連載コラム「銀幕の月光遊戯」第70回
2014年に台湾で起きた学生たちによる社会運動「ひまわり運動」のリーダーと、中国人留学生の人気ブロガーの活動を追ったドキュメンタリー映画『私たちの青春、台湾』が全国順次公開されています。
2021年1月23日(土)からは大阪のシネ・ヌーヴォ、1月29日(金)より京都みなみ会館、2月6日(土)より元町映画館にて関西地区での公開が始まります。
監督を務めたのは、リーダーやブロガーと同世代の傅楡(フー・ユー)です。台湾・香港・中国が抱える問題、民主主義の難しさにも言及しながら、台湾民主化の道のりを記録しています。
映画『私たちの青春、台湾』の作品情報
【公開】
2020年公開(台湾映画)
【原題】
我們的青春,在台灣 Our Youth in Taiwan
【監督】
傅楡(フー・ユー)
【キャスト】
陳為廷(チェン・ウェイティン)、蔡博芸(ツァイ・ボーイー)
【作品概要】
2014年3月17日、サービス貿易協定を国民党がわずか30秒で強行採決したことに抗議し、学生たちが立法院(国会)に突入。23日間にわたって占拠した運動は「ひまわり運動」と呼ばれ、台湾世論の支持を集め、政治を大きく動かしました。
そのリーダーと、中国人留学生ながら台湾の民主運動に加わる人気ブロガーに未来をみた傅楡(フー・ユー)監督によって撮られたドキュメンタリー作品。
2018年・第55回金馬奨では最優秀ドキュメンタリー賞を受賞しました。
映画『私たちの青春、台湾』のあらすじ
2011年、監督の「私」は魅力的な二人の大学生と出会いました。ひとりは台湾学生運動の中心人物・陳為廷(チェン・ウェイティン)。もうひとりは台湾の社会運動に参加する人気ブロガーの中国人留学生・蔡博芸(ツァイ・ボーイー)です。
当時、「私」は社会運動が世界を変えると信じ始めていました。そして2人の影響で社会運動への支持が広がることを期待するようになりました。世界が変わるのなら、「私」の手ですべて記録したいと思いフィルムを回し始めます。
2014年、為廷は林飛帆(リン・フェイファン)と共に立法院に突入し、ひまわり運動のリーダーとして一躍社会運動の寵児となりました。
“民主”が台湾でどのように行われているのか伝えたいと博芸が書いたブログは、書籍化され大陸でも刊行される人気ぶりを見せました。
しかし彼らの運命はひまわり運動後、失速していきます。
ひまわり運動を経て、立法院補欠選挙に出馬し国会進出をめざした為廷は過去のスキャンダルで撤退を余儀なくされ、大学自治会選に出馬した博芸は、彼女がトップになることを望まない人たちから国籍を理由に不当な扱いを受け敗北します。
それと同時に「わたし」の手も止まってしまいます。「わたし」が撮りたかったものは撮れなかったという現実が「わたし」を苦しめます。その失意は私自身が自己と向き合うきっかけとなっていきます……。
映画『私たちの青春、台湾』の解説と感想
「ひまわり運動」を記録する
2014年の「ひまわり運動」は、若者による社会運動の貴重な成功例として評価されていますが、本作は運動の渦中で起こった複雑な事柄も赤裸々に映し出しています。
監督の傅楡(フー・ユー)は台湾学生運動の中心人物、陳為廷(チェン・ウェイティン)と、中国からの留学生ながら、「民主」に興味を持ち台湾の社会運動にも参加する蔡博芸(ツァイ・ボーイー)という2人の若者に魅了され、彼らなら自身が追い求める世界を見させてくれるのではないかと期待して2人を撮り始めました。
チェン・ウェイティンは台湾人、ツァイ・ボーイーは中国人、そしてフー・ユーは華僑の両親から生まれた非本省人二世です。
3人にとってその違いはとりたてて問題になるものではありませんでした。フー・ユーは、「台湾」、「中国」、「香港」がゆるやかにつながることを求めていましたし、彼女たちは中国、台湾、香港を軽々と横断してもいます。
