朴と共に死ねるなら、私は満足しようー。
本国の韓国で235万人の観客動員を記録!
大正時代の日本に実在したアナキスト・朴烈と日本人女性、金子文子が、愛と誇りのため、巨大国家と闘う姿を、激しくも痛快に描いた韓国映画『金子文子と朴烈(パクヨル)』をご紹介します。
映画『金子文子と朴烈(パクヨル)』の作品情報
【公開】
2019年公開(韓国映画)
【原題】
박열(Anarchist from the Colony)
【監督】
イ・ジュンイク
【キャスト】
イ・ジェフン、チェ・ヒソ、キム・インウ、キム・ジュンハン、山野内扶、金守珍、趙博、柴田善之、小澤俊夫、佐藤正行、金淳次、松田洋治、ハン・ゴンテ、ユン・スル
【作品概要】
『王の男』、『ソウォン 願い』のイ・ジュニク監督が大正時代の日本に実在した無政府主義者・朴烈と日本人女性・金子文子の愛と闘いを描いた歴史ドラマ。
テレビドラマ『シグナル』で幅広く知られるイ・ジェフンとイ・ジュニク監督の前作『空と風と星の詩人 尹東柱(ユン・ドンジュ)の生涯』で名を馳せたチェ・ヒソが主演を務めている。
脚本を『私は王である!』『リトルフォレスト 春夏秋冬』のファン・ソングが担当している。
映画『金子文子と朴烈(パクヨル)』のあらすじとネタバレ
1923年東京。
有楽町の「社会主義おでん屋」と呼ばれる店で働く金子文子は、「犬ころ」という詩に心奪われていました。
詩の作者は朝鮮人アナキストの朴烈(パクヨル)という男で、朴烈と出逢った文子はすぐに朴烈の持つ強靭な意思に惹かれました。
文子は尋ねました。「あなたには伴侶がいますか? 決まった相手がいるなら同志になるだけでいい」。
朴烈が「伴侶はいない」と答えると、「同居しましょう。私もアナキストです」と言って文子は微笑みました。
朴烈が率いる結社は、これまで親日派の朝鮮人に抗議をしてきましたが、朴烈と文子の提案で日本人と在日朝鮮人による「不逞社」が新たに結成されました。
そんな矢先の9月1日、関東大震災が起こり、南関東を中心に大きな被害をもたらしました。
朴烈も文子も仲間たちも幸い無事でしたが、これをきっかけに二人の運命は大きなうねりに巻き込まれていきます。
朝鮮人が井戸に毒を入れて回っているという悪質なデマが飛び交い、自警団が、朝鮮人を虐殺するという事態が各地で起こっていました。
政府は戒厳令を発令しますが、流言が事実であるとの印象を与え、自警団はさらに過激化します。
水野内務大臣などは、それを取り締まろうとするどころか、国民の不満が自分たちに向くのを防ぐために利用していました。
身の危険を感じた朴烈たちは、自ら望んで警察に出向き収監されます。文子も「不逞社」の一員だからと自ら出頭します。
虐殺された朝鮮人が6000人を超えたと聞き、水野はその数字が少し大き過ぎ、諸外国からの批判を受けることになるかもしれないと考えました。
部下に「ここに拘束されている朝鮮人を一人だけ選べ。朝鮮人には英雄、我々にはどうでもいいやつをな」と命じました。
「不逞社」の日本人女性が尋問され、仲間のジュンハンが捕まりました。拷問を受けた彼は朴烈の名前をあげました。上海から爆弾を密輸しようとした嫌疑が「不逞社」にかけられました。
判事の立松懐清に尋問され、爆弾の話が出た途端、朴烈は弁護士を要求しました。
水野内務大臣は朝鮮人虐殺を隠蔽するスケープゴートになるものを探していたのですが、爆弾の話が出て大逆事件という大義名分が出来たと喜びます。
朴烈は他の仲間の名前はまだ出ていないことから、自分だけが罪をかぶろうとします。仲間たちは爆弾には一切関わっていない。文子に関しては何を陳述しても彼女を悲しませることになる、彼女の好きなようにすればいいと言い、立松からそれを聞いた文子は喜びで涙ぐみます。
こうして二人は、裕仁皇太子殿下を暗殺しようとした大逆事件で逮捕されます。
釈放された「不逞社」の仲間は布施辰治弁護士に二人の弁護を依頼します。彼は朴烈と面会し、「大逆罪の量刑は死刑のみだ」と伝えると、朴烈は「朝鮮人としてするべきことをするのが大逆なら、喜んで罪人になります」と応えました。
二人は社会を変えるため、そして自身の誇りのため獄中で闘うことを決意します。
ちょうどその頃、衆議院議員の息子、難波大助による皇太子襲撃事件が起きました。政府は朴烈たちは謀議だけだと彼らを裁判にかけることを躊躇しますが、水野は、詭弁をふるい、天皇陛下を我々が守るために必要なことなのだと皆を納得させます。
朴烈のことは朝鮮でも話題となり、朝鮮から新聞記者がやってきました。「彼は何をした?
