映画『ワンダーランド北朝鮮』は、2018年6月30日(土)シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー。
これは北朝鮮のプロパガンダ映像なのか、それとも…。北朝鮮にとっての“普通”とは何に指すのでしょう。
また、そこで暮らす人々の抱える真実はどのように見ることができるのか?
元韓国人でありながら、ドイツ国籍を取得してまで北朝鮮入りを4度も行ったチョ・ソンヒョン監督。
この映画は見る者の読み抜く力が試されるドキュメンタリーです!
CONTENTS
映画『ワンダーランド北朝鮮』の作品情報
【公開】
2018年(ドイツ・北朝鮮合作映画)
【原題】
Meine Bruder und Schwestern im Norden
【脚本・監督】
チョ・ソンヒョン
【作品概要】
韓国出身でその国籍を捨てたてチョ・ソンヒョン監督がドイツ国籍を取得して、北朝鮮の真実の姿を求めて、分断された北に入国。そこで見た一般的な普通の人々を取材するドキュメンタリー映画。
チョ・ソンヒョン監督のプロフィール
(画像右:チョ・ソンヒョン監督)
チョ・ソンヒョン(Sung-Hyung Cho)は、1966年に韓国の釜山市生まれ、現在はドイツ国籍の映画監督。
ドイツのザールブリュッケンの単科大学(HBKsaarの教授で映画制作を教えています。
韓国ソウルの延世大学でコミュニケーション論を学んだ後、美術史、メディア学、そして哲学を学ぶため、1990年にドイツのフィリップ大学マールブルクに留学します。
大学卒業後、ドイツのテレビ局で編集の仕事に携わる傍ら、ミュージックビデオや短編ドキュメンタリー映画の制作。
『FULL METAL VILLAGE』(2006) で初監督して、数多くの映画賞を受賞。その後、『HOME FROM HOME】(2009)『11 FRIENDS』(2011)『FAR EAST DEVOTION』(2015)などを制作しました。
映画『ワンダーランド北朝鮮』のあらすじ
分断された朝鮮半島の韓国の全羅南道の釜山に生まれたのチョ・ソンヒョン。
彼女は北朝鮮の真実の姿を知りたいと北朝鮮で映画製作を行うため韓国籍を放棄します。
ドイツのパスポートを得て飛行機で北朝鮮に向かいます。
機内で初めて北朝鮮の地を踏む際に、ソンヒョンは自分が同胞として迎えられるか、敵国として迎えられるか不安がつのります。
しかし、そんなソンヒョンの心配とは逆に、兵士や画家、エンジニア、農家夫婦、工場労働者、サッカー学校の寄宿舎に住む12歳の少年たちと、北朝鮮の実情を探る彼女と出会う人たちは、誰もが友好的でした。
画家の男性は、実際に描写していた工場で働く女性ではなく、町で見かけた美しい女性と、その顔を入れ替えて、それを楽しそうにソンヒョンに語ります。
また、ソンヒョンの故郷釜山を思い出させる海岸で、縫製工場員の25歳の女性は寄り添いながら散策。
北朝鮮に住む彼女はデザイナーという職業は知りませんが、自分の独創的な衣服が作りたいと抱く夢をソンヒョンに吐露します。
経済制裁の厳しい北朝鮮で、慎ましい生活を送りながらも、なおも立派で美しいものを追い求める彼ら。
どこか懐かしさを感じさせる人々から、北朝鮮の隠された一旦がそこに覗かせます…。
映画『ワンダーランド北朝鮮』の感想と評価
北朝鮮に行けない国ではないのかもしれない⁈
ドキュメンタリー映画『ワンダーランド北朝鮮』の演出を務めたチョ・ソンヒョンは、韓国籍を放棄してまで本作を製作したかった思いをこのように明かします。
「国籍を捨てることへの大きな意味は持っていなかった、国籍は紙一枚のこと、正直それほど悩んだりしなかった。ドイツの国籍を取得するのに9ヶ月かかった、無効印の音が今でも残っているほど心のこりがある。しかし、トータルの意味での“コリア”になれた、“韓国も北朝鮮もふるさとになった”」
