連載コラム「銀幕の月光遊戯」第60回
映画『MOTHER マザー』は2020年7月3日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開予定。
映画『MOTHER マザー』は、『さよなら渓谷』(2013年)、『光』(2017)、『タロウのバカ』(2019)などの作品で知られる大森立嗣監督が、実際に起きた「少年による祖父母殺害事件」に着想を得て描いた衝撃のヒューマンドラマです。
「全てを狂わせる」母親役を長澤まさみが演じ、16歳の新人・奥平大兼が、長澤まさみの息子役でスクリーンデビューを果たしました。
プロデューサーは、『新聞記者』(2019年)、『宮本から君へ』(2019)など、次々と話題作を放つ河村光庸。
CONTENTS
映画『MOTHER マザー』の作品情報
【公開】
2020年(日本映画)
【監督】
大森立嗣
【脚本】
大森立嗣、港岳彦
【企画・製作】
河村光庸
【キャスト】
長澤まさみ、奥平大兼、夏帆、皆川猿時、仲野太賀、土村芳土、荒巻全紀、大西信満、木野花、阿部サダヲ、郡司翔
【作品概要】
大森立嗣監督が実際に起きた「少年による祖父母殺害事件」に着想を得て描いたヒューマンドラマ。『新聞記者』『宮本から君へ』(2019)など現代社会に鋭い眼差しを向ける作品を送り出している河村光庸がプロデューサーを務めている。
長澤まさみがシングルマザー・秋子を演じ、これまでにない役柄に挑み迫真の演技を見せている。息子役は16歳の新人・奥平大兼。
映画『MOTHER マザー』のあらすじ
学校生活が合わず、早退して坂道をトボトボと歩いていた周平を見て、秋子はほがらかに「周平!」と呼びかけました。「学校は?」と問いかけながら自身も仕事をやめて出てきたと告げる秋子。
離婚した元夫から毎月5万円の養育費を受け取っていますが、秋子はそれをほとんどパチンコにつぎ込み、いつも金に困っていました。周平とふたりで暮らすアパートのガスも止められている始末です。
その日も秋子は周平を伴って実家に向かい、金を無心しました。新しい仕事がみつかったからいろいろとお金がかかるのだという彼女の言葉を家族の誰も信じません。
それでなくとももう随分お金を貸しているのに返したことなどないではないかと妹は声を荒げます。
「お母さん、私のこと嫌いでしょ?」と秋子は幼い頃から妹ばかりかわいがったと母を攻めますが、母は大声を上げ、「お金は貸さないよ!」と秋子を追い出しました。
秋子は周平を連れてゲームセンターへ行きふてくされていましたが、ひとりでゲームに興じている遼という男に声をかけ、自宅に連れ込みます。
秋子と遼は周平を一人置いて出かけてしまい何日も帰りませんでした。帰ってくるや、嘘を並べ立てて市役所の男性職員から金をだまし取ろうとするふたり。
しかし、もみ合っているうちに男性職員の脇ばらにナイフが刺さり、3人は逃げ出して、遠くの町に姿を隠しました。
そんな中、秋子は妊娠していることに気づきます。妊娠と聞いて、遼は「俺の子じゃない」「子供を堕ろせ」と秋子に暴力をふるい、挙げ句に2人を置き去りにして姿をくらましました。
秋子は、周平を使い、元夫や、妹、両親から金をもらおうとしますが、家族からは縁を切られてしまいます。
5年後、16歳になった周平のそばには、妹の冬華がいました。路上で途方にくれている3人を保護した児童相談所の職員に向かって秋子は叫んでいました。「自分で生んだ子をどうしようと親の勝手だろ!」
秋子は相変わらず働こうとせず、周平に向かっていうのでした。「周平しかいないんだからね」
母と子は後戻りのできない道へ踏み出そうとしていました。
映画『MOTHER マザー』感想と評価
映画における“母親”の系譜
長らく映画の中における「母親像」は「慈愛」の象徴でした。しかし「毒親」と呼ばれる親の存在が映画にも描かれるようになり、今では、母親像も多種多様な描かれ方がなされるようになってきました。母親だからといって子どもを愛しているとは限らず、そんな母親と接してきた子どもたちが、母親との愛憎の果てに和解の気配を見せたり、逆に永遠に別れを告げたりする作品も多く生み出されています。
本作で長澤まさみが演じた母親像は、一昔前なら、父親として登場していたものです。酒と女と博打に溺れ、家族を顧みない父親、いわゆる「人間のくず」と呼ばれる類の人物です。
例えば、寺脇研、前川喜平がプロデューサーを務め、子供のいじめや家庭崩壊を扱った映画『子どもたちによろしく』(2019/隅田靖)に登場する川瀬陽太が演じた父親が思い出されます。彼は、重度のギャンブル依存症で、子どもの修学旅行代もパチンコや競馬などに使ってしまい、場末のスナックで酒と女に興じ、嫌気のさした妻は子どもを置いて家を出てしまいました。子供はまともな食事もとれず学校でいじめを受けています。
