弟子入りを熱望した女性彫刻家カミーユ・クローデルと師匠オーギュスト・ロダンの関係を解く
2017年11月に没後100年を迎える“近代彫刻の祖”オーギュスト・ロダン。映画『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』は11月11日(土)より全国ロードショー!
ロダンといえば、東京・上野にある国立西洋美術館が所蔵する《地獄の門》や、その一部でもある《考える人》の作品をご存知の人も多いでしょう。
また、ロダンに弟子入りを切望した女性カミーユ・クローデルと恋愛は、あまりに有名なエピソード…。
“近代彫刻の父”と称される19世紀フランスの彫刻家オーギュスト・ロダンの没後100年を記念して製作された伝記映画『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』のあらすじと感想、また美術的な評価考察を交えてご紹介いたします。
CONTENTS
1.映画『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』の作品情報
【公開】
2017年(フランス映画)
【原題】
Rodin
【脚本・監督】
ジャック・ドワイヨン
【キャスト】
バンサン・ランドン、イジア・イジュラン、セブリーヌ・カネル
【作品概要】
2017年11月に没後100年を迎えた“近代彫刻の祖”オーギュスト・ロダンの半生の物語を、パリにあるロダン美術館全面協力のもと、『ポネット』などで知られる名匠ジャック・ドワイヨン監督が、ロダンの愛と苦悩に満ちた生き様を描いた、第70回カンヌ国際映画祭 コンペティション部門正式出品。
2.映画『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』のあらすじ
「地獄の門」を前にした師ロダンと弟子カミーユ
長い下積み時代を経たオーギュスト・ロダンは、1988年にはじめて国から大きな仕事を発注され、意気揚々と制作に臨んでいます。
国から支給された大きな大理石保管庫をアトリエにして、ダンテの『神曲』をモチーフに構想を練り上げていたのは「地獄の門」。
完成した暁には、パリに建設予定の国立装飾美術館の庭に設置される壮大なモニュメントになる作品です。
約1年かけてデッサンを起こし、粘土で造形を探ってはいたが、なかなか思うように構想はまとまってはいませんでした。
その一方で、制作に悩めるこの時期にロダンは、弟子にするには美しすぎ、さらには才能も優秀なカミーユ・クローデルとの関係に耽っていきます。
「仕事に謙虚さは不要。思ったことはすべて言ってくれ」と師匠ロダンに要求されたカミーユは、「『地獄の門』は非人道的です。人物たちは欲望に満ちている…」と告げます。
率直に応える弟子カミーユに、ロダンはより惹かれていきます…。
ロダン、天才ゆえの創作の苦悩の“バルザック像”
『地獄の門』に施される人物たちの装飾は膨大な数にのぼり、いつまで経っても完成は予測されず、作業は停滞気味ではあったものの、ロダンのアトリエには他の仕事が仕切りなしに舞い込む活気付いていました。
モデルの協力は得られずに苦しんだビクトル・ユゴーの記念像に続き、ロダンが創作を開始したのは「カレーの市民」。
1988年、ロダンのアトリエには、完成した「カレーの市民」の石膏像が置かれいました。
そこでカレー市から送られてきた手紙を開き、弟子カミーユは読みあげると、「ロダン様、『カレーの市民」には失望しました。英雄たちがまるで犯罪者のようです…」。
14世紀、百年戦争の際にカレーを救った英雄6人を、疲れ切った足取りで敵地に赴く様子を、ロダンはリアルな表現に徹した群像は、発注する側の意図のみで捉えると評判は芳しいものではなかったのです。
1891年、フランス文芸家協会会長であるエミール・ゾラの口利きで、ロダンは文豪バルザックの記念像を制作するという栄誉の機会を得ます。
バルザック記念像に着手したロダンは、最初に協会に提示した石膏像は、妊婦のような太鼓腹を突き出し、性器を丸出しで闊歩する裸体像でした。
ロダンはバルザックの腹の内部には彼の執筆した2,500人以上の登場人物がいるといい、とうてい協会側が受け入れを容認するような姿ではありませんでした。
ロダンはその後も“バルザック像”をどのように創作と表現をするのかに苦しみます…。
ロダンとカミーユの愛は、永遠に…
「地獄の門」の制作が永遠に終わらないように、ロダンとカミーユの蜜月も永遠に続いていくかに見えました。
しかし、ロダンには内縁の妻ローズという存在と子どもがいました。
下積み時代のロダンが出会った頃のローズは、文字を読めないお針子でしたが、豊満なブロンズ像のような彼女をロダンは「神からの贈り物」と称していました。
