第31回サンダンス映画祭で監督賞に輝いたホラー映画『ウイッチ』をご紹介します。
新鋭ロバート・エガース監督による、17世紀アメリカ、ニューイングランドを舞台にしたある一家の悪夢のようなお話です!
1.映画『ウイッチ』作品情報
【公開】
2017年(アメリカ)
【原題】
『The Witch』
【監督】
ロバート・エガース
【キャスト】
アニヤ・テイラー=ジョイ、ラルフ・アイネソン、ケイト・ディッキー、ハーベイ・スクリムショウ、エリー・グレインジャー、ルーカス・ドーソン
【作品概要】
1630年、ニューイングランド。教会と衝突し、入植地を追放された一家に次々と不幸が訪れる。家族が魔女なのか!? 疑心暗鬼にとらわれ、崩壊する一家を描き、第31回サンダンス映画祭で監督賞に輝いたホラー作品。
2.映画『ウイッチ』あらすじとネタバレ
1630年。アメリカ、ニューイングランド。信仰に熱心な余り、教会に異議申し立てを続けた一家は追放を言い渡されます。長女のトマシンは戸惑うものの、父親のウイリアムは望むところだと応え、一家は馬車に家財を積み、入植地を出ていきました。
森の近くの荒れ地に住まいを見つけた一家は大地にひざまずき、熱心に祈りを捧げます。夫婦は満足そうに微笑み合いました。
「私は罪を犯しました。仕事をさぼり、両親にそむき…」トマシンは神に祈っていました。「罰としてみじめで過酷な人生を送るべきですがイエスの名においてお許しを」。
ある日、トマシンは赤ん坊のサムを連れて森の入り口近くにやってきました。いないいないばぁをしてサムをあやすと、サムは大喜びして笑います。しかし、三度目のいないいないばぁのあと、目の前からこつ然とサムが消えてしまいました!
「サム!」大声をあげて森の入り口近くまで走っていくトマシン。
森の奥深くでしょうか?! 裸の赤ん坊をさわる獣のような手。別の手には刃物が握られているのが見えます。半裸の女が何やら蠢いている姿があり、肌は血にまみれているように見えます。この女性は一体何者なのか…?!
それから何日かが過ぎたある朝、トマシンの弟、ケイレブは目覚めて窓を開けました。側にはトマシンが眠っています。ケイレブは彼女の白い胸元に目を奪われていました。
別の部屋では母親のキャサリンが哀しみに暮れ、ずっと祈りの言葉を呟いていました。
靴を履き、外に出ると父が背中を向けて座っているのが見えました。皆を起こしてこようかというケイレブの言葉に首をふり、父は言いました。「サムの捜索はやめよう」。
まだ何日かしか立っていないのに諦めてしまうのという息子の問いに、狼にやられていなくても生きてはいまいと父は呟きました。そして、ケイレブに一緒に森に行こうと声をかけました。
「子どもは森に入ってはいけないのでは?」
父は一家を支えるために助けになってくれと息子に言うのでした。とうもろこしもうまく実ってくれません。「かなり前に森の中に罠を仕掛けたんだ。冬になる前に蓄えがいる」。
道中、父は息子に「お前が持っている罪とは?」「心の堕落とは?」と問いかけ、息子は見事に応えてみせました。
罠には何もかかっていませんでした。「仕掛けなおそう」。
「サムも原罪を持っていた?」息子の問いに「天国にいくのを望もう」と父は応えました。しかし息子は「サムは地獄に?」と再び問いました。
彼自信が今、死んだら、地獄に行くことになるのだろうか。罪を持って生きてきた自分はその罪を神様に許してもらえるほどまだ信仰が深くない、それがケイレブを不安にしていました。
父は、「良い人間か、悪い人間かを決めるのは神様だけなのだ。天国に行けるといってやりたいが、これだけはわからないのだ。行けるように毎日神に祈ろう」と泣きそうになっているケイレブを励ますのでした。
「この罠はどうしたの?」という息子の問いに父は応えました。「インディアンから手に入れた。母さんの銀カップと交換したのだ。母さんの哀しみが癒えたら話す」。
