高畑勲監督が”かぐや姫のいのちの輝き”を水彩画のタッチで魅せる
高畑勲監督が日本最古といわれる物語文学「竹取物語」を題材に手掛けた『かぐや姫の物語』。
かぐや姫はいったい何のために地球にやってきて、どのような思いで生き、なぜ月に帰ることになったのか。
そして、かぐや姫の罪と罰とは何か。高畑勲監督は、誰も知ることのなかったかぐや姫の“心”を描き出しました。その魅力をネタバレありでご紹介します。
映画『かぐや姫の物語』の作品情報
【公開】
2013年(日本映画)
【英題】
The Tale of The Princess Kaguya
【原案・監督】
高畑勲
【脚本】
高畑勲、坂口理子
【声のキャスト】
朝倉あき、高良健吾、地井武男、宮本信子、高畑淳子、田畑智子、立川志の輔、上川隆也、伊集院光、宇崎竜童、中村七之助、橋爪功、三宅裕司、朝丘雪路、仲代達矢
【作品概要】
『かぐや姫の物語』は、高畑勲監督が『ホーホケキョとなりの山田くん』(1999)以来、14年ぶりに手がけた作品。
主人公・かぐや姫役の声優は、数百人の候補から朝倉あきが大抜擢されました。かぐや姫の幼馴染である捨丸役は高良健吾。かぐや姫の育ての親の媼役に宮本信子、翁役に地井武男と名優が挑みます。
その他にも高畑淳子、田畑智子、立川志の輔、上川隆也、伊集院光、宇崎竜童、中村七之助、橋爪功さん、朝丘雪路、仲代達矢らの多彩な顔ぶれが揃いました。
現役僧侶という異色の肩書を持つアーティスト・二階堂和美が主題歌「いのちの記憶」を歌います。
第87回アカデミー賞長編アニメーション賞にてノミネート。また、第37回日本アカデミー賞にて優秀アニメーション作品賞、優秀音楽賞受賞。
映画『かぐや姫の物語』あらすじとネタバレ
昔、野や山に入って竹を取って生活をする翁という者がいました。ある日、その竹林で光り輝く一本の竹を見つけます。近寄ってみると筍の中で三寸ぐらいのお姫様が笑っていました。
翁は、小さなお姫様を家に持ち帰ります。家で待っていた媼が手に取ると、小さなお姫様は見る見るうちに赤子の姿となりました。急いで隣人のもらい乳に行こうとする道すがらに、不思議なことに媼から乳が出るようになります。
それからというもの、小さなお姫様は翁と媼の元で天からの授かりものとして大切に育てられることになりました。
姫は赤子の姿から半年余りで少女の姿へと急速に成長しました。その様子から近くに住む木地師の子どもたちと捨丸から“タケノコ”と呼ばれるようになります。
姫は、捨丸を兄ちゃんと慕って、自然豊かな里山で天真爛漫に育ちます。里の子どもたちが歌う歌をなぜか姫も知っていて、一緒に口ずさみますが、悲しい思いに駆られて涙を流します。
一方、翁は竹林で光る竹から黄金や色鮮やかな衣を授かります。このことを天の思し召しで「高貴な姫君となり、貴公子に見初められることこそが姫の幸せ」だと考えて、都に屋敷を建てる準備を始めます。
季節が秋に移ろう頃には、姫は捨丸と同じ年頃の娘へと成長していました。ある日突然、捨丸たちにさよならも言えないままに里を後にし、都に移り住むことに。
初めは都に建てた大きな屋敷で無邪気にはしゃぐ姫でしたが、翁が宮中から招いた相模から高貴の姫君としてのお稽古事に明け暮れる日々が始まります。
手習いでふざけてばかりの姫でしたが、作法は心得ていました。
媼は、以前と変わらない生活が落ち着くからと言って、屋敷の片隅に建つ小屋の庭で野菜を作ったりしていました。姫もまた、そんな媼の傍にいる方が落ち着くようでした。
そんな時、姫が初潮を迎えます。大人になった暁に、眉を抜き、お歯黒にする儀礼を必死に抵抗する姫。翁はと言うと、大層喜んで高名な斎部秋田に姫の名付けを頼みました。
斎部秋田は、なよ竹のごとくしなやかな姿と輝くような美しさの姫に「なよ竹のかぐや姫」と名を授けます。
そして、髪上げと裳着の儀式が行われると、お披露目の宴が盛大に催されました。しかし、名づけを祝う宴のはずが、当人のかぐや姫は女童と奥の小さな部屋に閉じ込められたままで、「私はまるでここにいないみたい」と疎外感を味わいます。
そして、宴は三日三晩続きました。酒に酔った客が、自分のことを誹謗する声を聞いたかぐや姫は、堪らずに屋敷を飛び出しました。
なりふり構わず走り続けていると、いつの間にか故郷の里山に辿り着きます。元の我が家には、もう違う家族が住んでいました。丘に上に住んでいた木地師たち(捨丸たち)の姿はありません。
炭焼きの男が、木地師たちは山の木を使い果たす前に旅に出て、あと10年は戻って来ないと言うのです。冬の枯れ山は、春の巡りをじっと我慢しながら待っていました。
雪がちらつき始め、一面に雪が降り積もる野原に倒れ込んだかぐや姫がはっと目を覚ますと、そこは宴の最中で閉じられた小さな部屋でした。
