連載コラム『映画という星空を知るひとよ』第30回
トランスジェンダーの主人公・凪沙と、バレエダンサーを夢見る少女の“切なくも美しい絆”を描いた映画『ミッドナイトスワン』。内田英治監督が手掛けたこの映画を、監督自らが小説化しました。
『黄泉がえり』や『日本沈没』『まく子』などで多才な演技を披露する主演の草彅剛。ヒロインはオーディションで抜擢された期待の新人服部樹咲という映画『ミットナイトスワン』に対し、果たして映画と小説は同じなのでしょうか?
小説『ミッドナイトスワン』と映画を比較して、注目すべき点をご紹介します。
映画『ミッドナイトスワン』の作品情報
【公開】
2020年(日本映画)
【監督】
内田英治
【音楽】
渋谷慶一郎
【キャスト】
草彅剛、服部樹咲、田中俊介、吉村界人、真田怜臣、上野鈴華、佐藤江梨子、平山祐介、根岸季衣、水川あさみ、田口トモロヲ、真飛聖
【作品概要】
『ミッドナイトスワン』は、トランスジェンダーとして日々身体と心の葛藤を抱えている凪沙と、親から愛を注がれずに育ちながらもバレエダンサーを夢見る少女・一果の姿を通して、現代の家族愛の形を描く「ラブストーリー」。
本作は『下衆の愛』(2015)の内田英治監督のオリジナル脚本です。主人公・凪沙役に『黄泉がえり』(2003)、『日本沈没』(2006)、『クソ野郎と美しき世界』(2018)、『まく子』(2019)など、出演作多数の草彅剛。オーディションで抜擢された新人の服部樹咲が一果役を演じるほか、水川あさみ、真飛聖、田口トモロヲらが脇を固めます。
小説『ミッドナイトスワン』のあらすじとネタバレ
新宿のニューハーフショークラブ「スイートピー」の控室。定位置であるメイク台の中央に陣取って、凪沙(なぎさ)は買ったばかりの高級マニュキュアの塗り具合を愉しんでいました。
洋子ママをはじめ、お店のアキナや瑞貴、キャンディといったニューハーフたちもショーの準備に大忙し。
4人は揃いの白鳥を彷彿させる白い衣装を身に着け、頭には白い羽でできた頭飾りをつけています。まもなく「スイートピー」のダンスショーが始まります。
30歳を過ぎて女として生きる決意をした凪沙は、そろそろ40歳に手がとどこうとしていました。
そんな凪沙のもとにある日、故郷の東広島市の実家の母から電話がかかって来ました。叔母の娘の早織が育児放棄になり、少しの間、中学1年生の娘・一果(いちか)の面倒を見て欲しいという内容でした。
田舎の親には、東京で女性として生きていることを打ち明けていない凪沙は、しぶしぶ一果を受け入れることにしました。
新宿駅の待ち合わせ場所に行くと、リュックを背負った無表情の少女・一果がいました。
長い髪でサングラスをかけ無遠慮に一果の顔を見て「似てるわね、お母さんに」とつぶやく凪沙と田舎で手渡された写真を、一果はじっと見比べます。
呆然とする一果に背を向けてさっさと速足で歩きだす凪沙。一果は急いで後を追います。
「何してるの。来るの? 来ないの?」。何度目かの声かけの後、凪沙は一果が手にしている写真に気が付き、取り上げると、一瞥して破ってしまいました。
「田舎に余計なこと言ったら、あんた殺すから」。写真には短髪でビジネススーツの男性姿の凪沙が写っていたのです。
凪沙のアパートについてからも、「どこでも空いているところで寝てね」「部屋は常にきれいにしておくこと」「風呂はあたしの後に入りなさい」などなど、凪沙は一果に同居のルールを話します。
けれども、一果は無言のまま。ただ黙って凪沙を見るだけでした。
このようにして、最低限度の決まりを持って凪沙と一果の共同生活は始まります。
一果は東広島にいたころ、キャバクラで働くシングルマザーの母・早織と暮らしていましたが、早織から構ってもらえない生活をおくっていました。
そんな中の楽しみは、近くの公園で自称ギエムと名乗る老婆から、バレエを教わることでした。スラリとした体形で長い手足を持っていた一果はバレエの天分があったのかも知れません。