ソンヒョン監督の言葉からは、国籍は国が定めたものであり、国と国の溝とも言うべき国境は市民が決めたものではないことを思わせる発言です。
国籍はドイツ国籍になったものの、精神的には同一民族として「“韓国も北朝鮮もふるさとになった”」という発言に、彼女の品を感じました。
また、ドイツのテレビ局から本作の映画制作費の申し出があったそうで、そのことについて自国になったドイツではお金を貰って、国籍を捨てた(というジョーク)を言ったらドイツ人は笑ってくれるけど、日本人のメディアは笑わないのねと、戯けて見せていました。
そもそもドイツでは、テレビ局が映画製作費用を用立てただけでなく、ソンヒョン監督にとっては、ある感慨深い出来事がありました。
それは1990年ドイツ統一の年、元東ドイツに行けるようになった監督は、まるで自身が北朝鮮に行ったような気持ちになったそうです。
ドイツ統一に対する羨ましさがあり、一方でそのことをきっかけに、「北朝鮮に行けない国ではないのかもしれない」という思いになったようです。
北朝鮮の現実をどれだけ伝えられたか
ソンヒョン監督は北朝鮮で本作をロケ撮影した際に限らず、最終段階のポスプロでも本編映像について、北朝鮮側の検閲があったのはまぎれも無い事実です。
その部分をソンヒョン監督はこのように語っています。
「映画を撮影する前から、テーマについて北朝鮮側に現地協力者と話し合いを行った。政治的な部分は描かないでほしいという要請は話し合いがあった。個人的に私の映画は、日常を描くものであったから、北朝鮮の意見に拒否することなく受け入れることができた」
ソンヒョン監督の映画は、「日常を描くもの」だと言っており、「政治的な映画を作るものではない」という監督の映画に対する立ち位置が明確に見られます。
また、検閲は逃れられないということで、ロケ撮影の当日の現場で北朝鮮側からNGの要請があった事例に工場の支配人から、アメリカに輸出をする洋服のブランド名が写り込んだものは使用しないで欲しいと言われたそうです。
理由は北朝鮮への経済制裁のなかで、映画に映ったことで仕事が無くなることを恐れてだそうです。
洋服にブランド名がクローズ・アップするショットは撮影しましたが、その意見には妥当性があると思い、ソンヒョン監督は使用しなかったようです。
また、本作『ワンダーランド北朝鮮』のポスプロが完成した際に、北朝鮮の平壌に映画を送り、その後の連絡で検閲に引っかかった映像は2点あったそうです。
1つはプールのシークシークエンスで、「ビキニ姿の女性が写っているショット」の削除。
もう1つは、平壌の街の風景をスローモーションで見せたショットに、「荷車を引く貧しい人物が写っていたもの」を削除。
この2点が検閲で挙げられました。
その際にソンヒョン監督は、今から編集作業を行うにはお金が掛かると北朝鮮側に申し出をしたそうです。
すると、北朝鮮側はお金が掛かるならと理解してくれたそうです。
本作の撮影は北朝鮮のチェックをしながらの撮影だったために、撮影が出来ないリストを渡され、指摘された部分はあったが、それはもともと使うつもりはなかったソンヒョン監督は語りました。
事実上大きく北朝鮮側から強制的にカットを言われたものは結果的にはなかったようです。
リアルであることの意義について
本作の撮影にあたり、ソンヒョン監督は、“隠し撮りは絶対にしない”ということを決めていたようです。
それは自分が撮りたいものを話し合いの中で実現させて行くことを行ったとソンヒョン監督は語ります。
自分はジャーナリストではなくので“隠し撮り”はしない、映画監督にとって「映画は対話」だと持論を持ち、同じ民族であり人間として向き合う姿勢に強く共感が持てる思いがします。
「人々の話を聞く、北朝鮮の日常、些細なこと、小さなことが知りたい」とソンヒョン監督は言います。
本作を観た観客の一部からは、映画の感想について、“北朝鮮のいいところしか描いていない”という指摘があるが、本作に登場する画家のように、何でも美しいものに変更してしまう、その様子は、“いいものしか見せない北朝鮮のあり方そのもの”。