かぐや姫は観念したように相模に眉を抜かれ、お歯黒にしました。それからというもの、かぐや姫はまるで人が変わったように一人静かに過ごすようになります。
美しいかぐや姫の評判は上がる一方で、屋敷の前には殿方たちが毎日、詰め寄っていました。かぐや姫の噂が五人の公達の耳にも届きます。
映画『かぐや姫の物語』感想と評価
翁という父親像
竹林で小さな姫を手にしてからの翁は、目の中に入れても痛くないとばかりに溺愛します。
それから、光る竹から黄金や綺麗な衣を授かった翁は、天の思し召しで「高貴な姫君となり、貴公子に見初められることこそが姫の幸せ」だと考え、都に屋敷を建てるのです。姫の気持ちを確かめもしないで、短絡的な行為に走るのは、盲目な愛ゆえなのでしょう。
今までのジブリ作品の父親像は、優しく子どもを見守ったり、寡黙だけれども威厳があったり、または日本の古典的な父親タイプといったような理想の父親像を映し出しました。
本作の翁はというと、実父ではないものの、姫(子ども)に対してあからさまに一喜一憂します。嬉しさに天にも昇る心地で頬を緩めたと思ったら、顔を真っ赤にして地団太を踏んで立腹したりと、幼い子どものように姫のことで右往左往するのです。
そんな姿は、子どもの幸せを何としてでも叶えてあげたいと思う親のエゴを滲ませる一方、感情のまま行動する滑稽さが、とても人間味ある父親像を浮かび上がらせました。
かぐや姫が切望した生き方とは?
かぐや姫は、月へ帰らなければならなくなった時にやっと、「私は生きるために生まれてきたのに」「鳥やけもののように」と気づきます。
かぐや姫にとって、“生きるため”とは、どんな生き方だったのでしょうか。
翁は、姫が高貴な姫君となり、貴公子や御門の女御になることが、この国に生まれた女の幸せだと盲信し、あれやこれやと手を尽くします。
教育係として姫に仕えた相模もまた、5人の公達たちから求婚される姫を幸せものだと羨望していました。
しかし、かぐや姫にとっては、高貴な姫君でいることや、よく知りもしない貴公子や御門に求婚されることなど望んでいませんでした。
物欲で満たされること、権威や名誉が得られることでは、幸せを見出せないということが分かっていたのです。翁が望む幸せという囲いに囚われ、いわば籠の鳥となって耐え忍んでいました。
終盤に心を通わせた捨丸兄ちゃんとなら、幸せになれたかもしれないと気づきます。
そして、捨丸兄ちゃんに「生きている手応えさえあれば、きっと幸せになれた」と言う印象的なセリフが心に響きます。
それは、清浄無垢な月の世界の者であったかぐや姫が、喜怒哀楽という彩りに満ちた地球で短くも儚いときを生き抜いた言葉だからでしょう。
まとめ
水彩画のタッチで描かれた本作は、ラフな手書きの線がまるで生命力を持つかのように繊細にそして、大胆に動きます。
高畑勲監督がリアリズムを追求した先に辿り着いたのは、アニメーションで描く“らしさ”でした。
事実をありのままに映し出す緻密な背景やキャラクターの描き方といった視覚的なリアリティではなく、手書きの線から生まれた曖昧さや勢いが生み出す“らしさ”。それは、とても感覚的なものを触発します。
自由でいて不確かな線が纏うものは、事実ではなく実感として浮かび上がらせる登場人物たちの種々雑多な心模様です。
だからこそ、翁の溺愛振りに思わず、わからずや!と野次を飛ばしてみたくなったり、それでも、一喜一憂するのが愛ゆえのことだとも分からなくもないのです。
また、あるがままに生きようとする“タケノコ”と、見せかけの幸せを強いられる“かぐや姫”との狭間で葛藤する、一人の少女から女性への心の機微に胸を打たれます。
宴の席では心外な言葉から屋敷を飛び出し、故郷の里山に辿り着いた時に「冬の枯れ山は、春の巡りをじっと我慢しながら待っていた」ことを知った時から、その山と同じように反発しながらも、ぐっとこらえて、耐え忍んでいた心中が見え隠れするのです。
そしてラストシーンでは、記憶を失ったはずの姫が地球を振り返り、涙を浮かべます。
見知らぬ土地の歌で涙を流したように、心の疼きのようなものを呼び起こさたのでしょう。
まさに劇中で使われる「わらべ唄」と「天女の歌」は、森羅万象の息吹に思いを馳せるようで、印象深く響きます。
「天女の歌」
まわれ めぐれ めぐれ 遥かなときよ
めぐって 心を 呼び返せ
めぐって 心を 呼び返せ
鳥 虫 けもの 草 木 花
人の情けを はぐくみて
まつとしきかば 今かへりこむ
姫は月の都で「わらべ唄」の続きとして「天女の歌」を聞きました。
この最後の、「まつとしきかば今かへりこむ」とは、“本当に私を待っていてくれるのなら、すぐにでもここに帰ってきます”という意味。
この想いは、ラストに流した涙と重なるものがあるのではないでしょうか。