少しずつバレエに慣れ、踊ることが楽しくなった頃、早織の育児放棄がひどくなりました。
犯罪事になる前に少し距離をもたせようと親戚たちが集まって相談し、東京にいる凪沙の元へ一果を預けようということになったのです。
一果の転校の手続きを終えて、新しい学校生活が始まりました。けれども、転校早々、問題を起こした一果のおかげで、凪沙は学校から呼び出されました。
理由も聞かず怒る凪沙に、一果は心を閉ざしたままです。
そんなある日、一果は学校の帰り道でバレエ教室を見つけます。レッスン場をのぞいていた一果に、バレエの先生・実花は声をかけました。
一果は驚いて一度は帰りますが、どうしてもやりたい気持ちを抑えることが出来ず、体験レッスンへ出向きました。
バレエを続けるのにはお金が必要なことは、一果も知っています。諦めかけていた時、バレエ教室で一緒だった一学年上の桑田りんが一果を家に招きました。
裕福な家庭で育ったりんは、バレエ経験者である母の期待を受け、何一つ不自由のない暮らしをしていました。
りんは、お金がなくてバレエを続けられないと言う一果に、バレエの練習用レオタードやトゥシューズなど自分のお下がりをあげ、割の良いバイトも紹介してくれました。
バレエに夢中でのめり込む一果は、先生も驚くほどにめきめきと上達していきます。踊りたくてたまらない一果は、夜に凪沙のアパートの廊下や公園で、一人でバレエの練習をし続けていました。
一果のバレエの才能に気付いた実花先生は、指導にも力が入ります。一果中心のレッスンに生徒たちからの不満がつのり、りんも嫉妬を覚え始めました。
事件が起こったのはそんな時でした。りんに紹介されたバイトは、お金をもらって写真を撮られるという違法なお店でした。一果は写真を撮られるのがいやで騒ぎを起こしてしまいます。
警察からの知らせで凪沙は初めて、バレエを習いたくて月謝代のために一果がバイトをしていたことを知りました。
「一果には才能があるからバレエを続けさせてあげてください」と言う実花先生に、凪沙は「そんなお金ないし、この子は短期間だけここにいるのよ」と言います。
バレエのこと、バイトのことを何も聞かされていないと怒る凪沙に、「もういい」と言い残し逃げ帰る一果。後を追いかけた凪沙は、泣きながら自分の腕に噛みつく一果を見つけます。
とっさに後ろから強く抱きしめる凪沙。「もっと自分を大切にし、うちらみたいなんは、ずっとひとりで生きて行かなきゃいけんけえ、強うならんといかんで」。
一果の身体からひしひしと伝わってくる心の痛みを、凪沙は誰よりも理解していました。その日、凪沙は一果を一人にしておきたくなく、自分の店に連れていきます。
ニューハーフショーのステージで、バレエの衣装に身を包み「白鳥の湖」を踊る凪沙たちの姿に、一果の目は釘付けになりました。
ですが、ステージの途中で、タチの悪い客がヤジを飛ばしてきたことで、店は乱闘になってしまいます。
その隙に、ステージにひとり立つ一果。まるで音楽が流れているかのように、バレエを踊り出します。気付くと、軽やかで可憐な一果の踊りに、誰もが惹き込まれていました。
実花先生が言っていたことは本当です。一果の才能に凪沙は驚かされました。凪沙は衣装で使った白鳥の頭飾りを一果にあげ、「この子にバレエを習わせてあげたい」と、決意しました。
『ミッドナイトスワン』映画と小説の違い
小説『ミッドナイトスワン』において、映画との一番の違いはラストシーンです。
その他にも、一果に最初にバレエの手ほどきをしたのが誰か、ということをはじめ、トランスジェンダーとして生きる凪沙と育児放棄をしたけれども娘を愛する早織に、映画よりも多くのスポットが当たっています。
トランスジェンダーの悩み
男性であっても心は女性の凪沙。初恋は、中学生のころ。好きな男の子ができて告白したけどそれっきり。その後、広島から付き合っていた男性と上京してからも交際を続けていたのに、2人の関係に溝ができて別れます。
久しぶりに連絡がついたその男性は、普通の女性と結婚していました。「子供が欲しい」というその男性の言葉に凪沙は打ちのめされます。
