これは“自由”への挑戦状か…?!
ルイス・ブニュエルがその鬼才ぶりを如何なく発揮した『自由の幻想』をご紹介します。
映画『自由の幻想』の作品情報
【公開】
1974年(フランス)
【原題】
Le Fantome De La Liberte
【監督】
ルイス・ブニュエル
【キャスト】
ジャン・クロード・ブリアリ、モニカ・ヴィッティ、アドルフォ・チェリ、ジャン・ロシュフォール、パスカル・オードレ、ジュリアン・ベルトー、ミシェル・ピッコリ、ポール・フランクール、アドリアーナ・アスティ、エレーヌ・ペルドリエール、フランソワ・メーストル、ミレナ・ヴコティッチ
【作品概要】
スペインの鬼才ルイス・ブニュエルが〈真実を求める三部作〉の最終作として製作に当たったシュルレアリスムの快作。(他2作品は『銀河』、『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』)
ブラック・ユーモア満載の短いエピソードを連鎖させたオムニバス形式で展開され、フランスの名優ジャン=クロード・ブリアリやジャン・ロシュフォールが見事に演じている。
映画『自由の幻想』のあらすじとネタバレ
物語は1808年、トレドから始まります。当時ナポレオン軍の占領下にあったこの地では反逆者を捕らえ、銃殺刑に処していました。
壁の前へと連れて来られる捕虜たち。その中の一人が「自由くたばれ!」と叫び、銃殺されてしまいます…
…という本を読んでいた一人の女性。彼女はメイドをしていて、子供たち(2人の少女)を公園で遊ばせていた所でした。
少女2人が滑り台で遊んでいると、その姿を微笑みを浮かべながら見つめている一人の男が現れます。彼は少女に「プレゼントをあげるからおいで」と声を掛け、「誰にも見せちゃいけない。特に大人は」といって一枚の写真を渡しました。
家に戻った少女は母親にその写真を見せてしまいます。「何をしていたの?!」と叱責されるメイド。父親と二人で確認すると、写真は歴史的建造物のもので、「猥褻だ」と父親は破り捨てました。
その夜、ベッドに入った父親はなかなか寝付けません。ニワトリやら黒ずくめの女やら郵便配達員やらダチョウやら…とにかく色々な幻想を見ていました。
翌日、父親がかかりつけの医者の下を訪れると、私の管轄ではないから精神科医にかかれと言われます。実際に郵便配達員から手紙が届いたのだから夢でも幻覚でもないと父親。
そこへ現れた病院の看護師は、父の容態が悪化したとの連絡を受けていたようで、会いに行きたいからしばらく休む旨を医者に告げます。
雨の中を車で父親の下へと急ぐ看護師。途中戦車に乗った軍人に出くわし、「狐を見なかったか?」と尋ねられます。「見ていない」と看護師。「やっぱりいないじゃないか」と愚痴る軍人。
別れ際、この先は土砂崩れで通行できないと伝えられ、看護師は再び車で走り出しました。
土砂降りの雨の中、小さな宿に着いた看護師。電話を貸して欲しいと頼むも、この天気であいにく不通だと宿のオーナー。
身動きが取れない看護師は、一晩ここに泊まることにしました。宿の暖炉の前には神父たちがおり、どうやら彼らも足止めを食っているよう。
その後、2階の部屋へと案内される看護師。神父たちもそれぞれの部屋へと入っていきました。
その中の一室ではドアを開けっ放しでフラメンコを踊る男女がおり、うるさかったのか一人の宿泊客が迷惑そうな顔をしてドアを閉めます。
看護師が着替えを済ませるとそこへ神父たちがやってきます。彼女が危篤の父親を抱えていると知ったため、その無事を祈ろうというのです。
お祈りが済み、しばらくすると部屋はタバコの煙が充満し、看護師と共にポーカーに興じる神父たちの姿がありました。
するとそこへ新たな宿泊客が現れます。若者と老婦人で親子ほど年の離れた2人でした。その2人が部屋に入ると早速いちゃつき始めます。
どうやら2人は甥と叔母の関係のようですが、禁断の恋に落ちた模様。甥の方の興奮が高まり、身体をまさぐろうとすると叔母は拒否します。
触らないから裸だけでも見せてとせがむ甥。男の人に触られたことも見られたこともないと拒む叔母。
焦れた甥は強引に叔母の服を脱がせに掛かります。そうすると叔母も観念したのか自ら服を脱ぐからあっちを向いていてと甥に頼みます。
ベッドで裸で横たわる叔母。我慢しきれない甥が触ろうとするとやはり拒むので、カッとなった甥は枕で窒息させようとしますが、すぐにそれを止め、部屋を出て行きました。
ちょうどそこへ先程フラメンコの男女にイラついていた男が現れ、部屋でポルトーワインでも飲まないかと誘います。
その誘いに乗り部屋に行くと、一人の女性がいました。女性の名はローゼンブラム嬢。するとそこへ看護師が現れます。
神父たちも呼ぶよう男に促され、全員で部屋に集まりました。おもむろにローゼンブラム嬢は洗面室に入り、ボンテージのような衣装に身を包み、鞭を手に部屋に戻ってきました。
それと入れ違いで男も洗面室に入り、お尻が丸出しになった衣装に着替えて再び部屋へと戻ってきます。
看護師と神父たちが話していると突然鞭で叩かれる音が聞こえ、ローゼンブラム嬢が男の尻を鞭で叩いていました。皆に「見てくれ」と興奮した様子でせがむ男。その姿に皆は驚いて出て行きます。
