映画『調査屋マオさんの恋文』は、京都みなみ会館にて2019年12月20より公開中。新春2020年1月3日より9日まで洲本オリオンで公開。
映画『調査屋マオさんの恋文』は、昭和の高度成長期時代にマーケティング調査の会社を起業して活躍した佐藤眞生(マオ)さんが認知症を発症した妻の記録を続ける姿を追ったドキュメンタリー作品です。
大阪・日本橋の名物おじさん、金木義男さんを追ったドキュメンタリー映画『ろまんちっくろーど 金木義男の優雅な人生』(2014)の今井いおり監督が、3年半に渡って佐藤眞生さんを取材しました。
今井いおり監督
このたび、関西での劇場公開を記念して、今井いおり監督と佐藤眞生さんにお話を伺いました。
調査のプロであった佐藤眞生さんに取材をした今井いおり監督の思いや、ドキュメンタリー映画を制作した独自方法など、多岐にわたりお聴きすることができました。
CONTENTS
「自給自足」から“夫婦愛”
調査屋マオこと、佐藤眞生さん
──本作を耳にした際に、介護や夫婦愛のお話と聞いていたのですが、実際に映画を鑑賞すると、介護をテーマにした夫婦愛の物語であると同時に、佐藤眞生(まお)さんという昭和の激動の時代を生き抜き、現在、老年期を迎えた一人の日本人男性の人生が描かれていました。日本の戦後史の側面もありますが、佐藤さんの映画を制作しようとされたきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
今井いおり監督(以下今井): 当時、佐藤さんは大阪府茨木市で自給自足の生活をしていらっしゃったんです。僕も自給自足の生活に興味を持っていたので、最初は教えを乞うという形で佐藤さんと接していました。短編として撮ってYouTubeにあげるのでもいいなと思っていたのですが、その時に佐藤さん、奥さんの話ばっかりされるんですよ。一度奥さんを撮らせてくださいとお願いして入居されている特別養護老人ホームに行った時、佐藤さんの奥さんに対する所作を観て、がつんと単純に感動したんですね。カメラを回しながらうるっと来たこともあってこれはなかなか撮れない映像じゃないかと思いました。
取材を始めて半年ぐらいたった時に、こんなの書いてるんだよと奥さんの言動を記録しているノート“縫子生(ぬいこしょう)”を見せてもらったんです。それを見て泣けたんです。もらった時期と撮影時期のタイムラグがあるので全部は使えなかったんですけど、似たようなシーンを組合せて撮りました。
なんでこんな記録を付けているんだろうと質問してみたら「記録しないと忘れるやろ」とおっしゃった。忘れないように記録されているということで、極めてわかりやすい愛情表現だと思いました。それでタイトルに「恋文」といれたんですよ。
そうしているうちに佐藤さんが過去に家族に向き合えなかった時期もあったことを知り、今、佐藤さんが奥さんに対してされていることは深い人間ドラマとして描けるのではないか、映画としていけるんじゃないかというのがだんだん見えてきました。時間がたつにつれ「自給自足生活をしているおじいさん」から「夫婦愛」、次に「人間ドラマ」というふうにどんどんテーマが変わっていきました。
佐藤さんを撮りたいと思ったもう一つの理由は、佐藤さんが主催されていた「縄文直感塾」でおっしゃっていた「頭で考えないで体で考えましょう」という言葉です。それって僕らには少年漫画誌の主人公の師匠が言っている言葉だったり、ブルース・リーの言葉であるわけで、当時78歳の佐藤さんがどういう意味で言っているんだろう?と興味を持ったことも大きいです。つきとめていくと、施設で奥さんと毎日接しているうちにその境地に至られたということもわかってきました。
プライベートなことをどこまで描くか
──佐藤さんにカメラを向けていて、様々なことがわかっていく一方、本音を引き出そうと苦労された点はありますか?
今井:奥さんに対する素直な気持ちを一番聞きたかったんですけど、佐藤さんは質問のプロですから簡単にはいかないだろうと思っていました。どうやって引き出すかすごい時間がかかっていて、佐藤さんからは、完成はいつになりますか?と聞かれていたんですけど、もうすぐですよとごまかしながらその質問をみつけるまでは終われないと思っていました。そんな中、ある朝、目覚めたら、すっと質問が出てきて、それを佐藤さんにぶつけてみたところ、凄く素直な応えが返ってきたんですね。
──どこまでカメラを回して、編集もどこで切るかという点で悩まれた部分はありますか?
