新しいカタチでの映画制作『神在月のこども』が2021年10月8日(金)に公開。
オリンピック・パラリンピックや万博等の国際的イベントを見据え、世界に向けて日本を知ってもらうために企画された『神在月のこども』。2020年10月の東京国際映画祭でのスタートアップイベントから一年、ついに公開された本作をご紹介します。
私たちの生活に根付いている八百万の神々への信仰。世界の人々の知らない日本の姿を、少女の成長物語とともに描くこの『神在月のこども』。
現代の日本に暮らす私たちにとっても、忘れがちななにかを思い出させてくれる作品です。
『神在月のこども』の作品情報
【公開】
2021年(日本映画)
【監督】
四戸俊成(原作・コミュニケーション監督)
白井孝奈(アニメーション監督)
【キャスト】
蒔田彩珠、坂本真綾、入野自由、柴咲コウ、井浦新、神谷明、新津ちせ、永瀬莉子、高木渉、茶風林
【作品概要】
エンターテイメントと地方や企業を結ぶ数々の企画を実現させてきたcretica universalの四戸俊成が、島根県生まれのプロデューサー三島鉄兵、祖母が島根にいるアニメーターの白井孝奈とともに、クラウドファンディングでアニメーション映画制作を立ち上げたことで始まったプロジェクト。
「名探偵コナン」シリーズのプロデューサーである諏訪道彦をスーパーバイザーに迎え、制作の過程を随時発信しながら段階的に支援を募り、結果的に多くの一流スタッフや有名声優・俳優が参加することになりました。
毎年旧暦10月に出雲の国(島根県)でおこなわれるという「神議(かみはかり)」を題材に、そこへ行くことを義務付けられた少女の葛藤と成長を描く本作は、自分の国のことをまだよく知らない子どもたちにこそ見てほしい内容にもなっています。
『神在月のこども』キャラクター紹介
まず簡単にキャラクターと声の出演者を紹介します。ちなみにこの作品では“人々は俳優、神々は声優”というルールのもと、一切オーディションなしでキャスティングがおこなわれたそうです。
葉山カンナ/蒔田彩珠
母の死がトラウマとなり、大好きだった走ることを避けるようになってしまった12歳の女の子。本来は明るく活発な性格だが、現在は母を失った悲しみを抱えて父親との関係もギクシャクしています。
演じるのは若手女優の蒔田彩珠。2020年公開の映画『朝が来る』で数々の助演女優賞を受賞しています。今回、監督たちからのオファーで声優に初挑戦しました。
神使の兎・シロ/坂本真綾
カンナが小学校で可愛がっている白ウサギの姿で現れる神の使い。神議の席で供される馳走(食べ物)を各地の神々から集める役割を担う韋駄天のサポートをしています。
ナタリー・ポートマンの吹き替えや『エヴァンゲリヲン 新劇場版』(2021)の真希波・マリ・イラストリアス役など美女の印象が強い坂本真綾がめずらしく小動物を演じています。
鬼の少年・夜叉/入野自由
大昔の因縁から韋駄天の一族を憎み、勝負して勝つことを使命として育てられた鬼の一族の末裔。かつてはその鬼も神の一員だったそうです。
カンナにつきまとい競走を挑んできますが…。夜叉役の入野自由はヒット作に欠かせない人気声優で、最近はティモシー・シャラメの吹き替えも担当しています。
葉山弥生/柴咲コウ
一年前に亡くなってしまったカンナの母。幼いカンナに走る楽しさを教え常に明るく引っ張ってくれていた、カンナにとって自慢の母でした。身につけていた勾玉が仏壇に供えられています。
作品のキーパーソンである弥生を演じる女優・柴咲コウは、『名探偵コナン 絶海の探偵』以来約8年ぶりの声優挑戦となります。
葉山典正/井浦新
父ひとり娘ひとりとなってしまい、カンナとどう向き合っていけばよいのか悩む不器用な父親。サイズ違いの靴を買ってきたり、カンナの友だちのお母さんにグイグイあいさつしに行ったりとカンナにとっては少々ウザい存在。
そんなちょっと気弱な父を、モデル、デザイナー、そして俳優として活躍する井浦新が演じています。
大国主/神谷明
出雲大社の祭神で日本神話に登場する代表的な国津神。神議の主宰神で、カンナが馳走を届けるべき神様。演じるのは声優界のレジェンド、神谷明です。
龍神/高木渉
大国主の子で諏訪大社に祀られている祭神。自分も二度と親である大国主に会えないことから母と死別してしまったカンナに理解を示します。
「名探偵コナン」で小嶋元太や高木刑事役の高木渉が迫力満点の龍神を演じます。
恵比寿/茶風林
松江の美保神社の祭神でこちらも大国主の子。ゴール直前のカンナたちに、釣り上げたばかりの鯛を渡してくれます。
ほっこりする恵比寿様を演じるのは「サザエさん」で磯野波平(二代目)の声を担当している茶風林。
『神在月のこども』のあらすじとネタバレ
幼いころ、母の弥生とよく競走していたカンナ。負けず嫌いのカンナは追いつけなくても「まだ本気出してない!」とあきらめませんでした。
12歳のカンナ。間近に迫った校内マラソン大会の練習をサボり、友人のミキが心配しています。一年前のマラソン大会の日、見に来ていたカンナの母の病状が悪化して、そのまま帰らぬ人になってしまったからです。
夕食の買物をして帰宅したカンナは遺影の前に座り、母がいつも身につけていた勾玉を手に取ります。父の典正が帰ってきたのであわててそれをポケットに入れるカンナ。