しかし運動が高まるに従ってナショナリズムが広がり、「台湾人」としての誇りが生まれると同時に、反中的な言葉が飛ぶようになります。それらの言葉に中国籍のツァイ・ボーイーは傷つきます。
個人と個人であれば理解しあえて友情を築けても、国と国の関係になると問題は根深く複雑になっていきます。
また、運動の中で、彼らは民主主義の難しさに直面します。立法院を占拠したリーダー的なグループは密室の中の会議で方針を決めてしまいます。
彼ら自身もその矛盾に気づきますが、「すべての人に話を聞けば絶対に反対意見が出てくるから」と言った言葉まで飛び出してきます。
しかしそうした矛盾や難しさに直面するという過程があったからこそ若者たちはさらに成長し、「ひまわり運動」は台湾の人々に大きな影響を与え、今の民主的で進歩的な台湾社会の礎を築くものとなったのです。
ところでフー・ユーは、チェン・ウェイティンらの運動方針に疑問を持ち、一時期距離を置いていたために、立法院を占拠する瞬間を撮り損ねています。
そのことを後悔するモノローグも入っていますし、運動の記録としては、肝心な部分が他者のフィルムを借りたものという弱さがあるかもしれません。しかし、それもまたリアルな記録のひとつの形であり、本作のユニークな部分と言ってもよいでしょう。
三人三様の青春
フー・ユーがウェイティンとボーイーを撮り始めたのは2011年です。その数年後にウェンティンが立法院を占拠し、「ひまわり運動」という運動を成功させた若者たちのリーダーになっているとは、当のウェンティンですら、希望は抱いていたとしても、確信はなかったでしょう。
長い間、彼らの活動を観てきたという点で、本作は、「ひまわり運動」という1つの社会運動の記録というだけでなく、チェン・ウェイティンとツァイ・ボーイーという2人の若者の生き様を真摯に描いた作品として記憶に残ります。
フー・ユーが彼らに魅了され、彼らなら成し遂げてくれると期待したように、映画を観るものも、2人に魅了されていきます。純真な心で一途に突き進む姿はキラキラと輝いており、眩しいくらいです。
しかし、人生はままならぬもの。大きな挫折を味わう2人の姿もカメラは捉え続けます。深い信頼関係を築いていたからこそ、この撮影は可能だったのでしょう。
単にドキュメンタリーを作りたいだけなら、社会運動に関わった若者の栄光と挫折として、それはそれで見応えのある作品になっていたと思われますが、2人の挫折によってフー・ユーの制作もストップしてしまいます。
観る者は、この映画がチェン・ウェイティンとツァイ・ボーイーと共に、監督フー・ユー自身の思いが記録され、描かれていたことに気付かされるでしょう。だからこそ本作は観る者に何か特別な魅力と感慨を持たらし、まさに「青春」という言葉がふさわしい作品に仕上がったといえます。
2人に自身の理想を投影していたフー・ユー。2人の挫折は彼女自身の挫折でもあり、2人の苦しみは彼女自身の苦しみでもありました。
その後、彼女がどのようにして映画を完成させたのか、そして自身の経験から何を導き出したのか。それがこの映画の核たる部分です。そこから私たちは多くを学ぶことができるでしょう。
まとめ
映画には、香港の民主活動家の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)、周庭(アグネス・チョウ)らと交流する姿が映し出されています。香港と台湾の若者は、皆、楽しそうににこやかに笑っています。
黄之鋒(ジョシュア・ウォン)、周庭(アグネス・チョウ)が無許可集会扇動の罪で実刑判決を受け投獄されている今、彼らが見せる屈託のない笑顔に胸が痛みます。
民主主義とは当たり前に存在するものではありません。昨今の日本の様子を見ていると、そのプロセスを蔑ろにしたり、軽んじる風潮があるように思えます。
この映画はそんな状況に直面している私たちに多くの大切な示唆を与えてくれます。