複製画制作で世界の半分以上のシェアを誇る油絵の街、中国大芬(ダーフェン)。
芸術に人生を捧げた孤高の画家ゴッホに魅せられ、ゴッホに人生を捧げる男がいます。
映画『世界で一番ゴッホを描いた男』は、20年にわたりゴッホの複製画を描き、本物の絵画を見たいと夢み続けた一人の男が、本物のゴッホに会いに行くためオランダへ旅立つ姿を追った感動のドキュメンタリーです。
映画『世界で一番ゴッホを描いた男』の作品情報
【公開】
2018年(中国・オランダ映画)
【原題】
China’s Van Goghs
【脚本・監督】
ユイ・ハイボー、キキ・ティンチー・ユイ
【キャスト】
チャオ・シャオヨン
【作品概要】
2016年アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭ワールド・プレミア後に多くの映画祭で上映され、2017年SKIPシティ国際Dシネマ映画祭では監督賞を受賞しました。
またNHK「BS世界のドキュメンタリー」では『中国のゴッホ 本物への旅』として短縮版が放映され反響を呼びました。
監督のユイ・ハイボーは、映画監督と同時に深圳経済日報チーフフォトエディター、深圳プロカメラマン協会の代表を務めるなど中国におけるシュールリアリズム写真の先駆者と評価されています。
1989年からドキュメンタリー写真に取り組み、“Tibet”, “Music Youth”, “China’s urban expansion”などの作品は世界中で展示会が開催されており、多数の賞を受賞しています。
また映像作品では、写真エッセイとも言える短編『One Man’s Shenzhen』(12)を監督し、本作が長編デビュー作となります。
この映画は、ユイ・ハイボー監督が2011年から娘のキキ・ティンナー・ユイ監督とともに撮影を始めました。
主人公のゴッホの複製画を20年もの間描き続けている画工チャオ・シャオヨンと共にオランダに行く複製画を生産ラインのシステムに立ち上げたもう一人の画工を追いかけ、最終的には6年を月日を費やした紆余屈折の真実の物語です。
映画『世界で一番ゴッホを描いた男』のあらすじとネタバレ
ゴッホが弟テオに宛てた手紙の一文が紹介されます。
「親愛なるテオ 僕は近くへと歩んでいるつもりだが、それは遠いのかもしれないーフィンセント・ファン・ゴッホ」
夜のネオンが眩しく、高層ビルが聳え立つ大都市の高架を満員電車が走り抜けていきます。
ヒマワリなどのゴッホの名画が無造作に並べられている工房で、ひとりの男、趙小勇(チャオ・シャオヨン)が黙々とゴッホの自画像を描いています。
シャオヨンのほかにも、汗ばんだ上半身剥き出しの男達が、机に散らばった大量の油絵の具を混ぜながら、筆を運んでいます。
ここ中国大芬(ダーフェン)は世界最大の「油画村」と呼ばれ、今や世界市場の6割の複製画が製作され、1万人以上の画工が働く産業の街です。
シャオヨンも複製画制作の工房を持つ主人であり、家族と数人の弟子とともに働いています。
「『夜のカフェテリア』の注文がオランダに300枚入荷40日以内、急げ」とチャオは、筆を動かす弟子たちに声を掛けます。
シャオヨンは、オランダのアムステルダムの画廊から注文がずっと入ってくることや、この工房で家族も弟子も寝食を共に、働き、過ごしていることを語ります。
独学で20年、ゴッホの油絵を描き続けたことで、本当に勉強になったとシャオヨンは真剣な眼差しで話します。
ある日工房から大量の複製画がオランダへ運ばれていきます。
一枚一枚の絵を無造作に外に運び、工房の前の地面で何枚も重ね画工たちが巻き上げています。
絵と絵の間には薄いビニールが挟まれているだけです。暑さと疲労で参っている画工たちは、工房の床で所狭しと横になっています。
夏休みの雨季に、子どもたちが学校から戻ってきます。シャオヨンの高校生の娘も久しぶりに帰ってきました。
生まれも育ちもダーフェンにもかかわらず、親のシャオヨンが出稼ぎのため都市戸籍がなく、都会の学校に通うことができませんでした。
娘は父のシャオヨンの田舎に一人戻され、高校に通っていました。夕食後に「先生が方言で話すから、授業が分からないし理解できない」と娘は涙を浮かべながら話します。
夜店では仲の良い画工たちとお酒を飲みながら、シャオヨンたちはゴッホについて熱く語り合っています。
写真やテレビを見て、毎日ゴッホの絵を描いてきたことやゴッホの素晴らしさ、誰もが尊敬していること、そして自分たちは職人だということを、誇りを持って話しています。
