映画『孤独のススメ』作品情報
【公開】
2013年(オランダ)
【原題】
Matterhorn
【監督】
ディーデリク・エビング
【キャスト】
ドン・カス(フレッド)、ロネ・ファント・オフ(テオ)、ポーギー・フランセ(カンプス)
映画『孤独のススメ』あらすじとネタバレ
謎の男
オランダの小さな田舎町で暮らす、中年男性のフレッド。愛する妻に先立たれ、たった一人の息子は仲たがいの末に家を出てしまい、孤独な毎日を過ごしていました。
厳格な宗教的コミュニティの住人であるフレッドの毎日は、非常に規則正しいものでした。食事も就寝も時間きっかり。音楽もバッハしか聴かないという徹底ぶりです。
ある日、フレッドの家の前に一人の男が現れます。たずねても名を名乗らず、口もききません。男に庭仕事をさせたフレッドは、家に入れて夕食を食べさせてやります。
男はお礼も言いません。でもその穏やかな様子にフレッドも悪い気はしないのか、行く場所がなさそうな男を引き留め、空いた部屋に一晩泊めてやることにします。
翌朝、朝食をとる二人。フレッドは男に洋服を貸し、ぼさぼさの髪も整えてやります。そして、自分が通っている教会のミサに男を連れて行きます。
こうして二人の奇妙な共同生活が始まりました。フレッドが歌を歌うと、男はまるで指揮者のように両手を広げます。フレッドは、男にサッカーも教えてやります。
二人がスーパーへ行くと、男は突然ヤギの鳴き真似をして子ども達を笑わせました。子どもの両親が、うちの子の誕生日パーティの余興に来てほしいと言います。
フレッドと男は、彼らの家をたずねます。フレッドが童謡を歌い、男はニワトリの真似をして回り、子ども達を楽しませます。両親は喜んでチップまでくれました。
二人の生活は平和でしたが、周囲は冷たい視線を投げかけます。フレッドは、余興で貯めたお金でスイスのマッタ―ホルンへ行こうと考えます。マッターホルンは昔、フレッドが妻にプロポーズした場所でした。
マッタ―ホルン
近所の子ども達も、フレッドを白い目で見ていました。腹が立ったフレッドは、自分の同居人として正式に男を迎えようと、役所へ手続きに向かいます。しかし、そこで男の名前がテオ・ハウスマンだと知ります。
テオの住所を聞き、フレッドは家に向かいます。家の中から一人の女性が現れました。女性はテオの妻でした。妻は言います。テオは事故にあって変わってしまった。施設に入れても必ず脱走してしまう。フレッドも、彼女に自分の身の上話をします。
フレッドは、テオを残して家を出ました。しかし、フレッドの家の前に再びテオが立っていました。フレッドの知人が、今後もテオと暮らすなら教会から締め出すと警告しますが、フレッドは聞く耳を持たずテオを家に迎えます。
テオの妻がフレッドの家にやって来ました。テオがフレッドの家にいたがっていることに気づいていた彼女は、二人が一緒に暮らすことを承知します。そして貯金の半分をフレッドに渡し、これでテオとマッタ―ホルンへ行ってほしいと言います。
フレッドは、テオに「結婚しよう」と言います。テオに妻のウエディングドレスを着せ、大雨の中を教会へ行き誓いの言葉を交わします。そこへ知人が現れ、二人を責めます。知人は昔、フレッドの妻のことを愛していたのだと告白します。
フレッドとテオは知人の家について行き、3人で酒を飲みかわします。カメラが趣味という知人の暗室には、テオやフレッドの妻の写真がありました。妻の写真を見つめていたフレッドは、今夜はテオの面倒を頼むと言い残し、家を出ます。
フレッドは、テオの妻を誘い、車である店へ出かけます。そこは小さなクラブで、ステージでは化粧をした青年が歌っていました。青年は客席のフレッドを見るとハッとしたように固まりました。彼はフレッドと疎遠になっていた息子だったのです。
フレッドは、ようやく息子を理解しました。拍手をし、「ヨハン!」と誇らしげに息子の名前を呼びます。息子も父親を見つめて微笑みました。その後、マッターホルンに辿り着いたフレッドとテオの姿がありました。
