巨匠・中島貞夫監督が20年ぶりに完成させた映画『多十郎殉愛記』。
2019年4月12日(金)より全国ロードショー!
1960年代から活躍し、『木枯し紋次郎』『真田幸村の謀略』『極道の妻たち』などの作品を作り続けた中島貞夫が20年ぶり、84歳にして撮り上げた最新作がこの『多十郎殉愛記』。
時代劇というよりもチャンバラ、剣戟という言葉がピタリと来るこの映画の主演は『横道世之介』『シン・ゴジラ』の高良健吾。
共演に『トラさん』の多部未華子、『帝一の圀』の木村了、名バイプレイヤーの寺島進、『赤い雪』の永瀬正敏。
大阪芸術大学芸術学部映像科で中島監督と師弟関係にあった、熊切和嘉監督が監督補佐として巨匠を支えます。
CONTENTS
映画『多十郎殉愛記』の作品情報
【公開】
2019年(日本映画)
【脚本】
谷慶子
【脚本・監督】
中島貞夫
【監督補佐】
熊切和嘉
【キャスト】
【主題歌】
中孝介『Missing』
【作品概要】
「893愚連隊」や「狂った野獣」、または「極道の妻たち」シリーズなど、さまざまな代表作を生み出した日本映画界の伝説的存在である中島貞夫監督。20年ぶりとなる時代劇作品。
主人公の多十郎役を高良健吾が演じ、おとよ役を多部未華子が務めます。多十郎の腹違いの弟である数馬役を木村了が共演。
監督補佐には中島監督の秘蔵っ子で、『私の男』の熊切和嘉が参加しています。
映画『多十郎殉愛記』のキャラクター&キャスト
清川多十郎(高良健吾)
長州藩を脱藩し、今は長屋で浪人暮らしをする男。剣の腕は藩内でも屈指の使い手だった。
おとよ(多部未華子)
多十郎の住む長屋の大家の娘、わけありで出戻ってきた身。多十郎を密かに慕っている。
清川数馬(木村了)
多十郎の弟で、生真面目な性格。脱藩した兄は天下国家のために京都で動いていると思っている。
桂小五郎(永瀬正敏)
長州藩の勤王の志士をまとめ上げる実力者。新撰組や京都見廻組に追われている。
溝口蔵人(寺島進)
京都見廻組の指揮官。剣の達人。
映画『多十郎殉愛記』のあらすじ
ときは幕末、京都。
尊王攘夷、更には倒幕も狙う長州藩の志士たち。しかし追手はすぐそばにまで迫っています。
長州藩の指導者のひとり、桂小五郎を中心に集まって密かに会合を開きますが、そこに溝口蔵人率いる京都見廻組が急襲します。
なんとか桂を守って逃げ切った長州藩の志士たちですが、厳しくなる追手に対抗するためにある男を探し始めます。
その男こそ清川多十郎でした。
多十郎は他の志士と共に脱藩し京に上りましたが、それは溜まりに溜まった借財をうやむやにするためでした。
そして今では、町の一角の長屋で浪人暮らしをしていました。
剣の腕は一級品の多十郎に協力を求めるために、長州藩の志士たちが訪ねてきます。
しかし天下国家については興味がない多十郎は、協力するかどうかは金次第だと言って煙に巻きます。
一方で多十郎は、長屋の大家の娘のおとよが働く居酒屋で、馴染み客兼、用心棒のような生活を送っていました。
おとよは密かに多十郎に想いを寄せていて、あれこれと世話を焼いていました。
多十郎もそのことは薄々感じていましたが、本気にならないようにと煙に巻いています。
長州藩の志士たちと多十郎が接近したことで、多十郎もまた見廻組に追われる身になってしまいます。
さらに、兄を追って多十郎の弟・数馬が京都にやってきます。
故郷に帰るように数馬を説得する多十郎ですが、弟は聞く耳を持ちません。
やがて、見廻組の急襲を受けた多十郎と数馬。切り合いになる中で、数馬は目を切られてしまいます。
おとよに数馬を託した多十郎は一人、京の街中を走り回り追手を惹きつけ時間を稼ぎます。
のらりくらりと物事を交わして生きてきた多十郎が初めて命を懸けた戦いに向かうのですが…。
映画『多十郎殉愛記』の感想と評価
中島貞夫ってだれ?