今井:佐藤さんが50代の頃、奥さんを困らせたことがあったんだということを見せることによって、今、40代、50代の方で、夫婦関係で悩まれている方が、70代、80代になったとき今とは別の世界にいるかもしれないということが見せられたらという気持ちがあったのですが、やはりプライベートなことなのでどこまで撮らせていただけるかという心配はありました。佐藤さんには映像を何度も見てもらい確認してもらいました。
佐藤眞生(以下佐藤):僕自身は全部見せてもかまわなかったんです。
今井:・・・そんなに気を使わなくてもよかったみたいです(笑)
介護とお金と食べて生きること
佐藤:作品を観た何人かの方にはよくあれだけおおっぴらにするねとは言われたね。
今井:それはお金のことが大きいですよね。東京ドキュメンタリー映画祭の方には、「今まで認知症とか介護をテーマにした映画はいっぱい観てきたけれど、お金のことをあそこまで描いた作品はないです」と言われました。
佐藤:ざっと見積もって4年は持つと計算してたんだけれど、途中でまわらなくなっていろいろなものを解約しましたね。
今井:介護破産の危機に見舞われたんですが、お金の問題と食べて生きる問題はまったく別のカテゴリーで、お金がなくなったからと言って死なない生活、自給自足の生活というのを佐藤さんは確立されていたんですね。
ソ連が崩壊した時に、ソ連の人ってダーチャっていう小型の農園を持っていたので、経済がぐちゃぐちゃになってお金がなくなっても生きていけたというのがあったんです。佐藤さんもそれと同じようにお金がなくても死なない生活を確保されていたので、乗り切ることができた。そんな側面も大きなカテゴリーでみてもらえればと思います。
佐藤さんから学んだ調査方法で試写会を開く
──何本も試作品を作られたそうですね。
今井:試写を開催して何回も人に観てもらいました。ハリウッドスタイルです(笑)
──その感想を聞きながら? 再編集されていったのですか?
今井:佐藤さんに調査のことを教わったので、僕は自分の知り合いを分類しているんです。「エンターティメントしか観ない人」とか、「ミニシアター系の映画も見る人」とかに分けていて、あと「厳しい人」とか。そういう人たちに自作をどのように観られるか調査していきました。2時間あったものを80分にした時は、エンターティメントしか観ないという友人も面白く観てくれたり、それを「厳しい人」に観てもらったらまたボロクソに言われたりして、そうした調査をもとにまったく違う構成で試作品を3本重ねました。
ドキュメンタリーは映像にぐっと入っていって素材から抜けられず客観的に観られないなというのは前作で感じたので、そこは自分を信じないで他人を信じるという客観的な視線が必要でした。
──ドキュメンタリー作品の中には作り手の主観が大きく出ているのもあります。中にはインタビュー部分を切り貼りして、自分の意見にそうように構成する作品もあります。今井監督は、ドキュメンタリーの撮り方で特に意識されたことはありますか?
今井:伊勢真一監督のドキュメンタリー映画『妻の病 レビー小体型認知症』(2014)を観て強烈に感動したんです。ドキュメンタリーってこんな破壊力あるのかと教えてもらいました。伊勢監督って撮った映像を信じているんですよね。僕は普段テレビの仕事をしているので、そこまで信じられない部分があったんですけど、伊勢監督を意識して信じようとして作った部分はありますね。
佐藤さんとの共同作業
──施設での撮影はいかがでしたか?