威勢がいいだけだ。朝鮮人虐殺が闇に葬られてしまう」と記者は言うのでした。
しかし、「不逞社」の仲間は朝鮮の記者に証言します。爆弾は実際にあり、秋に行われる皇太子のご成婚の際に決行される予定だった。震災が起き、実行できなかったと。
朴烈は文子への伝言を立松に頼みました。「離れていても君と同居していると感じる。離れていても(同居を始める際に交わした)契約を守っている。君も同じだと信じる」
それを聞いた文子は目に涙を浮かべながら微笑むのでした。彼女は看守に紙とペンを持ってこさせ、自伝を書き始めました。
立松判事は、破天荒な朴烈と文子に振り回され、彼らに精神鑑定を行いました。しかしそれも彼らに一本とられる形となってしまいます。
文子との書簡のやり取りを邪魔されたことを抗議して断食を試みた朴烈に対し、彼が裁判に出ないようなことがあっては困る水野は、望み通りにさせるように立松に命じます。
しかし朴烈はまたもや断食を始めました。「今度はなんなんだ?」と立松が呆れて尋ねると彼は飯の量が少ないという理由をあげ、さらに立松に頼みがあると、あることを持ちかけました。
それは文子と二人で写真を撮ることでした。着物を着るように言われてやってきた文子は、朴烈に理由を聞きました。「朝鮮にいる母さんにお前を見せたい」と彼は応えました。
写真屋がカメラを向けると、最初は文子が座っている朴烈の横に立つ普通のポーズをしていましたが、文子も朴烈と同じ椅子に座って本を読むというユニークなポーズをとりました。
事件は立松の手から離れ、大審院管轄となりました。朴烈は「裁判官は日本の天皇制の名代だから私は朝鮮人を代表して法廷に立ちます」と宣言しました。
朴烈と文子は裁判を受けるにあたって、布施辰治弁護士に様々な条件を伝えました。通訳をつけること、韓服を着る(文子はチマチョゴリを着るわと言います)、裁判官の席の高さと同じ席に座る、等々。
結局この中から通訳をつけること、同じ高さの席に座ることは朴烈も納得の上、除外されました。
朴烈は弁護士に「婚姻届けを提出するから受け取ってくださいと伝えてください」と頼みます。
予想外の言葉に文子が驚くと「俺達は死刑になる。遺骨の引き取は家族のみだ。法律上妻になってくれれば俺の家族がお前の遺骨も引き取ってくれる。同じ墓に埋葬される」と語るのでした。
文子が書いていた自伝に目を通した看守は彼女の不幸な生い立ちと、彼女の闘志を知るのでした。
”私たちを苦しめている人に復讐をしなければならない。私たち、哀れな階級のため、闘わなくてはならない”
映画『金子文子と朴烈(パクヨル)』の感想と評価
イ・ジュニク監督は、『空と風と星の詩人 尹東柱(ユン・ドンジュ)の生涯』(2016)で、朝鮮が日本統治下にあった時代に生き、非業の死を遂げた尹東柱(ユン・ドンジュ)の短い生涯をモノクロ映像の静謐なタッチで描き出しました。
本作は同様の日本統治下時代に材を取りながら(年代的には20年ほど早い時代)、前作とは打って変わって、アナキスト・朴烈と日本人女性金子文子の生き様を威勢良く描き、鮮烈な作品に仕上げています。
関東大震災の朝鮮人虐殺を隠蔽するためのスケープゴートとされながら、獄中で闘うことを選んだ朴烈と文子に、判事も看守も、そして内閣も振り回される様が時にユーモラスに描かれ、笑いを誘う場面も。
とりわけ法廷で、イ・ジェフン扮する朴烈が韓服を来て登場するシーンの絶妙なユーモア感には映画の中の傍聴人と共に思わず吹き出してしまいました。
