映画『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』は2020年6月20日(土)よりユーロスペースほかでロードショー公開。
ブレジネフ体制下の1971年のレニングラード。多くの作家、詩人たちは抑圧され、それでも自分たちの存在を信じていました。
「20世紀で最も輝かしいロシア人作家」といわれるセルゲイ・ドブラートフの、運命に翻弄されながらも希望と共に生きた人生の一コマを描いた『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』。
監督を務めたのは、ロシアの巨匠アレクセイ・ゲルマンの息子、アレクセイ・ゲルマン・ジュニア。そして主演を務めたセルビアのミラン・マリッチや、ロシア出身の俳優を中心に実力派の役者陣が集結しています。
CONTENTS
映画『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』の作品情報
【日本公開】
2020年(ロシア映画)
【英題】
DOVLATOV
【監督・共同脚本】
アレクセイ・ゲルマン・ジュニア
【キャスト】
ミラン・マリッチ、ヘレナ・スエツカヤ、アルトゥール・ベスチャスヌイ、ダニーラ・コズロフスキー、アントン・シャギンスヴェトラーナ・ホドチェンコワ、エレナ・リャドワ
【作品概要】
現代ロシアの伝説的な作家セルゲイ・ドヴラートフの激動の人生における6日間を映画化したヒューマンドラマ。ソ連の厳しい統制下、ドヴラートフら若き芸術家・活動家たちがブレジネフ体制下の抑圧された時代に心を揺り動かされる様を描きます。
監督は、『神々のたそがれ』(2013)を手がけたアレクセイ・ゲルマンの息子アレクセイ・ゲルマン・ジュニア。本作によってベルリン国際映画祭・ベルリーナー・モルゲンポスト紙読者賞を受賞したほか、監督の妻であり美術・衣装を担当したエレナ・オコプナヤも芸術貢献賞にて銀熊賞を獲得。オコプナヤがインテリア、ファッションから小物に至るまで徹底的に再現したブレジネフ時代の影あるレニングラードの街並みにも注目です。
主役を務めたのは、今作が国際映画初主演となるセルビアのミラン・マリッチ。他に『VIKING バイキング 誇り高き戦士たち』(2018)『ハードコア』(2015)『マチルダ 禁断の恋』(2017)のダニーラ・コズロフスキーらが共演を果たしています。
映画『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』のあらすじ
ブレジネフ政権下にあった、1971年のレニングラード。除隊し街に暮らすセルゲイ・ドヴラートフは自身が活躍できる場所を模索していました。
言論の自由が抑圧された時代。彼の周囲には詩人ヨシフ・ブロツキーなど、若き芸術家や活動家たちがいました。
時に彼は生活のためジャーナリストとして働きながら執筆活動に勤しむことも。そんな彼にある人は忖度を持ちかけ、また別の人は自身を見失うなと言い聞かせます。
ドヴラートフは持ち前のユーモアで自分を律するも、彼の心はそんな言葉や数々の出来事に揺らぎ悩み続けます……。
映画『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』の感想と評価
ある伝説的作家の生涯を決めた6日間
1971年の旧ソ連・レニングラード。現在は「サンクトペテルブルグ」と呼ばれるこの町は共産主義体制の下にありました。それは、文学がメディアなどとともに厳しく統制されていた時代でもあります。
この映画で描かれている時間は、たったの6日間。48歳で生涯を閉じたドヴラートフの人生の中で、大きな節目となった6日間です。その6日間におけるエピソードを切り取ってゆき、伝説的作家セルゲイ・ドヴラートフの物語を仕上げています。
ドヴラートフは大学を従軍のために退学し、やがて1971年に除隊。彼はその後ジャーナリストとなり並行して作品の執筆も始めてゆきますが、ソ連政府からの抑圧を逃れるために国外へ亡命。
映画で描かれている6日間はまさにドヴラートフにとって亡命直前と直後の時期であり、国内での創作活動への抑圧、亡命による祖国の喪失に対して苦悩しながらも、新たな道を模索し始めた時期であります。
それ故にこの6日間は、その後の人生の歩みに対する大きな決意を固め、ドヴラートフがあくまでも「作家」として生きることを覚悟したターニングポイントでもあるのです。
表現の苦悩と覚悟の果てにたどり着いたもの
ある者からは「自分を見失うな」と後押しされる。ある者からは「自分の生活を守るためには、“良いこと”を書かないといけない」と自身の創作への思いを否定される。その言葉の一つ一つにドヴラートフは惑わされます。
6日間に凝縮された、ドヴラートフの生。人間としての生き方、作家としての生き方に迷い、やがて最後には答えへとたどり着いてゆく姿を、俳優ミラン・マリッチは非常に繊細な演技で感情の機微を表現しています。
また、映画終盤で描かれる滑稽ともいえる場面。それは物語におけるある種の終着点であり、ドヴラートフのうちで揺らぎ続けていた感情が一つの境地へと落ち着いたことを示しています。
「滑稽」。ドヴラートフの苦悩と覚悟の物語の果てに生まれたもの。それは創作あるいは表現という行為が追い求めるものの本質なのかもしれないし、人生の本質なのかもしれません。
「表現」というものは一体何なのか。ドヴラートフのような表現者のみならず、さまざまな人々に、世界に、改めて示してくれるような作品でした。
まとめ
生前のドヴラートフは「作家同盟」なる団体に入っていませんでした。そのため、ソ連体制下のロシア国内において彼が「優れた作家」と認められることはなく、彼の死後およびソ連崩壊後にようやく彼の作品はロシアの人々に多く読まれるようになり、祖国での評価を得られました。
映画の劇中でも、どれほど作品を執筆しようとメディアで取り上げてはもらえないという状況が描かれています。けれども、意外にもこうした制約や不自由は、自由であるはずの現代のメディアでも存在します。
たとえば、日本の森達也監督によるドキュメンタリー『i-新聞記者ドキュメント』。作中では、森監督が「映画監督」「映画というメディアに携わるジャーナリスト」として官邸記者会見に参加しようと試みるものの、「記者クラブに所属していないから」「“映画”だから、“映画監督”だから」という理由でそれができないという現実を突きつけられる場面が映し出されます。
また、同作に登場する新聞記者の望月衣塑子は特定の記者クラブに所属しない社会部遊軍であり、その徹底した事実追及もあって、官邸記者会見ではさまざまな形で制限を与えられているという現実も描かれています。
社会または業界で認められるには、なんらかの組織・団体に所属していなければならない。表現に対しても「忖度」を考慮しなければならない。それは本来、表現においてあってはならないことでもあります。
無論、両作における状況も立場は異なります。しかしながら、「表現の制約」という共通項によって、ソ連体制下のロシアと現代の日本はつながっていることは確かであり、映画『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』は現在のメディアや表現者の在り方への疑問を、改めて人々に強く問いかけている作品なのだと思い知らされるのです。
映画『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』はユーロスペースほかで2020年6月20日(土)よりロードショー公開。