中島貞夫と言ってピンと来るのは、オールドファンと言ってもいいでしょう。
84歳にして現役の監督ではあるものの、新作は20年ぶり、21世紀に入ってからは一本も新作がなかったことになります。(脚本協力やテレビドラマなどはあります)
この20年間、この巨匠は映画祭のプロデューサーや、大学での後進の指導に当たってきました。
そんな大ベテランは、1950年代末に映画業界に入ります。
監督デビュー作『くノ一忍法』(1964)
助監督などの仕事で経験を積むと、1964年に『くノ一忍法』で監督デビューを飾ります。
その後、主に東映でいわゆるエログロものや、実録モノといったジャンル映画を撮り続けました。
若山富三郎、松方弘樹、千葉真一、菅原文太といった大スターを主演に迎え、松方主演の『893愚連隊』(1966)、千葉主演の『日本暗殺秘録』(1969)菅原主演『懲役太郎 まむしの兄弟』(1971)同じく『木枯し紋次郎』(1972)などを作ります。
多い時では年間で2~4本の索引を発表しつけました。
1980年代以降は「極道の妻たち」シリーズやテレビの仕事、また脚本を手掛けることも増えてきました。
今回、チャンバラ・剣劇復興を目指して『多十郎殉愛記』を創り上げましたが、実は監督作品の中には時代劇があまりないのも不思議な話です。
映画からテレビへと移行する時代に合わせてテレビドラマの監督や、脚本提供をなどをするようになってから時代劇を手掛けることが増えているようです。
かつてあったとされる日本映画の黄金期を知る監督のまさかの新作。
失礼な言い方になるかもしれませんが、次があるかもわからないので、この機会を是非つかんでください。
中島貞夫監督プロフィール
中島貞夫は1934年8月8日、千葉県東金市生まれる。1944年の10歳の頃に父親をなくし、その後、通っていた都立日比谷高校時代は野球選手として活躍します。
1955年に東京大学文学部美学美術史学科に入学。後に脚本家と知られる倉本聰と「ギリシャ悲劇研究会」を結成。日比谷野外公会堂公演の演出を担当します。
大学卒業後、東映に入社。助監督時代はマキノ雅弘、沢島忠、田坂具隆、今井正に師事。
1964年に『くノ一忍法』で監督デビュー、京都市民映画祭新人監督賞受賞。
1967年よりフリーの監督として、やくざ、風俗、任侠、時代劇、文芸、喜劇などなど多種多様の作品を手がけるようになります。
代表作は1966年の『893 愚連隊』のほか、「まむしの兄弟」シリーズ、「木枯し紋次郎」シリーズ、「日本の首領」三部作、『真田幸村の謀略』(1979)、『序の舞』(1984/インド国際映画祭監督賞受賞)、『女帝 春日局』(1990)、「極道の妻たち」シリーズなど。
受賞には京都市文化功労賞(2001)、京都府文化功労賞(2002)、牧野省三賞(2006)など多数あります。
まとめ
本作『多十郎殉愛記』には、映画界のレジェンドである中島貞夫監督の熱い想いのために、中島監督が教壇に立っていた大阪芸術大学の教え子で、自身も映画監督である熊切和嘉が監督補佐を務めています。
彼を筆頭に映画制作に力のあるスタッフたちが集結しました。
あまり時代劇を見たことない人でも、この作品を観ればフレーム内に描かれた時代劇の美術や衣装に、深い味わいを感じるはずです。
また、それら優秀な映画スタッフたちが、中島監督を現場の中心におきながら、監督のやりたいことを実現させていきました。
それは84歳という年齢にも関わらず、殺陣の指導中に熱が入る、“中島貞夫という活動屋(映画人)”に魅せられたからです。
手に持っていた杖を剣に見立てて、“ちゃんばら(時代劇の呼び名)”指導していたという中島監督。「“ちゃんばら”を後世に伝えたい」という熱い想いを目の前でスタッフ陣は未来へと伝授されていたのいです。
また映画『多十郎殉愛記』という作品は、巨匠・伊藤大輔監督に贈られた“ちゃんばら”だという点にも注目をしてください。
なぜ、このような時代劇なのか。伊藤大輔監督を知っている映画ファンには納得の作品かもしれません。
映画『多十郎殉愛記』は、2019年4月12日(金)より全国ロードショー!