心と体に生き難さを抱える歳の差のある男女を結び付けたのは同じ“鹿の夢”。
デビュー作『私の20世紀』が、第42回カンヌ国際映画祭でカメラ・ドールを受賞した、ハンガリーの映画監督イルディコー・エニェディが、18年ぶりに手掛けた長編映画『心と体と』。
この作品は、4人というシンプルな登場人物で、ハンガリーのブタペスト郊外にある食肉処理加工場を舞台にストーリーが展開します。
左腕に障害があるバツイチの中年男が、コミュニケーション能力に問題のある若い女性に特別な気持ちを抱き、お互いに欠けている部分を補い合える関係に至るまでの、大人の純愛物語です。
見どころは2人が同時に見ている、森をさまよう2頭の鹿が出てくる「夢」のシチュエーションの美しさ。その「夢」が何を意図するのか鑑みることで、2人の心の移り変わりの機微が伝わることでしょう。
映画『心と体と』の作品情報
【公開】
2017年(ハンガリー映画)
【監督/脚本】
イルディコー・エニェディ
【原題】
Testrol es lelekrol
【キャスト】
ゲーザ・モルチャーニ、アレクサンドラ・ボルベーイ、レーカ・テンキ、エルヴィン・ナジ
【作品概要】
『心と体と』は工場で財務部長をする“エンドレ”と、臨時で派遣された品質検査官の“マーリア”という、恋愛成就の考えにくい立場の2人が、共通の夢を見ている体験を通し、心を通わせるラブストーリーです。
本作は第90回 アカデミー賞(2018)外国語映画賞にノミネート、第67回 ベルリン国際映画祭(2017)では、金熊賞とFIPRESCI賞、エキュメニカル審査員賞を受賞し、審査員長のポール・ヴァーホーヴェン監督は批評の中で「審査員みんなが恋をした」との言葉で讃えました。
また、主演のアレクサンドラ・ボルベーイは、第30回ヨーロッパ映画賞でヨーロッパ女優賞を受賞し、今後の活躍に注目を集める女優です。
映画『心と体と』のあらすじとネタバレ
朝日が差し込む食肉処理加工場の裏庭では、工場で働く人々が就業前の歓談のひとときを過ごしています。
左腕に障害がある財務部長のエンドレも窓から差し込む朝の柔らかい陽を浴びながら、従業員の様子を見ていると、柱の影に隠れるように佇む見知らぬ女性に目が留まりました。
彼女は日陰の中にいながら、つま先だけが日なたに出ると、スッと日陰の線に合わせて立つという不思議な行動をしていました。
ランチタイムの食堂でもエンドレは彼女の姿を見かけたので、人事部長に誰かと尋ねます。
彼女は出産で休暇をとる品質検査官の代理で働く“マーリア”だと紹介します。かなりの堅物だというマーリアを決して「マリカ」と愛称で呼ぶなと忠告しました。
相席を促す人事部長を無視して他の席に着くマーリアに、エンドレは初日で緊張しているからだろうと、コミュニケーションをとろうとマーリアと同席します。
他愛もない食堂のおすすめメニューの話から、エンドレは「野菜と煮込んだものもよく頼む」と話すと、「腕が不自由だと食べやすいからですね」と、率直に言います。
エンドレが「マリカ……愛称で呼んでも?」と聞くと、彼女は「不愉快です」とまた率直に答えます。
仕事の帰り道でマーリアは、後ろから来た男性に追い抜きざまに腕をつかまれます。悪気のないものでしたが、そのことで足が止まり体が硬直して、間に合う電車を見送ってしまいました。
マーリアは家に帰るとエンドレとのコミュニケーションを回想し、「うまく切り返せば会話が続いたのに」と、反省をします。
マーリアの仕事は真面目で正確なものでしたが、仕事仲間とはなじめずにいます。そして、高級品質の精肉にも関わらず、全てに“Bランク”を付けて加工担当者から不満をもたれてしまいます。
そんなある日、工場にシャーンドルという若い男性が就職してきます。エンドレは彼を面談し「ここで加工処理される牛たちのことをどう思う?」シャーンドルは「特に何も思いません」と、答えるだけです。
エンドルは「哀れむ気持ちがゼロだと勤まらない」そうアドバイスをしました。
シャーンドルは工場の女性に取り入り気さくに接していますが、マーリアに対してからかうような行動をして、その様子をエンドルに見られ、気まずい顔をします。
一方、高品質の精肉にかたっぱしから“Bランク”を付けていたマーリアに理由をたずねると、脂肪が定められた規定より2~3ミリ厚いといいます。
それをマーリアは目視で見分けられると言うのです。エンドレはマーリアの杓子定規的な仕事ぶりに驚きつつも、納得せざるを得ませんでした。
翌日、工場では思いもよらぬ事件が発生し、工場内には警察の捜査が入り騒然とします。
映画『心と体と』の感想と評価
エンドレは片腕が不自由な一人暮らしの中年で、マーリアは人に理解されにくい性質の女性です。共通点は、自分の殻にひきこもり、孤独であったこと。寒くて霧のかかる森でさまよっている鹿の姿は、まるで2人を表しているようでした。
「心と体」の障害
マーリアは驚異的な記憶力や規則性にこだわる性格です。小児カウンセリングも受けてきたようなので、アスペルガー症候群なのかもしれません。アスペルガーは言語や知的に障害はなく、感情の表現が苦手なため人に理解されにくい疾患だからです。
マーリアがどうしても理解できない“愛”という概念が、親しんでこなかった音楽によって芽生えたあとは、祈るような気持ちで見入ってしまいました。
エンドレの左腕には障害がありますが、彼には人望もあり不自由な生活は送っていません。ただし、障害があり独り身の中年男性の漂わせる孤独感や哀愁は、周りの男性でさえも心配にさせるものだったのです。
夢がリンクする発想
心の障害と体の障害という、フォローが必要となるマーリアとエンドレ。
そんな2人の心は、冬の静かな森で食べ物や飲み物を求めながらさまよい、深い霧の中でお互いに興味を抱きながらも、警戒する“鹿”の姿を借りて表現されています。
マーリアは人から触れられること、触れることも苦手でしたが、心を開いたエンドレの存在で克服し、不自由なエンドレの腕をそっと自分の腕に絡めるまでになったシーンでは、とても美しい絆を感じました。
お互いが夢を見なかったのは、もう夢の中で会う必要がなくなったからです。最後にまばゆい朝の光で森が消えていくさまが、2人の心を表すようでとても印象的でした。
まとめ
本作は食肉処理加工場での牛の屠殺シーンが出てきます。これは残酷なシーンを見せるのが目的ではなく、過剰で過激な動物への扱いに抗議するとともに、食で人が生かされていることの感謝が込められています。
ところで驚いたのはエンドレ役のゲーザ・モルチャーニは、俳優ではなく演劇の翻訳や編集をしている方で、演技も初挑戦だったということです。孤独な男を見事に演じていました。
また、イルディコー・エニェディ監督は鹿になった男女が夢の中で会うシチュエーションのアイデアが、どうして浮かんだのかはっきりと記憶していないと言います。
ただし、こうした障害を持った人たちには現実的な厳しさがあり、それをリアルに伝える作品が多い中、森の中のさまよえる牡鹿と雌鹿でミステリアスに表現し、それを現実で共存できる関係に仕立てるための重要なシーンと解説しています。
映画『心と体と』は、少しの優しさがあれば、誰にでも思いやりをもって接することはできますが、足りない部分を補い合う“愛”もあるのだと伝えているのです。