その時、犬のファウラーが激しく吠えました。一匹のウサギがこちらをじっと見ていました。獲物だ! 父は銃を構えますが、引き金を弾いた途端、暴発して尻もちをついてしまいます。
その頃、家では、双子の弟と妹がヤギをからかって遊んでいました。トマシンが何度注意しても聞きません。
母親が出てきてどうして双子から目を離したのか、トマシンは叱られてしまいます。
父とケイレブが戻ってくると、母は「家を離れないで」と激しく詰め寄りました。森に行ったと知り、母は益々怒り出しました。
罠のことが言えず父が言い淀んでいるので、ケイレブが「りんごを探していた。母さんを喜ばせたかった」と言ってその場を取り繕いました。
父は薪割りに精を出し、トマシンは水辺で洗濯をしていました。ケイレブの目はつい彼女の胸元にいってしまいます。「何をみているの?」トマシンが無邪気に聞きました。
すると双子の一人、マーシーがいつの間にかやってきて魔女の真似をして二人を脅かせました。
双子は黒ヤギとお話が出来て、その黒ヤギが「トマシンが魔女だ」と言っていたとマーシーは言います。
マーシーがあまりにも生意気なので、トマシンは「サムを奪ったのは私。森の魔女は私。私はなんでも消せることが出来る」とマーシーに迫って怖がらせました。そして「このことは内緒よ」と釘を指しました。
夜、食卓を囲む家族。母はトマシンに銀カップを失くしたのかと尋ねました。「私じゃない」と答えるトマシン。「私の父のカップを失くすなんて」さらに母は彼女を責めました。
「カップも狼のせいなの? この土地はなんなの? いやな感じだわ」と母は喋り続けました。
ヤギが騒がしいので寝床を整えに行ったトマシンは小屋にウサギがいるのに気が付きました。ウサギはまっすぐこちらを見ていました。
食卓に二人残った父と母。嘆きすぎるのはよくないと父が諭しています。「トマシンは月のものを迎えた。奉公に行く年齢なのにこんなところじゃ何もできない」と母は嘆き続けます。「サムは地獄にいる。家族も餓死する」。「トマシンを町に連れて行って奉公させよう」。
そんな二人の会話は子どもたちに筒抜けでした。トマシンは不安そうにそれを聞いていました。
翌朝、ケイレブは森に行く準備をしていました。「ぼくは絶対姉さんを奉公にはいかせない」。
彼は一人で行こうとしていたのですが、トマシンは無理やりついて行きました。
罠には小さな獣がかかっていました。その時、犬が激しく鳴きました。馬が暴れ、トマシンは放り出され、気を失ってしまいました。
ケイレブは銃をかまえて犬の方に近づいていくと泣き声のような声が聞こえ、犬が倒れていました。ケイレブはいつの間にか森の奥深くに入っていました。
トマシンが気がつくと、父がケイレブを呼ぶ声が聞こえてきました。トマシンは父と抱き合いました。「ケイレブは?」
3.映画『ウイッチ』の感想と評価
ニューイングランドは、アメリカ合衆国の中で最も古い歴史を持つ地域の一つで、1962年に始まる「セイラム魔女裁判」で知られている場所でもあります。
降霊会に参加していた少女たちが異常な行動をし出した事件を発端に、立場の弱い女性が悪魔と契約したと告発され、裁判を受け、処刑されました。最終的には村の住人の100名以上が告発され、19名が処刑、及び餓死をしたと言われています。
監督のロバート・エガースもニューイングランド出身で、幼い頃は常にニューイングランドの過去が意識下にあったと述べています。幼い頃に見た最も初期の悪夢は魔女に関するものだったとも。また彼の家の背後にそびえる森が常にその過去を想像させたとも語っています。
本作は「セイラム魔女裁判」よりも前の1630年という時代設定になっています。エガースは17世紀のインテリアや衣服、住居、そして魔女に関する文献などを徹底的に調べ、企画から5年がかりで作品を完成させました。
照明も蝋燭を使い、高感度のカメラを使わず、夜の暗さをそのまま画面に焼き付けています。
