2018年4月15日に東京・吉祥寺に新たな映画館を開館する「ココロヲ・動かす・映画館○」。
ディズニーランドのような“映画版アミューズメント”を目指したミニシアター&シネマカフェのオープンにあたり、クラウドファンディングを利用して、サポーター498人からの支援を集めことでも話題を集めました。
支援の総額は6,501,600円、新名所になるだろう劇場は今から注目の的のようです。
今回ご紹介する『ニーゼと光のアトリエ』は、そのココマルシアター(ココロヲ・動かす・映画館○)の配給作品となります。
映画『ニーゼと光のアトリエ』の作品情報
【公開】
2016年(ブラジル映画)
【監督】
ホベルト・ベリネール
【キャスト】
グロリア・ピレス、シモーネ・マゼール、ジュリオ・アドリアォン、クラウジオ・ジャボランジー、ファブリシオ・ボリベイラ、ホネイ・ビレラルシオ、アウグスト・マデイラ、フェリッペ・ホッシャ
【作品概要】
精神病院に入所する患者に対して、医師たちがショック療法などが当たり前に行なっていた時代。人権を軽視された彼らの環境改善に挑んだ女性精神科医ニーゼの苦闘を描いた作品。
監督はドキュメンタリー出身のホベルト・ベリネール。2015年には第28回東京国際映画祭コンペティション部門に出品され、東京グランプリ受賞。また、同映画祭ではブラジルの名女優グロリア・ピレスが最優秀女優賞を受賞。
映画『ニーゼと光のアトリエ』のあらすじとネタバレ
1944年、リオデジャネイロ郊外にある精神病院に、女性精神科医ニーゼ・ダ・シルヴェイラは着任することになりました。
しかし、院内で患者が過ごす部屋は荒れ放題になっていて、清掃は行われず不衛生。また、動物のように患者を檻に収監させていました。
ニーゼは自身が元勤務していた病院の悲惨な状況に驚かされ心を痛めます。
その中でも最も患者に対して酷い待遇は、治療とは名ばかりの最先端のロボトミー手術や電気ショック療法。
患者の人権を無視した身体的なダメージを与える人体実験のような治癒を施していたのです。
ニーゼはこれらの手法に異を唱えますが、女性の意見に男性医師は言葉に耳を傾けません。
病院の考え方に拒否をするなら、病院を去るか、キャリアを捨てた作業療法の部署を担当するかの選択を迫られます。
迷うことなくニーゼは作業療法を選び、非協力的な男性看護師リマに職務を拒絶されはしましたが、唯一手伝いを拒まなかった女性看護師のイヴォンヌと一緒に廃墟寸前だった療法室の清掃をと行っていきます。
そんなニーゼを理解してくれたのは、彼女を心から愛する夫のマリオと小さな飼い猫たちだけでした。
ニーゼは清掃を終えた部屋に患者たちを招き入れます。彼女がまず行ったことは彼らの様子を観察することから始めました。
これまでのような暴力で患者を威圧させた病院の方針に逆らい、ニーゼは患者を好きなように伸び伸びさせる中にで作業療法の糸口を見つけようとしたです…。
映画『ニーゼと光のアトリエ』の感想と評価
この作品に描かれていた、ブラジルの女性医師ニーゼ・ダ・シルヴェイラ(1905〜1999)は実在した人物。
ニーゼが1944年に国立精神医療センターへ赴任した日から始まり、その後の数年間を作業療法を受けた患者たちが、芸術家として展覧会を開催する日までを映画化しています。
当時は精神疾患に関する研究は、現在の認識とは大きくズレた非人道的な行為も数多く行われていました。
最先端の医療技術とされていたロボトミー手術や電気ショック療法は、患者の知能を低下させたり、活力を失わせる手術で抑圧できさえすれば治療効果があったと診断されていたです。
ニーゼの作業療法に反発をする同僚医師たちは、これらの治療法の専門家であり、自分たちは最新の学術知識と医療技術に誇りを持ちながら尊大な態度を振るっていました。
しかし、映画では非人道的な医療があった事実を告発するのみを描いたのではなく、普遍的な問題に焦点を当てたテーマをを見つけることができます。
今回は2つの深掘りポイントに注目をしていきましょう。
1つ目のポイントは、現代にもつながる「弱者に対する差別問題」について。
