが強く感じられる一本
岩井俊二作品の中でもオールカナダロケ、全編英語という異色の“吸血鬼”物語『ヴァンパイア』。
『ラブレター』『リリィ・シュシュのすべて』の岩井監督が構想から脚本、監督そして撮影を担当、自身の思い入れを存分に「ヴァンパイア」というモチーフに吹き込んだ、非常に特徴的な作品であります。
ケビン・セガーズ、アデレイド・クレメンス、クリスティン・クルック、ケイシャ・キャッスル=ヒューズらの海外俳優陣キャストに交じり、日本人として一人、『リリィ・シュシュのすべて』で岩井監督から見出された蒼井優が出演を果たしています。
映画『ヴァンパイア』の作品情報
【日本公開】
2012年(日本・アメリカ・カナダ合作映画)
【原題】
Vampire
【監督・脚本】
岩井俊二
【キャスト】
ケビン・ゼガーズ、ケイシャ・キャッスル=ヒューズ、蒼井優、アデレイド・クレメンス、トレバー・モーガン、アマンダ・プラマー、クリスティン・クルック、レイチェル・リー・クック
【作品概要】
『リリィ・シュシュのすべて』『花とアリス』『Love Letter』の岩井俊二監督が、カナダを舞台に全編英語で撮影したヴァンパイア・ストーリー。岩井監督が自ら執筆した同名小説を原作に、一人の気弱な高校教師という一面をもちながら、裏では自殺者から血液を求める”ヴァンパイア”サイモンの微妙な心の動きを、ある自殺サイトに集まる少女たちとの出会いと別れを通して描きます。
主人公のサイモン役に『トランス・アメリカ』のケビン・セガーズ。共演にアデレイド・クレメンス、クリスティン・クルック、ケイシャ・キャッスル=ヒューズ、アマンダ・プラマーら。留学生ミナ役で蒼井優が出演しています。
映画『ヴァンパイア』のあらすじとネタバレ
とある郊外で待ち合わせた一組の男女。初対面で男性は「プルート」、女性は「ゼリーフィッシュ」という名で名乗りあった二人は自殺サイトで知り合い、この日一緒に自殺するために男の車で郊外へと移動していました。
自殺を決意しながらも「レストランで食事をしよう」と誘うなど、周囲に対して注意力が薄い「ゼリーフィッシュ」に対し、途中立ち寄ったコンビニでは車を降りようともせず、レストランの誘いも突っぱねる、注意深い「プルート」。
そんな中で二人の会話はいつしか自殺の方法に移り、「ゼリーフィッシュ」は楽に死ねる方法を希望していることを打ち明けます。すると「プルート」は血液を抜いていくことで自殺するという手法を提案、彼女はそれを了承し、二人は人気のない倉庫に辿り着きます。
そして「プルート」は「ゼリーフィッシュ」の後を追うことを約束し、彼女を大きな冷凍庫の上に寝かせ、採血の針とビンを用意し彼女の両手足に刺していきます。針から伸びた長い管の先にはビンがあり、その栓を開けると彼女の体から血がどんどんとビンに流れ出していきました。
意識が薄れていく「ゼリーフィッシュ」の表情をカメラに収める「プルート」。そしてタイミングを見計らい持ち出したビンとともにその場を出ていきます。倉庫から出てきた彼は、車のトランクに置いたバッグの中から中に入った赤い液体で真っ赤に染まったビンを取り出し、興奮気味にその液体を飲み干します。
「プルート」と名乗ったこの男性、サイモン・ウィリアムズは高校の生物学教師。アルツハイマーの母親ヘルガ(アマンダ・プラマー)と二人で暮らしており、学校では自殺を考える留学生ミナ(蒼井 優)に「死んではいけない」と説得する誠実な面を見せていましたが、プライベートでは自殺サイトをめぐり血の提供者を物色しては誘い出し、自殺のほう助をしながら本人の血液を得ていました。
しかしある日、母親への虐待を疑われ警察官がサイモンの家に登場、虐待は誤りだったことを認めつつ、自身の妹と付き合うことを勧められます。さらに妹は積極的にサイモン宅へ押しかけ、空気の読めないその態度で母親とサイモンを困惑させます。
また一方で自殺志願者の間では有名な存在であり「ブラッドスティーラー」「ヴァンパイア」という名で知られ恐れられているサイモン。しかしある日、同じような趣向をもつ者同士のオフラインミーティングに参加、酒の力によってすきを見せてしまったサイモンは、自分が「ヴァンパイア」であることを、他の参加者の中の一人に知られてしまいます。
その男性はサイモンを脅迫するように連れ出し、自分たちをタクシー運転手と偽り道端の女性を一人車に連れ込み、人気のない場所に連れていき無残にも殺してしまいます。男性はヴァンパイアとして女性を高尚な手法で獲物としたと意気揚々とした表情を見せていましたが、あまりのおぞましさにサイモンは「単なるレイプだ」と男性を罵り、そして恐れおののいて彼の前から逃げ去ります。