今井:現場の方と管理職の方の温度差が激しかったですね。そのあたりのことはカットしましたけれど。
佐藤:直接、世話してくれる職員の方は皆、いい方ばかりでしたけれど、管理されてる方が、佐藤さんがくることで皆、プレッシャーを感じているっておっしゃるんですね。あなたが来ることで仕事が増えるんですとまで言われました。撮影にも協力してもらえなかったしね。現場で世話してくださる方が映画にでてもいいですかと上の方にお伺いをたてると勤務時間中はやめてねと言われるんです。
今井:そんな中、撮影したんですけどね。現場の方はOKだったので。「ひらけごま」という声が聞こえてくる部分は佐藤さんがレコーダーで撮ってくださったんです。佐藤さんと縫子さんの会話のシーンは全然撮れてなかったんです。そのことを佐藤さんに伝えたら、「わかった」っておっしゃって、佐藤さんがレコーダーを忍ばせてお二人の会話を撮ってくださいました。音声だけを使ったシーンもあるので、佐藤さんの技術者としての力をお借りしました。そういう意味で一緒に作っていったという面はあります。
佐藤:「調査屋」やからね。レコーダーなどは結構使っていたんです。かみさんが「そんなことない」って言うところは監督が撮ったよね。
今井:あのシーンだけ佐藤さんに外に出てもらって、いろんな質問したんですよ、縫子さんに。でも答えようとはしてくださるんですけど応えてもらえなくて、最後に「佐藤さんていい旦那さんですね」って褒めたら全力で否定されました。
佐藤:2度も繰り返しているからね(笑)
補助する側の人間の価値観が変わる
──私の実家の父も、今、“朧”の状態で、弟が介護してくれているんですが、そういう自分の体験だとか、夫婦の問題などと重ね合わせて観てしまいますね。
今井:38歳の時にこの作品を撮り始めたんです。佐藤さんがお子さんから言われた言葉にショックを受けて会社をやめられたのがやはり38歳の時で、僕自身意識的に子供と遊ぶようになりました。子供がいなかったら多分撮れていない映画だなと思っています。佐藤さんが奥さんに優しく声をかけている様子って、考えてみれば僕が子供に対してしているのとよく似ているんですね。幼児というのは過去がない、認知する力がまだない人間で 一方、介護の方は、過去があるけど認知がなくなっていくという、大きな違いはあるんですが似ているところもあると思うんです。育児で鬱になる人もいるし、介護で鬱になって壊れてしまう方もいます。僕が娘や息子から得るものがあるように、佐藤さんも認知症の奥様とすごされていてまた新しい発見があったと思うので、補助が必要な人との付き合いというのは補助する側の人を変える時間なのかなと。
今、僕は41歳で、普段、“効率”とか“生産性”というものを重視して仕事しているわけですけれど、子どもと一緒にいると、靴を履くだけでも5分、10分かかるとか、ご飯を食べさせるのに一時間かかることもあって、なんて非効率な人間と付き合ってるんだと思うじゃないですか(笑)でもそうしないと子どもは育たないし、認知症の方だってそうですよね。がくんと価値観を変えてくれるきっかけになる時間だったなと思っていて、作品を撮る前と撮ったあとでは違う自分と出会えたなと実感するところはあります。
次の作品はまた面白い人に出逢ったら撮りたいと思っていますが、子どもが観て喜んでくれるような映画が撮りたいと最近思うようになりました。もともと脚本家志望だったので劇映画にも挑戦してみたいです。
インタビュー・撮影/西川ちょり
今井いおり監督プロフィール
1978年生まれ。兵庫県南あわじ市出身。大阪在住。大阪ビジュアルアーツ専門学校を卒業し、テレビディレクターとして活躍する傍ら、自主映画活動を行っている。本作は、2014年劇場公開作品『ろまんちっくろーど~金木義男の優雅な人生』に続く長編ドキュメンタリー映画作品の2作目。ちょもらんま企画HP
映画『調査屋マオさんの恋文』の作品情報
【日本公開】
2019年(日本映画)
【監督】
今井いおり
【音楽】
よしこストンペア
【キャスト】
佐藤縫子、佐藤眞生、佐藤競、佐藤里香、佐藤澪、江嵜健一郎、松股征男、青山芳夫、赤松民男、川村純三、大橋豪之、南正士、福丸孝之、片山重正、矢島恒子、森田憲彦、桐生敏明、桐生紘次、松本大樹、川島亜美
【作品概要】
大阪府茨木市で、認知症を発症した妻の縫子さんを記録し続けている元マーケティング調査員の、“マオさん”こと佐藤眞生氏に3年半にわたり密着した、今井いおり監督のドキュメンタリー作品。
東京ドキュメンタリー映画祭2019において、長編部門グランプリを受賞.
音楽は、今井いおり監督の前作『ろまんちっくろーど~金木義男の優雅な人生』に続いて、滋賀県在住でオルタナティヴフォークの夫婦バンド、よしこストンペアが担当している。
よしこストンペアの小川賀子さん(神戸・元町映画館にて)
映画『調査屋マオさんの恋文』のあらすじ
周囲から“マオさん”の愛称で親しまれている佐藤眞生(さとう まお)さんは、2010年頃から認知症を発症した妻の縫子さんの介護をしています。
彼女が要介護レベル5となったことで、2016年1月から特別養護老人ホームに入居。以来、マオさんは施設へ通い続け、縫子さんの世話をし、そばで過ごす日々が続きます。
昭和の高度成長期時代に企業のマーケティング調査の会社を起業して活躍したマオさんは、そのスキルを活かし、妻の様子を「縫子生(ぬいこしょう)」として記録していきます。
大阪府茨木市で自給自足の生活をしながら、「縄文直感塾」を主催し、様々な執筆活動も続けています。
3年半もの長きにわたる取材の中から生まれた今井いおり監督渾身のドキュメンタリー作品。