どこにでもいる30歳の男・デイブは突然衝動に駆られ、ダンボールの迷路を作り始めます。
作り続けるうちに迷路は命を持ち、増長し、成長していき…果たしてデイブと仲間たちは、大迷宮から脱出できるのか!?
主なセットが全てダンボール製という、新しい切り口で語られるナンセンス冒険ファンタジー『キラー・メイズ』をご紹介します。
CONTENTS
映画『キラー・メイズ』の作品情報
【公開】
2018年(アメリカ映画)
【原題】
Dave Made a Maze
【監督】
ビル・ワッターソン
【キャスト】
ニック・スーン、ミーラ・ロフィット・カンブハニ、ジェームズ・アーバニアク、ステファニー・オーリン、カーステン・バングスネス、スコット・クリンスキー、ジョン・ヘニガン、リック・オーバートン、アダム・ブッシュ
【作品概要】
ビル・ワッターソンの初監督作品。
段ボール製の迷路の中で繰り広げられる大冒険を描きます。
本作はファンタジー・ホラーなどのジャンルで最も権威あるシッチェス映画祭にて、ニュービジョン・ワン/プラス部門で最優秀作品賞を受賞しました。
映画『キラー・メイズ』のあらすじとネタバレ
デイブの恋人で同棲相手でもあるアニーは、週末の旅行から帰宅し、リビング一杯に広がるダンボール製の迷路を目撃します。
迷路の中から聞こえるデイブの声に、アニーは顔を見せてと呼びかけます。
しかしデイブは、迷って出られない、迷路は外から見るよりずっと広いと答えます。
唖然とするアニーの目の前で、段ボールの煙突が唸り、蒸気を吹き上げ、何かの機械音がしています。
アニーは迷路を壊そうとしますが、一生懸命作ったからとデイブが慌てて止めると、迷路も共鳴するように謎の轟音を上げます。
途方に暮れたアニーは、デイブの親友であるゴードンを呼び出しました。
なんと3日も外に出ていないというデイブを助ける為、あれこれと提案をするゴードン。
ですが、助けを呼ぶのは恥ずかしいからダメ、迷路に入るのも危険だから絶対にダメと言うデイブ。
結局ゴードンは、共通の友人レナードに相談しようとします。
レナードだけならと渋々承知するデイブ。
数時間後には、迷路の話が世間に知られてしまい、部屋の中は人でひしめきあっていました。
レナードなど数人の友人の他に、ドキュメンタリーを撮る!と張り切る映像作家のハリー、カメラマン、音声係、段ボールに詳しいという理由で呼ばれたホームレス、謎のフランス人カップル。
ついにはピザを頼んだりとお祭り騒ぎです。
アニーは立て続けの突飛な状況についていけず呆然としますが、再びデイブと言葉を交わした事で、やはり私が助けなければと迷路に突入します。
それを見た友人達も、浮かれた様子で次々と迷路の中へ入っていきました。
映画『キラー・メイズ』の感想と評価
観客との距離を縮める段ボール迷路
ひさびさにギラッギラに光るB級ファンタジーを観たなと感無量でした。
本作の迷路はすべてダンボールなどの廃材、紙でできているのですが、紙という素材の奥深さに改めて驚かされます。
固形物も液体も硬軟様々な質感も、すべて紙で表現し、派手すぎない洗練されたデザインで作り上げています。
紙の安っぽさと非現実感のバランスをうまく取り、舞台芸術の自由な表現手法を取り入れているとも言えます。
そう考えると、この映画は観客との距離が近いところもどこか演劇的です。
例えば犠牲者の一人ジェーンが、アニーたちと合流した途端、罠のスイッチを踏んでしまう場面があります。
「ジェーン、それ多分ブービートラップだ」
「あはは(笑)嘘でしょ(笑)何で私が最初に踏むの!あんた達この部屋を散々うろうろしてたんでしょ!!おかしいじゃないのよ!!」
このように、キャラがしばしば「物語のお約束」についてさりげなく観客に語りかけてきます。
イヤらしくない程度にメタな造りです。
そして何と言っても、段ボール迷路が、観客の忘れていた童心をぐっと掴んで離しません。
登場人物が(犠牲者も出ているのに)何となく浮かれ気分で、会話が軽快なのも、ダンボール迷路へのわくわく感を隠しきれないからではないでしょうか。
特に一番ノリにのっていたのがゴードンで、真面目に動こうとしつつ興奮気味でとても微笑ましい!