このように凪沙自身の恋愛問題は常に「トランスジェンダー」ということが絡んできます。夜の仕事でも、心無い酔客からは、普通の人とみてもらえず、馬鹿にされたような扱いを受けます。
女装で受けた面接でなかなか決まらなかった就職が、短髪の男性姿で面接をした途端に採用される、というのも、社会状況を顕著にあらわしていると思われます。
映画と違うのは、就職した会社の同僚である純也の存在。小説では、純也は偶然に女装の凪沙を見ますが、見てみぬふりをし、翌日も普段とかわらずに接していました。
トランスジェンダーに対して偏見を持つ人もいれば、純也のように普通に接してくれる人もいるというのは、ほっとする展開でした。
希有な存在として登場するのが、凪沙の親友・瑞貴でしょう。トランスジェンダーとして、男相手の恋愛に裏切られ続け、売春をするなど、落ちるところまで落ちますが、頭のいい瑞貴は、議員をめざして立ち上がります。
このように、映画では描き切れなかったトランスジェンダーたちの悩みとその後の活動が、小説ではより深く描かれていました。
母親の在り方
一果をめぐる凪沙と早織の対決は、映画でも迫力ありますが、小説では細かく心理描写がされているので、もっと凄まじいものに感じられます。
実の母と心が通い合う凪沙との間で揺れ動く一果をめぐり、「私の娘だ」と言い張る早織。
一方の凪沙は、一果の身近にいながら悩みを理解してやらず、一果の自分の腕を傷付けるような行為すら気がつかない早織に対して、「何をやっているの」と怒りを覚えます。
一果を東京から連れ戻したあたりから、早織の心理が切々と描かれ、映画よりもはるかに立派な母親としての存在感を出しています。
しかし、一果と凪沙の心の絆は思った以上に強く、敗北を認めざるを得ないのです。
一果の友人りんの家庭も子供にとって良い家庭とは言えません。りんの母はりんの才能だけを愛していましたから。
一見理想的な家庭に見えても、本当に心を開いて打ち解けない親子で、りんはバレエを踊っている時だけが自由だったことが、小説で明解になりました。
一果とりん。ともに家庭環境に恵まれず、バレエだけに自分自身を見出しているというところに、大きな共通点があったと思われます。
映画ではあまり描かれなかった、凪沙とその母との関係も小説では明らかになりました。
凪沙が小学生の頃、女子から借りた少女漫画を全部捨てさり、少年漫画を山ほど買いあたえた凪沙の母。長男である凪沙を男の子らしい男の子に育って欲しかった凪沙の母と凪沙の葛藤が赤裸々に描かれています。
外側は男性で内側は女性である凪沙を理解することは、生みの母には到底無理なことだったのでしょう。凪沙が母親を苦手とする理由がはっきりとわかりました。
まとめ
映画『ミッドナイトスワン』は、草彅剛と内田英治監督がタッグを組んで作られました。
これまでにバイオレンスやスリラーなど、ジャンル系の作品を作ることが多かった内田監督ですが、実はもう少し人間性を描くものをやりたいと思っていたそうです。
そして、もともと持っていたトランスジェンダーと、別にあったバレエダンサーの脚本をミックスして、コツコツと新作を書いたのが5年前だと言います。
無事に映画化された『ミッドナイトスワン』では、草彅剛が地で行く演技力で凪沙になり切り、トランスジェンダーの切ない願望が表現されています。
そのストーリーを1冊の小説にまとめ、登場人物の細かいバックヤードや凪沙の初恋なども書かれたのが、小説『ミッドナイトスワン』です。
より深く凪沙や一果の悩みが描かれた衝撃的な小説のラストは、映画とは異なり、海辺のシーンで終わっています。海で白鳥が空高く飛んでいくという、タイトルにふさわしいものでした。
映画と違って小説の一果のその後は、読者に想像させるようにしているようです。
どこまでも羽ばたいて飛びたつ白鳥の姿は、そのまま一果でもあるのです。『ミッドナイトスワン』は、映画で観ても小説で読んでも、心に残る切なくも美しいストーリーと言えます。