どんな作品にも笑いを入れてくる韓国映画らしいすこぶる痛快なシーンとなっています。
また、チマチョゴリ姿で現れるチェ・ヒソ演じる金子文子のチャーミングなこと!朴烈と文子が法廷で互いに目配せしあう威勢の良さは、互いの信頼感の表れで、眩しささえ感じさせます。
劇中でも、彼らを裁く側である判事、彼らを厳しく監視する立場の看守が、徐々に彼らの人間性を認めていく描写もあり、役者も素晴らしい演技をしています。
全ての人がみな平等であるという文子の思想は徹底していて、これほど自己に忠実に生きた女性がこの時代、日本にいたことに驚きを隠せません。
大義名分を掲げ、一部の権力者が私利私欲を貪り、嘘に嘘を重ね、国民を犠牲にしてまで事実を隠蔽し自己を正当化する…。朴烈と文子にとってそんなからくりは全てお見通しで、誰もがおおっぴらに物を言えぬ中、堂々と自説を主張する勇気と心意気を映画は存分に表現しています。
『空と風と星の詩人 尹東柱(ユン・ドンジュ)の生涯』の中で、「恥を恥と知らないものこそ恥」という台詞が出てきますが、『金子文子と朴烈(パクヨル)』もまた、恥を恥と知らぬ国家、権力者に対する命がけの抗いを描いているのです。
それはまた、この映画の時代から100年経った今の時代へのメッセージでもあるのではないでしょうか。
こうしたメッセージ性とエンターティンメント精神が絶妙に溶け合った映画を作らせれば右に出るものはないといってもいいほど、現代史を題材にしたエンタメ作りに長けている韓国映画ですが、また一つ強烈な魅力を持った作品が生まれました。
朴烈と金子文子という興味深い人物を歴史の中から蘇らせてくれたことにも大いに感謝したい一作です。
まとめ
イ・ジュニク監督はこの映画が“反日映画“にならないよう、理性的、論理的な映画作りを心がけたといいます。
日本憎しという感情が韓国の観客に先に沸き起こってしまうと、映画が本来伝えようとしているものが伝わらなくなってしまうと考えてのことです。
日本統治下の朝鮮半島を舞台に、ナショナリストの抵抗を描いた『密偵』(2016/キム・ジウン監督)にしても、反日を極端に煽ることをせず、メッセージとエンタメを巧みに融合させていました。
これは韓国映画の成熟のなせるわざではないでしょうか。日本でも瀬々敬久の秀作『菊とギロチン』(2018)のような現代史を舞台にした社会派エンターティメントがもっと作られてもいいのでは!?
また、本作の成功は金子文子を演じたチェ・ヒソの力量によるところも大きいでしょう。
『空と風と星の詩人 尹東柱(ユン・ドンジュ)の生涯』で日本の女学生を演じていた彼女。この女優は一体誰?と公開時話題になったものです。今回、主役に抜擢されました。
小学生のころ、大阪で5年間生活していたことがあるというチェ・ヒソ。それでも、ここまでの日本語(標準語!)を体得するには相当の努力を積み重ねたことと思われます。
韓国語を話す場面も、日本人がしゃべっているたどたどしい韓国語となっているらしく驚かされます。
そんな金子文子を尊重し、愛し、対等な関係を築き、共に闘った朴烈。豪傑で真っ直ぐな内面を、イ・ジェフンが、時に愛くるしく、爽やかに、時に豪快に、威勢よく表現していて魅力的です。
憎々しい水野錬太郎を演じたキム・インウ、真面目で理想に燃えた立松懐清判事を演じたキム・ジュンハン、弁護士・布施辰治役の山野内扶らの深い演技も忘れてはなりません。