連載コラム「メランコリックに溺れたい」第2回『グレタ GRETA』
こんにちは。今回はイザベル・ユペールがサイコなストーカーを演じた、ニール・ジョーダン監督の2019年11月8日日本公開の映画『グレタ GRETA』を紹介します。
〈ユペールがストーカー〉と聞くだけで、思わず映画的食指が動く人もいるのではないでしょうか。
主演作が年に数本あることもざら、どんな役もこなすフランスの大女優ユペールですが、その多彩なフィルモグラフィーの一筋には、加虐と被虐が交錯する『エル ELLE』(2016)や『マダム・ハイド』(2017)の多重人格の科学者といった〈狂気の系譜〉が連なります。
本作のユペールはニューヨークを舞台に、クロエ・グレース・モリッツに付きまとい、とことん追い詰める役どころ。さて、どんな“恐さ”を見せてくれるのでしょう……。
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映画『グレタ GRETA』の作品情報
【日本公開】
2019年(アメリカ映画)
【原題】
Greta
【製作・監督・脚本】
ニール・ジョーダン
【キャスト】
イザベル・ユペール、クロエ・グレース・モレッツ、マイカ・モンロー、コルム・フィオール、スティーブン・レイ
【作品概要】
イザベル・ユペールとクロエ・グレース・モレッツの初共演にして、ダブル主演となる『グレタ GRETA』。演出は『クライング・ゲーム』『ビザンチウム』などで知られるニール・ジョーダン監督。ニール監督が都会の闇に潜むスリラーを描きます。
キャストにはグレタ役を『エヴァ』のイザベル・ユペールが演じ、フランシス役を『クリミナル・タウン』のクロエ・グレース・モレッツが務め、エリカ役で『イット・フォローズ』のマイカ・モンローが共演を果たします。
映画『グレタ GRETA』のあらすじ
ニューヨークの地下鉄。レストランでウェイトレスとして働くフランシス(クロエ・グレース・モリッツ)は帰宅途中、誰かが座席に置き忘れたブランドもののバッグを見つけます。
中には身分証が入っており、親切にもフランシスは持ち主にバッグを届けに行きます。
その持ち主こそ、グレタ(イザベル・ユペール)。夫を亡くし、一人娘はパリの音楽院に留学中と、孤独に暮らすグレタに、最近母を亡くしたばかりのフランシスは心を寄せます。
グレタの住まいは、地下鉄の路線から推測するに、マンハッタンの86丁目、高級住宅街として知られるセントラル・パークの東側。
一方のフランシスはイースト・リバーを渡ったマンハッタンの郊外、しかも友人の部屋に同居させてもらっています。
フランスから来たという上品なマダムへの憧れもあったのでしょう。年の離れた友人として、お茶をしたり映画を見たり、保護犬を引き取りに行ったり、2人は次第に親密さを深めていきます。
ところが、一緒にディナーを作っていたある日、フランシスはグレタの家の戸棚に、自分が拾ったバッグと同じものが大量にしまい込まれているのを発見します。
バッグには「コレクション」のようにそれぞれ女性の名前が書いてあり、気味が悪くなったフランシスはあわてて逃げ帰ります。
そこから、グレタの執拗な付きまといが始まります。
着信履歴を埋め尽くす電話攻勢なんて序の口、グレタはフランシスの勤めるレストランの前で一日中待ち伏せし、それも無視すれば今度はフランシスの友人まで付け回します。
フランシスは、パリにいるはずのグレタの娘に連絡し、何とかしてもらおうとしますが……。
映画『グレタ GRETA』の感想と評価
所有したい…〈箱〉を巡る狂気
物語はフランシスを軸に展開しますが、映画のタイトルは『グレタ』であり、真の主人公はグレタでしょう。〈獲物〉でしかないフランシスは哀れ、やがて〈箱〉に閉じ込められてしまいます。
この箱は、グレタがかつて娘の「しつけ」に使っていたもの。悪い子は箱に、というわけです。
フランシスを〈所有〉したグレタは、娘の代わりとばかり、フランシスに厳しいピアノのレッスンやクッキー作りを強要します。母なる狂気です。
この〈箱〉から、強烈に想起させられる映画がありました。オランダのサイコ・サスペンス『ザ・バニシング-消失-』(1988)です。
