時代のうねりに翻弄されながらも、
精一杯に生きた「三峡」の善人たち……。
今回ご紹介する映画『長江哀歌』は、2006年のベネチア国際映画祭にコンペティション作品として招待されながらも、タイトルすらも一切明かされず「サプライズ上映」という異例の形で紹介された作品です。
そして本作は同映画祭にて金獅子賞を受賞し、当時36歳だったジャ・ジャンクー監督は“若き名匠”と高い評価を受け、彼の代表作となりました。
物語は長江流域にある三つの峡谷「三峡(瞿塘峡、巫峡、西陵峡)」の畔にある町「奉節」です。奉節はダム建設によって水没することが決まり、建物の解体が進んでいました。
山西省で炭鉱夫をしているサンミンは、子供を連れて出ていった妻のヤオメイを捜しに、彼女が暮らしていた奉節を訪ねますが、そこはすでに水没していました。
そして、もう1人山西省から三峡へ人探しに来るものがいました。2年間、音信不通の夫を探すシェン・ホンです。彼女は夫が働いているという工場を訪ねますが……。
映画『長江哀歌』の作品情報
【公開】
2006年(中国映画)
【原題】
三峡好人(英題:Still Life)
【監督・脚本】
ジャ・ジャンクー
【キャスト】
チャオ・タオ、ハン・サンミン、ワン・ホンウェイ、リー・チュウビン、マー・リーチェン、チョウ・リン、ホアン・ヨン
【作品概要】
映画『長江哀歌』のジャ・ジャンクー監督は、北京電影学院の卒業製作として手がけた映画『一瞬の夢』が、ベルリン国際映画祭(1997)で最優秀新人監督賞を受賞し注目を集めました。
監督は2000年にオフィス北野と提携。映画『プラットホーム』(2000)が第57回ヴェネツィア国際映画祭でNETPAC賞を受賞するなど、市井の人々の人生を描いた作品を多く生みだしています。
主役のシェン・ホン役は、ジャ・ジャンクー監督の公私に渡るパートナーであるチャオ・タオ。またもう一人の主役ハン・サンミン役には、ジャ・ジャンクー監督の作品に多く出演し、本作が主演となった役名と同じ名前の中国人俳優ハン・サンミンが演じました。
映画『長江哀歌』のあらすじとネタバレ
奉節に向かう客船から誰かの歌声が聞こえ、トランプで遊ぶ人、タバコを吸ったり携帯電話をかける人、手相を見たりおしゃべりをする人でごった返しています。
亜熱帯のような暑さで上着を脱ぐ男が、粗末な荷物を抱え下船すると、船着き場には折り返し崇明島に向かう人々が並んでいました。
男は客引きに無理矢理、仮設のような見世物小屋に連れて来られ、マジックショーを見せられ、見物料を要求されますが、ポケットのナイフを見せ難を逃れました。
そして今度はバイクを使った道案内の若者たちです。行きたいところまで5元で連れていくと声をかけます。
土地勘のない男は止む終えず、ある場所の住所が書かれたメモを見せます。若者は男を乗せて連れていきますが、着いたところは河の岸です。
書かれていた住所はダム建設のため、既に水没しなくなっていました。男は知ってて騙したと若者に怒りますが、“ヤオメイ”という女を知らないか聞きます。
若者は知らないと答えますが、水没した区域の住民は他の土地に移住していて、移住管理事務所に行けばわかるかもしれないと、男に3元せびり連れていきます。
管理事務所では市民が補償に格差があると抗議し混乱していました。役人は2千年の歴史ある街が、あと2年で水没する事業のため、多少の問題はあると苦しい言い訳をしました。
男は移住者リストで調べてもらいますが、水没した区域の管轄が変わっている上、システムエラーですぐにはわからないと言われます。
男は住所は知っていたものの、ヤオメイと16年間も連絡が取れておらず、ダム事業で水没した事や管轄の変更を知りませんでした。
とりあえず男はバイクの若者から紹介された宿に腰を落ち着かせ、ヤオメイを捜すことにしました。男は山西省から捜しに来ていました。
男が宿の主人の部屋に行くと、マジックの客引きをしていた若い男がいました。人気俳優チョウ・ユンファの『男たちの挽歌』が好きで、真似をしています。
男は主人に煙草を差し出しますが主人は吸わないと言い、奉節まで来た目的を尋ねます。男は青石街5号の住人を捜していると答えますが、方言が強いのか言葉が通じません。
住所のメモを見せると主人は調べてくれ、そこは“マア”という男の家があった住所です。男には妹がいるはずだと聞きますが、妹のことはわからないと言われます。
しかし、兄は6号ふ頭で船上暮らしをしていると知り、街を下りビル解体が進む地域を抜け、6号ふ頭へ向かいました。
男がマアの船に着くと食事を作っている人物に声をかけます。男が「山西省から来た」というと、マアは驚きながら凝視します。ヤオメイの居場所を聞きます。
マアは他の兄弟らと食事をしながら、男にヤオメイは宜昌(イーチャン)で船に乗って仕事をしていると教えます。
男はさらに娘の居所を聞きますが、マアはわからないと答え、ヤオメイに会って聞くよう言います。
義兄弟の二人でしたが、対面するのははじめてでした。マアは男を“真面目そう”だと言い、“過去の面倒な話”は御免だと突き放しました。
男は話を続け、「子供の顔が見たい」と言いますが、マアは「お前の子供ではない」と答え、警察がそう判断したと告げます。
