聖地“トキワ荘”で伝説となった有名漫画家達の青春時代を描く!
映画『トキワ荘の青春』は豊島区に実在したアパート「トキワ荘」を舞台に、漫画の神様手塚治虫を筆頭とする、日本の“漫画”に市民権を与えた多くの漫画家を育み生みだした、悲喜こもごもの青春ストーリーです。
ドラえもんやおそ松くん、仮面ライダーなど今でも多くのファンに愛されている漫画は、ここから誕生したと言っても過言ではありません。「トキワ荘」で暮す漫画家の卵たちの苦悩と葛藤、光と影の日々を、昭和30年代という寛容かつ厳しい時代とともに描いた作品。
「トキワ荘」でリーダー格だった寺田ヒロオを演じたのは本木雅弘。『シコふんじゃった。』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞し、日本映画として初のアカデミー賞外国語映画賞を受賞した『おくりびと』では主演を務めた実力派です。
映画『トキワ荘の青春』の作品情報
【公開】
1996年(日本映画)
【監督/脚本】
市川準
【キャスト】
本木雅弘、鈴木卓爾、阿部サダヲ、さとうこうじ、大森嘉之、古田新太、生瀬勝久、翁華栄、松梨智子、北村想、安部聡子、土屋良太、柳ユーレイ、桃井かおり、原一男、向井潤一、広岡由里子、内田春菊、きたろう、時任三郎
【作品概要】
映画『トキワ荘の青春』を手掛けたのは、市川準監督。タンスにゴン(金鳥)やエバラ焼肉のたれ、ヤクルトタフマンなどの人気CMを手掛け、CMディレクターとしての奇才を発揮してきました。
映画監督デビューは1987年の『BU・SU』です。山本周五郎賞を受賞した吉本ばななのベストセラー小説『つぐみ』(1991)で、第15回報知映画賞監督賞と第45回毎日映画コンクール監督賞を受賞し、2008年に逝去するまで、数多くの作品で監督・脚本を手掛け映画賞を受賞しました。
『トキワ荘の青春』の主演は『おくりびと』(2008)の本木雅弘。共演に阿部サダヲや古田新太、生瀬勝久など豪華キャストが多数出演しています。
映画『トキワ荘の青春』のあらすじとネタバレ
独り暮らしにも慣れ始めたころに、「はたして自分は漫画家としてやっていけるのかどうか」、そんな悩みもうまれてきた寺田ヒロオ。
同時期に斜向かいの部屋にも漫画家が生活していますが、雑誌の編集者が毎日入れ替わり立ち代わりやってくる売れっ子の漫画家です。
寺田は自分の作品を雑誌の出版会社に持ち込む日々ですが、編集者の反応はあまりよくありません。そんな中、寺田の漫画を採用したのが学童社の“漫画少年”です。
“漫画少年”は敗戦後の日本の少年たちを励ますような存在で、漫画家として駆け出しの寺田にとっても、未来の見えない彼に希望の光を与えるような出版社でした。
ある時、お向かいの漫画家が夕飯でも食べに行こうと誘ってきます。彼は漫画少年に“ジャングル大帝”を連載している手塚治虫でした。
寺田は部屋で手塚が訪ねてくるのを待ちますが、手塚はその晩は原稿を書き上げるため“缶詰”になると、編集者に連れていかれてしまいます。
夕飯を食べ損ねた寺田でしたが、しばらくすると中華料理店「松葉」から出前が届きます。手塚からの差し入れでした。
寺田は投稿仲間の棚下照生に、漫画家としての才能について悩みを吐露し、棚下は「才能の引き出しがなくなったら、人の(アイデア)を盗むしかないよ。金のことか?」とクールに答え、「寺田の良いところは“優しさ”だ」と励まします。
寺田は自分の作風が古いということを知りつつ、「子供たちのことを考えた作品」にこだわっていました。手塚治虫のような“才能”があれば・・・という憧れが、悩みでもあったのでしょう。
手塚治虫が缶詰になっている留守中、寺田は2人の若者が手塚の部屋の前で、ノックしようかどうか迷っているところに出くわします。
寺田は2人を自分の部屋に招き、手塚の帰りを待たせてあげます。彼らは藤子不二雄というペンネームで、漫画少年に投稿をしていた藤本弘と安孫子素雄です。寺田は“藤子不二雄”が2人であったことに驚きユニークだと言います。
寺田は2人に食事を振る舞い、3人で川の字になって布団に入ります。彼らは上京して本格的に漫画家活動を計画していて、寺田に東京での生活費のことなど詳細に聞き、寺田は丁寧にアドバイスをします。
夜が更け消灯させたとき廊下から足音がすると、藤本と安孫子は飛び起き戸を少し開けて覗くと「手塚先生だ」と、興奮気味につぶやきました。
