2016年度の立命館大学映像学部の卒業成果作品『地球がこなごなになっても』。
荻颯太郎監督によるがSF学園ラブストーリーです。
阪神淡路大震災や東日本大震災から感じたことを巧みフィクションに詰め込んだ力作!
CONTENTS
映画『地球がこなごなになっても』の作品情報
【公開】
2017年(日本映画)
【脚本・編集・監督】
荻颯太郎
【キャスト】
西村光弘、小森ちひろ、浜口愛子、谷野ひなの、松尾渉平、ぱくみゆう、日下七海
【作品概要】
2016年度の立命館大学映像学部の卒業成果作品『地球がこなごなになっても』は、荻颯太郎が脚本・編集・監督を務めたSF学園ラブストーリー映画。
沖縄国際映画祭のクリエイターズ・ファクトリー2017や第4回新人監督映画祭などで上映された作品です。
プロデューサーを務めたのは玉越庄奉、撮影に木村英士郎、助監督は渡辺香志それぞれ担当しています。
映画『地球がこなごなになっても』のあらすじ
17年前に突如として地球に襲来したエイリアン。
人類は彼らの侵略に打ち勝ったが、一部の人間はエイリアンのウィルスに侵され、瞳が緑色変化してしまいました。
すると、人々のあいだでウィルスに感染した者の差別や偏見が蔓延し、襲来以後の人間関係に影を落としていました。
それでも平穏を取り戻した人類は、何事もなかったかのように日常を送っていました。
ある夏の日、何事にも無関心に過ごす高校生の坂上卓弥は、彼女と一緒に花火大会に出掛けました。
賑わう祭り会場から離れた坂上と彼女。異性に対する一方的な欲望を抑えられない坂上はむりやり彼女にキスをせまり、怒った彼女に逃げられてしまいます。
やがて坂上の通う高校に転校生の副島麻友がやって来ます。明るくて可愛い麻友にたちまち想いを寄せていく坂上。
その後、麻友は奥本希をいじめから救い出します。盲目の希は女子グループからエイリアン呼ばわりされイジメられていたのです。
希をイジメからかばったことから、今度は女子グループのリーダーから麻友がイジメの標的になり、そのことをきっかけに麻友がエイリアンのウイルス感染者であることが明らかになってしまいます。
麻友に恋心を抱いていた坂上だったが、その事実を目の当たりにして麻友への愛情が差別意識に変わってしまい…。
映画『地球がこなごなになっても』の感想と評価
荻颯太郎監督とは
監督作品『琴音ちゃんのリコーダーが吹きたくて』予告編
荻颯太郎監督の映画『地球がこなごなになっても』は、大学卒業制作の枠に収まらない才能の片鱗が見られる作品です。
沖縄国際映画祭のクリエイターズ・ファクトリー2017や、第4回新人監督映画祭などでも上映され、十分にエンターテイメント性が発揮されたストーリーです。
荻監督は、1994年10月1日生まれの京都府出身。立命館大学映像学部卒業生。
大学に入学後、学生時代に映画、ミュージックビデオ、企業コマーシャルなど様々な映像作品で監督を務めています。
2014年に初監督作品となる『2006のぷるーと』を発表、同年に『キエル』。2015年に『琴音ちゃんのリコーダーが吹きたくて』、同年に『風が吹けばキスをする』と『うち湯』を発表しました。
2017年には立命館大学の卒業成果作品『地球がこなごなになっても』(2016年制作)を完成させます。そのほか同年にミュージックビデオの『WEEKEND』や、『地球がこなごなになっても』のスピンオフ的な短編作品『feral』を発表しました。
荻監督の演出の特徴は、長編や短編作品のコンパクトな上映時間のなかに、コミック風のユニークさが表現されていることです。
物語の設定やモチーフに関するボーダレスな感覚から、同じ地平線にあって物事を描くことにこだわる姿勢が見られます。
今後、荻颯太郎監督が注目されることは必至。日本映画界を担っていく映像作家に成長してくれるのではないでしょうか。