参考映像:『ザ・バニシング-消失-』(1988)
シリアルキラーがある日、いつものように若い女性を手にかけるのですが、その恋人の男は〈いつも〉と違い、3年経っても彼女を捜し続けます。
新しい恋人との生活を捨ててまで「あの日、彼女に何が起きたのか」を追い求める様はまるで見えない相手をストーキングするようで、その執拗さに殺人者は心惹かれ、自ら犯人だと名乗り出ます。
彼女の消えた道筋をたどって2人は車を走らせ(なんて緊張感のあるドライブデート!)、殺人者は男の執念に報いるようにある〈箱〉をプレゼントします。ちょうど人間が入るほどの、大きな箱を……。
それは「彼女に何が起きたのか」に対する答えであり、絶望的なのですが、同時に消えた恋人の影を追い続ける男の渇望への充足でもありました。
殺人者は〈箱〉と男を永遠に見守ることに決め、ねっとりとした殺人者の視線で終わるラストシーンは相思相愛のハッピーエンドにも見えます。
代替可能な「フランシス」たち
かたや、『グレタ』の〈愛〉はグレタからフランシスへの一方通行です。
ストーカーなんだから当たり前だと思うかもしれませんが、最初はフランシスの方も亡き母の代わりとしてグレタを求めていました。落ちるべくしてグレタの手中に落ちたのです。
しかし、当然のことながらグレタは母ではなく、「気味の悪いおばさん」だと気付くと、フランシスはあっさりグレタから離れます。ここまで、映画が始まって約20分。仲良くなったとは言え、知り合いレベル。
なのに、その後に展開されるグレタのストーカー行為は執拗で、「まださほど親密じゃなかったのに、なんでそこまで……」と違和感を覚えるほどです。
それはおそらく、グレタにとっては自分の手からすり抜けて行った〈娘〉を再びコントロール下に置くことが目的で、対象がフランシスであろうとなかろうと(バッグの「コレクション」は少なくとも5つ以上はあった)、その過程がいちばん〈楽しい〉からではないでしょうか。
ちょうど蜘蛛が巣を張って、かかった蝶にウキウキと糸を絡み付けるように。
失踪したフランシスを探し、グレタの家に探偵がやって来るのですが、グレタは毒入りコーヒーをまんまと探偵に飲ませると、苦しむ探偵を見下ろし、嬉々としてダンスを踊ります。ここのショットは秀逸で、カメラはレコードから流れるショパンのピアノ協奏曲の調べに乗せて、軽快にステップを踏むグレタのストッキングを穿いた足を捉えます。
足しか映っていないのに、彼女の狂った〈喜び〉は手に取るよう。踊ったのはユペールのアドリブらしく、さすが本作で最もゾッとするシーンは、ユペールその人から生まれていました。
追ってくる敵を排除し、フランシスと料理もピアノも一通り楽しんだグレタは、ここであっさりフランシスを捨てることに決め、次の獲物を探し始めます。
もう手に入ってしまったから、興味が失せたのでしょう。次の〈フランシス〉が網にかかればよいのです。
そこはニューヨーク、成功を夢見ながら今は自分の部屋すら持てず、ブランドバッグに惹かれる少女なんて、いくらでもいるのですから……。
まとめ
ネタバレしない程度に言うと、フランシスを救うべく探偵以外にも〈王子様〉はやって来ます。ただ、そんな〈狙われて、助けてもらえる〉フランシスの造形が、『グレタ』を傑作にはしない一因かもしれません。
サイコパスなグレタと対峙するフランシスに、『ザ・バニシング』の恋人を追い続ける男のような強烈さはないのです。ヒロインがおろおろと受け身なだけの「おとぎ話」では、現代の観客、特に女性はちょっと物足りなく感じるのではないでしょうか。
とは言え、ユペールの〈狂気のダンス〉は一見の価値あり。
フランスを代表する女優であるユペールを、「ハンガリー生まれのくせにフランス訛りで喋る女」に設定しているなど、監督のシャレも随所に効いています。
ラストシーンの〈その後〉があれば、きっとグレタは、エッフェル塔からこんにちは、柔らかな笑顔でニューヨークの地下鉄への階段を再び軽やかに降りていくでしょう。
次回のメランコリックに溺れたいは…
次回は1970年代のアメリカで、30人以上の女性を惨殺したとされる男を描いた、映画『テッド・バンディ』をを取り上げます。
お楽しみに!