連載コラム「銀幕の月光遊戯」第38回
映像と音楽がコラボレーションした作品を送り出す若手作家の登竜門「MOOSIC LAB 2018」長編部門として制作された映画『左様なら』。
監督は本作が長編映画デビュー作となる石橋夕帆。
漫画家・イラストレーターである“ごめん”が自身のTwitterで発表した同名タイトルの短編漫画を長編映画として映像化しました。
芋生悠、祷キララら、総勢22人の若手俳優が見事なアンサンブルを見せる青春偶像劇です。
映画『左様なら』は、2019年9月6日(金)より、UPLINK吉祥寺ほか全国順次公開されます。
映画『左様なら』のあらすじ
©2018映画「左様なら」製作委員会
高校生の岸本由紀は、放課後、気の合うクラスメイトとお茶したり、幼馴染の飯野慶太の犬の散歩につきあったり、平凡だけれど平穏な日々を送っていました。。
中学生時代からの友人、瀬戸綾とは、放課後図書館で一緒に課題の本を探したり、一緒に帰ったりする仲です。クラスメイトの一人は「瀬戸さんには頭が悪いことをなんだか見透かされていそうで、緊張する」と言うのですが、「しゃべったらすごく良い子だよ」と由紀は応えます。
ある日の放課後、綾と一緒に海辺に行った日、彩は中学時代に亡くなった教師の葬式の話をはじめました。由紀ちゃんだけ泣いていなかったという彩。
「いい先生だったと思うけれど、特に思い入れがあったわけじゃないから」と応える由紀に彩は言いました。「みんなそうだよ。私だって好きでも嫌いでもなかったもの」
そして彩は突然引っ越すことになったと告げます。あまりにも突然のことで驚く由紀。新しいお父さんが転勤することになったのだそうです。
「もう由紀ちゃんと会えなくなるね」と彩は言うと、放心したような由紀に近づき、唇にキスしました。
その翌日、彩が交通事故で亡くなったという知らせが飛び込んできました。彩の葬式で、由紀は彩の母親から彩と仲良くしてくれてありがとう、と声をかけられますが、「いえ」と応えるのが精一杯でした。
クラスメイトが突然亡くなったことで、クラスには動揺が走りますが、やがて彩は自殺だったのではないかという噂が立ち始めます。
中でもクラスの中心的女子グループのリーダである安西結花はあらぬ噂を語り、彩なんていてもいなくても一緒だと笑い飛ばしていました。
彩の席に飾られた花の水を替えていた由紀は、思わず結花に近づき水を浴びせていました。
そのことがきっかけで、由紀は周囲から距離を置かれるようになってしまうのですが・・・。
映画『左様なら』の解説と感想
2人の少女の間にあるもの
©2018映画「左様なら」製作委員会
瀬戸綾役の祷キララは、12歳で安川有果監督の『Dressing Up』(2012)に主演し、暴力的感情を抑えられない少女を演じ、圧倒的な存在感をみせていました。
本作でも、瀬戸彩は物語のキーパーソンとなる人物で、彼女の不慮の死が、残されたクラスメイトに波紋を投げかけていきます。
瀬戸彩という存在は、人によっては、何か自分が見透かされているかのような気を起こさせる威圧感の持ち主であり、また別の人々には無邪気な恋愛や憧れの対象であったりします。
穏やかな笑顔を見せているのに、どこかとらえどころがなく、はりつめた孤独感が漂うこの少女は、祷キララが演じたからこそ、謎めいた人物として、その不在を全編に渡って意識させる人物となっています。
一方、彩の友人である芋生悠扮する岸本由紀は、人当たりのいい、爽やかな少女として登場します。
面白いのは、2人には確かな友情があったのは事実ですが、親友だったり、あるいは、共依存するような仲ではなく、本当にごくありふれた気の合うクラスメイトであるという点です。
しかし、それは由紀の側からの視点に過ぎないのかもしれません。彩のほうが由紀に依存する部分があったのか、彩のほうが由紀をもっと好きだったのか、2人の間の微妙な違いが画面にかすかに揺れ動いており、そうした繊細な感情が、ほのかに漂ってきます。
少女の不在がもたらすもの
©2018映画「左様なら」製作委員会
彩の死は、クラスに大きな衝撃をもたらします。生徒たちが、それぞれのグループ内で、それぞれの反応を見せるシーンが、昼休みの購買に並ぶ列を通して描かれる様はたくみです。
とはいえ、ここでは『桐島、部活やめるってよ』(2012/吉田大八)のように、一人の同級生の不在が、大きな物語を作るわけではありません。