『孤独のススメ』の感想と評価
原題の『Matterhorn(マッタ―ホルン)』ではインパクトが弱い、または意味が分かりにくいと思われたのでしょうか。鑑賞後は「なんか違う」と思えたのが邦題『孤独のススメ』です。
キリスト教の厳しい教義に支配され、時計のような規則正しさで生きるフレッド。音楽はバッハしか聴かず、お腹の底から笑ったりすることなど皆無の日々です。
そんなフレッドが見知らぬ男性と暮らし始めた途端、周囲の人間は二人の関係を勘ぐり始め、差別的な言葉を投げつけます。いくら小さなコミュニティとはいえ、LGBTに関して先進国とも言われているオランダでこんなことがあるのかと思いましたが。
ディーデリク・エビンゲ監督のインタビューによると、オランダでLGBTはもはや当たり前のこと。彼自身はLGBTを意識して撮ったわけではなく、海外の映画祭に出品したところ初めて「LGBT映画」と定義されたとか。
日本では、LGBTという言葉が聞かれるようになったのもここ数年のこと。ついついそちらに注目しがちかもしれません。しかしエビンゲ監督が描いたのは、テオの登場によって自由になっていくフレッドの「自己の解放」の物語でした。
人間とは厄介な生き物です。真面目に生きているのに不幸。コミュニティの中で生活しているのに孤独。その原因の一つはおそらく「他者への許容」の不足であり、時には人の道を説く宗教ですら、偏見という刃物で他者を傷つけてしまいます。
フレッドの人生を根底から変えたテオ。しかしテオは神様ではなく、善人のボランティアでもなく、フレッドの親友でもありません。不幸な事故で精神に障害を負っている、世間的に見れば「不完全」な人間です。
そんなありのままに生きるテオが、「完全」な人間として振る舞っていたフレッドの心に風穴を開けます。フレッドは、周囲の偏見に立ち向かい、絶縁状態の息子と再会し、そしてテオと共に、夢に見たマッタ―ホルンに到達するのです。
テオともフレッドとも異なる、この映画でもっとも完璧に近い存在かもしれないと思わせるのがテオの妻です。夫の変化を受け入れ(あの境地に達するには相当の苦しみがあったとは思いますが)、フレッドにも心を開いてくれる女性です。
彼女の存在はある種、ファンタジーめいていてリアリティに欠けるかもしれません。しかし、彼女の眼差しは優しく、偏見の色は皆無です。常識に縛られないという、もっとも困難なことをさらりとやってのける彼女こそ、輝く奇跡だと思いました。
まとめ
オランダのディーデリク・エビング監督による長編デビュー作品。俳優として活躍するエビンゲが、長年の友人だという俳優トン・カスとルネ・ファント・ホフと組んで撮影した意欲作です。
ロッテルダム国際映画祭やモスクワ国際映画祭で観客賞を受賞。世界各国で上映され、絶賛を浴びました。オランダの新鋭として、注目を浴びるエビンゲ監督です。
家ではバッハの音楽しか聴かないとうフレッド。一方、フレッドの息子ヨハンがステージで歌うのは「This Is My Life(La Vita)」。映画『007』シリーズのテーマ曲などでお馴染みのイギリス人歌手、シャーリー・バッシ―の名曲です。
「ありのままに生きる私。これが私の人生」と、美しいテノールで歌い上げるヨハン。父親としての愛情と、息子の生き方に対する偏見に引き裂かれ、長年苦しみ続けていたフレッドの心はついにその壁を突き破ります。
「ヨハン!」と叫んでスタンディングオベーションを送るフレッド。ヨハンは父親の姿に驚きを隠せませんが、やがて笑顔を見せ、ろうろうと最後まで歌い上げます。
周囲の偏見に立ち向かうのも恐怖なら、自分の価値観を変えることも恐怖です。でもそれをやり遂げた時、全く新しい景色が見えるのだということを教えてくれます。
フレッドとテオにとっては、それがマッタ―ホルンなのでしょう。