連載コラム『だからドキュメンタリー映画は面白い』第51回
北朝鮮に拉致された女優と監督が語る、映画マニアな将軍様の素顔。
今回取り上げるのは、2016年公開の『将軍様、あなたのために映画を撮ります』。
1978年に北朝鮮に拉致された韓国人女優と映画監督の、想像を絶する数奇な運命をたどります。
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CONTENTS
映画『将軍様、あなたのために映画を撮ります』の作品情報
【日本公開】
2016年(イギリス映画)
【原題】
The Lovers and the Despot
【監督・共同脚本】
ロス・アダム、ロバート・カンナン
【編集】
クリス・キング
【音楽】
アントニオ・ピント
【キャスト】
チェ・ウニ、シン・サンオク、キム・ジョンイル、マイケル・リー、西田哲雄
【作品概要】
1978年に起こった韓国の国民的女優チェ・ウニ(崔銀姫)と、映画監督シン・サンオク(申相玉)の北朝鮮拉致事件を追ったドキュメンタリー。
日本人スタッフも参加した北朝鮮初の怪獣映画『プルガサリ 伝説の大怪獣』(1988)を手がけたシン監督と、その元妻で女優のチェ自身の証言を交えつつ、事件を調査した元CIA職員などの関係者へのインタビューで構成。
さらに、シン監督が秘密裏に録音したキム・ジョンイル(金正日)との会話テープなどから、事件の全容に迫ります。
映画『将軍様、あなたのために映画を撮ります』のあらすじ
1978年、韓国の国民的女優のチェ・ウニが、旅行先の香港から忽然と姿を消します。
それを不審に思った元夫の映画監督シン・サンオクは、単独で行方を探すも、やはり同じ香港で行方不明に。
残された手掛かりから、2人が北朝鮮に拉致された疑いが強まるも、消息不明のまま捜査は暗礁に乗り上げます。
一方、同地で5年ぶりに再会した2人は、キム・ジョンイル書記(当時)の命により、映画制作に取り組むこととなります。
本作では、チェ本人やその子どもたち、事件を調査した関係者たちの膨大なインタビューから、ジョンイル本人の肉声テープなどを元に、ベールに包まれた北朝鮮の実像や、拉致事件の真相に迫ります。
拉致された韓国人女優と監督を通して見える北朝鮮
本作『将軍様、あなたのために映画を撮ります』は、1978年に相次いで北朝鮮に拉致された韓国人女優のチェ・ウニと、その元夫の映画監督シン・サンオクの顛末を追います。
拉致問題が完全に解決していない日本にとっても、決して”対岸の火事”にはできないテーマでありながら、彼らの劇的な体験を通し、謎に包まれた北朝鮮を垣間見ることができます。
ちなみにシン監督は日本に在住歴があり日本語も堪能で、日本の映画関係者とも交流がありました。
彼が1985年に北朝鮮で撮った怪獣映画『プルガサリ 伝説の大怪獣』は、日本から特撮監督の中野昭慶やスーツアクターの薩摩剣八郎といった東宝特撮チームを招き、制作協力を依頼しています。
参考:『プルガサリ 伝説の大怪獣』(1998)
映画という魔物に憑りつかれた者たち
2人が北朝鮮に拉致された最大にして唯一の理由は、映画製作でした。
当時の北朝鮮のトップだったキム・イルソン(金日成)主席の息子キム・ジョンイルは、大の映画マニアとして知られ、約2万ものビデオテープやフィルムを所有しており、「ゴジラ」や「男はつらいよ」などの日本映画のファンだったとも云われています。
自国の映画製作の総責任者でありながら、そのレベルの低さを嘆くジョンイルは、「世界の映画祭で賞を獲れる映画を作る」という野望を元に、韓国のシン監督とその元妻チェを工作員を使って拉致したのです。
当時の韓国の映画界は、大統領のパク・チョンヒ(朴正煕)主導による軍事政権による検閲により、自由な作品作りがままならなくなっていました(チョンヒは79年に暗殺)。
北朝鮮がチェを香港で拉致したのも、「映画資金を出すスポンサーが香港にいる」と彼女を呼び寄せた策略からで、元夫のシンも映画製作の資金繰りで苦労していました。