岸本由紀は彩を失ったことがきっかけで、クラスからハブられる存在になってしまいます。次第に笑顔が減っていく由紀を芋生悠が繊細に演じており、その姿は痛ましいものですが、一方で、その生活を静かに受け入れるような不思議な強さも感じさせます。
しかし、他のクラスメイトの反応は人によってまちまちです。始めのころの驚きと悲しみは、やがて、良からぬ噂話となった一種の“娯楽”になり、中傷を口にする者まで出てきます。中には何の感情もわかない生徒もいたかもしれません。
『左様なら』という映画は一人の少女の不在が、誰かの成長の物語になることを描いたものではなく、日常の中の一コマとして、空気のようにたゆたう姿を追った作品なのです。
いやがおうにも移ろいゆく日々と、記憶の風化の中、不意に思い出される亡きクラスメイトの存在が、丁寧に積み重ねられた脚本のもと、静かに現れては消え、消えては現れてくるのです。
“教室ごと”描く青春映画
©2018映画「左様なら」製作委員会
映画を観る前に、プレスシートのキャストの紹介を見て驚きました。22人のクラスメイトが全て紹介されているからです。メインキャストの数名が記載されるだけのことが多い中で、これは異例のことです。
しかし映画を見て、納得しました。本作は22人もの生徒たちを主人公にした偶像劇なのです。
監督の石橋夕帆が“あの時間を、あの空気を、教室ごと描こうと思いました”と語っているように、教室に毎日集う生徒たち全ての物語なのです。
教室という空間を共に生活する、人生の中でも特別なあのひととき、あの瞬間の感情をダイナミックにスケッチしようという野心作といっていいでしょう。
思えば、どういう基準で、どういう偶然で集まったかもよくわからない人間が同じ空間で一年の大半を共に生活する教室というものは不思議で不条理なものです。
そうした空間に流れる独特の世界を映画は見つめていきます。女子によるいじめの構造は、クラスの空気を不穏なものにしており、それにイラつきながらもどうすることもできない男子生徒の姿も描かれています。
いじめがないかどうか、学校側が形だけのようにとるアンケートのシーンでは、いじめの中心的人物から命令され瀬戸彩の体操服を隠したことを、ひとりの少女が一世一代の勇気を振り絞り告白します。
にもかかわらず、それは教室内に小さな波紋を起こしただけで、たいして取り扱われずに終わってしまいます。
拳を振り上げながら、そっともとに手を戻さなければいけない少女の不合理さ。そうした光景を、ワンカットの長回しで撮っており、圧巻と言わずに入られません。
遠足の班分けや、日常的につるむグループのメンバーの微妙な変遷などは、学生時代を過ごす人(過ごした人)、誰もが思い当たることがらでしょう。
たわいない趣味の話や、恋愛感情、屈託のない笑いやささやかな話題のやり取りなど、教室内が世界の全てだったころの光景が、激しい糾弾や残酷さではなく、いささかのシニカルさと、少しの優しさを伴って描かれていくのです。
さらに、外の世界へとほんの少し歩む由紀の姿が描かれているところにも救いが感じられました。
まとめ
©2018映画「左様なら」製作委員会
ストーリーの展開の仕方に不満がないわけではありません。とりわけ、ラストの情景には少々納得がいかないところがあるのが正直なところです。
しかし、見終わった今、セリフのない人物の表情も全て思い出せるのです。
力のある若い俳優が多いのだなと実感するとともに、十数回の連続ドラマでならやれそうな22人の物語を一つの映画として描ききる石橋夕帆監督の技量にすっかり感嘆してしまいました。
石橋夕帆監督は、2015年制作の短編映画『ぼくらのさいご』が田辺・弁慶映画祭コンペティション部門に選出され映画.com賞を受賞。横濱HAPPY MUS!C 映画祭で音楽映像部門最優秀賞を受賞。SKIPシティ国際Dシネマ映画祭、福岡インディペンデント映画祭など数々の国内映画祭に入選、上映されています。
2016年の短編『それからのこと、これからのこと』には、本作の主演である芋生悠が出演しています。
今、もっとも注目すべき若手監督として、次回作がとても楽しみです。
また、クラスの女子のボス的存在、安西結花を見事に演じた日高七海は、MOOSIC LAB 2018の3作品、本作『左様なら』、『無限ファンデーション』(大崎章)『いつか輝いていた彼女は』(前田聖来)に出演しスペシャルメンション賞(個人賞)を受賞しています。今後のますますの活躍が期待されます。
次回の銀幕の月光遊戯は…
日本映画『無限ファンデーション』をお届けする予定です。
お楽しみに!