映画『バイス』は2019年4月5日(金)ロードショー。
秘密裏にアメリカ史上最大の権力を握った副大統領ディック・チェイニーの恐るべき実話を映画化!
笑えるけれど笑えない、恐ろしい権力の暴走を描いたブラックコメディとなりました。
どこの誰にも無関係ではない、無視できない映画です。
『バイス』の作品情報
【日本公開】
2019年(アメリカ映画)
【原題】
Vice
【製作】
ブラッド・ピット、デデ・ガードナー、ジェレミー・クレイマー、ウィル・フェレル
【製作・脚本・監督】
アダム・マッケイ
【キャスト】
クリスチャン・ベール、エイミー・アダムス、スティーブ・カレル、サム・ロックウェル、ジェシー・プレモンス、アリソン・ピル、リリー・レーブ、タイラー・ペリー、ジャスティン・カーク、リサ・ゲイ・ハミルトン、シェー・ウィガム、エディ・マーサン
【作品概要】
ブッシュ政権の副大統領にフォーカスを当てた本作。
史上最強の副大統領を、20キロ増量したクリスチャン・ベールが怪演しました。
その他、妻リン・チェイニーをエイミー・アダムス、ブッシュ大統領をオスカー俳優サム・ロックウェル、チェイニーの師匠ラムズフェルドをスティーブ・カレル、パウエル国務長官をコメディアンのタイラー・ペリーが演じ、かなりのそっくり具合を見せます。
監督は『マネー・ショート 華麗なる大逆転』(2015)でもブッシュ政権下でのリーマンショックを風刺的に描いたアダム・マッケイ。
『バイス』のあらすじとネタバレ
2001年9月11日、ワールドトレードセンターに旅客機が2機激突し、米国全体、そしてホワイトハウスは混乱に包まれていました。
地下に避難したブッシュ政権の閣僚たちは現状把握と対策に追われていました。
そんな中、副大統領のディック・チェイニーはエアフォース・ワンにいるブッシュ大統領の代わりに、危険とみなした航空機は撃墜しても良いという指令を出します。
そんな中、男の声でナレーションが入ります。
みんなが恐怖に包まれる中、チェイニーという男はこの事件を“チャンス”だと思い、そして全く目立たない存在でありながら世界を決定的に変えてしまったと。
時代は遡り、1963年。
若き日のチェイニーは名門イエール大学に入りながらも酒浸りで成績不良により退学。
さらには飲酒運転で捕まり、故郷のワイオミングで電気技師として働いていました。
イエール大学で出会った、後に妻となる恋人リンは成績優秀でしたが、時代と保守的な地域性のせいで、女性である自分が表舞台にのし上がるのは諦めていました。
彼女はチェイニーに自分の夢を託そうと彼を焚きつけます。
チェイニーは彼女と結婚し、娘も2人生まれ、期待に応えるために努力を重ねます。
ベトナム戦争の徴兵も、扶養家族がいることでなんとか免れるチェイニー。
そして1968年、ワシントンD.C.で議会のインターンプログラムに参加したチェイニーは、そこで演説をしたドナルド・ラムズフェルドを師と仰ぎ、彼の補佐として共和党で働き始めます。
チェイニーはニクソン政権下で様々な役職を担っていたラムズフェルドに忠誠を尽くします。
それまで取り柄のない人生を送っていたチェイニーですが、権力に身を捧げる意欲だけは人一倍で、政治家は彼の天職でした。
ある日、ニクソン大統領と補佐官のキッシンジャーが密室に入るのを見たラムズフェルド。
チェイニーに「もうすぐカンボジアが爆撃される。このホワイトハウスでは何万人もの運命を変える力が動いているんだ」と言います。
その権力を上手く使えと言われたチェイニーは「でも理念はないのですか?」と聞きますが、ラムズフェルドは爆笑するだけでした。
出世したチェイニーは自分の執務室を手に入れ、リンに喜びの電話をします。
ラムズフェルドはその後キッシンジャーとの確執で左遷されてしまいました。
そんなある日、チェイニーは娘たちと釣りに出かけます。
疑似餌で魚を釣る方法を見た娘から「魚を騙すの?」と聞かれた彼は「それが釣りだ」と答えました。