しかし、警察はそんなことは言っていなかったと男が訴えると、頭にケガをして包帯をしている少年が、男に暴言を吐いて蹴りを入れます。男はただ子供に会いたくて来たといい、マアは2ヶ月も待っていれば戻ってくるというだけでした。
男はマアを“義兄さん”と呼び山西省の酒をさしだします。しかし、彼は義兄ではないし、酒も飲まないと受け取りませんでした。
映画『長江哀歌』の感想と評価
歴史に流されながらも、たくましく生きる民衆
映画『長江哀歌』は、「煙草」「酒」「茶」「飴」という嗜好品で章立てられていました。それらは中国という地で生きる人々にとって、人と人のコミュニケーションに欠かせない大切な品のようです。
中国には“煙酒不分家”といって、煙草と酒はみんなの物で、一人で楽しまず振る舞うものとしての役割もあります。またお茶は目上の人に対する敬いの心から淹れるもので、信頼関係を築くという意味があります。
そして作中には、「ウサギ印の飴」という飴が登場します。この飴は日本で人気のソフトキャンディーと似たもので、中国では比較的老舗で上海にある食品会社の商品。中国では結婚祝いなどがあると飴を配る習慣があり、そこには「甘い生活が続くように」という願いが込められています。
ヤオメイがサンミンに飴をあげたその理由には、今度は甘い生活を送りたいという気持ちがあったように感じられます。
また奉節には、三国志に登場する“夷陵の戦い”に敗れた劉備が逃げ込んだ“白帝城”があり、歴史的に貴重な遺跡が多くありますが、ダム建設によって失われたものもあったようです。
中国には代々家業を受け継ぐ習慣が少なく、1918年創業の食品会社の「ウサギ印の飴」は歴史の長い企業といえます。これからも長く受け継いでほしい、そんな願いも伝わりました。
中国数千年の歴史はその年数だけ、破壊と変化が繰り返されて、現在のような発展した姿を見せています。
三峡ダム建設の構想が発表されたのは1919年と、前述のウサギ印の飴の創業時期と同じ頃。長江は氾濫も多かったものの、物流としての河の意義を担っていました。
ダムは水害を防止する役割に加え、広大な中国に供給する電力の柱ともなりました。しかし、巨大なダムを作るにはいくつもの街が切り開かれます。本作で描かれたように、強制的に退去させられた住民は120万人以上。十分な補償も受けられず社会問題にもなりました。
それでも奉節の人々はめげずにたくましく、時には腹黒く生きていこうとしました。
“謎のカット”が示した中国の現状とは?
本作はシリアスなストーリーとして、淡々と進んでゆくだけではありませんでした。いくつか違和感を感じる描写があることに気がつきます。
一つ目はハン・サンミンの話から、シェン・ホンの話に切り替わろうとした、三峡を眺める場面で描かれた、山頂をUFOが光を放ちながら飛び去る姿です。
二つ目はワン・トンミンの家の窓から見えた建造物が、ロケットのように発射された場面。三つ目はサンミンとヤオメイが見た、廃虚ビルの爆破倒壊の場面。
そして最後は、ビルとビルの間を綱渡りしている人の場面です。
この中の二つ目と三つ目の描写については、ジャ・ジャンクー監督が明快に理由を語っていています。
ビルの崩壊に驚いた二人の場面は、監督が中国東部の都市で、友人と食事をしていた時に、目の前で巨大な建物が崩れ落ち、驚いた経験から生まれました。また予算が足りず建設が中断になったままのビルが爆破されたという事情があったようです。
ロケットのように飛んだ建造物は、住民の移住を記念して市が建てたモニュメントです。しかし、建設途中で予算がつき未完成のままとなりました。
監督は三峡の美しい風景とあまりにそぐわないので、「飛んでいってほしい」と思ってあの場面を作ったと語ります。
「予算切れで建設がとん挫する」というのは一種の中国あるあるとも受け取れますが、記念のモニュメントに関しては、移住者の補償もできないのにそこにお金をかける矛盾さがあり、目障りな負の遺産であることはまちがいありません。
UFOが飛んでいた場面は二人の行く末を見守るという意味なのか、中国ならではの“監視”という意味があるのか、今鑑賞するとどこに居ても監視している、そんな風にとれてしまいます。
綱渡りの場面は三峡ダムの大プロジェクトが、吉と出るか凶と出るかが「綱渡り」の状態だったことが伺えます。ダムがもたらすものは利点と問題点が多く混在しているからです。
まとめ
映画『長江哀歌』は“万里の長城以来の中国一大国家事業”といわれた、長江の三峡ダム建設に伴って生まれた、ダムの底に沈む街の人々に焦点をあて、人生に翻弄された姿を描いていました。
貧しいといわれていた町「奉節」が最も大きく変化したのは、1993年から2006年にかけてだったと言われます。ジャ・ジャンクー監督は三峡ダム建設で失われたものを目の当たりにし、「自然美があり、他方にはある種の破壊の美がある」と感想を述べていました。
つまり中国の長い歴史の中で、今に始まったことではなく、何かが終わればまた、新しい時代の始まりであると達観していました。
そして、シリアスな人間模様を描きつつも、“シュルレアリスム的”な場面を入れることで、楽観的になることで人は、どんな状況からでも生き抜けると訴えていました。