赤ん坊がいなくなったあとに、魔女らしきものが、暗さの中にちらちらと姿を見せますが、はっきりと見えず、何をしているのかよくわからないことが逆に怖さを倍増させています。
入植地を追放されたとはいえ、堅い絆で結ばれていたはずの家族が、疑心暗鬼にとらわれていく描写は圧巻の一言です! ある事件をきっかけにまさにドミノ倒しのように、一家は崩壊していきます。
幸せな毎日であれば、多少の不安や不満があったとしても意識下に追いやることは可能ですが、一つ、何かが崩れると、次第にそれらが大きな塊となり、ついには爆発するというのは、現代に生きる私たちにも十分起こりうる怖さではないでしょうか。
長女トマシンに扮したアニヤ・テイラー=ジョイは、無垢な少女として登場しますが、その肉体は次第に大人にむかっており、年頃の弟を無意識のうちに惑わせます(それゆえに彼は罪悪感を募らせていきます)。
処女性と悪魔性を内包したキャラクターを見事に演じていて、非常に強いインパクトを放っています。
ナイト・シャマラン監督がこの作品の彼女を見て、『スプリット』に抜擢したとのことですが、それも納得の存在感です。
さらに注目したいのは、長女や母親という女性キャラクターが一家の長である父親を責め立てる場面です。
とりわけ、長女の父への言葉は辛辣です。世のお父様方は娘にこのようなことを言われたら立ち直れないのではなかろうか、と思わずにはいられないほど身につまされるシーンとなっています。
当時の社会は究極の男性支配社会ですから、女性がこのように意見を言う機会がどのくらいあったのでしょう?
そもそも魔女というものは、男性社会において、男性たちが、女性のパワー、能力に対して持った恐怖心の具体化だという説もあります。父にはトマシンはまさしく魔女だったでしょう。
ともあれ、父親の、コミュニティーを追放されてもやっていけるという自分の信仰に対する過信が、全ての始まりであり、妻も子どもも、それについて行かざるを得ないわけですから、これはその弱き者の反乱でもあるわけです。
ただし、父親は最後まで子どもたちの無事を祈り続けました。その姿を閉じ込められた小屋の隙間から見るトマシンのまっすぐな視線と美しい瞳といったら!
本作は、シンプルな怪奇映画であるとともに、究極の家族愛映画であると読み解いてもよいのではないでしょうか。
まとめ
終盤、悪魔と契約したトマシンの体が浮かんでいくシーンがあります。彼女は一度笑ったように見えますが、そのあとは松明のせいで顔の部分が影になり、表情がまったく見えません。
最早、別世界に行ってしまった彼女の心を読もうなど無駄な行為だ、と拒否されているかのようです。
ラストシーンの衝撃も忘れがたいものです。誰があのようなシーンを予期したでしょうか。
ところで、筆者はトマシンが悪魔と契約して、森の奥に導かれていくシーンをみて、一本の日本映画を思いだしていました。
それは塩田明彦監督、宮﨑あおい主演の『害虫』(’02)です。ラスト、待っていた男が現れず、声をかけてきた見知らぬ男について行くことを選んだ少女が向かう先は地獄かそれとも…?
彼女たちの行先が重なって見えました。
アニヤ・テイラー=ジョイがどことなく宮﨑あおいと見た目のイメージがかぶるのと、彼女たちが演じる少女が醸し出す寄る辺なさ、人を破壊させてしまうものを持っているところなども共通項のように思えます。
『害虫』の少女も、時代が時代なら「魔女」と呼ばれていたかもしれません。
さて、ロバート・エガース監督の次回作は、ホラー映画の名作『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)のリメイクとのこと。
エドガー・アラン・ポーやアーサー・マッケンなどのクラシック怪奇小説、ヴィンセント・プライス、ピーター・カッシングといったクラシックホラー映画のスターを好む、エガース監督にピッタリの題材です。
アニヤ・テイラー=ジョイと供に、今後の活躍が楽しみです