場面が代わり、それまでナレーションでこの映画の物語を語っていた男が顔を出します。
彼はカートという、妻子持ちのアメリカ人男性でした。
そしてウォーターゲート事件が起きニクソンが辞任。
家族で辞任会見を見ていた際に、娘たちからニクソンは悪い人間なのか聞かれたリンは否定し、ニクソンに同情します。
副大統領のフォードが大統領になり、チェイニーはラムズフェルドをワシントンに呼び戻して手を組み、キッシンジャーと対抗。
2人とも史上最年少で、ラムズフェルドは国防長官、チェイニーは大統領主席補佐官に就任します。
しかし次の大統領選では民主党が勝利し、カーター政権が誕生。
失業したチェイニーは、地元のワイオミングに帰って再度下院選挙に出馬します。
ですが彼は持病の心臓発作を起こし、入院。
選挙どころではないと医者から言われますが、リンが入院中の夫の代わりに演説をして大評判になり、チェイニーは見事当選。
10年以上5期に渡って下院議員を務めました。
1980年代半ば、共和党のレーガン政権が誕生した頃、次女のメアリーが同性愛者だと、チェイニーたちにカミングアウトしてきます。
共和党は反同性愛を掲げていたため、リンは世間体を気にしますが、チェイニーは娘に愛していると伝えました。
レーガン政権が終わった後、チェイニーはあるパーティで後任のジョージ・H・W・ブッシュから国防長官を打診され承諾します。
そのパーティでは息子のジョージ・W・ブッシュが酔っ払って醜態を晒していました。
湾岸戦争も起きましたが、任期を終えたチェイニーとリンは1993年に大統領選挙に出ることを画策。
が、同性愛者の娘の存在を気にしたチェイニーは出馬を断念し、政治の世界を離れます。
チェイニーは石油掘削機や軍のケータリングも担当している複合多国籍企業ハリバートン社のCEOに就任。
チェイニー家はヴァージニア州に豪邸を構えて、リンも文筆家として活躍。
チェイニーは二度と表舞台に出ることもなく、彼らは仲睦まじく暮らしました…とエンドロールが流れ始めたとき、突然チェイニー家の電話が鳴りました。
当時テキサス州知事をしていたあのジョージ・W・ブッシュの選挙事務所からでした。
ブッシュは大統領選に出るから自分の副大統領になってくれないかと打診してきます。
『バイス』の評価と感想
合衆国史上最大の権力を持ったと言われる、最凶の副大統領ディック・チェイニーの一代記『バイス』。
副大統領のことを「Vice President」と記すだけでなく、VIceには「悪徳」という意味もあります。
イラク戦争を起こし、ISISができる原因まで作ってしまった彼の物語は、普通に描けば恐ろしい悲劇にしか見えませんが、コメディ番組出身のアダム・マッケイ監督は「あんまり酷すぎて笑ってしまう事実を描いた超ブラックなコメディ」として作り上げました。
チェイニーとリンが何を考えていたのか、あえてシェイクスピア劇のように大げさに喋らせてみたり(この夫婦が『マクベス』のような関係であると表す意味もあります)、ブッシュ政権の閣僚たちが様々な憲法解釈の説明を受けるシーンを、レストランでの美味しい料理の説明のように演出してみたりと、バラエティのようなアクロバティックな演出が多々あり、テンポもよくグイグイ引き込まれます。
役者たちの演技も特殊メイクも素晴らしく、映画として一級品です。
猛毒のような恐ろしい話を、観客が飲み込みやすいようにオブラートでコーティングしてくれていますが、それでもガッツリと染み込んで消えないメッセージを残します。
権力はいくらでも暴走できる
冒頭、ナレーターのカートがこう語ります。
「日々の生活で疲れていると、誰もがややこしい政治のことなんか考えたくなくなる。たまの休みがあれば好きなことをしたい。」
そして背後に危機が迫っているのに快楽的に生きる人びとが映ります。
あの時、まさか民主主義で自由の国アメリカでひとりの男が全てを牛耳っていて、全世界の運命を狂わせていたなんて考えてもいませんでした。