それこそが北朝鮮という個性であり、日常を映し出す一つのモデルケースであるとソンヒョン監督は述べていました。
ソンヒョン監督は、本作を自分自身のために、そして“ひとつのコリア”の人々のために、この映画を製作したと強く語りました。
本作を“プロパガンダという批判もある”とした意見もあるしつつも、自分は過去に「北朝鮮=悪魔」というような教育を受けてきた世代と話します。
北朝鮮という脅威を利用して、韓国内の民主化を阻害した歴史も韓国にはあると語ります。
また、韓国において、現状では本作は一般での劇場公開されないそうです。
そのようなこともあり、日本の劇場公開されることにチョ・ソンヒョン監督は深く感謝を述べていました。
*ここで掲載したチョ・ソンヒョン監督の映画に対する思いは、2018年5月14日に講談社にある講堂で行われた一般試写会をティーチ・インの内容をまとめたものです。
まとめ
本作『ワンダーランド北朝鮮』を観た際に、この作品がプロガンダ映画なのか、また、そうでないかという議論に焦点を当てることに大きな意味はないように思います。
この映画に写されたものは、北朝鮮という国が目指す“美しいものを良しとする国のカタチ”が明確されただからです。
インタビューされた一般市民だという人物たちは、言うなれば北朝鮮側が用意した“俳優のようなもの”とも言えるでしょう。
しかし、彼らとソンヒョン監督は対話をしながら、一般市民を抱える内面や思いを映像に残す努力を惜しみませんでした。
“美しいものを良しとする国のカタチ”という理想のほころび、確実に映像に残されています。
映像というものは、時に“予期せぬ真実を写すという特異性”があります。
そのことはドキュメンタリー映画ではなく、フィクション映画であった場合でも、人間が演じているという事実には、“ある種のドキュメンタリー要素”が垣間見られるからです。
地熱を利用した巨大な市民プールは、ノートパソコン3台で管理される施設でした。しかもプールにあった滝は「書き割り」で描かれています。
田舎の幼稚園の子どもたちは、一度も着られていないような「新品衣服」を着て慣れたお遊戯を上手に見せます。
また、ソンヒョン監督がインタビュー取材を進める中で、浮き彫りになるものもあります。
農家夫婦の夫は、1日の小さな太陽光発電で15日も電力が維持できると言いながらも、家の電力の維持は知識もなく支離滅裂な説明で、妻は夫の出会いやどこを愛したのかについてうまくは語れません。
200着ものノルマを課せられる裁縫工場で働く女性たちは、“感情を出さないことに慣れ”きっており、目立たぬように気配を消します。
それだけではなく、工場長から職場環境の意見を求められても、そのようなことは日常のない彼女たちは困惑に苦笑いを見せもします。
さらには、富裕層であろう祖国統一を強く語る母親を横に、高官である人物は“物言いたげに床のジュータンに指で何か”を書いてるのが、とても印象的でした。
“美しいもの”だけを見せようとする配慮した北朝鮮側の意図を超えて、そこには言葉には言い表せないものを、この映画では映像の力として雄弁なまでに見せています。
そこに注目すれば、これはプロパガンダ映画ではないと言えるでしょう。これこそがソンヒョン監督の“映画は対話”だいうものが導き出した、“虚実のほころび”なのではないでしょうか。
ドキュメンタリー映画監督の原一男は、本作を観た際に次のような発言をしています。
「観る者の映像を読み解く能力が試されている」
あなたはチェ・ソンヒョン監督のドキュメンタリー映画『ワンダーランド北朝鮮』に何を見ますか?
映画『ワンダーランド北朝鮮』は、2018年6月30日(土)シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー。
ぜひ、お見逃しなく!