連載コラム『だからドキュメンタリー映画は面白い』第64回
今回取り上げるのは、2021年11月12日(金)より、新宿武蔵野館ほかにて全国順次公開の『ドーナツキング』。
『エイリアン』(1979)、『グラディエーター』(2000)のリドリー・スコット製作総指揮による、無一文でカンボジアからアメリカに渡り、全米の”ドーナツ王”となった男の、激動の人生をつづります。
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映画『ドーナツキング』の作品情報
【日本公開】
2021年(アメリカ映画)
【原題】
The Donut King
【監督・共同脚本・製作】
アリス・グー
【製作】
トム・モラン
【製作総指揮】
リドリー・スコット
【脚本・編集】
キャロル・マルトリ
【音楽監修】
ライザ・リチャードソン、ダン・ウィルコックス
【キャスト】
テッド・ノイ(ブンテク)、クリスティ(スガンティニ)、チェト・ノイ、サヴィ・ノイ、クリス・ノイ、チュオン・リー、メイリー・タオ、スーザン・ワヒド、アマンダ・タン、アダム・ヴォーン、チャイブン・ノイ、グウェンドリン・ラオ、ブンタオ、ジェームス・ヴァー二ー、ボブ・ローゼンバーグ
【作品概要】
アメリカ人が愛してやまないドーナツ店の経営で、誰もがうらやむアメリカンドリームを掴んだカンボジア人、テッド・ノイにスポットを当てたドキュメンタリー。
彼がいかにしてアメリカに渡り、いかにして現在も脈々と継がれるドーナツ店経営に至ったのか、その数奇な人生に迫ります。
監督は、ヴェルナー・ヘルツォーク、ステイシー・ペラルタ、ロリー・ケネディらの作品で撮影監督としての経験を積み、本作が長編映画デビューとなるアリス・グー。
リドリー・スコットが製作総指揮を担当した本作は、2020年の米サウス・バイ・サウスウエスト(SXSW)映画祭で審査員特別賞を受賞し、米映画批評サイトRotten Tomatoesで満足度97%を獲得しています。
映画『ドーナツキング』のあらすじ
無一文でカンボジアからアメリカへ渡り、ドーナツ店の経営で資産2000万ドルを所有する“ドーナツ王”となったテッド・ノイ。
誰もがうらやむアメリカンドリームを掴んだ彼は、なぜアメリカに渡り、いかにしてドーナツ店経営に至ったのか?
カンボジア内戦や難民問題、大手チェーン店と個人経営店が対立する最新ドーナツ事情、そして自身が起こした過ちなど、数々の苦難を乗り越えてきた甘くて苦い人生をひも解きます。
円(えん)もゆかりもあるアメリカとドーナツの関係
アメリカのテレビ番組や映画では、とかくドーナツを目にします。
『ローマの休日』(1954)の元ネタとなった『或る夜の出来事』(1934)で、新聞記者が富豪令嬢にドーナツをコーヒーに浸ける食べ方”ダンキング”(「ダンキンドーナツ」の社名はここから)を教えれば、長寿テレビアニメシリーズ「シンプソンズ」(1987~)では、ドーナツをこよなく愛するシンプソン家の大黒柱のホーマーが、その愛ゆえに悪魔に魂を売り渡します。
カルト的人気を博したテレビドラマシリーズ「ツイン・ピークス」(1990~91、2017)でもFBI捜査官のクーパーが会議時のテーブルにドーナツを大量に並べ、マーベルヒーローのアイアンマンも、『アイアンマン2』(2010)で早朝にランディーズドーナツ(LAを拠点とするチェーン店)の巨大看板の上でドーナツをほお張っていました。
年間ドーナツ消費量が約100億個ならば、2万5,000以上ものドーナツ店が存在。店舗も、ただ存在するだけでなく、北東部はダンキンドーナツ、西側はウィンチェルドーナツと、地方ごとにチェーン店の勢力が分かれるほど(ダンキン、ウィンチェルいずれも日本進出歴あり)。
「ドーナツの起源は新石器時代から」、「アメリカのドーナツはオランダ系やフランス系移民が広めた」など、その歴史については諸説ありすぎるので細かくは触れませんが、とにかく現代アメリカとドーナツが円(えん)もゆかりもある関係なのは確かでしょう。