手塚治虫はほどなくその部屋を出て、別の作業場へと引越して行き、そのあとに藤子不二雄の2人が入居し、漫画家として活動をはじめます。
その後“トキワ荘”は、漫画少年に投稿をしている、若い漫画家の卵が次々と入居するようになりました。
石森章太郎や赤塚不二夫のほかに、アニメーションの仕事と漫画を描く鈴木伸一と、牛乳販売店で働きながら漫画を描く森安直哉の2人が奇妙な共同生活をするなど、多才な若者が真面目なのに変な、滑稽だけど真剣な漫画道をこのアパートから開始させます。
映画『トキワ荘の青春』の感想と評価
『トキワ荘の青春』は、昭和30年代に流行った音楽や当時の写真などを織り込み、セットや生活者も忠実に再現されていて、当時を知らない人でもどこか懐かしい気持ちにさせる作品です。
「トキワ荘」は、マニアの漫画好きなら“漫画の聖地”として有名で、にわか漫画ファンでも知っている人は多いでしょう。
手塚治虫はそのトキワ荘のシンボル的な存在ですが、すでに人気漫画家になっていて、在住期間は1年にも満たず新しい仕事場に替えていったようです。
手塚治虫は複数の出版社からの仕事を抱え、作中で新しく創刊する雑誌の入稿に間に合わず、穴を空けそうになり、「“あそこ(トキワ荘)”の連中に聞いてみるか」というくだりがあり、その多忙さを物語っていました。
寺田ヒロオは唯一その期間、手塚治虫と同じ屋根の下で創作活動をしていました。先輩としての立ち居振る舞いや、漫画が“売れている”からできることを目の当たりにしてきました。
手塚治虫との数少ないエピソードは、漫画家としての姿勢や面倒見の良さなど、寺田のベースになったと言っても過言はなさそうです。
「寺田ヒロオ」のジレンマ
寺田ヒロオは井上一雄の漫画『バットくん』に刺激されて、上京し漫画家をめざします。自分の作風に影響を与えた『バットくん』と、売れっ子漫画家としての姿を示した手塚治虫の存在が、寺田の漫画家人生を迷走させたように感じました。
誠実で品行方正な寺田は、1人で多くの後輩の善きリーダーであらねばと、必然的にふるまっていったのでしょう。
そんな彼の中の「あるべき論」は、漫画に対するポリシーにも反映し、時流に合わず自分が描きたい世界観が喪失していくと共に、自身の創作意欲も削がれていったのだと推察します。
一方、後輩の藤子不二雄や石森章太郎、赤塚不二夫らが、次々に少年たちの心をつかむ作品を生みだしたのは、手塚治虫の未来を見据えた世界観に影響されていたから、時流に合った少年の興味をうまく汲み、表現して与えることが出来たのでしょう。
聖地となった「トキワ荘」とは
漫画家の聖地「トキワ荘」は、“漫画の神様”手塚治虫が初の住民だったことと、後に2階部分を学童社が専属の漫画家を住まわせるようになったことをきっかけに、漫画家が住むアパートとして有名になりました。
学童社の思惑はある程度の画才があり、多忙になった漫画家のアシスタントも兼務できる、技量の高い新人を住まわせたという説もあり、トキワ荘にはそもそも才能のある漫画家たちが集められたと言われています。
それゆえに「トキワ荘」からは多くの人気漫画家が輩出され、“聖地”と化するのはある意味、当たり前のことだったのです。
まとめ
『トキワ荘の青春』は、漫画家という夢を抱いた若者がトキワ荘を舞台に、奇妙で真面目な共同生活をする物語でした。
史実に基づくフィクションで脚色部分もありますが、アパートでは実際に漫画家たちが切磋琢磨し、影響や刺激を与えたり受けたりしながら、大きく羽ばたいていった場所です。
「トキワ荘」は日本のクールカルチャー“漫画”の源流となった場所です。現代でもサブカルチャーを愛する若者の中には、「趣味が合う人の集合住宅があるといいね」という声も見かけます。
作ることは可能ですが、寺田が作中で「理想像を見せてあげないと、よくわからない子もいる」と、語ったように、同じような理想を持った若者がこの映画を観たら、その夢に一歩踏みだせるのではないでしょうか?
本作は1996年に公開された作品ですが、2021年2月デジタルリマスター版で生まれ変わり、リバイバル上映されるので、ぜひ観ていただきたいと思います。
『トキワ荘の青春 』デジタルリマスター版は、オールドファンには昭和30年代の雰囲気をより鮮明に楽しめ、現代のクリエーターやサブカルチャーファンには、勇気を与える作品となっています。