連載コラム「偏愛洋画劇場」第12幕
今回の連載は様々な話題を呼んだサイコ・スリラー映画『ブラック・スワン』(2010)です。
監督は低予算ながら斬新な映像とアイディアで数々の賞を受賞した『π』(1998)や、薬物中毒の人々を描いた『レクイエム・フォー・ドリーム』(2000)。
また、2017年は賛否両論を巻き起こした『マザー!』を発表したダーレン・アロノフスキー監督です。
鬼才がバレエの世界を舞台に、人間に潜む二重性をあぶり出した本作『ブラック・スワン』を、シュルレアリスム的な表現をまじえて解説していきます。
映画『ブラック・スワン』あらすじ(*ネタバレ)
ニューヨークに住むニナは、幼少期からバレエに励み、現在はカンパニーに所属してバレリーナとしての道を歩んでいます。
ニナの母親のエリカもかつては一流のプリマを目指していましたが、現在は娘のニナに自分が果たせなかった夢を託していました。
エリカの過保護っぷりはすごいもので、ニナがどこにいるか確認したり時には外出を止めたりと束縛しています。
ある日、所属するバレエカンパニーが『白鳥の湖』を上演することになります。
プリマであったベスが年齢を重ねていたため、カンパニーは新たな“白鳥の女王”を決める必要がありました。
カンパニーはフランス人演出家のトマが大胆に振付を変え、より官能的な踊りとして見せることを決めます。
見事白鳥の女王に選ばれたニナですが、女王は純真な白鳥の他に邪悪で官能的な黒鳥も踊らなければいけません。
ニナは新しくやってきたセクシーで奔放なリリーの方が役に合っているのではないかと悩みます。
女王役や母親からの重圧からニナは、だんだん恐ろしい幻覚を見るようになります。
厳しい練習に耐え、狂気を孕みながら迎えた本番初日。白鳥を踊りこなすニナですが、転倒してしまいました。
その後楽屋にやってきて自分が黒鳥を踊ると告げたリリーの腹部を刺し再び舞台に出て、黒鳥を完璧に踊りました。
リリーの遺体を隠そうと楽屋に戻りますがそこには何もありません。実はニナが刺していたのは自分自身だったのです。
フィナーレを迎え、血の滲んだ衣装で倒れこむニナ。観客は拍手喝采し、キャストやトマも彼女の元に駆け寄ります。
「感じた、完璧だったわ」そう残してニナは静かに目を閉じました。
ニナを演じたのはナタリー・ポートマン。
トマを演じるのは『アレックス』(2002)や『美女と野獣』(2014)のヴァンサン・カッセル、リリーを演じるのは『ステイ・フレンズ』(2011)や『テッド』(2012)で知られるミラ・クニス。
ニナが憧れ、かつてプリマだったバレリーナ役は90年代を代表する女優であるウィノナ・ライダーが演じています。
シュルレアリスム的な表現に満ちた作風
参考作品:『アンダルシアの犬』(1929)
『ブラック・スワン』にはシュルレアリスム的表現が多く使用されています。
シュルレアリスムとは、無意識のうちに頭の中で起こっていることを表現したもので、道理の分からない不合理な像、表現、描写を並列させた映像が特徴的です。
シュルレアリスム代表する記念碑的な映画は、1929年に発表されたフランス映画『アンダルシアの犬』。
ともに美術を学んでいたルイス・ブニュエルと、サルバドール・ダリによる短編作品です。
2人の芸術家の夢を映像化したこの作品に見られるように、プロットがなく不穏な映像、他のイメージを理解させないイメージが羅列されています。
今回取り上げた『ブラック・スワン』の他に、シュルレアリスムを用いた近年の作品にはデヴィッド・リンチの『ブルーベルベット』(1986)、ミシェル・ゴンドリーの『恋愛睡眠のすすめ』(2006)などがあります。
体から現れる棘、他人の顔が自分の顔へ変わる瞬間など、不気味なシーンが多い『ブラック・スワン』ですが、最も記憶に残る恐ろしいシークエンスは『白鳥の湖』公演前日の夜に見るニナの幻覚でしょう。
トマとリリーが舞台裏で行為に及んでいるのを目撃し、リリーの顔が自分の顔に変わっていくのを見たニナは急いで家に帰ります。
家では亡霊のような恐ろしいものが佇み、母親が描いた絵が一斉に笑いかけてきて、彼女は気絶してしまいます。
一連の出来事はすべて不合理なもので、ニナの動揺や恐怖、プレッシャーが幻影となって表れているにすぎません。
『ブラック・スワン』のテーマの1つは“1つではない自我”。
無意識を描くシュルレアリスム的表現が本作をより恐ろしく盛り上げています。
『パーフェクト・ブルー』との類似
『ブラック・スワン』に酷似した映画が、今敏監督によるアニメーション作品『パーフェクト・ブルー』(1997)。
今敏監督の大ファンであるアロノフスキー監督は、『レイクエム・フォー・ドリーム』を制作する際特定のシーンを引用するため、リメイク権を買い取ったこともあります。
アイドルだった女の子が女優に転身し、アイドルの“私”が現在の“私”に語りかけてくる、性的な表現を求められる、進もうとする道を阻む存在、夢と現実が交錯するといった内容など。
『ブラック・スワン』は『パーフェクト・ブルー』に似た点を多く持っています。
2つの作品に共通するシンボルが鏡”。割れた破片に映るいくつもの自分の顔や自分とは思えない自分の顔、無限に続く鏡のシーンは潜在する自我が徐々に姿を現していることを確認させます。
清純なニナですが、盗んだ口紅を塗ってトマへ会いに行ったりと勝気な面も持ち、また性へ対しても興味が無いわけではありませんでした。
母親の抑圧を拒み自分を解き放ち、白鳥と黒鳥の両面を持っている“自分”になることができた時の「完璧だったわ」の台詞は何とも力強く、美しいハッピーエンドではないでしょうか。
まとめ
数字に取り憑かれた男の現実と妄想を織り交ぜて描いた『π』、完璧な役を目指して痛みさえも忘れて踊るバレリーナを描いた『ブラック・スワン』。
ダーレン・アロノフスキー監督作品には心から欲するものへ突き進んだ時には痛みや恐れも超越するという、一種の恍惚と幸福が描かれています。
現在見ているものだけが現実ではない、無意識が現れた時、虚構が現実よりも強いパワーを持って自分へ迫ってくるかもしれません。
ぜひ、『ブラック・スワン』、『パーフェクト・ブルー』や『π』と合わせて今一度ご鑑賞してはいかがでしょう。
次回の『偏愛洋画劇場』は…
次回の第13幕は、1997年公開のウォン・カーウァイ監督の香港映画『ブエノスアイレス』をご紹介します。
お楽しみに!