人間がゾンビを食料にするという、独特の世界観で、システムの故障により脱走したゾンビと、人間の戦いを描く21分の短編映画『Walking Meat』。
第51回「シッチェス・カタロニア国際映画祭」など、海外の映画祭でも上映され話題となった、本作をご紹介します。
映画『Walking Meat』の作品情報
【公開】
2019年公開
【監督】
須貝真也
【キャラクターデザイン】
神田己司
【プロデューサー】
西村知恭
【声の出演】
内田真礼、落合福嗣、津田美波、津田美波、三瓶由布子
【作品概要】
「Production I.G」のCGチームらによって設立されたアニメCGスタジオ「サブリメイション」オリジナル短編映画。
『神撃のバハムート GENESIS』』『魔法使いの嫁』などのアニメ作品に携わってきた、須貝真也の初監督作品。
映画『Walking Meat』登場人物紹介
マリン(CV:内田真礼)
気が強くて勝ち気で、口が悪い。
SNSで「マリンチャンネル」を配信しており、ゾンビに追いかけられている時でも配信を続ける、マイペースな性格。
特技はポールダンスで、アクロバティックな動きが得意。
マサル(CV:落合福嗣)
「未来のCEO」を自称し、難解なワードを連呼する、意識だけがやたら高い性格。
都合の悪い事は、全部人の責任にしてきた為、自分で決断する事ができない。
教育係のハセガワを目の敵にしており、口癖は「昭和か!」
カオリ(CV:津田美波)
自分で何も考える事ができない、指示待ち人間。
だが、マニュアルを与えられると、全ての内容を把握し、正確に実行する事ができる。
ハセガワ(CV:津田健次郎)
3人の教育係を担当する、全ての電子機器に弱いアナログ人間。
かつては、1人でゾンビ500体を葬り「鬼のハセガワ」と恐れられていたらしい。
映画『Walking Meat』あらすじ
世界中に溢れたゾンビを、人類が加工して食料にしている、ゾンビと人間の立場が入れ替わった時代。
ゾンビを食料に加工する工場に就職した、マリン、マサル、カオリの3人は、教育係のハセガワに連れられて、工場での初日を迎えます。
最初に工場の歴史を、ロボットのバブが説明しますが、3人は一切話しを聞いておらず、全くまとまりません。
次に、工場内部を見学に行く事になりますが、ハセガワがパソコンのネット回線を誤って遮断し、パソコンの復旧を試みたマサルが、適当に操作してしまった事で、工場内のゾンビ達を管理しているシステムが停止してしまいます。
映画『Walking Meat』感想と評価
「人類が、ゾンビを捕食する時代」という、独特の設定で展開される『Walking Meat』。
ですが、作品のテーマは「世代間のギャップ」という身近なものとなっています。
ゾンビを食品加工する工場に就職した3人の個性は三者三様で、マイペースなマリン、意識高い系のマサル、指示待ち人間のカオリという、いわゆる「ゆとり世代」の特徴が反映されたキャラクターとなっています。
3人を指導するハセガワは、高度経済成長期時代の、仕事一筋だったサラリーマン世代を皮肉っていると思われるキャラクターです。
ハセガワが語る、1人で500人のゾンビを倒した、かつての武勇伝「鬼のハセガワ」時代の話は、会社の上司から、いわゆる「モーレツ社員」時代の話を聞かされている時と同じような面倒くささがあります。
世代も個性も違う4人ですが、襲いかかるゾンビを前に、協力をしなければならない状況に置かれます。
そして、それぞれが自分の長所を活かし、他者と連携する事で、絶体絶命とも思える危機を乗り越えていきます。
世代のギャップがあるとは言え、同じ日本に生まれ共通の言語で意思の疎通ができる日本人同士、分かり合えない訳が無いのです。
これからの日本を作るのは、間違いなく、昭和と平成生まれの世代です。
そう考えると、世代のギャップを乗り越え、ゾンビと戦う本作が、令和元年に公開された意義は大きいと感じます。
ゾンビが出てくる作品ですが、軽快でコメディ色の強い、明るい作品なので、ホラーが苦手な方も楽しめますよ。
ただ、人間がゾンビを食料にするようになった、時代背景を考えてみると、やっぱり怖い部分はありますね。
まとめ
昭和世代と、ゆとり世代が協力し、ゾンビに立ち向かうユニークな設定の『Walking Meat』。
ゾンビ映画は総じて人間ドラマであり、制作された時代背景が大きく影響する部分が面白い所だと思います。
ここでは、『Walking Meat』のようなさまざまな時代背景を感じる、変わり種のゾンビ映画をご紹介します。
まずは、ゾンビコメディ映画の金字塔とも呼ばれる、2004年の映画『ショーン・オブ・ザ・デッド』です。
参考映像:エドガー・ライト監督『ショーン・オブ・ザ・デッド』(2004)
無気力な主人公ショーンが、恋人のリズを救う為、居候のエドと共にゾンビに立ち向かうという内容。
本作では、ショーンを始め、ゾンビと変わらない無気力な人間の描写を取り入れ、当時のイギリスに蔓延していた倦怠感を表現しています。
また、ゾンビが街中に溢れているのに、それに気付かない「他人への無関心さ」も風刺しており、ゾンビと無気力に生きている人間の変わらなさを、皮肉たっぷりのブラックジョークで描いている作品です。
続いては、ゾンビがペットになった時代を描く、2006年の作品『ゾンビーノ』。
ゾンビを人間が管理する時代という設定は、『Walking Meat』に通じる部分を感じます。
参考映像:アンドリュー・クリー監督『ゾンビーノ』(2004)
「ゾンビ調教首輪」が開発され、家庭に1人、召使いとしてゾンビを飼うことが当たり前になった時代を描く、ハートウォーミングなゾンビ映画。
何故、ハートウォーミングなのかというと、「ゾンビ調教首輪」が破壊された後も、ゾンビと少年の間に友情と信頼関係が生まれ、最後はゾンビが父親の代わりになるという、凄まじい展開を見せます。
家庭内暴力が問題になり、深刻になり始めた時代の作品ですから、このラストには「人でなしの人間より、ゾンビのほうが良い」というメッセージを感じます。
最後は、2005年の映画『ランド・オブ・ザ・デッド』です。
参考映像:ジョージ・A・ロメロ監督『ランド・オブ・ザ・デッド』(2005)
ゾンビの生みの親とも言える、ジョージ・A・ロメロ監督により制作された本作は、ゾンビが蔓延する世界で、高層ビルに住む富裕層と、スラムに押し込まれた貧民層に分かれた、格差社会を描いています。
本作の特徴は、知恵を持ち、道具を使うようになるゾンビが登場し、富裕層を追い詰めるという部分です。
「ゾンビは社会的な弱者」という、ジョージ・A・ロメロ監督のこだわりを感じる作品です。
このように、ゾンビ映画には、常に社会や世相が反映されていると言えます。
『Walking Meat』は、日本特有ともいえる世代間のギャップをテーマにしたゾンビ映画です。
常に変わりゆく時代の中で、次はどのようなゾンビ映画が登場するのでしょうか?