そんな父の姿を慕って応援する娘、そしてぶつかりながらも父娘を見守る母。
愛する家族と娘の夢のために、負けっぱなしの父親が最後の大勝負のリングに上がり、伝えたかった真の思いとは?。
自らの信念を貫く一人の人間としての生き様が、観るものを魅了するサミュエル・ジュイ監督作品『負け犬の美学』をご紹介します。
映画『負け犬の美学』の作品情報
【公開】
2018年(フランス映画)
【原題】
SPARRING
【脚本・監督】
サミュエル・ジュイ
【キャスト】
マチュー・カソヴィッツ、オリヴィア・メリラティ、ソレイマヌ・ムバイエ、ビリー・ブレイン
【作品概要】
監督作『憎しみ』(1995年)でカンヌ国際映画祭「監督賞」受賞、大ヒット映画『アメリ』(2001年)ではヒロインが恋する相手役を演じるなどマルチな才能を持ち、幅広く活躍するマチュー・カソヴィッツが本格的にボクシング入れ込み、家族のために体を張るボクサーを熱演しています。
主人公がスパーリングパートナーをつとめるテレク役を元WBA世界王者のソレイマヌ・ムバイエが見事に演じ、リアルで臨場感のあるファイトシーンが映し出されます。
また娘のオロール役にはこれからのフランス映画期待の新星ビリー・ブレイン。彼女の父親を慕う眼差しと天使のような笑顔が観るものを魅了します。
映画『負け犬の美学』のあらすじとネタバレ
ボクシングの試合アナウンスが聞こえ、一人の男が紹介され、リングに上がっていきます。
その後、ゴングが鳴り観客が去った中を、彼が静かにリングを降りていきました。
今日も敗戦成績を伸ばし、会場の外で黄昏ている男スティーブ。彼は冴えない戦績ながらなんとか生計を立てている中年ボクサーでした。
妻マリオンから50戦したら引退するように諭されており、タバコを吸い終わったスティーブが会場内に入ろうとすると、警備員に止められます。
「選手で、荷物を取りに行くだけだ」とスティーブは説明しますが、警備員は「IDカードを見せろ」の一点張り。
それでもスティーブは、なんとか知り合いに助けてもらうと、どうにか帰途に着くことができました。
家に帰宅すると、寝ている子どもたちにキスをして布団をかけた後、シャワーを浴びます。体には生傷が絶えず、顔面は大きく腫れていました。
そのうえ、スティーブがトイレに行くと、血尿までが出ていました。
あくる朝、妻マリオンが顔の手当てをしていると、娘オロールが「試合見に行っていい?」と何度もせがみますが、スティーブはダメだという告げます。
スティーブのファイトマネーだけでは生活ができず、マリオンの美容師としての稼ぎと、スティーブ自身がレストランで働くことで何とか家計を支えていたのです。
ある日、ボクシングの練習の後にスティーブは、娘オロールが通っていたピアノ教室に迎えにいきました。
先生に「ピアノにできるだけ触れることが一番の上達法です」と言われ、さらに娘オロールの「国立高等音楽院に行きたい」という夢を初めて知ります。
ピアノの授業料も滞納し、他の請求書も溜まっていましたが、それでもスティーブはピアノを買うことを決心します。
そんな時、ボクシングの練習場にチャンピオンのタレクが欧州王座を賭けた試合のために、担当者がスパーリングパートナーを探しにやってきます。
スティーブは全く声もかけられませんでしたが、帰りの車を待ち伏せをすると自ら志願しました。
担当者に「ボコボコにされるだけだ」とスティーブは言われますが、打たれ強いのが自分の良さだと押し通して契約すると、スティーブは良い仕事が決まったと家族とディナーに出掛けます。
しかし、その仕事内容がチャンピオンのスパーリングパートナーだと知ったマリオンに「試合より危険なスパーリングパートナーはやらないと約束してたしょ!」と言い返され、猛反対されます。
マリオンの猛反対を聞き入れず、スティーブはスパーリングパートナーの仕事に向かいました。
映画『負け犬の美学』の感想と評価
本作の冒頭から観てられないほどリアルな映像。それはスティーブの痛々しくて、傷だらけで、顔面が腫れ上がっている姿に表れています。
彼の鏡に映った自分を見つめるその切ない瞳やトイレの夥しいほどの血尿が次々に観客の脳裏に焼き付きます。
スティーブは40代半ばで、48戦13勝3分32敗のロートルボクサーで、試合の後に無言で会場の外でタバコを吹かしながら項垂れています。
警備員にも不審者扱いされ、選手だと何度も言うのに、IDカード見せろと全く相手にされません。
ここまでして、なぜ戦うのか。これこそが本作『負け犬の美学』の真骨頂といえるでしょう。
物語が進むに連れ、徐々にスティーブの生活ぶりや家庭の事情が見えてはきますが、それでも兎にも角にもボクシングを愛しているのでしょう。
この作品では、スティーブ自身がボクシングするなかで、弱音や愚痴を漏らす様子はが全くありません。
むしろ娘や弟に、嬉しそうにボクシングを教えている姿だけが何度も描かれ、目に焼き付きます。
スティーブの家にはサンドバックが釣られてあったり、彼は負けて帰ってきても必ずボクシングのパンツを洗濯機で回し、丁寧にグローブの手入れをします。
そのほか、スパーリングの順番を待っている時でさえ、縄とびを黙々と跳んでいる姿も印象的で、彼の全てを物語っているようでした。
そんなスティーブの姿を見ている娘オロールは、言葉を交わさなくても父親同様に、ピアノにのめり込むのは好きな夢を追いかけることの素晴らしさを感じ取っているのでしょう。
そして何より、スティーブ妻であるマリオンは、強くて美しい女性です。
彼女の心が美しく感じられるのは、危険なスパーリングを許さないと主張したのにも関わらず、最後の試合では周囲を全く気にせず、何度も飛び上がって「スティーブ!」と叫びながら応援しています。
そんな彼女がありったけの笑顔でスティーブに駆け寄る姿が圧倒的でとても魅力に溢れています。
それはスティーブも本気で頑張ります。
ひとつのことに打ち込む夫とその妻、そして娘の姿を通して家族の絆の深さを感じさせてくれる作品です。
まとめ
最後の試合が終わって帰ってきたスティーブが、ベットで寝ている娘オロールに駆け寄る場面は、とても胸にしみる演出でした。
「勝った?」と娘オロールが聞く前に、もう彼女は何もかも分かっているような表情を見せています。
スクリーンを見つめる観客もスティーブと同じ気持ちになって、娘オロールの天使のような笑顔が素敵な瞬間です。
あの一瞬を観るための映画と言っても過言ではない、美しいショットです。
スティーブは父親として、夢を諦めずに続けて行くことが大切であり、人として素晴らしい生き方だという意志を最後の試合までの自分の姿で体現して見せました。
だからこそ娘オロールは、ラストシーンでピアノを弾いていますが、そんな彼女もいかなる困難があったとしても、きっといつまでも夢を諦めずに弾き続けていくのでしょう。
幾つになっても夢を追いかける姿は、身体が痛々しいかろうが、他人に嘲笑わえれようが、尊いものだと感じることができる作品です。
そのことが観客に夢を持ち続けることの意味を問いかけてくれるのでしょう。
娘オロールの今にも止まりそうでありながら、健気に弾く「ノクターン」を聴くと、きっと、誰もがそう思うに違いありません。