『MOTHER マザー』の長澤まさみはまさに川瀬陽太が演じた父親そのものです。いや、川瀬はまだデリヘル嬢の送迎をする仕事をしていましたが、シングルマザーの長澤まさみが作品の中で仕事をしている姿はほとんど見られません。息子が勤めだした工場の事務所に出入りするようになりますが、彼女はそこで机の上にあるものを並び替えるだけなのです(この場面のなんともいえないねっとりとした表現は本作の見どころの一つでしょう)。
このように、男性と女声の違いは最早ないといっても良いのですが、息子と母親に宿る共依存の関係は、息子と父のそれとは違っています。長澤まさみ扮する母親は息子のことを何度も「自分が産んだ子だよ」と言い、「自分が産んだ子だから私がどうしようと勝手だろ!」とも言っています。
社会的にも孤立し、教育も受けさせてもらえず、非常に狭い人間関係の中だけで育った息子は、母親のこの言葉を盲目的に内包し、享受していったのでしょうか。
あえて原因、理由を描かない
子どもを虐待する親は自分自身も親から虐待を受けていたケースが多いとも言われます。『MOTHER マザー』でも両親、とりわけ母親との間には確執があるように見えます。「妹ばかりを可愛がった」と主張しているように、愛情を十分に得られずに育ったのかもしれません。
しかし、映画の中でそれらが詳細に語られることはありませんし、本人が告白することもありません。
同様に、彼女の息子、奥平大兼扮する周平の感情もよく見えません。フリースクールに通い始めて勉強の面白さに気づき始めたにも関わらず、また別の場所に逃げると言われて、「ふたりで行ってよ。自分は残る」と言ったのが唯一の反抗といってもよいでしょうか。
問題のある人物も何かしら心に重いものを背負っているということが明らかにされれば、観るものにも感情移入が生まれやすいものですが、大森立嗣監督は本作をそのようなわかりやすさから遠ざけます。
大森立嗣監督は、実際の事件を元に本作を作り上げたそうですが、どうしてそのようなことが起こったのかという原因を分かりやすく解説しようとはしません。
人間関係というのは、たとえ、それが親子であろうと、他の人たちからは理解不能な、当人たちにしかわからない感情が流れているものなのだとばかり、この母と息子がたどった転落の道を彼らの行動、彼らの日常の営み、彼らの動作の中でのみ描いていくのです。
動く母親、動かない母親
冒頭、とぼとぼと坂道を歩いている息子を見かけた母親は大声で名前を呼ぶと、駆け寄り、次のシーンではふたりとも水着姿になってプールサイドを小走りで進み、禁止されている飛び込みを行って注意を受けています。
幼い息子は覇気のないおとなしい子ではありますが、それでも母と息子は快活な雰囲気を持って作品に登場してきます。
映画前半の阿部サダオを伴った親子が取る行動は軽薄で、エピソードの積み重ねも安易でチープなものに感じられますが、それは彼らが躍動的であることを見せたいための手段なのかもしれません。
夜道を駆けていく彼らの姿を俯瞰で捉えるシーンがなぜか眩しく記憶に残っています。それは後半になるにつれ、彼らから動きが奪われていくからです。
かつて軽快に走っていた彼らはもう走れなくなり、ダンボールを敷いて倒れ込んだり、にぎやかな繁華街の柵にもたれかかり疲れ果てた姿を見せます。
長澤まさみの顔からは次第に表情が失われ、彼女は常に体を横たえるようになります。そしてその表情のアップが圧倒的な迫力を伴って、観るものに迫ってくるのです。
こんな長澤まさみをスクリーンで観たことがありません。
まとめ
本作品は簡単には理解できないひとつの「愛」の形を描いた作品です。母と息子の間に流れる「愛」が事件を起こしたのは間違いありません。しかし、実際に起こった事件であるという「少年による祖母殺害事件」に関しては、母と息子の感情の掛け違いがあったのでは?と思えてなりません。
あの時、あの場所で、母は、息子と何か別の言葉を交わすはずではなかったのか!? この点に関しては作品が公開されてから、また別の機会に述べることとします。
映画『MOTHER マザー』は2020年7月3日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開予定。
次回の「銀幕の月光遊戯」は…
2020年6月1日(月)に東京・ユーロスペース他にて全国ロードショーされる内藤瑛亮監督の『許された子どもたち』を取り上げる予定です。
お楽しみに。