そしてまた別の日、サイモンは標的として選んだ「ラピスラズリ」という女性によって、思いがけず集団自殺に巻き込まれることになるのでした。
映画『ヴァンパイア』の感想と評価
『リリィ・シュシュのすべて』と合わせて岩井イズムを表す
岩井俊二監督は、もともと日本語で作品を作ることに対して「日本製の作品となってしまう」と、一つのステレオタイプな作品と化してしまうという懸念を抱いています。
それを取り払い、ある意味、岩井監督自身の思いに添った映画制作が伺えるのが本作『ヴァンパイア』。
ヴァンパイアというモチーフは、岩井監督が幼年から非常に強い興味をもっており、学生時代には自主制作で吸血鬼をテーマとした映画を製作していたといいます。
岩井監督がモチーフを考える上で、何らかの大きなガイドになったキーワードだと推測できます。
作品は普段はコミュニケーションもままならない、どちらかというとパッとしない性格である主人公サイモンが自殺者の血液を欲するヴァンパイアという存在であるということを前提に物語が描いていきます。
岩井監督はサイモンの血を欲するという行為を、ある意味男性が性欲を満たす行為として置き換えているといいます。
それなりにコミュニケーションもとれ、普通に暮らしている人なら、大層なことをしなくてもある程度の欲求を満たすことはできます。
でも、それができないサイモンという人間だからこそ、これほどまでに大それた行動をとってしまいます。
そのさまは行き場を失って迷い、暴走する少年たちを描いた『リリィ・シュシュのすべて』と、その作品の芯にあるもののつながりを深く感じ取ることができます。
本作『ヴァンパイア』の脚本は。岩井監督の代表作の一つである『リリィ・シュシュのすべて』の脚本と同時期に構想を進められたもので、『リリィ・シュシュのすべて』のほうが先に映画として発表されました。
このことについて岩井監督は、二作品のつながりを認め「『リリィ・シュシュのすべて』は『ヴァンパイア』がなければ生まれなかったかもしれない」と語っています。
見た人からはかなり重い衝撃を得たという感想が多くある『リリィ・シュシュのすべて』とは対照的で『ヴァンパイア』というタイトルとは裏腹に非常に淡くファンタジックなトーンで描かれています。
それは先述の「日本語ではない作品」という部分にも起因するところであり、また岩井監督自身の作品に向けた思いの違いなどさまざまな要因が考えられ、そのような違いがありながらも芯の部分に同じものを持った作品なのです。
これは『リリィ・シュシュのすべて』で物語の大きなポイントとして出演した蒼井優が、本作でもまた一つの大きな意味をもつ存在として登場しているところからもうかがえます。
映像は一眼レフカメラにて撮影されており、手持ちで撮られPOV映像的な画が作品の大きな割合を占めており、また急に画面上で縦長の画角を横に置いてみたりと個性的な画つくりを見せています。
さらに、さまざまな場面でメタファーとして登場する風船の使い方、岩井監督作品では特徴的な音楽の作り方、その映像への組み込み方などは「岩井監督ならでは」と思わせる場面は見どころそのもの。
岩井監督が映画作家としてのモチベーションを知る手掛かりとなる、非常に重要な一作であることは間違いありません。
まとめ
岩井俊二監督がヴァンパイア映画を作るとしたら…映画制作発表を聞いたとき、あるいは映画公開を待つ間に、岩井監督作品のファンであればさまざまに想像をめぐらせたことでしょう。
ヴァンパイア、あるいはドラキュラという名で古くから語り継がれる吸血鬼伝説を、岩井監督はどのように描くのかと。
本作のタイトルに関し岩井監督自身は、この作品に出てくるのはヴァンパイアではないからこそ『ヴァンパイア』と、ある意味コメディー的な意味合いでつけたといいます。
そう考えると、昔から語り継がれる吸血鬼、ヴァンパイアという存在は意外にも普通にいる人がそのままモチーフだったのではというイマジネーションを得られ、もっと身近な存在を感じ、反面ゾッとするような気持ちを得ることにもなるでしょう。
また興味深いのは、物語に深く関与する3人の女性「レディバード」「ミナ」、そしてサイモンの母であります。
物語の後半における3人の登場の流れは、ヴァンパイアという存在が人の死で自身の命を長らえていたことと反対に、人を助けることで自信を追い詰めてしまい捕まる、つまり死を迎えるという展開であります。
この3人の女性とのエピソードが続く場面はあっさりと流して見がちでありますが、非常に関連性の強い登場のさせ方なので注目してください。
その意味ではヴァンパイアなど、一見古くからいわれている怪奇なものの存在を改めて想像させるきっかけにもなる、岩井監督らしい吸血鬼映画なのです。