連載コラム「銀幕の月光遊戯」第87回
映画『ある惑星の散文』は2022年6月04日(土)より池袋シネマロサ他にて全国順次ロードショー!
第33回フランスのベルフォール映画祭 長編コンペティション部門にノミネートされ話題となった映画『ある惑星の散文』が、4年の時を経て、日本で劇場公開されることになりました。
神奈川県横浜市の本牧を舞台に、2人の女性が人生の岐路をさまよう姿が、繊細なタッチで描かれます。
濱口竜介監督の『偶然と想像』(2021)などで助監督を務めてきた深田隆之の初劇場公開作品です。
映画『ある惑星の散文』の作品情報
【公開】
2022年公開(日本映画)
【監督】
深田隆之
【脚本】
深田隆之、島田雄史
【キャスト】
冨岡英里子、中川ゆかり、ジントク、渡邊りょう、鬼松功、伊佐千明、矢島康美、水越萌(声の出演)
【作品概要】
神奈川県横浜市の本牧で暮らす人生の岐路にたたされたた二人の女性に焦点をあて、彼女たちの心の機微を丁寧に描いた人間ドラマ。
濱口竜介監督の『偶然と想像』などで助監督を務めてきた深田隆之の初劇場公開作品。
映画『ある惑星の散文』のあらすじ
脚本家を目指すルイは、映画監督の恋人アツシと一緒に暮らすため、本牧のマンションの一室に自身の荷物を運び入れました。
アツシは今、海外の映画祭に出席していて、二人は毎日スカイプで連絡をとりあっていました。アツシは作品の評判がいいとご機嫌な様子でした。
荷物の整理をしていると、随分前に失くしたと思っていたアツシのビデオカメラが出てきました。そこにはアツシと付き合いはじめたばかりのルイの姿が映ったビデオテープが入っていました。
一方、芽衣子は舞台俳優として活動していましたが、精神疾患を患って劇団をやめることとなり、今はカフェで働いています。
ある日、そのカフェにルイが客としてやってきました。芽衣子とルイは互いに見覚えがあるような気がしましたが、思い出すことができません。
そんな中、急に兄から連絡を受け、会いに行った芽衣子は、田舎で暮らしている父が認知症になったことを報されます。
映画『ある惑星の散文』の解説と感想
「孤島」から「宇宙の入り口」へ
かつてはアメリカ軍の接収地として発展し、その後は、鉄道計画の頓挫などにより「陸の孤島」と称されることとなった街・本牧。この街に長年暮らす芽衣子とこの街にやってきたばかりのルイという2人の女性に焦点をあて物語は進みます。
冒頭、本牧の漁港をカメラが孤を描きながら、右へ右へとゆっくり移動していきます。このシーンはこの後も何度か繰り返されます。
この円形のイメージは、公園で芽衣子の兄が自転車で同じ箇所をぐるぐる回るシーンに引き継がれます。
また、ルイの部屋には緑の球体が転がっています。ただのゴムボールなのですが、タイトルとも相まって、ボールには地球のイメージが重なります。
本牧という都市の個性を魅力的に映し出した本作ですが、そこには、この街を単なる日本の一都市として見るのではなく、世界の一端、宇宙の一端としてとらえようとする大きな意志を感じさせます。ここでの本牧は「孤島」なのではなく、まるで宇宙の入り口であるかのようです。
それは映画の主題に関しても同様です。この街で暮らす2人の女性が経験する事柄は、今の時代を生きる女性にとって、他人事ではないと思わせる内容であり、「個人の私的な日常の問題から私たちの物語」へと受け入れられていくものといえます。
個から世界へ
主人公のひとり・ルイは脚本家志望で、恋人で映画監督のアツシと二人三脚で夢を追っています。しかし彼女は、海外の映画祭に出席しているアツシとスカイプで会話する中で、彼が部屋を整える恋人として自分を必要としていても、仕事のパートナーとしては必要としていないことに気付きます。
一方、もうひとりの主人公である芽衣子は、俳優として一度挫折を経験し、今は、少しずつ、社会復帰をめざしている段階にいます。俳優としてもう一度舞台に立つのか、まだ心は揺れ動いていて、精神的にも社会的にも不安定な立場にいます。
そんな彼女に父親が認知症を患ったという報せが兄から届きます。兄は、自分はこの地を動けないから、お前が田舎に帰って、父親の面倒を見ろと言います。
アツシも兄も振る舞いは極めて紳士的で穏やかな印象ですが、明らかな女性蔑視の傾向が見られます。彼らは、恋人と妹を自分の都合のよいようにしか考えていないのです。厳しく言えば搾取さえしています。
深田隆之は、2人の女性の日常を静かに淡々と綴り、人間の感情の機微を繊細にすくい上げながら、ジェンダーギャップや女性の連帯という社会問題、時代状況を浮かび上がらせます。物語は「個」から「世界」へと広がっていきます。
まとめ
漁港の移動撮影のシーンでは、ルイが、自身の脚本の一節を読み上げる声が重ねられています。人類が火星へ移住することが可能になった世界のことが淡々とした調子で語られます。
雨で路上が濡れた住宅地を映し出している場面でも、ルイの脚本の語りが重ねられています。それらを観ていると、まるでこの何気ない景色こそが火星の姿ではないのかと錯覚するような気分に襲われます。
何気ない普通の街でもSFが撮れるんじゃないか、特撮や特別なセットを用意しなくたって、ここが火星だといえば、火星になるのではないか。そんなわくわくするような思いを抱いてしまったのは、魅力的なカメラワークと劇伴によるところも大きいでしょう。
何段にも積まれたコンテナの山や、埠頭の景色は勿論のこと、洗濯物を干している時にカーテンを激しく揺らす一陣の風や、主人公たちを包み込む街の喧騒など。本牧という街の何気ない情景が、強く印象に残ります。
この地で2人の女性が、互いにその存在に気付き、距離を縮めていきます。それは人生の何かが「足りる」一つの瞬間なのかもしれません。
映画『ある惑星の散文』は2022年6月4日(土)より池袋シネマロサ他にて全国順次ロードショー!