いや、気づいていても見て見ぬふりをしていたのかもしれません。
「まさかそんなひどいことにはならないだろう」
「政治家になるような意識の高い人間が国を悪い方向に導くはずがない」
都合の悪いことには目を瞑りたくなってしまいますが、そうなっては権力者たちの思うつぼです。
ブッシュは父へのコンプレックスで政治家になったような男ですし、ラムズフェルドは「理念」と聞いて爆笑、チェイニーも特に才覚もないのに奥さんの権力欲に答えようと頑張ったただのオッサンです。
そんなオッサン達が独自に法律や憲法を解釈すればいいんだと気づき、劇中で語られるような“一元的執政府論”を振りかざせばロクなことになるわけがありません。
9.11やザルカヴィの存在など、全ての要素が最悪な形で噛み合って、イラク戦争にISISの設立まで突っ走ってしまいました。
ナレーターのカートも徴兵され、死んで「ハートのない」冷血漢チェイニーに心臓を奪われるまで気がつきませんでした。
民主主義が壊れないなんて保証はないのです。
チェイニーが最後に語るように、彼の行動は国民の支持によるもの。
イラク戦争も富裕層への優遇も、詐術的なチェイニーのやり方があったとは言え、全て国民が許してしまったものでした。
度々インサートされる釣りと疑似餌のイメージは、まさにチェイニーが辛抱強くタイミングを待って国民や他の政治家を騙して、釣り上げたことを表しています。
しかし、疑似餌を選んで食いついてしまったのは国民一人一人の責任なのです。
権力に踊らされた者達の物語
また本作が恐ろしいのはチェイニーの気持ちもわかってしまうように描かれているところです。
彼は理解不能な怪物ではありません。
奥さんにベタ惚れし、家族を守ろうとしていたひとりの平凡な男でした。
ニクソン政権下で初めてオフィスをもらったチェイニーがリンに電話をし、自分の出世を報告した後、彼女に「愛してる」というシーンがあります。
しかし、リンは娘たちと一緒に「パパは偉いわ」というだけで、愛してると返してあげることはありませんでした。
この夫婦間のすれ違いの悲劇は、やがて世界を巻き込む惨劇へと拡大されていきます。
本当は田舎で釣りをしている方が性に合っているはずの彼は、野心に溢れた妻の期待に応えようと必死に権力を追い求め、そのためなら手段を選ばなくなっていきます。
ではリンが一番悪いのかと言うとそうではありません。
彼女も、女性が活躍できない時代への恨みから必要以上に夫の権力を拡大させてしまいましたが、こんなことになるとは考えていなかったでしょう。
チェイニーを登用したブッシュは逆に利用され、権力の扱い方を教えたラムズフェルドも、結局は権力に振り回された挙句、かつての弟子に切り捨てられます。
一番恐ろしいのは実体のない権力そのもの。
本作ではクリスチャン・ベールの見事な演技で、権力を手にすればするほど顔が歪んでいくチェイニーが描かれています。
チェイニー夫妻は権力の依存性から抜け出せず、最終的には娘まで裏切ってしまいます。
権力は麻薬のように人を狂わせていくのです。
まとめ
この映画を見て、チェイニーが悪魔のような男だったと切り離して考えるべきではなく、いつどこで起きてもおかしくない話だと考えるべきです。
トランプ政権の現副大統領のマイク・ペンス氏が、当時イラク戦争に賛成していた本人映像で出てくるのも意図的なものでしょう。
それに、権力の暴走は政治に限った話でもありません。
そしてエンドロールの中盤にあるおまけ映像がさらにこちらに冷や水を浴びせてきます。
「今は問題意識持っても、また結局楽しいことに逃げるんだろ?」と言われているかのようなシーンなので、ぜひ最後まで席を立たずご確認ください。
恐ろしい話ですが、それを真っ向から批判して問題提起してくれるアダム・マッケイのような作家がいるということがまだ救いですね。
日本でもそういう姿勢を持った監督の出現が待たれます。