2つ目のポイントは、何かを「選択する」ことについてです。
1:弱者に対する差別問題について
女性医師のニーゼは学術的な教養を学んだ後、男性社会のなかで孤軍奮闘する様子は、精神疾患の患者たちのみならず、女性自身もまた、社会立場の弱者であった時代の事実を描いています。
今作では精神疾患の患者に対する差別問題のみに言及したのではなく、女性の社会進出への差別問題についてテーマにしていることがあわかります。
物語冒頭で赴任したニーゼが、重く閉ざされた鉄の扉を幾度となくノックする姿は、男尊女卑の社会へ挑戦した幕開けとも読み取ることができます。
また、同僚の男性医師たちは、ニーゼの絵を描かせる作業療法を子どもじみた遊びだと取り合うこともしません。
しかし、ニーゼが少しずつ結果に成果を出しつつあっても認めることはせず、自分たちの最新医療の手法に固執するのです。
男性たちが実権を握った社会から女性を排除するもので、ニーゼを遠巻きに眺めて手を貸さないことで、彼女が失敗する時を待ち続けていたのでしょう。
それがエスカレートすると次にニーゼを失脚させようとした行為は、彼女が大切に扱っていたクライアントとした患者への仕打ちではなく、さらに弱い立場ともいえる、患者の飼い犬の命を奪ってしまいます。
男性医師たちの嫉妬が倫理観にも関わる生命の尊厳を冒涜した卑劣さでしかありません。
陰湿で閉鎖的な男性組織屈しなかったニーゼが、病院の内から外に協力者を広げてい行動力は、女性ならではの、しなやかさと強さがあった言えるのではないでしょうか。
それは物語の中で患者の気持ちを解放していく場面で、「光、風、雨」といったものが、ニーゼの精神にあった包容力のメタファーを暗示させた優しさそのものにも見えていたようにさえ感じます。
2:何かを選択することについて
ニーゼは精神疾患の患者に寄り添いながら、その家族や保護者に対して、医師が一方的に押し付けた電気ショック療法について、または作業療法で得た経過を説明する姿が幾度も描かれていました。
患者には分け隔てなく受けられる医療方法を選択する自由があることは、精神疾患の患者だといえども人権的な配慮の必要と権利を守ろうとするのです。
また、それだけではなく、患者たちが作業療法の絵を描くこと通じて、絵の具を選び、道具を選び、描きたいものを決めていく、選択の自由を与えるています。
しかも、ニーゼを支える周囲の医師やスタッフたちが、患者を子ども扱いして指示や指導という安易な方法を取ってしまうとそれを諌めます。
ゆっくりと患者のペースで決めさせる時間を待ち続けるという徹底ぶりです。
それまでの患者たちは医師からの直接的な暴力に始まり、スタッフの賭け事を目的にした患者同士の喧嘩、または独房の檻に閉じ込める。
さらには医師が試したい人体実験のような治療方法など、選択する権利はどこにもありません。人間ではなく物のように扱われていたことから解放することは選択させることなのではないでしょうか。
ニーゼが患者にはじめて与えた選択は洋服選びでした。そのことを通して彼らは自己存在があることを許された瞬間でもありました。
その後は手鏡を持ち自分におめかしをして口紅を塗る、自らの手を描くなど自分を確かめながら、他人へも興味を持ち始めていきます。
患者同士の恋愛関係、スタッフへの片思いと選択する自由のなかで、失恋の経験を通して失敗できるという選択も患者は得ていきます。
ここで行われた作業療法は、患者のみならずスタッフたちも学び合える教育の場であったのではないでしょうか。
結果のみに目がいくことが多くなりがちですが、選択できるチャンスこそ、人間としての喜びなのです。
まとめ
映画のエンディングには、実際のニーゼ本人をインタビューした貴重な映像が流用されています。
どんな時代も1万通りの生き方や戦い方があると、ニーゼ・ダ・シルヴェイラが人生の幕締めに語ったことは、どのような状況でも希望の光を持つという彼女の強い信念に基づくものなのでしょう。
企画されてから13年の歳月をかけて、ホベルト・ベリネール監督が完成させた作品は、普遍的な弱者差別のテーマを扱ったお薦めの良作です。
ぜひ、ご覧いただきたい1本です!