冒頭で迷路を見た時も「デイブは今まで一回も、何かを成し遂げた事が無いんだ。ここまで熱中できるのは素晴らしい事だよ!」とデイブをかばいます。
そういう問題じゃねーだろ!と言いたげな顔のアニーとの対比が、良くも悪くもザ・男の子なゴードンを印象付けます。
名作児童小説との類似点
デイブの想像力で成長しているという迷路は、とにかくアイデアの宝箱です。
そのアイデアひとつひとつに、デイブの心理状態を求めることもできますが、あまり意味は無いと考える事もできます。
人間の想像力と感情は密接に絡まっていて、こんな事を想像したからあんな感情を抱いているとは簡単に言い切れないからです。
ナンセンスなファンタジーと言えば、ルイス・キャロルの児童小説『不思議の国のアリス』が思い浮かびます。
特に後発の『鏡の国のアリス』は、この映画と類似点があるのではないでしょうか。
『鏡の国』は全くのデタラメに見えて、チェスのルールに則って物語が進みます。
本作『キラー・メイズ』も迷宮のルールに則って、しかも造形は紙という縛りのもとで迷宮が成り立っています。
『鏡の国』は最後に「夢を見ているのはアリスか、赤のキングか?」という哲学的な問いかけをしますが、本作もやはりミノタウロスが現実に現れる事で現実と想像の境界を曖昧にしています。
どちらの作品も、最後には「現実こそが実はものすごくナンセンスなのでは?」という感情を抱かせるところも似ています。
ちなみにミノタウロスは神話ではクレタの迷宮に生まれ育ち、外に出る事も無いまま英雄に退治されてしまう悲劇の怪物です。
しかしこの映画では、朝日を浴びて世界への愛を感じることができました。
ミノタウロスの視点で語れば、本作はハッピーエンドだと、不可思議な感動すら感じることでしょう。
「迷路」と「迷宮」
『キラー・メイズ』というタイトルからホラーを想像しやすいですが、本作はホラーではありません。
終盤に「良いドキュメンタリーになりそうだ!タイトルはどうしよう?」「Dave Made A Mazeってとこかな。Killer Mazeでもいいけど」という会話があるので、日本版タイトルはここから取られたようです。
一つ気になるのは、ゴードンは迷路の事を「迷宮=labyrinth」とたびたび考察していました。
ただ、デイブは「迷路=Maze」と言い切っています。
迷路と迷宮って違うの?と疑問に思うところですが、迷路はいくつもの選択肢の中から正しい道を選び、出口を目指すパズル。
一方迷宮は、迷路と違い一本道なんですね。
そして迷宮は大抵、中心部に宝物など目的が置かれており、目的を達したら行きと同じ道を帰らなければいけません。
デイブの迷路は道が基本的に一本道であった事や、迷路の心臓=中心を求めた事から、やはり迷宮と呼ぶ方が適当なのです。
それでもデイブが迷路と言い切ったのは「全ては外に出る為の手段」という心の表れでしょうか。
余談ですが、現代では迷路と迷宮の定義は少しずつ曖昧になってきているようです。
映画のモチーフにもなった「クレタの迷宮」をはじめ、古い言葉なので少し寂しく感じますね。
まとめ
本作は、遊び心がめいっぱいに詰まった、想像力を刺激される作品。
実写で表現の限界に挑む映画は、やはり色あせない魅力があります。
日々何気なく使っている段ボールにも物語があり、使い終えた段ボールから、また新しい物語を紡ぐことができます。
ですが、日々鬱々としていたデイブのようにならなければ、そこに気づくことはなかなか難しいです。
本当に新しい物を作りそこから何かを得るのか、それともただの現実逃避に終わるのか。
デイブが訴えていたように「ただ作ってみたい」そんな衝動を後押ししてくれる、ある意味危険な映画なのかもしれません。