そんな2人に、「我が国で映画を撮ってもらうために連れてきた」と平然と語り、製作費を気にせずに映画づくりに没頭できる環境を与えたジョンイルは、まさに映画という魔物に憑りつかれた人物。
そして、その魔物に憑りつかれた者がもう一人。
二度の脱走を図り壮絶な拷問を受けながらも、頭の中では「この状況を映画にするならどう撮ったらいいだろうか」と創作ヴィジョンを考えたり、探していたチェと北朝鮮でようやく再会した際は、「この瞬間こそ映画的だと思った」と述懐。
無意識に身も心も映画漬けとなっていたシンも、次第に韓国では実現できなかった「自分の作りたい映画」の製作に没頭するようになります。
シニカリストで孤独、狂気を宿した将軍様
そして本作で大きくクローズアップされるのは、ベールに包まれていたキム・ジョンイルの素顔です。
自分には政治統率力がないことを自覚し、「私が泣くと、周りの人間も一緒になって泣き出す光景が面白いんだよ」と、自分の立場をシニカルに分析するジョンイルを、チェは「ユーモアのある人物」と評します。
大の映画マニアで、本当は映画人の道を進みたがっていた節があったからこそ、「我が国の映画のラストは必ず泣いて終わる。こんな映画のどこが面白いのか」と一刀両断。
ナチスドイツ総統のアドルフ・ヒトラーも青年時は画家を目指していたように、独裁者は芸術に関心を示す傾向があるのかもしれません。
自国では顔色を伺う者しかいなかったからこそ、拉致してきた2人の映画人には少なからず本心を打ち明けることができたという、孤独な将軍様。
その一方で、ロシア革命時の女性スナイパーの哀しき恋愛を描いたソ連映画『女狙撃手マリュートカ』(1957)をジョンイルから観せられ、「北朝鮮を裏切ったら殺す」という暗黙のメッセージと受け取り、恐怖したというチェ。
全てを掌握する独裁者が、唯一できない人心の掌握を、恐怖と粛清というツールで行おうとする。
映画をもそのツールの一つにする将軍様の監視下に置かれる生活に耐え切れず、彼女は韓国に残した子供たちのためにも、1日も早い脱北を決意します。
代替しても将軍様は暗躍する
1986年3月、将軍様の庇護のもと自由な映画製作をしていたシン監督も、やがて独裁国家に嫌気が差し、チェと共にウイーンのアメリカ大使館に駆け込みます。
ようやく韓国に戻れた2人でしたが、「彼らは拉致ではなく自分の意志で北へ亡命した」という嫌疑が完全に消えることはなかったそう。
2006年に亡くなったシンは、キム・イルソンの死去によりジョンイルが後継者となった1994年に、彼宛の公開手紙を出しています。
その内容は、不信の種が詰まる北朝鮮の現状を客観的に見つめてほしいという要請と、映画製作を通じて築いた信頼関係は不変であるというものでした。
“たられば”ではありますが、もしキム・ジョンイルが国家元首になることなく、映画作りの才能に長けた人物でしたら、2人を含む多くの外国人が拉致されることもなかったかもしれません。
「世界の映画祭で賞を獲れる映画」を求めたジョンイルは、積極的に自国映画を海外の映画祭に出品しました。
ですが、2007年にカンヌで上映されたプロパガンダ映画『ある女学生の日記』の主演女優パク・ミヒャンは、2013年に反党反革命分派と顔見知りという理由だけで収容所に送られ、粛清されたと云われています。
ジョンイルの長男キム・ジョンナム(金正男)は、「同じ血族が三代に渡って権力を得るべきではない」と祖国を離れるも、2017年にマレーシアで謎の死を遂げました。
ミヒャンの粛清や兄ジョンナムの暗殺を命じたとされるのが、現在の北朝鮮のトップであるキム・ジョンウン(金正恩)。
父ジョンイルよりも政治統率力に優れ、父よりも冷酷非道な人物と云われるジョンウンが、同じく映画マニアなのかは分かっていません。
本作のラストで、チェ・ウニは「もし私の人生を映画化するとしたら、苦労したエピソードは省いて輝かしいシーンだけ入れるわ」と噛みしめるように語ります。
実人生を狂わされてしまったからこそ、銀幕では輝いた存在であり続けたい――そんな切なる望みを感じます。
2021年は、ジョンイルが亡くなって10年の節目となります。