“エイリアン”のメタファーに隠された震災と被災者
本作品『地球がこなごなになっても』の鑑賞前、西大路ヴァージンシネマの上映でのチラシに紹介された作品あらすじに、まずは「エイリアン襲来」という言葉が飛び込んできました。
大学生が扱った荒唐無稽な設定と低予算の映画に対し、当初はまったく期待していませんでした。
しかし、冒頭の演出や、まるで漫画を読み進めるようなストーリーテリング構成にのめり込んで生きました。
この作品に登場する「エイリアン襲来」は、物語のモチーフ以外にも大きく2つのメタファーを見い出すことができます。
1つ目は「世界各地に起きる自然災害」。
2つ目は「高校に転校してきた生徒」。
この2つ目の転校生といういわば新たな環境下において弱者となる副島麻友は、1つ目にある自然災害の被災者でもあります。彼女が2つのイメージをあわせもっているのが特徴です
さらにエイリアンウィルスの感染者だと露見すると、いっそう「副島(そえじま)」という苗字が持つ意味を「フクシマ」とミスリーディングを誘う問いかけに気が付かされます。
エイリアンとしてイジメを受けた視覚に障がいのある奥本は、かつて友人が被災者でした。
仲が良かった人が被災していて、そこに少なからず偏見を持ってしまった後ろめたい過去があり、坂上が副島に抱いた感情と同様な過去を奥本は抱えています。
また、それだけでなく注目しておきたいのは、エイリアンとしてイジメを受けた奥本と副島、イジメに無関心であった坂上の3者が、恋愛模様の三角関係で描かれていることです。
荻監督の作品の大きな魅力は、物語設定や登場するモチーフが常にボーダレスに描かれる演出です。
彼の作品がまだ広く一般に公開されていないことから、新人の荻監督の全貌を見出すことは少し難しいことかもしれません。
それでもあえて類似する作風をいくつか挙げるとすれば、名匠として知られる岡本喜八監督の漫画的表現。
漫画家の高橋留美子の代表作『うる星やつら』のごった煮のユニークさとエロさ。
劇場版「フルクリ プログレ」のような時代性が想起させられます。
そのほかにも荻監督のキス描写へのこだわりは、いくつかのほかの作品に見出すことができます。
本作『地球がこなごなになっても』では、坂上の口がとがったひょっとこのお面に始まりること。特に坂上と麻友の間接キスとしてチュッパチャプスや煙草、麻友と奥本希の間接キスのお弁当ウインナーソーセージのこれらは、対になった三角関係をよく示したものでした。
そして作品テーマである「エイリアン襲来」というメタファーが膨らませていくイメージは、最終的には坂上を中心に外的な要因から個人の内面への問いかけという、自己内への侵略(インパクト)を突き詰めていくことになります。
そこにこそ、荻監督の“ボーダレス”という要素がとても効果的でフレッシュな魅力を引き出しているといえるでしょう。
まとめ
本作『地球がこなごなになっても』は、2016年度の立命館大学映像学部の卒業成果作品です。卒業作品といっても縮こまったような世界観や礼儀正しいだけの成果物ではありません。
この作品で荻颯太郎監督自身にしか持ち得ないボーダレスが持つユニークさは、エイリアン襲来をモチーフに人間が抱く差別意識を浮き彫りにさせます。
しかも、登場人物がその厳しい現実の状況に落とし込まれようと、また、恋敵のライバル同士であってさえも、互いに手を取り合い、不恰好に転びながらも“今を生きる”という強いメッセージを持ち合わせています。
異色のSF学園ラブストーリー『地球がこなごなになっても』は、若き新星荻颯太郎監督の作品です。
また、荻監督の思いを込めた登場人物たちに扮するキャスト陣の西村光弘、小森ちひろ、浜口愛子らの演技にも注目です。