ある日、シャオヨンの家で画工たちが集まり映画鑑賞をします。
映画は『炎の人ゴッホ』。ゴッホを演じるカーク・ダクラスに全員が魅入っています。
ゴッホが生きた場所、一心不乱に絵に向かう姿、何よりもゴッホの人生に誰もが自分を重ねているように観ています。
シャオヨンもゴッホの複製漬けの日々で、夢にゴッホが現れ、自分と同化する瞬間を感じると話します。
いつしか本物のゴッホの絵をこの目で観たい、観たら何かを得ることができるという願望が、日に日に増していきます。
ある日、シャオヨンは妻に本物のゴッホを観るために、オランダに行きたい」と告げます。
妻は「毎日家族全員で絵を描いてきてやっと生活できてるのに、渡航費用が高すぎる」と猛反対をします。
いったん自分の思いを口にしたシャオヨンは、気持ちを抑えられず画工たちや友人にも相談します。
一人の友人の画工も行きたいと言い出し、オランダの画廊に相談すると、オランダの滞在費は援助するから、あとは航空券だけだと言われます。
妻は日々反対し続けていましたが、言葉が減っていきます。
シャオヨンはオランダ行きを決断し、パスポートの申請のため故郷の村に帰ります。
彼を多くの家族や村人が迎え、多くのお皿に食事とお酒でお祝いの宴が開かれ、シャオヨンが一番慕い尊敬する祖母にも会い、嬉しそうに言葉を交わしています。
祖母は言葉少なに笑顔で答えています。
夜家の中、身内だけで酒に酔いながらシャオヨンが「家が貧しかったから、中学を中退した」と嗚咽します。
妻も夫の熱意に負けし、ついにシャオヨンはオランダに向かいます。
本物のゴッホに会いたい、これからの自分に何かが見つかる、そう一心に思いながら旅立ちます。
映画『世界で一番ゴッホを描いた男』の感想と評価
風も吹かず湿潤な空気が淀んでいる作業場。
額に汗を滲ませて一心不乱に油絵の具を塗り続けるシャオヨンは、ここが工房と家族と弟子たちは職人だと胸を張ります。
シャオヨンは故郷が貧しく、中学中退で出稼ぎでこの街ダーフェンへやってきました。
そして独学で20年間複製画製作を続けてきたこと、ゴッホを心から尊敬していることを誇りに生きてきました。
中国からオランダにきたシャオヨンは、自分たちの複製画が安っぽいお土産屋の軒でおまけのように売られて、しかも原価から何倍もする価格で雑に並べられていることにショックを隠しきれません。
言葉を失い、憔悴して座り込む彼の姿に、聞こえないはずの慟哭が聞こえてきます。
シャオヨンの、今までの20年必死に生きてきた拠り所や価値観が一気に崩れ落ちた瞬間でした。
そんな失意の全てを「生きる力」に向けたくれたのが本物のゴッホとの出会いでした。
シャオヨンが食い入るようにゴッホの絵画を見る様はエネルギーに溢れ、まさに息を飲む瞬間でした。
彼は貧しさ故に複製画工となった自分とゴッホを重ね合わせ、ゴッホの最後まで売れずにこの世を去った人生を辿る決心をしたのでしょう。
自分の表現を曲げず、画家としてより高みに登り続けたゴッホ。
ゴッホのお墓に中国のタバコを手向けるシーンでは、自分の中に燃え上がる新しい命を感じ、ゴッホに中国からここへ導いてくれた感謝と、これから進むべき道を決意したかのようです。
そんなシャオヨンの祈る姿は心に残り、強く生きる勇気をもらいます。
まとめ
映画の冒頭にゴッホが弟テオに宛てた手紙の一文が映ります。
「親愛なるテオ 僕は近くへと歩んでいるつもりだが、それは遠いのかもしれないーフィンセント・ファン・ゴッホ」
シャオヨンにとって、毎日の膨大な複製画制作は、生活や家族の糧のため。
物質生活を得るためであれば、無我夢中に20年走ったきたことは、この手紙のように「近道」だったのかも知れません。
しかし彼は、オランダに足を踏み入れた途端、今までの価値観が音を出して崩れ落ちます。
そして本物のゴッホに出会い新しい自分を発見し再生させます。
シャオヨンの瞳に眩いほどの光と力が映し出され、ゴッホによって新しい自分と邂逅した彼はオリジナルを描き始めます。
シャオヨンが最初に描いた『祖母の顔』は、今まで何枚も描いてきたゴッホの絵よりも心を惹きつけられます。
生きるエネルギーと“生への渇望”に溢れた、これからの道のりはゴッホの言う「遠い」道を示唆しているかのようです。
それでも『祖母の顔』の愛しい笑顔は、遠い未来に幸福が待っていると信じさせる力を持ち、希望に溢れています。
ぜひシャオヨンと一緒に本物のゴッホに会いに、新しい自分の“生への渇望”を感じに行きませんか。