3.11の東日本大震災から6年。2017年になって報道されることが少なくなったな被災地。今のフクシマの現状とは、どのようなものなのでしょう。
今回ご紹介する映画『残されし大地』では、福島県の汚染地域に残ること決めた人たちを記録した作品。
そして残念なことに、ジル・ローラン監督はこの作品がデビュー作でありながら、もうご存命ではありません。
初監督作品でありながら遺作。渾身の魂である『残された大地』に注目します!
映画『残されし大地』の作品情報
【公開】
2017年(ベルギー)
【監督】
ジル・ローラン
【キャスト】
松村直登、松村代祐、半谷信一、半谷トシ子、佐藤有、佐藤とし子
【作品概要】
2016年3月にベルギーで起きたブリュッセル連続テロ事件で亡くなった映画音響技師ジル・ローランが、原発事故後の福島に生きる人びとをテーマに製作したドキュメンタリー。
ローラン監督が亡くなった後にプロデューサーや同僚たちの手によって完成。「京都国際映画祭2016」でクロージング上映の他、第36回アミアン国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞受賞、マルセイユ国際ドキュメンタリー映画祭やアムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭正式招待。
映画『残されし大地』のあらすじとネタバレ
映画の冒頭、ジル・ローラン監督の死去が伝えられる。
2016年3月22日午前8時頃、ベルギーのブリュッセルにある空港で2度の爆発が起きました。その1時間後、市内のあるEU本部近くの地下鉄マルベーク駅構内で爆発テロ。
この爆発テロにより32名が死亡。過激派組織「イスラム国(IS)」が犯行声明を出しました。その中にこの映画の編集を終えた、ジル・ローラン監督がいたのです。
福島第一原発から約12キロメートルほど離れた、福島県双葉郡にある富岡町。
18番ゲートがある場所は、かつて桜の名所として人々から愛された場所でした。
しかし、今ではその商店街に人影はなく、開けられたままの窓からはカーテンが風になびいていた。
また、空からは多くの鳥の鳴き声が響くことが逆に寒々しさする感じるところです。
2011年の3.11以降、町に残された犬や猫などの動物たちを保護するため、故郷の富岡町に残ることを決めた植村直登。
寡黙な父親の松村代祐と2人、今も避難指示解除準備区域の自宅に留まっています。やがて、植村の活動は海外からも注目され、2014年にフランスで開かれた反原発集会に招かれ講演をしました。
一方で同じく富岡町に残ることを決めた半谷夫妻。震災後の春が過ぎると、シャベルカーと防護服を着た作業員たちが作業を行なっています。
妻の半谷トシ子は、窓の向こうから聞こえてくる作業音がうるさいねと呟きます。
夫の半谷信一は、自分の畑近くで黒々とした大きな除染袋に土を詰める作業を、横目で全く気にもせず、トラクターに乗車して畑の開墾をしています。
また、半谷夫妻はテレビを見ながら福島県内のニュースや、ドラマをみて笑いながら仲良く並んで日々を過ごしています。
しかし彼らは被災者としての現実もあり、夫の信一は富岡生まれの富岡育ちだが、妻トシ子の実家は南相馬にあり、兄たち家族と住んでいた実家は津波の被害でさらわれていってしまったのです。
夏になると妻トシ子と共に育て上げ、たわわに畑に実ったナスを夫の信一は収穫をします。ナスの実の違いの種類についてお喋りをするなど半谷夫妻は仲睦まじい様子です。
また、夫の信一は、伸びきった夏の草刈りでは、「水と土で生きるんだ」と穏やかな言葉の裏に覚悟を決めた生きる意志があるようです。
その足元には、以前はいなくなっていた蟻も姿も見ることができるようになりました…。
映画『残されし大地』の感想と評価
この作品を見た際に一番初めに感じたのは、映画とは視覚的なメディアがメインに鎮座した“視覚芸術”ではないということです。
ジル・ローラン監督は、元々はベルギーを拠点にヨーロッパで活躍するサウンドエンジニア。