また、ロダンは若い愛人たちとはローズを別格に慈しみ、決して関係を絶とうとはしませんでした。
その一方で、本妻ではなく、愛人や弟子というカミーユは不安定に心を揺らせ、時折アトリエから姿を消してしまうと、ロダンを悩ませます。
そんな中、ロダンとカミーユは、ままごとのような契約書にサインを書き、イタリア旅行に一緒に連れて行き、帰国したら結婚する約束をします。
でも内心では実行されると思ってはいないカミーユ。やがて、彼女はイギリスに旅立ち、数ヶ月間も行方知れずとなります。
ロダンとの愛の成就が不可能だと感じはじめたカミーユは、芸術家としての成功を追い求めるようになっていくのです。
しかし、ロダンを唸らせ、ある意味では彼以上のほとばしる才能を持ったカミーユでしたが、時代が時代だけに世間の女性に対する扱いの風は冷たいものでした。
やがて、カミーユはローズへの嫉妬や、ロダンの子どもを中絶させられた悲しみ、そしてロダンの成功への嫉妬、女性であるということだけで認めてくれない社会への怒りを一気に爆発させ、ロダンを詰ります。
ロダンもカミーユに言い放ちます、「芸術家としての君は脅威だ。私など必要ない」。ロダンの一言はカミーユにとって決定的なものでした…。
3.映画『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』の感想と評価
今作『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』は、2017年11月に没後100年を迎えた“近代彫刻の祖”オーギュスト・ロダンの半生の物語。
ロダンが創作に勤しんだ「地獄の門」や「バルザック記念像」などの作品制作、才能溢れる弟子カミーユ・クローデルと愛し合った一時期に焦点を当て描いた作品です。
しかも、パリにあるロダン美術館全面協力のもとですから、ロダンという人物に迫った忠実性や作品考証については折り紙つきと言えるでしょう。
また、脚本と演出を務めたのは、『ピストルと少年』や『ポネット』などで知られる名匠ジャック・ドワイヨン監督。
ロダンの創作した作品の斬新な解釈や、カミーユとの愛と苦悩に満ちた姿の描写には、思わずスクリーンに乗り出して見入ってしまうほど魅力的なものです。
ジャック・ドワイヨン監督は、今作が先のフランス映画祭2017で上映された際に、次のようなコメントを日本のファンに送ってくれました。
「ブルジョワ階級出身でなければ、美術界でキャリアを築くことがほぼ不可能だった時代に、労働階級出身のロダンが当代一の有名な彫刻家になることに成功します。しかも、批評家や大衆の嘲りを受けながらも、成功を収めるのです。ロダンの頭脳は、文盲の労働者の頭脳だ』と言う人々もいました。現在ではロダンは、近代彫刻家の巨匠と認められています。とはいえ、それはロダンが全ての人々から理解されているという意味ではありません。ごく最近、パリの地下鉄でグラン・パレで開催中のロダン展のポスターが破られる事件がありました。そのポスターに足を開いた女性の裸体が載っていたことに怒った男性が犯人でした。ロダンの官能性とエロティシズムは今も反発を招き続けているのです」
ジャック監督も魅入ったであろう“ロダンの官能性とエロティシズム”を、映画の中では触覚的な表現として描かれています。
ロダンの視線に見つめられモデルを模写する紙と鉛筆の手元と音や、彫塑する粘土や石膏という“粘性”に触れる手元の様子が触覚的であり、どこか愛撫しているように見えてくるのは秀でた箇所と言えます。
また、男女が求め合う根源的な触覚の接吻(キス)は、どれも官能的で美しい激しい表情を見せてくれる点も要注目です。
彫刻家であるロダンは、その目で見た者を(愛した者)を獲物を噛み砕くように捕らる野獣のようでもありますが、“永遠に不動の時間に美を留め置く”芸術家として天才なのだと感じさせてくれます。
それもすべてジャック・ドワイヨン監督の熟練した演出と、創作活動に勤しむロダンと人間的探求という欲望を欲するロダンへの敬意と愛情の視点に他ならないのでしょう。
正直な話をすれば、筆者はもともと弟子カミーユの作品が好みであり、映画鑑賞した際にはロダンの行動には苦虫を潰す思いもありました。
しかし、今作『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』を拝見したことでロダンの魅力を再認識させられました。
あなたもジャック監督の演出力に魅了されてくださいね。
4.映画『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』の美術的考察
美術史的ロダンの脱却と“インスタグラム?”