本作『ドーナツキング』は、そんなドーナツ大国アメリカで、“ドーナツ王”に君臨した男の半生にスポットを当てます。
『ツイン・ピークス The Return』(2017)
難民から王になった男
ドーナツ大国だけあって、アメリカではどんな小さな町にも必ず1つはドーナツ店があるといいます。
中でもカリフォルニア州は、同州に本社があるウィンチェルの約300店以外に、約5,000もの個人経営店が軒を連ねる激戦区ですが、そこを拠点に“ドーナツ王”になった人物こそ、テッド・ノイです。
1941年にカンボジアで生まれた彼は、70年に首都プノンペンに陸軍少佐として勤務。混乱極める内戦状態の中、妻クリスティや子供たちと共にタイへ異動します。
ところが75年、過激な共産主義勢力クメール・ルージュがプノンペンを制圧。国号は民主カンプチアに改められ、農本主義を理想とする指導者ポル・ポトは国民に過酷な農作業労働を強いるとともに、知識人たちを粛清します(カンボジアの内戦および大虐殺については『キリング・フィールド』、『FUNAN フナン』などに詳しい)。
帰る国を失い難民となったテッドは軍職の伝手で米軍機に乗り、一家でアメリカのカリフォルニアに脱出。そこで、甘い香りに誘われるがまま入った店で売られていたドーナツの美味しさに、衝撃を受けます。
ドーナツに魅せられるあまり、ウィンチェルでの研修を経て店舗責任者となり、それと並行して妻の名前を冠した自店を開業しますが、彼のビジネスセンスが開花するのはここからでした。
大手チェーンを相手にテリトリー争いが激しいカリフォルニアのドーナツ競争で、いかにして彼は勝ち組となったのか?本作ではそのビジネスの極意を、本人の証言を元に解き明かしていきます。
そのどれもがユニークに富んでいるその極意については、是非ともスクリーンで確認してもらいたいのですが、それに付随する事実をここでひとつ明かすと、カリフォルニアの個人経営店の約90%を、カンボジア系アメリカ人が経営しています。
つまりこれは、テッドが自分の店で同胞のカンボジア難民たちを雇い、彼らにドーナツ製造のノウハウを教えて自活できるように手助けした成果でした。
“暴君王”ポル・ポトが生んだ難民を、元難民の“ドーナツ王”テッド・ノイが救う――本作はアメリカのドーナツ史でありながら、知られざるカンボジア史でもあります。
ドーナツに不可能はない
まさにアメリカンドリームを実現した人物として大統領からも表彰されるテッドですが、好事魔多し。ドーナツとは別の甘い誘惑に負け、彼の歯車は一気に狂うことになります。
本作の製作総指揮を務めるリドリー・スコットといえば、『エイリアン』や『ブレードランナー』(1982)のイメージから“SF映画の巨匠”と称されがちですが、『ゲティ家の身代金』(2017)、最新作の『ハウス・オブ・グッチ』(2022)など、富や権力を成した人物の確執・転落を描いた作品も手がけています。
また、難民から富豪となったテッドは、『エクソダス:神と王』(2015)での奴隷から民の指導者となるモーゼと重なることからも、もしかしたらリドリーは、元々はテッドを主人公としたドラマ映画を製作するつもりだったのかもしれません。
そのままドラマ映画にしても十分見応えがあったと思われる、波乱万丈な人生を歩んできたテッド。
ですが本作では、現在も生き残りが激しいアメリカのドーナツビジネスにおいて、脈々と受け継がれる彼の功績も描いています。
「ドーナツに不可能はない」とは「シンプソンズ」のホーマーの言葉ですが、テッドもまた、新規参入しても不可能とも思えるドーナツビジネスに着手し、見事にアメリカンドリームを可能にしました。
常に目新しさが求められるアメリカのドーナツ事情。その尽きない可能性が盛り込まれた本作を観て目を円くした方なら、間違いなくドーナツが食べたくなるはずです。