冒頭の廃墟化した富岡町にある商店街に響き渡る町の防災無線や、多くの野生の鳥の鳴き声、揺れるシャッターやカーテンにそよぐ風の音など、様々な音に引き込まれたからです。
2011年5月11日。私は震災後の福島県南相馬市を訪れ、ボランティア活動に参加したことがあります。
たった数日のことでしたが、その時に緊張感のなかで身体に感じた空気感は、この映画の中に確かにあります。
観ていて(映画の光を浴びながら)、“無”という風に気分が悪くなってしまいました。それはあの体験が蘇ってきたことに他なりません。
まざまざと映画の力は、視覚的要因が最上に刺激的なものではなく、音響というものが“映画”の多くを支配していることに改めて気がつかされました。
その点は、映画の内容のはテーマには直接関係はありませんが、映画にとって音とは何かを知ることだけでも、この映画は見る価値のあるものだと思います。
ジル・ローラン監督がサウンドエンジニアであったことで、福島の富岡町に残った人たちが聞いてる、日常に生きている音がこの映画にはあるのです。
そこにまずは耳を澄まして欲しい映画だと思います。
ジル・ローラン監督は、企画書の制作趣意のなかで、この作品がフクシマについての映画だと考えてはいないと、次のように述べています。
「大惨事がバックストーリーではあるのだが、私の興味を引くのは何よりもこの男(松村直登)とその運命やパーソナリティであり、おそらくはあらゆる「良識」を軽蔑することからなされた彼の選択、あるいは勝ち目のない彼の戦いなのだ」。
ジル監督は、松村を英雄やその手本のようには映画のなかで描いてはいません。ありのままに、自ら選択して立ち位置を決めた人間として見つめているのです。
また、松村直登の行動は「闘争」であるともジル監督は認めています。しかしその「闘争」は敗北が見えている。だからこそ、彼は注目に値するとカメラを向け続けます。
原子力の利用の人災で被害を被り、危険のなかで生きる松村の存在が記憶になると考えているのではないでしょうか。
まとめ
この映画に関して、私自身は松村直登さんのように、私は雄弁に語る言葉を持ってはいません。
ただただ、その姿を見つめるだけです。それは今なお、福島県住んでいる友人たちの姿を、Facebookで見続けるということ同じなのかもしれません。
映画の感想とは少しずれますが、個人的で、私的なことですが、2011年5月11日に閉鎖前の飯舘村を車で抜けて、ボランティアとして南相馬入りしました。
また、同年の夏にも南相馬入りした際のことを書き記しておきます。
そこで見聞きしたエピソードは挙げればきりがありません。そのボランティア活動の一環で、2人の少女との間で行われたことについて書きたいと思います。
1人の少女とは絵画遊びをしていると、水色で塗られた空に真っ黒い風船が飛ぶ様子を描きはじめました。
夏に出会った少女からは、“除染ごっこ”しようと足を洗う遊びを強要されました。これらはとてもショックな出来事でした。
ストレスや緊張感は大人だけが感じているものではなく、立場の弱い者たちの方がはるかにそれを許容していたように思います。
最後に映画の話に戻します。
映画のなかで松村直登さんが、福島は広島のように1度死ななければならないと述べていました。そこで起きた事実を忘れて、気にしない人たちが住みはじめてから復興だと言いました。
3.11の1度のみならず、福島は何度も死ぬのが現実なのでしょうか。
この映画はジル監督の想いを受け継ぎ、プロデューサーやスタッフによって完成しました。正に出演者や製作者が、命を懸けて、命の尊さを描いた珠玉のドキュメンタリー映画です。
福島で選択や決断をして生きることを決めた多くの人たち、彼らを前に変わらないと言い捨てることや、無視することはあってはならない。
あなたをはじめ、多くの人に知って関わってもらいたい。ぜひ、この映画を観ることをお薦めいたします。
2017年3月11日から東京のシアター・イメージフォーラム、札幌のシアターキノ、鹿児島のガーデンズシネマ他にて全国順次公開です!