今作の中で何よりも重要なのは、ロダンが思案から完成までに7年の歳月をかけた「バルザック記念像」の制作に関する一連の場面です。
1891年にフランス文芸家協会会長であるエミール・ゾラの口利きで、ロダンは文豪バルザックの記念像を制作するですが、依頼者からロダンの石膏で作られた製作中のバルザック像にダメ出しされてしまいます。
また、その制作の経過の中でロダンは、弟子であり愛するカミーユを喪失したことは、彼にとってはあまりに大きな欠落となってしまいます。
ロダンの才能を脅かすほど生き生きとした彫刻を創作をするカミーユは、弟子や愛人という器に押し込むだけの存在ではなかったです。
劇中にも登場しますが、ロダンは「別れ」という作品を制作します。
彼は芸術家として痛みと傷も表現の糧にするとともに、その時間(愛)を永遠に止め置くことこそが芸術家なのでしょう。
少し詩的な言い回し比喩になりますが、“時間を止め置く”とは永遠であり、ロダンの手によって粘土を用いて造形して止め置かない者や現象は、大地の落ちて土に朽ちていく屍となるのです。
劇中のロダンのモデルたちの誰もが彼に心酔仕し切っている様子は、男性としてのロダンの魅力のみに惹かれたのではないのでしょう。
それはロダンの手によって彫塑像となることで、女性自身の美貌を永遠に止め置くことで、本人は朽ちても時を超えられる美の分身の制作を願ったようにも感じられました。
さて、そんなロダンも天才と呼ばれながら表現することに苦心していく姿が今作では見られます。
その様子に思い出した日本映画で、1989年に公開された勅使河原宏監督の作品『利休』。
『利休』(1989)
草月流のいけばなの2代目家元でもある勅使河原宏監督が、美術家の赤瀬川原平に脚本依頼を抜擢した意欲作で、内容も美術家だからこそ書ける美術史的な見どころや、美的表現による観点が散りばめられた作品です。
また、ロダンと重なって利休が見えたのは、弟子である古田織部の才能を利休が認めつつも、さらなる自身の美の飛躍を追求したところです。
では、今作『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』のロダンは、どのように「バルザック記念像」を完成させたのでしょう?
これは見どころなのであえて書きません…。
でも、美術家である赤瀬川原平をここで登場させ紹介したことには意味がありますよ。
赤瀬川作品には2つの要素で作られた美術品でその名が美術史に刻まれ知られています。
1つは「梱包芸術」と名付けられた中身を敢えて見せないことで想像させる作品。
もう1つは「トマソン芸術」と名付けられた“路上観察学”という、町中に人が意図せず作られた、偶然にそこに発見した美的な作品という2つのシリーズ作品です。
これは大きなヒントかも?
さて、“近代彫刻の祖”オーギュスト・ロダンが亡くなったのは1917年11月17日です。
フランスでは奇しくも、ダダイストが闊歩しはじめようとしたのは、1910年代半ば頃ですから芸術界の時代の移ろい節目は重なっています。
その新しい芸術思想や芸術運動は、ダダイズムと呼ばれ、第一次世界大戦に対する抵抗やその虚無が既成の秩序や常識を否定や破壊する思想を特徴した芸術家をダダイストとしたのです。
その後のパリでは、美術史的大きな財産であるシュールレアリスムも、映画表現(写真も)を機に芸術界を一斉風靡していきます。
今作『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』の終盤で、芸術家ロダンが“バルザック記念像の真の意味での最終形完成”を執り行う“儀式”の様子は、そのものズバリ、美術の新しい時代のメタファーです。
あの“儀式”の場面を、ポスト・ヌーヴェルバーグと呼ばれたジャック・ドワイヨン監督が温故知新の表現として、“映像に止め置いた”のは圧巻でした。
下積み時代の長い彫刻家であるロダンが、彫塑で内面から生命力を見せるのではなく、どう見せるのかという進化を遂げた場面は、美術と映画にとってあまりに美しすぎるシーンと言えるでしょう。
ジャック・ドワイヨン監督は次のように、バルザック記念像について語っています。
「バルザック像は外気、呼吸をすること、大地が必要だったのです。箱根の森彫刻美術館は野外美術館なので、バルザックは自由です。ムーアやモディリアーニなど、次の世代の彫刻作品の中心でこの像を見ることができます。これはとても興味深い。ロダンは人々の進化を助けたのです。情感的な人間だったことは彼の彫刻を見たり、彼の人生を学ぶと分かります。私の映画はその部分も語っています」
ネタバレになるので詳細に書けなくてごめんなさい!気になったあなたは、ぜひ、ここに要注目です!
まとめ
日本では東京・上野の国立西洋美術館には約50点、静岡県立美術館には32点のロダンの彫刻が所蔵。
また、箱根の彫刻の森美術館では、物語の重要なポイントとして登場するバルザック像の作品も見ることができます。
名匠ジャック・ドワイヨン監督は映画『ロダン』のみの鑑賞に終わらぬよう、このようなコメントを寄せています。
「映画をご覧になった皆さんが、ロダンの作品をさらに愛してくださることを願っています」。
ここまでジャック監督に言われては、できれば箱根に出かけてインスタグラムで映画の“あの場面”を真似して時間を止め置いてみませんか?
映画『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』2017年11月11日より、新宿ピカデリー、Bunkamuraル・シネマなどで公開されました。美術ファンには見逃せないオススメの1本です!ぜひ、お見逃しなく!