翌朝、道路が開通したようで看護師が出発しようとすると、一人の男が同乗させてくれと頼みました。
快諾した看護師は、街でその男を降ろします。男が向かったのは警察学校で、彼はそこの講師を務めているよう。
早速授業を始めようとすると、ガス工場が爆発したという大事故が発生したため全員出動の命令が下りました。教室に残ったのは2人だけで、「君らは行かないのか」と尋ねると「私たちはムーラン鋭角北極課だから」とのこと。
残った2人に講師の男が、妻と2人である家に招かれた時の話を披露しました。その家は食事と排泄行為の概念が逆転しており、食卓テーブルがある所に便器が並び、離れた個室が食事スペースとなっていたのだとか。
そんな話をしていると、残った2人も11時から職務だからと出て行ってしまいます。2人の警官が路上で張っていると、明らかにスピード違反の車を発見し、その車を停止させました。
スピード違反の男は、医者の予約があるからと急いでいたよう。違反切符を切られた後、男は病院へと向かいます。
診断結果を報告する医者。レントゲン写真を2人で見ると、どうも何かはぐらかしているようでした。
そして、念のためにお腹にちょっとした穴を開けたいと医者は言います。「手術ってことですか?」と尋ねると「覗いてみるだけです」と医者。
男はたまらず「何か重大な病気ならちゃんと言ってくれ」と医者に詰め寄ります。すると医者は「肝臓がんでかなり進行している」と教えてくれました。
落ち込む男にタバコを薦める医者。男はそんな医者にビンタをかまして出て行きます。
映画『自由の幻想』の感想と評価
かつてこれほどまでに奇想天外な作品が存在したでしょうか。あらすじを書いていても途中から全く訳が分からなくなるようなこんな作品には、未だかつて出会ったことがありません。
そのスタイルはまさに独特で、まるで“しりとり”のようにシーンの終わりに登場した人物へと物語の焦点が次々に移り変わっていくというもの。
場面ごとの繋がりはその最後の登場人物のみで、一切ストーリーとしての脈絡もへったくれももないといった感じなのですが、全体を通じて見ると、ある共通したテーマでつながっています。
そのテーマが、ずばり“自由”。それぞれのストーリーで展開されるのは、それぞれの“自由”なのです。
“自由”というものは誰もが求めるもの。しかし、昨今(映画製作当時からそう変わっていない)声高に叫ばれている“自由”というものは、本当の意味での“自由”なのでしょうか?
それ故ブニュエルはこの作品で、“自由”というものをあまりにも都合よく解釈し過ぎていやしないか?と疑問を投げかけたのです。
そして彼は観客にとんでもないものを見せつけました。あまりにも自由な発想で物語を展開させることで、君たちの求める自由を体現したら、こんな無秩序な世界が出来たと言わんばかりに。
要は、人々が求めているのは普遍的な自由ではないのです。個人個人が身勝手な基準で決めつけたそれぞれの“自由”なのです。
一人の人間の身勝手な“自由”への渇望が生み出したのは、混乱と無秩序であり、静謐や平和とは程遠い存在でしょう。
だからこそブニュエルは叫んだのです。「自由くたばれ!」と。
ブニュエル自身が自由な作風を武器としているだけに、その彼がこのような主張(あくまで一解釈に過ぎませんが)をするのですから、非常に胸にズシンと響くものがありますね。
何よりこういった作品の奥深さをブラックな笑いで表現するというのが何ともブニュエルらしい!
肝臓癌の患者にタバコを薦める医者をビンタするシーンは思わず吹き出してしまいましたし、食事と排泄が入れ替わっているシーンや行方不明(?)の少女の捜索シーンではず~っとツッコミのいないコントを見せられているようで、何とも言えないクスクスとした笑いがこぼれます。
シュールな笑いの中に秘めた強い主義・主張が隠されているルイス・ブニュエル(特に晩年の)という監督は本当に底が知れません。
まとめ
『自由の幻想は』は、キリスト教異端事典を基に脚本が書かれた『銀河』(1969)、強烈な階級(ブルジョワジー)批判を展開させた『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(1972)に続く〈真実を求める三部作〉の最後を飾る作品と言われています。
3作品ともブラックなユーモアに溢れたギャグのような映画ですが、そこに込められた強烈な皮肉は、晩年になってもなお高まり続ける彼の強烈な批判的精神を感じさせますね。
『銀河』が皮肉ったように、キリスト教(というより神という存在全般的)に対する批判的な態度はずっと変わらず抱き続けており、本作でも神父たちに酒やタバコやギャンブルを思いっ切りやらせるなどの生臭坊主の演出はブニュエル作品ではもはやおなじみ。
彼のことですから一つ一つのシーンに他にも色々な皮肉を込めているのでしょうが、まだ全貌ははっきりとは分かりません。というよりも、分かる日が来るのかどうかする怪しいのですが…。
さて、最後になりますが、『自由の幻想』の次作に当たる『欲望のあいまいな対象』(1977)が実はルイス・ブニュエル最後の作品なんです。
こちらも謎の多い作品なだけに、やはりルイス・ブニュエルという監督は偉大だなと改めて感じさせられました!