父はマラソン大会用に新しいスニーカーを買ってきましたが、サイズが小さすぎたので「今のでいい」とカンナはそれを返します。
大会当日。男子の雨乞いもむなしく曇天のもと、マラソン大会はスタートしました。出遅れてしまったカンナですが、先頭集団で校庭へと戻ってきました。ミキが一位でゴール、カンナも三位が狙える位置にいましたがゴールの前で座り込んでしまいます。
かけ寄った父のなぐさめの言葉に反発するカンナ。母の言葉を引き合いに出され思わず「わかったようなこと言わないで!」と降り出した雨の中、校庭から外に出ていってしまいます。
いつも寄り道している牛島神社の境内で転んだカンナは、ポケットから落ちてしまった勾玉をあわてて拾うと左手首に巻きつけました。するとその瞬間、降っていた雨が水の玉となって空中に浮かび、目の前に巨大な黒い牛が現れたのです。
驚くカンナの前にフードをかぶった少年が割って入り、助かったと思ったのもつかの間、「その腕輪をはずせ!」と少年は勾玉を奪おうと近寄ってきます。そこに立ちふさがったのは小学校で飼っているウサギのシロでした。
「その腕輪ははずさないで!」としゃべったシロは韋駄天に仕える神徒だといいます。
カンナの母は韋駄天という神の血を引く一族の末裔で、神在月に出雲でおこなわれる神議(かみはかり)に向けて各地の留守神様から馳走(食べ物)を預かって届ける役目を果たしていたというのです。
後継者であるカンナに今すぐ出発してもらわないと間に合わないとシロは言いますが、カンナは急にそんな事言われてもと断ります。するとシロは、お母さんがどんな思いでこれをやっていたか、その足跡をたどって知りたくないか?と言ってきました。
もしかしたら死んだお母さんに会えるかもしれない、と勘違いしたカンナは行くよ!と返事します。
時間は止まっているわけではなくゆっくり進んでいます。カンナたちは自分の足で東京から出雲(島根)まで走らなければなりません。途中、有力な神々の社に寄って馳走も預からなければならず、今夜7時に間に合わなければこの国が大変なことになってしまうというのです。
出発したカンナはまず牛島神社でさっきの黒い牛から餅を預かると、小さいころから見守られていたことを知ります。シロの持つひょうたんに馳走を入れると次の愛宕神社ではホオズキを、蛇窪神社では清らかな水を、須賀神社では酒を託されました。
丸一日走り通しのカンナとシロが橋の下で仮眠をとり、目覚めるとあとをつけてきたあの少年にひょうたんを奪われてしまいます。
彼は鬼の一族で、かつては神だったが韋駄天に悪事をとがめられて追放されてしまったといいます。以来韋駄天を逆恨みし勝負を挑んでくるのですが、一度も勝てたことがありません。
夜叉というその少年はカンナに競走で勝負しなければひょうたんを返さないといいます。仕方なく勝負しあっさり負けたカンナに出雲までついていくと言い出す夜叉。神々の前で再度勝負するのだとやる気満々です。
シロも夜叉がいた方が行程が早く進むと考え一羽とふたりの旅が始まりました。途中だれかに見られている気がするとカンナは気にしていましたが、シロは神の気配を感じませんでした。
『神在月のこども』の感想と評価
この映画は、図らずも自分探しの旅をすることになった少女の成長物語です。母を失い、その死が自分のせいだと思いこんでしまった主人公のカンナ。
彼女は神がかり的な力を手にしたことで、死んだ母に会えるかもしれないという希望を抱いてしまいます。カンナと行動とともにする神の使いシロは、それが叶わぬことだと知りながら半ばだますような形でカンナに韋駄天の役目を押し付けます。
カンナにしてみれば、いきなり神の血を引く一族の末裔でお役目を全うできなければこの国が危うい、などと急に言われて選択肢もないのです。
しかもいくら時間が超ゆっくりになっているとはいえ東京から出雲まで回り道しながら走るのです。考えただけで大変そうです。
でもカンナはやり遂げました。気づかなかったけれど知らぬ間にだれかに気にかけてもらっていたり、知らずに恨まれていたり、悪意の塊のような黒い影につきまとわれていたり…。
短い間にずいぶんといろいろな経験をして、半強制的に自分を見つめ直すことができたのです。
母親に会う目的で始まったこの旅で、カンナは自分を見つけることができました。そして夜叉とのふれあいの中で、敵対していた相手との歩み寄り方のようなものも感じ取れたのです。
これは私たちの生き方にもヒントを与えてくれる気がします。時の流れ、代替わり…。長年のネガティブな感情も、時間をかけ新たな関係を築き直すことで改善できる、そんな光明がここにはあります。
人々の負の感情。それをこの映画はわかりやすく可視化してくれました。それがどんな化け物に変貌してしまうのか、幸い劇中では最悪の事態には至りませんでしたが、この黒い影のようなものはいま日本中、世界中にあふれています。
それに囚われないでどう生きていくか。それを考えさせられる作品でした。
まとめ
東京から出雲への道中、さまざまな土地の神様を巡るロードムービーでもあるこの作品。
罰当たりを覚悟で言うとそれぞれにキャラの立った神様の表現が面白く、この国の八百万の神への信仰は自然に根付いた豊かな実りあってこそだと改めて感謝したくなります。
日本を再発見し、人と人との“縁”に思いを馳せる、そんな良質なエンターテイメント作品になっています。ぜひ家族で、特に子どもたちに見てほしい作品です。